n番目の患者(4)
大見得を切ってみたのはいいが、何か策があったのかというとそういうわけではない。
ただ、マスクや包帯、医療器具の煮沸は、口をすっぱくして指示した。飲料水も一度沸騰させてから提供する。「なぜか」と問われたら「火と水の加護を完全にするためだ」と答えた。
そして、床の清掃と殺菌もはじめた。殺菌にはエタノールを使った。エタノールといっても、市販の焼酎だ。一回の蒸溜でできる液体のアルコール濃度が二十から三十パーセント。それを再度蒸溜すると四十から六十パーセントになる。これは充分に殺菌用として使える。高価な物だが自腹を切って購入した。これは「天と地の加護を強めるお清め」で通した。
外から来た新参者が新しいことをするのは、どの世界でも歓迎されない。ただ、俺にはラナミーの街で認定された勇者とヒーラーという資格がある。それに加えて言うことが自然教っぽいのでなんとなくプリーストだと思われていた。そして、佳奈女の活躍があった。夜の街を徘徊するイギフィギを必殺必中の弓で仕留めまくる。防衛隊の人たちからは絶大な信頼を勝ち取っていた。ちなみに、鈴代も活躍するにはしていたのだが、陰ながらだ。街には「何か変な格好の女が現れてイギフィギをやっつけている」という噂話になっていた。魔法少女とは、努力が報われない存在なのだ。
そんなある日。
鈴代と佳奈女が夜回り出ていって一日の疲れをいやしていた部屋に、ノックの音がひびいた。
「夜分遅くに申し訳ない」
扉の向こうにいたのは、黒い頭巾つきの外套を身にまとった何人かの男たちだった。すわ、かちこみか、と身構える。
「治療していただきたい者がいるのです。仲間がイギフィギに噛まれたようなのです」
フードをはずすと、大聖堂て見かけた初老のヒーラーだった。自然教会の正式の司祭でもある。俺のことをずっと無視してきたが、いやがらせもしてこなかった。いわば中立の立場の人だ。
「どうぞ、入って下さい」
俺は、正体を隠したヒーラーたちを招き入れた。
仲間の肩を借りて運び込まれたのは、ヒーラーの中でも俺にきつくあたってきた人物だった。「軽傷者ばかり見て楽をしている」と面罵し、診察の場も聖堂の軒下からさらに外へと追い出そうとしたいけ好かない男だ。
「今までの確執のことはわかっています。でも、そこをおしてお願いします。この子を治療してやってください」
初老のヒーラーは深く頭を下げる。
「この子、というと……」
「はい。私の息子なのです」
医者には「ヒポクラテスの誓い」という倫理規定がある。医者になるときに宣誓する、らしい。俺は高校の「倫理社会」の授業で暗記させられた。ジュネーブ宣言版だ。
「私は患者の健康と幸福を最優先し、人種、宗教、政治的信条、経済的地位に関係なく治療を行う。患者の秘密を厳守し、医学の名誉と高貴な伝統を維持する」
このアジクの街にヒポクラテスの誓いがあるとは思えない。けど、俺は個人的な指針としてこの誓いを尊重している。
「わかりました。手を尽くします」
うめき声をあげて暴れる患者を、点穴麻酔でおとなしくさせる。
ヒーラーたちが息を呑んだ。これだけの技量を持った者は、他にはいないのだ。
気の流れと血液中の異物を観察する。イギフィギとは別の毒素が回っているようだ。何だろう。タンパク質? リンパ節にも広がっている。
炎症の起きた跡をたどる。足元へと導かれる。
足首に噛み傷がみつかった。
「これは、蛇か何かの毒ですね。イギフィギの毒ではありません」
毒素を含んだ水分を表皮へと誘導する。患者は大量の汗をかいていたので、そこに毒を乗せて浸出させた。毒の汗を新しいタオルで拭き取る。
あとは、免疫賦活と万能治癒の出番だ。毒がむしばんだ細胞を自己再生させる。治療完了。
「ふう。これで大丈夫です。あとはベッドで寝かせておいて下さい。時が癒やしてくれます」
ヒーラーたちは呆然としている。
「これで、いいのですか?」
「ええ」
「神への祈りは? 護符を貼り付けるとか薬を飲ませるとかは? 聖水の塗布は?」
「しません。それが私の流儀です」
「何という流儀なのです」
「……ヒポクラテス流です。ヒポクラテスというのはヒーラーの知恵をつかさどる神なのです」
そのあと俺は、初老のヒーラー――ガッソー氏と聖堂での治療について話し合った。不衛生な環境やどんどん重症化して処分される患者について。そして、効果のない聖水について。
「実際にあなたが指摘した通りなのです」
「というと?」
「我々は、火の恵みを軽んじすぎていました。本来の聖水は一度沸騰させてから冷ましたものを配っていたのです。元々、酒と塩も加えていました。その過程を、経費節減のために省いてしまったのです」
予想外の事態だった。
経済的な貪欲が宗教儀礼までも変えてしまった……なんてこった!
「で。このことを公表してお詫びになると」
「いえ、それはできません。人々が信仰を失ってしまいます。我々に出来るのは、聖水の製造過程を元に戻すことだけです」
……どこまでも腐ってやがるなあ。
俺はため息をつく。
「ところで、聖水の元となる水はどこから汲み上げているのです?」
「セチャエ川の水です。公共水道と同じです」
確かに、広場には井戸があって誰もが使えるようになっている。うちでは魔法で沸騰させてから飲んでいるが、イギフィギのようなアメーバを感知したことはない。
「その水を、一度どこかに蓄えて使っているのですね」
「はい。教会本部の地下貯水池にたくわえています」
「そこの掃除は年に何度ほど?」
「いえ。そこは大地と水の気が混じり合う神聖な場所、人の手で触れてはいけない場所なのです」
……まさかこいつら、知らないうちにイギフィギを養殖してたのか?
人々が頼りにする自然教会が、人々の恐れる魔物を生み出し配布していた。
心底ぞっとした。なんてマッチポンプなんだ!
「えっと、地下貯水池を掃除することって、絶対に出来ないのでしょうか。もしそこがイギフィギの発生源だとしたら……」
「滅多なことを言うものではありません。いくら勇者様でも、そんなことをおっしゃると神々の怒りをかいますぞ」
「わかりました。では、ガッソーさん、聖水の作り方は昔の手法に戻していただけますね」
「それはお約束します。神にかけて」
ヒーラーたちが帰ったあと、ふと気配を感じて振り返ると窓枠の外に鈴代がいた。魔法少女の能力で気配を消していたらしい。
「何だったの? あの人たち」
窓枠をまたいで中に入ってくる。
「うん。治療を頼みに来たんだ。急性で、蛇か何かに噛まれたようだった」
「うん、それはわかった。その後、長々と話していたけど何だったの?」
かいつまんで状況を説明する。こういう時、鈴代にも言葉がわかるといいのだが、と思ってしまう。
「教会がゾンビの発生源、ねえ。……じゃ、神の怒りを落としちゃおうか?」
「え?」
「私のスキル『四神召喚』を使えば簡単だよ!」
「って、どんなスキルだよ、それ」
「青竜、白虎、朱雀、玄武。東西南北の神々を召喚するスキル」
「え? ここに呼べるの?」
「うん。ゾンビとの戦いでたまに使ってるよ。ここに呼ぼうか?」
そして小首をかしげる。
「召喚だけでけっこうメンタルポイント使うし、それはまずいかなー」
もにょもにょしている。召喚をいやがるのには、何か隠された理由があるようだ。
「とにかく、どういう神なのか説明してよ」
「じゃあ、まず。青竜は若い武人で甲冑を着ていて、大きな青竜刀を持ってるの。ただし基本的には平和主義者で自然を愛する物静かな神様」
「ふむふむ」
「白虎。虎っぽい姿で虎の爪と牙が主な武器。何にでも興味を持ってちょっと扱いにくい」
「呼んだか~?」
なんか声がした。鈴代は少し早口になって先を続ける。
「朱雀。これは文字通り小さな雀の姿をしていて、奇襲攻撃が得意。火の鳥アタックが得意技」
「なあなあ、呼んだよねえ?」
声が大きくなる。まだ子供のようだ。
「そして最後が玄武。ごついお爺ちゃんで髭もじゃ。実は四神で最強らしいんだけど、呼ぶと地震が起きて大変なことになるからあまり使いたくない」
「なあなあ、召喚したよなあ」
虎耳虎手顔に顔に額と頬に虎模様が入った女の子が鈴代の肘をゆさぶっている。
「何、そのちびっ子」
「出てきちゃダメって言ってたのに……」
鈴代はため息をついた。