第9章:元極道と絶対的な愛
はじめまして、または、お久しぶりです。
「いせてん」シリーズをお読みいただき、ありがとうございます。
このシリーズは、異世界に転生した人々を見守る「演出部」の女神たちの物語です。各章は完全に独立したエピソードになっていますので、どの章から読んでも大丈夫です。今回が初めての方も、安心してお楽しみください。
今回の第9章は「姐御女神」が担当します。彼女が見守るのは、前世で極道として生きた男の物語。強力なスキルを手に入れ、悪を裁く力を得た彼は、やがて傲慢になり、大切なものを見失っていきます。
そして、姐御女神が動きます。
力とは何か。守るとは何か。償いとは何か。
いつもより少しシリアスで、でもちゃんと笑えて、最後は温かい気持ちになれる。そんな物語を目指しました。
それでは、元極道シオンと姐御女神の物語を、どうぞお楽しみください。
いせてん~異世界演出部ですが、転生者がバカすぎて現地フォローしてきました~
第9章:元極道と絶対的な愛
「できないですって」
田村麻衣は両手を振った。
水晶玉の前に立つ女神は、腕を組んで首を傾げる。
「なんで?田村もけっこうイケてるじゃん」
「いえ、そういう問題では......」
女神——通称「姐御女神」は、長い黒髪に切れ長の瞳。すらりとした長身、黒いドレス。美人でスタイル抜群。
普段は朗らかで気さくだ。
だが。
「ねえ、田村」
姐御女神が一歩近づく。
笑顔のまま。
田村の背筋が凍った。
「できない、って言った?」
「あ、いえ、その......」
「うん?」
もう一歩。
圧倒的な威圧感。
笑顔が、怖い。
少し離れた場所で、美咲が書類を抱えたまま固まっている。
目が合った。
(頑張れ、田村先輩。)
(無理かも......)
「は、はい......」
「はい?」
「が、頑張ります......」
にっこり。
姐御女神の笑顔が、元の朗らかさに戻った。
「よろしくね♪」
田村は深々と頭を下げた。
姐御女神は水晶玉を覗き込んだ。
「さてと。剛力龍、どんな子かな」
画面には、薄暗いスラムの路地が映っている。
痩せた少年が、ゴミを漁っていた。
腹が減った。
シオン——剛力龍は、ゴミの山を漁った。
スラムの路地は臭い。汚い。暗い。
七歳だった。多分。誕生日なんて知らない。
この世界に転生して、七年。
前世の記憶はある。極道として生きた、長い長い人生。
騙され、欺かれ、虐げられ、裏切られ続けた。
親に捨てられた。組にも裏切られた。最後は——撃たれて死んだ。
で、気づいたらスラムにいた。
孤児だった。
「......神なんていねえ」
呟いて、龍は笑った。
前世も今世も、同じだ。
誰も助けてくれない。
腹が減った。
ゴミの中に、固いパンの欠片があった。
掴もうとした瞬間——
視界が光った。
『スキルを授与します』
「はあ?」
目の前に、光る文字が浮かんでいる。
何だこれ。
『偽りを暴く眼』
『恐怖の支配者』
『悪魔の取引』
龍は固まった。
「......」
『授与完了しました』
光が消える。
静寂。
龍はゴミの山を見つめた。
「......」
腹が減っている。
「こんなもん、食えねえよ」
スキル?
知るか。
パンを拾って、齧った。
固い。不味い。
でも食える。
それだけだ。
数日後。
龍は、スキルの使い方がわからなかった。
「偽りを暴く眼」って何だ。
目を見開いても、何も起きない。
「恐怖の支配者」?
誰を支配するんだ。スラムのネズミか?
「悪魔の取引」に至っては、意味不明だった。
腹が減った。
それだけが現実だ。
路地の奥で、龍はゴミを漁っていた。
「あら」
声がした。
振り向く。
女性が立っていた。
シスターの服。優しそうな顔。
「お腹空いてるでしょ?」
龍は警戒した。
前世の記憶が囁く。
優しい顔をした奴ほど、裏がある。
「......関係ねえだろ」
「そんなことないわ。ちょっと待ってて」
シスターは、袋からパンを取り出した。
温かい。焼きたてだ。
「はい」
差し出される。
龍は動けなかった。
何の見返りだ。
何を奪われる。
「......なんで」
「お腹空いてるでしょ?」
シスターは笑った。
「それだけよ」
嘘だ。
絶対に裏がある。
でも——
腹が減っていた。
龍は、パンを受け取った。
「......」
「食べていいのよ」
一口。
温かい。
柔らかい。
美味い。
涙が出そうになった。
馬鹿か、俺は。
「お名前は?」
「り、龍......」
言いかけて、龍は口をつぐんだ。
違う。
それは、前世の汚れた名前だ。
極道として生きた、血塗られた名前だ。
新しい人生なら——
「シ、シオンだ」
頭に浮かんだ名前を告げた。
どこにも属さない。
何者でもない。
ただの旅人。
「シオンくんね。私はシスター・ソフィア。教会にいるの」
ソフィアは微笑んだ。
「よかったら、また来てね」
そう言って、去っていった。
シオン——龍は、パンを食べ続けた。
温かかった。
それから、龍は時々教会に行くようになった。
ソフィアは、毎回パンをくれた。
見返りを求めなかった。
説教もしなかった。
ただ、優しかった。
龍は混乱した。
こんな人間が、いるのか。
ある日、ソフィアが言った。
「シオンくん、文字を覚えたい?」
「......」
「読み書きができると、便利よ」
龍は頷いた。
それから、龍はソフィアから文字を習った。
計算も習った。
教会の手伝いもした。
スラムの孤児だった龍が、少しずつ変わっていった。
前世の記憶は消えない。
でも——
「この世界も、悪くねえのかもな」
そう思い始めた。
十年後。
龍は十七歳になっていた。
ソフィアは、病で亡くなった。
最後まで、優しかった。
「シオンくん、ありがとう」
そう言って、笑って、逝った。
龍は泣かなかった。
泣き方を忘れていた。
でも——
胸が痛かった。
教会は、ソフィアの娘——マリアが継いだ。
龍と同じ歳だった。
「シオン、これからもよろしくね」
マリアは、母親そっくりの笑顔を浮かべた。
「......ああ」
龍は、教会の手伝いを続けた。
スラムの孤児たちに、パンを配った。
ソフィアがしてくれたように。
平和だった。
でも——
それは長く続かなかった。
ある日。
マリアが、青い顔で戻ってきた。
「シオン......」
「どうした」
「貴族が、来たの」
龍の目が細くなった。
「何の用だ」
「教会の土地に、法外な場所代を請求されて......」
マリアの声が震えている。
「払えないなら、教会を取り壊すって」
龍の中で、何かが弾けた。
前世の記憶。
極道として生きた日々。
奪う側の論理。
「......いくらだ」
「金貨五百枚......そんな大金、どうやって......」
マリアが泣きそうな顔をしている。
龍は立ち上がった。
「任せろ」
「え?」
「その貴族、どこにいる」
「で、でも......」
「大丈夫だ、話をするだけだ」
龍は笑った。
前世の、極道の笑みだった。
「俺に任せろ」
貴族の屋敷。
龍は、正門から堂々と入った。
門番が剣を抜く。
「貴様、何者だ!」
龍は、門番を見た。
その瞬間——
視界が変わった。
まるで、世界に色が付いたような感覚。
門番の輪郭が、淡く光る。
『偽りを暴く眼発動』
頭の中に、声が響いた。
いや、声じゃない。
情報が、直接流れ込んでくる。
門番の頭上——いや、存在そのものに重なるように、半透明の文字が浮かび上がった。
『名前:ガルド 職業:門番 忠誠度:低』
『発言:「貴様、何者だ!」』
『真実度:45%』
『内心:(こ、こいつ、何か違う......やばい雰囲気だ)』
『表面感情:怒り 70%』
『深層感情:恐怖 85%』
龍は息を呑んだ。
見える。
全部、見える。
門番の嘘も、本心も、感情も。
まるで、心の中を覗いているようだ。
「お、おい、聞いているのか!」
門番が叫ぶ。
でも、その声は上ずっている。
『発言:「聞いているのか!」』
『真実度:20%』
『内心:(剣を抜いたけど、本当に斬れるのか...?)』
龍は小さく笑った。
「......マジか」
これが、スキルか。
十年越しに、使い方がわかった。
いや、違う。
使い方がわかったんじゃない。
今、必要だったから——発動した。
「どけ」
龍は一歩踏み出した。
低い声。
前世で、何百回も使った声だ。
その瞬間——
龍の体から、何かが溢れ出した。
見えない波動。
いや、見える。
龍の周囲に、黒い靄のようなものが揺らめいている。
まるで、闇そのものが生きているような。
『恐怖の支配者発動』
靄が広がる。
門番を包み込む。
「ひっ......!」
門番の顔が蒼白になった。
剣を持つ手が、がくがくと震えている。
龍の視界——『偽りを暴く眼』が、門番の状態を映し出す。
『表面感情:恐怖 99%』
『深層感情:絶望 80%』
『生理反応:心拍数上昇、発汗、筋肉硬直』
『内心:(死ぬ、死ぬ、死ぬ、こいつに殺される——!)』
門番が、剣を落とした。
がらん、と音がする。
その場に崩れ落ちる。
「す、すみません、どうぞ、お通りください......!」
龍は、門番の脇を通り過ぎた。
「邪魔すんな」
靄が消える。
門番が、その場で震えていた。
龍は、自分の手を見た。
「......すげえな、これ」
力が、ある。
圧倒的な力が。
屋敷の中へ。
使用人たちが慌てて逃げていく。
龍の周囲に漂う『恐怖の支配者』の残滓が、彼らを怯えさせる。
廊下を歩く。
応接室の扉が見えた。
龍は、扉を開けた。
太った貴族が、ソファに座っていた。
「何者だ、貴様!」
龍は、貴族を見た。
『偽りを暴く眼発動』
視界が、また変わる。
貴族の情報が、洪水のように流れ込んでくる。
『名前:ヴィクター・レイモンド 爵位:男爵 年齢:52』
『表面感情:怒り 60%、焦り 30%』
『深層感情:恐怖 50%、罪悪感 70%』
『秘密1:裏帳簿の存在(書斎の隠し引き出し)』
『秘密2:税金の不正申告(過去5年間)』
『秘密3:スラムの孤児を人身売買(ニーズヘッグ協会と取引)』
『弱点:家族への執着、社会的地位への恐怖』
龍の目が、細くなった。
人身売買。
孤児を。
「......そうかい」
龍の声が、低くなった。
「よう」
「き、貴様、無礼だぞ!」
『発言:「無礼だぞ!」』
『真実度:80%』
『内心:(な、何だこいつ......門番は何をしている!)』
龍は椅子に座った。
足を組む。
「話があんだよ、デブ」
「なっ......!」
貴族の顔が真っ赤になる。
『表面感情:怒り 95%』
『深層感情:恐怖 60%(上昇中)』
「衛兵を呼ぶぞ!」
「呼べばいい」
龍は涼しい顔だった。
「裏帳簿の話、衛兵にもしてやるよ」
貴族が固まった。
『表面感情:驚愕 90%』
『深層感情:恐怖 85%(急上昇)』
『内心:(な、なぜ知っている...!? 誰も知らないはずだ...!)』
「......何を言っている」
『発言:「何を言っている」』
『しらを切っている』
龍は笑った。
便利だな、このスキル。
「とぼけんのか?」
龍は身を乗り出した。
『恐怖の支配者発動』
黒い靄が、再び龍の周囲に広がる。
今度は、意識的に。
もっと濃く。
もっと重く。
靄が、部屋中に満ちていく。
貴族の顔から、血の気が引いた。
「ひ......」
『表面感情:恐怖 99%』
『深層感情:絶望 70%』
『生理反応:心拍数180、冷汗、呼吸困難』
『内心:(死ぬ、こいつに殺される、助けて、誰か——)』
「て、てめえ......」
声が震えている。
龍は、さらに威圧を強めた。
貴族の体が、ソファに沈み込む。
まるで、見えない重りが乗っているように。
「教会から場所代を巻き上げようとしたな」
「そ、それは正当な......」
『発言:「正当な」』
『真実度:0%』
「嘘をつくな」
龍の声が、冷たくなった。
「お前、税金ごまかしてんだろ」
「なっ......!」
「裏帳簿、書斎の隠し引き出しだろ?」
貴族の目が、見開かれた。
『表面感情:驚愕 100%、恐怖 100%』
『内心:(なぜ、なぜそこまで知っている...!?)』
「それと」
龍は立ち上がった。
貴族の襟首を掴む。
『恐怖の支配者』の靄が、貴族の体を締め付ける。
「孤児を、売ってんだろ」
「ひ......!」
「ニーズヘッグ協会に」
貴族が震え出した。
「き、貴様、何者だ......」
龍は笑った。
極道の笑みだった。
「ただの孤児だよ」
貴族の体を、ソファに押し戻す。
「いいか、デブ」
「ひ......」
「教会への請求、今すぐ取り下げろ」
「そ、そんな......」
「それと」
龍は、ゆっくりと言った。
「金貨千枚、教会に寄付しろ」
「せ、千枚だと!?」
「できねえなら」
龍は冷たく笑った。
「裏帳簿、王都の監査官に送る」
「ま、待て......」
「人身売買の証拠も、一緒にな」
貴族の顔が、完全に蒼白になった。
『深層感情:絶望 95%』
『内心:(終わった、全部終わった......)』
「三日以内に、教会に金を持ってこい」
「み、三日は短すぎる......」
「じゃあ二日で」
「わ、わかった!三日で用意する!」
龍は満足そうに頷いた。
「よし」
振り返って、歩き出す。
「あ、あの......」
貴族が震える声で言った。
「裏帳簿の話、本当に黙っていてくれるのか......?」
龍は振り返らずに答えた。
「約束は守るよ」
その瞬間——
新しい感覚が、龍を包んだ。
『悪魔の取引発動』
龍の言葉が、光を帯びた。
いや、光じゃない。
言葉が、契約になった。
見えない鎖が、龍と貴族を繋ぐ。
貴族は、それを感じ取ったのだろう。
なぜか、安心した表情になった。
『内心:(この男は、約束を守る......信じられる......)』
「......わかった」
龍は屋敷を後にした。
外に出ると、深く息を吐いた。
「......スキル、使えんじゃねえか」
三つのスキルが、全部発動した。
『偽りを暴く眼』で、敵の弱点を見抜く。
『恐怖の支配者』で、敵を屈服させる。
『悪魔の取引』で、約束を強制する。
完璧な組み合わせだ。
龍は笑った。
「十年かかったけど、理解したぜ」
空を見上げる。
「......神様、ってやつか?」
いや、違う。
神なんていない。
これは、ただの力だ。
龍が手に入れた、力だ。
「面白え」
笑いが込み上げてきた。
三日後。
貴族は、本当に金貨千枚を持ってきた。
マリアが驚愕している。
「シ、シオン、これ......」
「教会の修繕費だ」
「で、でも、こんな大金......」
「気にすんな」
龍は笑った。
「ソフィアへの恩返しだ」
マリアの目に涙が浮かんだ。
「シオン......ありがとう」
「礼はいらねえよ」
その日から、龍は動き出した。
教会の修繕が始まった。
スラムの孤児たちを集めた。
「お前ら、飯食いたいか」
孤児たちが頷く。
「なら、俺について来い」
龍は、孤児たちに文字を教えた。
計算を教えた。
ソフィアがしてくれたように。
でも——
少しだけ、違う。
街の情報を集めさせた。
「いいか、お前ら」
龍は孤児たちに言った。
「この世界は、クソみたいに理不尽だ」
孤児たちが頷く。
「だから、賢くなれ」
「強くなれ」
「生き延びろ」
龍は笑った。
「俺が、守ってやる」
孤児たちの目が輝いた。
数ヶ月後。
教会は見違えるように綺麗になった。
孤児たちは、街中に散らばって情報を集めている。
マリアは、龍の変化に戸惑っていた。
「シオン、あなた......何をしているの?」
「教会の運営だよ」
「でも、孤児たちに情報を集めさせるなんて......」
「心配すんな」
龍は笑った。
「悪いことはさせてねえ。孤児にも仕事が必要だ。施しだけでは食っていけない」
マリアは、複雑な顔をした。
「......それはそうだけど」
「大丈夫だって」
半年後。
龍は、裏の世界に足を踏み入れていた。
この王国には、腐った貴族が多すぎる。
悪徳商人も多すぎる。
ニーズヘッグ協会——王国を根っこから牛耳る悪の組織も、暗躍している。
「......面白え」
龍は笑った。
前世の血が騒ぐ。
極道として生きた記憶が蘇る。
「この世界も、やっぱり変わらねえな」
悪意に満ちている。
裏切りに満ちている。
でも——
「だったら、俺がやってやる」
龍の目が光った。
スキルの使い方を、完璧に理解した。
『偽りを暴く眼』
『恐怖の支配者』
『悪魔の取引』
十年前、意味がわからなかった力。
今なら、完璧に使いこなせる。
「悪党どもを、片っ端から潰してやる」
龍は立ち上がった。
神父見習いの服を着る。
裏では——
シオンという名の、悪を裁く者が動き出す。
マリアは、何も知らない。
それでいい。
龍は、一人で歩き出した。
裏の世界へ。
半年が経った。
シオン——剛力龍の情報ネットワークは、王都全域に広がっていた。
孤児たちが、街中に散らばっている。
市場、酒場、貴族の屋敷、商人の倉庫。
あらゆる場所に、龍の目がある。
「シオン、報告」
小さな少年が、教会に駆け込んできた。
名前はルーク。十歳。龍が最初に拾った孤児だ。
「三番街の酒場で、ニーズヘッグ協会の取引があるって」
「時間は?」
「今夜、十時」
龍は頷いた。
「よくやった。飯、食ってけ」
「ありがとう!」
ルークが嬉しそうに走っていく。
マリアが、厨房から顔を出した。
「シオン、また情報収集?」
「ああ」
「危ないことしないでね......」
「大丈夫だって」
龍は笑った。
マリアは心配そうだ。
でも、止めない。
教会が潤っているのは、龍のおかげだと知っている。
悪党から巻き上げた金で、孤児たちを養っている。
「......気をつけて」
「おう」
龍は神父の服を着た。
今夜も、仕事がある。
十時。
三番街の酒場。
龍は、裏口から入った。
『偽りを暴く眼発動』
酒場の客たち——
『職業:商人 忠誠度:中 秘密:なし』
『職業:傭兵 忠誠度:低 秘密:盗品の売買』
『職業:貴族の使用人 忠誠度:高 秘密:主人の浮気を隠蔽』
雑多な情報が流れ込む。
でも、龍はもう慣れていた。
必要な情報だけを拾う。
奥の個室。
扉の向こうに、三人の男がいる。
『職業:ニーズヘッグ協会構成員』
『秘密:麻薬の密売、人身売買、殺人』
龍の目が細くなった。
扉を開ける。
「よう」
三人の男が振り向いた。
「誰だ、貴様!」
一人が剣を抜く。
龍は、男を見た。
『偽りを暴く眼発動』
『名前:ガロン 職業:協会構成員(幹部候補)』
『表面感情:怒り 80%』
『深層感情:焦り 60%』
『秘密:今夜の取引で昇進を狙っている』
「神父様だよ」
龍は笑った。
「懺悔でも聞こうかと思ってな」
「ふざけるな!」
ガロンが斬りかかってくる。
龍は、動かなかった。
龍が男を睨む。
『恐怖の支配者発動』
黒い靄が、一気に爆発した。
部屋中を満たす。
ガロンの剣が、空中で止まった。
体が硬直する。
「ひ......」
『表面感情:恐怖 99%』
『生理反応:筋肉麻痺、呼吸困難』
残りの二人も、同じように固まっている。
龍は、ゆっくりと歩いた。
「お前ら、ニーズヘッグ協会だろ」
「......」
誰も答えられない。
恐怖で、声が出ない。
龍は、テーブルの上の書類を見た。
『偽りを暴く眼発動』
内容を解析する。
『取引内容:孤児50名の売買契約』
『取引相手:隣国の奴隷商人』
『取引額:金貨300枚』
龍の表情が、冷たくなった。
「孤児を、売るのか」
「......」
「五十人も」
龍の周囲の靄が、さらに濃くなった。
三人の男が、床に崩れ落ちる。
「ひ、ひいいっ......!」
「た、助けて......!」
龍は、書類を手に取った。
「この取引、中止だ」
「そ、そんなこと......」
ガロンが震える声で言った。
「協会が、許さない......」
「協会?」
龍は笑った。
「上等じゃねえか」
ガロンの襟首を掴む。
「お前の上司、誰だ」
「い、言えるわけ......」
『悪魔の取引発動』
龍の言葉に、力が宿る。
【【【言え】】】
契約の鎖が、ガロンを縛る。
「......フェリクス、幹部のフェリクス様だ......!」
情報が、口から零れ落ちた。
「どこにいる」
「北区の、廃倉庫......!」
「よし」
龍は、ガロンを床に叩きつけた。
「お前ら、今日からニーズヘッグ協会を抜けろ」
「む、無理だ、抜けたら殺される......」
「俺が守ってやる」
『悪魔の取引発動』
龍の言葉が、契約になる。
三人の男に、見えない鎖が巻きつく。
「その代わり」
龍は冷たく笑った。
「協会の情報、全部吐け」
一週間後。
龍は、ニーズヘッグ協会の北区支部を壊滅させた。
幹部のフェリクスは、監獄に送られた。
構成員の半分は、龍の情報網に組み込まれた。
残りは、逃げた。
王都中に、噂が広がった。
「神父が、協会を潰した」
「シオンという名の、恐ろしい男だ」
「悪党どもが、震え上がっている」
マリアは、心配そうな顔をしていた。
「シオン......街で、あなたの噂を聞いたわ」
「そうか」
龍は笑った。
「大丈夫なの?協会は、黙っていないわ」
「来るなら来いよ」
龍は窓の外を見た。
王都の街並み。
「俺が、全部潰してやる」
その夜。
龍は、裏カジノに向かった。
王都の歓楽街。
地下にある、違法賭博場。
入り口で、用心棒が立っている。
「止まれ」
龍は、用心棒を見た。
『偽りを暴く眼発動』
『職業:用心棒 所属:裏カジノ「黒竜亭」』
『秘密:店のイカサマを知っている、給料の一部を着服』
「神父が、カジノか?」
用心棒が笑った。
「帰んな」
龍は笑った。
「客として来たんだ」
「......」
「入れてくれよ」
龍は、金貨を一枚投げた。
用心棒がキャッチする。
「......まあ、いいか」
扉が開く。
地下へ続く階段。
龍は降りていった。
カジノのフロア。
賑やかな音楽。
ルーレット、カード、サイコロ。
客たちが、金を賭けている。
龍は、ルーレットのテーブルに座った。
ディーラーが笑顔で迎える。
「いらっしゃいませ」
龍は、金貨を十枚置いた。
「赤に賭ける」
「かしこまりました」
ルーレットが回る。
球が転がる。
黒に止まった。
「残念でした」
ディーラーが金貨を回収する。
龍は、『偽りを暴く眼』でディーラーを見た。
『名前:レオン 職業:ディーラー』
『秘密:磁石を使ったイカサマ、ルーレットの球を操作』
龍は笑った。
「もう一回」
金貨を二十枚置く。
「赤に賭ける」
ルーレットが回る。
また、黒に止まった。
「残念でした」
龍は、さらに金貨を置いた。
「赤」
また、黒。
「赤」
また、黒。
「赤」
また、黒。
ディーラーが、不思議そうな顔をしている。
「お客様、今日はツキがないですね」
「そうだな」
龍は笑った。
「でも、もう一回」
金貨を百枚、テーブルに積む。
周囲の客たちが、ざわめいた。
「赤に、全部賭ける」
ディーラーの顔が、少し強張った。
「......かしこまりました」
ルーレットが回る。
球が転がる。
龍は、ディーラーの手元を見ていた。
『偽りを暴く眼』が、動きを解析する。
ディーラーの指——
懐に手を入れる。
磁石を取り出す。
球の軌道を変えようとする。
龍は、立ち上がった。
ディーラーの手首を掴む。
「......!」
「その磁石、何だ?」
静寂。
周囲の客たちが、息を呑んだ。
ディーラーの顔が、蒼白になった。
「こ、これは......」
「イカサマだろ」
龍の声が、響いた。
フロア中の視線が集まる。
「て、てめえ......!」
用心棒たちが、駆けつけてくる。
五人。
全員、剣を抜いている。
龍は、彼らを睨んだ。
『恐怖の支配者発動』
黒い靄が、爆発的に広がった。
フロア全体を包み込む。
用心棒たちが、その場で硬直した。
客たちも、恐怖で動けない。
龍は、ゆっくりと歩いた。
カジノの奥——
店主の部屋へ。
扉を蹴破る。
太った男が、机の後ろで震えていた。
「て、てめえ、何者だ......!」
龍は、男を見た。
『偽りを暴く眼発動』
『名前:ボリス 職業:カジノ経営者』
『所属:ニーズヘッグ協会』
『秘密:イカサマで客から金を巻き上げる、協会に上納金を納めている』
龍は笑った。
「神父だよ」
ボリスの襟首を掴む。
「お前、ニーズヘッグ協会だな」
「ち、違う......!」
『発言:真実度0%』
「嘘をつくな」
龍は、ボリスを壁に叩きつけた。
「このカジノ、今日から俺のもんだ」
「な、何を......!」
「文句あるか?」
『恐怖の支配者』の威圧が、ボリスを押し潰す。
「ひ、ひいいっ......!」
「ないなら、さっさと消えろ」
ボリスが、這うようにして逃げていった。
龍は、カジノのフロアに戻った。
客たちが、恐怖で固まっている。
「安心しろ」
龍は笑った。
「今日から、このカジノはクリーンになる」
「イカサマは、なしだ」
客たちが、ざわめいた。
「その代わり」
龍は続けた。
「勝った金は、ちゃんと払う」
「負けた金も、ちゃんと受け取る」
「公正な勝負だ」
客たちの目が、輝き始めた。
「それと」
龍は、ディーラーたちを見た。
「お前ら、イカサマなしで働けるか?」
ディーラーたちが、頷いた。
「は、はい......!」
「給料は、倍にしてやる」
「!」
「その代わり、真面目に働け」
「わ、わかりました......!」
龍は、カジノの経営権を手に入れた。
三ヶ月後。
カジノ「黒竜亭」は、王都で最も人気のある賭博場になっていた。
イカサマなし。
公正な勝負。
負けても、納得できる。
客が殺到した。
利益も、倍増した。
龍は、その金を——
教会に流した。
孤児たちの食費。
教会の修繕費。
スラムの医療支援。
半年後。
龍の勢力は、王都の裏社会で確固たる地位を築いていた。
情報ネットワーク——元孤児と元協会構成員。
資金源——カジノと、悪党から巻き上げた金。
名声——「悪を裁く神父」として、庶民の支持を得ている。
ニーズヘッグ協会の王都支部は、半壊状態だった。
ある日、マリアが市場から戻ってきた。
「ただいま」
「おう」
龍は、情報網から上がってきた報告書を読んでいた。
マリアの買い物籠——いつもより、中身が少ない。
「今日は、あまり買えなかったの」
「そうか」
龍は報告書から目を離さなかった。
協会の動きが気になっていた。
「市場の野菜売り、どこに行っても......その、今日は売り切れだって」
マリアの声が、少し沈んでいる。
「ふーん」
『偽りを暴く眼』——使えば、マリアの本心が見える。
でも、龍は使わなかった。
報告書に集中していた。
「シオン、最近......」
「ん?」
「いえ、なんでもない」
マリアは笑顔を作った。
「夕飯、作るわね」
「頼む」
龍は報告書を読み続けた。
王都の裏社会。
貴族たちの動向。
協会の次の一手。
全部、見えている。
でも——
目の前のマリアは、見えていない。
それから数日後。
でも——
本部が動いた。
「シオンという神父を、始末しろ」
協会の幹部会議。
精鋭部隊が、送り込まれた。
ある夜。
龍は、王都の時計塔に登っていた。
高い、高い塔。
王都で最も高い建造物。
頂上に立つと、街全体が見渡せる。
貴族の屋敷。
商人の店。
スラムの路地。
全部、見える。
龍は、夜風に髪をなびかせた。
「......綺麗だな」
王都の夜景。
無数の灯火。
前世では、見なかった景色だ。
「俺が、この街を変えた」
龍は笑った。
「悪党を潰した」
「孤児を救った」
「正義を、実行した」
胸が、高揚する。
力がある。
情報がある。
金がある。
全部、俺が手に入れた。
「神なんていない、って思ってた」
龍は、両腕を広げた。
「でもな」
街を見下ろす。
王都の全てが、足元にある。
「今なら、わかる」
龍は笑った。
高く。
傲慢に。
「俺が、神だ」
その瞬間——
殺気。
背後から。
いや、四方八方から。
龍は振り向いた。
『偽りを暴く眼発動』
黒装束の影——
十人。
いや、二十人。
時計塔の周囲を、完全に包囲している。
『職業:暗殺者×10』
『職業:ニーズヘッグ協会精鋭戦闘員×10』
『殺意:100%』
龍は舌打ちした。
「チッ......本気か」
暗殺者たちが、一斉に襲いかかってくる。
龍が暗殺者を睨む。
『恐怖の支配者発動』
黒い靄が広がる。
でも——
視界が赤くぼやける。
対象が定まらない。
一人目の刃が、龍の肩を切り裂いた。
「ぐ......!」
血が飛ぶ。
二人目の刃が、脇腹に突き刺さる。
「がっ......!」
三人目、四人目——
刃が、龍の体を切り刻んでいく。
龍は、時計塔の縁に追い詰められた。
暗殺者たちが、囲む。
二十人全員。
逃げ場はない。
「......クソが」
龍は笑った。
血を吐きながら。
「協会の、本気か」
暗殺者たちは、答えない。
ただ、殺意だけがある。
リーダー格の暗殺者が、龍の胸に刃を突き立てようとした。
その瞬間——
龍は、身を投げた。
時計塔から。
落下。
風が、体を包む。
暗殺者たちが、塔の上から見下ろしている。
龍の意識が遠のいていく。
「......ああ」
俺は神になったと思った。
でも——
俺は、ただの人間だった。
視界が、暗くなる。
地面が、近づいてくる。
前世も——
今世も——
殺される。
「......クソが」
笑いが、込み上げた。
でも——
声が出ない。
龍の体が、地面に——
「田村、大変です!」
美咲が叫んだ。
水晶玉の画面——
龍が、時計塔から落下している。
血まみれだ。
「......まずいわね」
田村の顔が、引き締まった。
「高度は?」
「五十メートル以上!このままでは......!」
龍の体が、回転しながら落ちていく。
血が、空中に飛び散っている。
「転生者が死ぬ......!」
美咲が蒼白になった。
田村は、深く息を吸った。
「美咲、女神の衣装」
「は、はい!」
「私が行くわ」
田村は立ち上がった。
左眼が、ピクリと動いた。
「間に合わせないと......!」
時計塔の下。
龍の体が、地面まであと十メートル。
視界が、ぼやけている。
意識が、遠のいていく。
「......ああ」
死ぬのか。
その瞬間——
光が、降ってきた。
眩しい、白い光。
龍の落下が、止まった。
空中で。
「......?」
龍は、光に包まれていた。
柔らかい。
温かい。
「よ、よかった......間に合った......」
声がした。
女性の声。
震えている。
龍の視界に、人影が映る。
白い衣装。
後光が差している。
女神——
「あ、あなたを、助けに来たわ......」
声が、震えている。
顔も、青い。
龍は、目を細めた。
『偽りを暴く眼発動』
『名前:田村麻衣 職業:演出部観察責任者』
『表面感情:緊張 99%、焦り 95%、恐怖 80%』
『内心:(セリフ、セリフ、次のセリフは何だっけ...!? ああもう、手が震えて...!)』
龍は、呆然とした。
「......誰だ、お前」
「わ、私は......」
田村が棒読みで言った。
「女神、よ......」
『内心:(ああもう、全然女神っぽくない...! 姐御様、助けて...!)』
暗殺者たちが、地上に降りてくる。
龍を取り囲む。
二十人全員。
「ち、ちょっと......」
田村が焦っている。
暗殺者たちが、刃を構える。
龍を——
田村を——
殺すつもりだ。
包囲網が狭まる。
一歩。
また一歩。
もう、逃げ場はない。
暗殺者のリーダーが、刃を振り上げた。
とどめを刺す——
その瞬間——
空が、裂けた。
いや、裂けたように見えた。
圧倒的な威圧感。
空間が、歪む。
「......ったく」
低い、ドスの効いた声。
「田村、悪くなかったよ」
光が、爆発した。
「でも、ここからはあたしの仕事だ」
暗殺者たちが、吹き飛ばされた。
二十人全員。
一瞬で。
「ぎゃあああっ!」
「うわああっ!」
悲鳴を上げて、地面に叩きつけられる。
暗殺者たちは、動かなくなった。
気絶している。
龍の視界に——
女性が降りてきた。
長い黒髪。
切れ長の瞳。
黒いドレス。
そして——
周囲を包む、凄まじい威圧感。
「......」
龍は、息を呑んだ。
これが、女神か。
「よう、坊主」
姐御女神が、龍の前に降り立った。
「随分と、調子に乗ってたみたいだな」
龍は、言葉が出なかった。
女神の瞳が、龍を見る。
その瞳には——
全てを見通すような、深い光があった。
「『俺が神だ』?」
姐御女神が笑った。
「笑わせんな」
龍の体が、地面にゆっくりと降ろされた。
傷は、まだ痛む。
でも——
死んではいない。
「あ、あの......」
田村が、おずおずと近づいてくる。
姐御女神は、田村を見た。
「田村、ご苦労さん」
「も、申し訳ございません......」
「いいよ、頑張ったじゃん」
姐御女神は、優しく笑った。
「後は任せな」
「さて」
姐御女神は、龍を見下ろした。
「お前、何か勘違いしてねえか?」
「......」
「力があれば、神になれるとでも思った?」
龍は、答えられなかった。
姐御女神は、しゃがみ込んだ。
龍と目線を合わせる。
「お前さ、本当に大切なもの、守れてたか?」
「......」
「マリア、って子」
龍の目が、見開かれた。
「あの子、お前に心配かけまいと、必死に笑ってたぜ」
「......」
「野菜を売ってもらえない」
「近所の連中に、嫌がらせされる」
「でもお前には、言わなかった」
姐御女神の声が、低くなった。
「お前は、『全部見えている』つもりだった」
「でも——」
「目の前の、一番大切な奴が、見えてなかった」
龍の胸に、何かが刺さった。
「......」
記憶が、蘇る。
マリアの、沈んだ声。
買い物籠の、少ない中身。
作り笑顔。
全部——
見ていたはずなのに。
見えていなかった。
「あ......」
龍の目から、涙が零れた。
「俺......」
「何が、神だ」
姐御女神は、静かに言った。
「お前は、ただの人間だ」
「力があっても」
「情報があっても」
「金があっても」
「大切なもの、一つ守れてねえじゃねえか」
龍は、泣いた。
前世で、忘れていた涙。
今世でも、流さなかった涙。
それが、溢れて止まらなかった。
「......すみません」
「謝るのは、あたしじゃねえだろ」
姐御女神は立ち上がった。
「お前、前世で何をした?」
姐御女神の目が、鋭くなった。
「殺人、強盗、恐喝——数え切れねえだろ」
龍の顔が、蒼白になった。
「それを、どう償うつもりだ?」
「......」
「今世で人助けすれば、チャラになるとでも思ったか?」
龍は、震える手を伸ばした。
女神に——
マリアに——
「......許してくれ......」
姐御女神は——
龍の頭を、拳で殴った。
ゴツン。
「痛っ!」
遠くで、小さな声。
「......あっ」
田村が、まだ完全に消えきっていなかった。
女神が、殴った。
『内心:(ええっ!? 女神様が殴っちゃった!?)』
田村の姿が、完全に消える。
「甘えんな」
姐御女神の声が、厳しくなった。
「神がいるからって、何でも許されると思うな」
姐御女神は、龍の襟首を掴んだ。
「償いってのは、一生かけてやるもんだ」
「......」
「マリアを見ろ。お前が『守ってる』はずの奴が、苦しんでる」
「本当に人を助けたいなら——」
姐御女神の目が、少し優しくなった。
「まず、目の前の大切な奴から、ちゃんと見ろ」
龍は、頷いた。
「......わかりました」
姐御女神は、龍を立たせた。
「よし」
龍の肩を叩く。
「お前が道に迷ったら——」
「おしりぺんぺん、だからな」
龍は、思わず笑った。
「......はい」
姐御女神は、龍を抱きしめた。
強く。
温かく。
「頑張れよ、坊主」
姐御女神は、ゆっくりと消えていった。
光の中に。
龍は、その場に一人残された。
体の傷は、完全に癒えていた。
女神の力だ。
「......帰るか」
教会へ。
マリアの元へ。
シーン4
教会の扉を開ける。
「ただいま」
「シオン!」
マリアが、駆け寄ってきた。
「無事だったの!? 血まみれで倒れてるって、街の人が......!」
マリアの目が、赤く腫れている。
泣いていたのだ。
龍は、マリアの手を取った。
「......ごめん」
「え?」
「お前のこと、全然見てなかった」
マリアが、目を見開いた。
「野菜を売ってもらえなくて、苦労してたのに」
「近所の連中に、嫌がらせされてたのに」
「俺、気づかなかった」
「シオン......」
龍は、マリアの目を見た。
「これから、ちゃんと見る」
「お前を」
「教会を」
「孤児たちを」
「本当に大切なものを、ちゃんと守る」
マリアの目から、涙が溢れた。
「......うん」
「だから——」
龍は笑った。
「これからも、よろしく頼む」
「......うん!」
マリアが、龍に抱きついた。
龍は、マリアの頭を撫でた。
温かい。
これが、守るべきものだ。
しばらくして——
マリアが、龍から離れた。
顔を上げる。
真剣な目だった。
「シオン」
「ん?」
「私も、一緒に戦う」
龍は、驚いた。
「マリア......」
「あなた一人じゃ、危ないわ」
マリアの声が、強い。
「今夜みたいに、また襲われるかもしれない」
「でも......」
「私も、力になりたい」
マリアが、きっぱりと言った。
その瞬間——
ピロン♪
軽やかな音が響いた。
マリアの目の前に、光る文字が浮かぶ。
『スキルを授与します』
「え......?」
『選ばれし聖女』
『闇を照らす者』
『慈愛の守護者』
『授与完了しました』
マリアが、呆然としている。
龍も、驚いていた。
「......女神様か」
「シオン......?」
「二人でやれ、ってことだ」
龍は笑った。
マリアも、微笑んだ。
「......はい」
二人は、光に包まれた。
温かい光。
女神の、祝福の光だ。
「ありがとうございます」
龍とマリアが、同時に呟いた。
翌日から。
龍とマリアは、新しい活動を始めた。
昼は、神父とシスターとして。
教会で孤児たちに勉強を教える。
一緒に市場で買い物をする。
近所の人たちに、挨拶をする。
「シオン神父、マリアさん、おはようございます」
「おはよう」
嫌がらせをしていた商人たちも——
龍が『偽りを暴く眼』で、彼らの弱みを握った。
「野菜、マリアに売ってくれよ」
「わ、わかりました......」
脅しではない。
【【【頼む】】】
『悪魔の取引』で、契約を結ぶ。
「その代わり、お前の店を宣伝してやる」
「え......?」
「評判になるぜ、きっと」
商人たちは、戸惑いながらも頷いた。
実際——
龍が推薦する店は、客が増えた。
孤児たちが、口コミを広げたのだ。
「あの店、美味しいよ!」
「シオン神父が言ってた!」
商人たちは、龍に感謝するようになった。
「神父様、ありがとうございます......!」
「お互い様だよ」
龍は笑った。
夜は——
龍とマリアは、別の顔を持っていた。
黒い外套。
仮面。
神父兼怪盗、シオン。
シスター兼怪盗、マリア。
王都の悪を裁く者たち。
ある夜。
悪徳貴族の屋敷。
二人は、屋根の上に立っていた。
『偽りを暴く眼発動』
屋敷の中を見る。
貴族——男爵ダリウス。
『秘密:亜人の女子供を誘拐、奴隷商人に売却』
『被害者:妖精×5、ラミア×3、アラクネ×2』
龍の目が、細くなった。
「......最低だな」
マリアも、怒りを隠せない。
「許せない......」
「行くぞ」
「はい」
二人は、窓から侵入した。
地下室へ。
そこに——
檻があった。
中には、震える亜人の女子供たち。
妖精の少女が、羽を傷つけられて泣いている。
ラミアの女性が、子供を庇っている。
アラクネの少女が、恐怖で動けない。
「......」
龍の拳が、震えた。
マリアが、そっと龍の手に触れた。
「大丈夫」
マリアの手が、光り始めた。
『選ばれし聖女発動』
檻の鍵が、音もなく開いた。
「え......?」
亜人たちが、驚いている。
マリアが、優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。もう安全だから」
『慈愛の守護者発動』
マリアの周囲に、柔らかい光が広がる。
亜人たちの傷が、癒えていく。
恐怖が、和らいでいく。
「あ、ありがとう......」
妖精の少女が、泣きながら言った。
「礼はいらないわ」
マリアが、子供たちを抱きしめた。
龍は、地下室の扉を見た。
足音が聞こえる。
貴族が、衛兵を連れて降りてくる。
「誰だ、貴様ら!」
龍は、仮面の下で笑った。
「怪盗だよ」
龍が衛兵を睨む。
『恐怖の支配者発動』
黒い靄が、衛兵たちを包む。
「ひ......!」
衛兵たちが、その場で崩れ落ちた。
貴族だけが、残った。
「ま、待て......!」
龍は、貴族の襟首を掴んだ。
「お前、亜人を売ってたな」
「そ、それは......」
「言い訳は聞かねえ」
龍は、貴族を壁に叩きつけた。
「今から、お前は王都の監査官に自首する」
「む、無理だ......!」
「できねえなら——」
龍の目が、光った。
「俺が、証拠を全部監査官に届ける」
「ま、待ってくれ......!」
【【【王都の監査官に、自首する】】】
『悪魔の取引』が発動する。
契約の鎖が、貴族を縛る。
「明日の朝までにな」
「わ、わかった......!」
龍は、貴族を放した。
「ルーク」
龍が呼ぶと、窓の外から少年が顔を出した。
「はい、シオン」
「この子たちを、教会まで運んでくれ」
「わかった!」
ルークと、数人の元孤児たちが地下室に入ってきた。
「大丈夫だよ、怖くないよ」
「教会に行こう」
孤児たちが、優しく亜人たちに声をかける。
「......」
亜人たちが、安心した顔で頷いた。
「じゃあ、先に行くね」
ルークたちが、亜人たちを連れて去っていく。
龍とマリアは、屋敷の屋根に上がった。
マリアが亜人に手を差し伸べる。
『闇を照らす者発動』
柔らかい光が、遠ざかっていく亜人たちを包む。
妖精の少女の心から——
暗い闇が、はがれていく。
虐待の記憶。
恐怖の記憶。
それらが、光に溶けていく。
「......怖くない」
少女が、小さく呟いた。
「もう、怖くない」
亜人たちが、安心した顔をしている。
「ありがとう、お姉さん」
「神父さんも、ありがとう」
龍は笑った。
「気にすんな」
翌朝。
貴族は、本当に監査官に自首した。
王都中に、噂が広がった。
「黒い仮面の怪盗が、二人になったらしい」
「亜人の子供たちを、助けたんだって」
「神父とシスターが、怪盗なのか?」
龍とマリアは、教会でそれを聞いていた。
「噂になってるわね」
「まあな」
龍は笑った。
「でも、いいんじゃねえか」
「そうね」
マリアも微笑んだ。
演出部。
観察室。
田村と美咲が、水晶玉を覗いていた。
画面には——
龍とマリアが、また別の悪徳貴族の屋敷に忍び込んでいる。
「......田村さん」
「何?」
「マリアちゃん、怪盗やってますけど......」
美咲が困惑した顔をしている。
「これ、いいんですか?」
田村は、営業スマイルを浮かべた。
「いいのよ」
「で、でも......」
「龍が道に迷わないように、見守らなきゃ」
田村は、龍とマリアを見つめた。
「大丈夫。危なくないから」
「......?」
「マリアちゃんには、しっかり女神の加護がついてるもの」
「それに」
田村は笑った。
「龍、前世で悪者やってたから」
「人を見る目だけは、あるのよ」
画面の中——
マリアが『慈愛の守護者』で、囚われた子供たちを守っている。
龍が、悪徳貴族と交渉している。
【【【孤児院に、金貨百枚を寄付する】】】
契約が成立する。
貴族は、渋々頷いた。
龍は、窓から去っていく。
マリアも、子供たちを連れて後に続く。
「......かっこいいですね」
美咲が呟いた。
「そうね」
田村は笑った。
「本当に悪い奴を、ちゃんと見分けてるわ」
深夜。
龍とマリアは、教会に戻った。
孤児たちは、もう寝ている。
静かな教会。
マリアが、温かいスープを用意した。
「シオン」
「ん?」
「お疲れ様」
二人で、スープを飲む。
温かい。
美味い。
「......ありがとな、マリア」
「どういたしまして」
マリアが微笑んだ。
二人は、窓の外を見た。
星空。
綺麗だ。
「......ソフィア」
龍が、小さく呟いた。
「女神様」
マリアも、小さく呟いた。
「見てますか」
「私たち、ちゃんとやってます」
風が、優しく吹いた。
まるで、答えるように。
二人は笑った。
「これからも、よろしくな」
龍が言った。
「はい」
マリアが答えた。
二人は、外套を羽織った。
仮面を手に取る。
「さて、次はどこの悪党だ」
「情報では、東区の商人が怪しいそうです」
「行くか」
「はい」
神父兼怪盗、シオン。
シスター兼怪盗、マリア。
困っている人を助ける存在として——
二人は、王都の闇を駆け抜けていく。
【第9章 完】
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第9章「元極道と絶対的な愛」、いかがでしたでしょうか。
姐御女神の拳が、龍の頭に「ゴツン」と当たった瞬間、田村が「ええっ!?」ってなるシーンが個人的にお気に入りです。女神が殴るって、ありですよね?
今回は「見えているようで、見えていない」というテーマで書きました。龍は『偽りを暴く眼』で全てを見ているつもりでしたが、一番大切なマリアのことは見えていなかった。力があっても、情報があっても、目の前の人を大切にできなければ意味がない。そんな話です。
次は第8章を執筆中です。また違うタイプの女神と転生者が登場しますので、楽しみにしていてください。
もしよければ、感想やコメントをいただけると嬉しいです。あなたの一言が、次の創作の力になります。
それでは、また次の章でお会いしましょう。




