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文明の滴定(2)

 世の中、そう甘くはなかった。街の暗闇にひそんだイギフィギの掃討戦が残っていたのだ。

 徐々に減ってはいたが、新たな感染者が一人も出ないわけではなかった。

 イギフィギ――ゾンビは元々は人間だ。親があり子があり友があり恋人がいる。彼らがかくまうことでイギフィギの根絶は遠のく。新たに噛まれる者も出る。人としての情を断って怪物化した元の身内を差し出せ、というのは酷な話だ。

 ただ、新規の発生数は、教会が「聖水」を配っていた頃に比べると格段に減った。

 最後のイギフィギが退治されて一週間。街の外をかためる連合騎士団は方針を変えた。限られた人間に外出許可を与えることにしたのだ。その条件は、家族がアジクの街にいて財産もあること、身内に感染者がいないこと、日帰りの旅であること。他の都市にイギフィギを広めないためには必要な措置だった。

 さらに一ヶ月後、俺たちはようやくアジクの街を出て懐かしいラナミーの街へと戻った。


「君がいない間、大変だったぞ」

 ベルヌーイ・ハーシーニリエ氏は、まずは愚痴からはいった。

 そして、うってかわってアジクの街での活動を褒めたたえた。

 新しい仲間も増えていた。タカハシ・ミチョナという女子みたいな顔立ちの少年だ。金髪のおかっぱで、後ろを刈り上げていなければ女の子だと思っていたところだ。

「母系姓はタカハシ、名はミチョナ、サルンバリネッジ伯爵家の庶子です」

 わりと高めの声で自己紹介する。

 庶子ということは、正夫人以外の妻の子というわけだ。すでに男爵位を持っていると言う。

「彼はタカハシ流の計算術の継承者だ」

 ハーシーニリエ氏は我がことのように胸を張る。

「は? タカハシ流ですか」

「そう。君と同じだ」

 きけば、アラビア数字を使った計算法をタカハシ流と言って、代々家伝の計算術として伝えているらしい。数字の3と7がξと七になっているあたり、計算間違いをなくすために改良が加えられたのだろう。

「というと、君のご先祖も異世界転移して来た人なのかな」

「さあ、それはちょっとわかりません」

 ミチョナは可愛く小首をかしげる。

……こりゃ、上の人に寵愛されて、十二年後に『この間の遺恨覚えたか!』と切りかかりそうな予感しかしないゾ。

「タカハシ君が入ってくれたことで、当数理事務所は計算術をタカハシ流に切り替えた。帳簿には今まで通りの数字を使うが、事前計算では全てタカハシ流を使っている」

 それはとんでもない変化だった。

 今までのかけ算は、まず格子を書いてから計算を始める。とても迂遠なものだったのだ。しかも、それをおっとりおっとり計算するのだ。

 雑用係も、カイラツという女の子が入った。エルフ耳の丸顔の子で、本当によく働く。鈴代は言葉が通じない分、いまいち使えない子と言われていたので、お兄ちゃんとしてはこれはつらい。

 というわけで、俺は鈴代に計算の一部をまかせることにした。タカハシ流の計算なら鈴代にもできる。最後のチェックは俺がする。「四則演算」のスキルをつかうと、紙面を一瞥しただけで計算ミスがあればピンポイントで感じられるのだ。

 そんなある日。

 鈴代が深刻な表情で言った。

「お兄ちゃん。給与計算がどうしても合わないの。見てもらえないかな」

 それは、国有鉱山の計算書だった。

 鉱山で働いているのはほとんどが囚人だ。殺人犯から万引き犯まで、使えそうな者が鉱山送りにされる。彼らは刑期を終えると出ていく。給与はわずかながら出るが、そこから食費が差し引かれる。そして、事故で死んでいく者も少なくない。刑期の長い者は鉱夫頭(こうふがしら)として出世し、給料が上がる。

 鈴代の計算家としての仕事は単純だ。出勤日数を集計し、給与を掛けて最後に食費を引く。鉱山自体の経営収支は俺やミチョナ、ハーシーニリエ先生といった上級職の仕事だ。これは来年の予算にもかかわってくるので責任重大なのだ。

 国有鉱山の計算書は、確かに集計が面倒だった。何枚もの出勤簿をつぎはぎする感じで計算する。こんなとき「表計算ソフトがあればいいのになあ」などとついぼやいてしまう。

 おかしいのは、定期的に鉱夫が減っていることだった。刑期はそれぞれ違うし出所日も違う。毎月八人以上が減る。それも月の上旬にだ。事故死を装って口減らしをしている可能性があった。

 ざわついていると、ミチョナが口を挟んできた。

「うちで調べてみましょうか。サルンバリネッジ家は、国の鉱山伯なんです」

 というわけで、俺はサービス残業をして疑義申立書を書くことになった。


 数日後、ミチョナが浮かない顔で現れた。

「……父から殴られました。いらぬおせっかいをするな、って」

 目が赤く腫れている。精神的にやられた感じだ。

「お前は計算家の仕事だけをしていればいいのだ。警察のまねごとなぞするなって」

 そして、俺宛の手紙を差し出した。

 中身は慇懃な文体の公文書だった。

「申し立ては了解した。冒険者ギルドを通じて鉱山の監査に向かうよう貴公に依頼を出す。すみやかに現地に出立して監査にかかられよ。……だってさ」

「おおっ、それは!」

 アデミー所長が公文書を見て驚きの声を上げた。

「監査令状だ」

「というと?」

「好きなようにやれってことだ。鉱山についたら隅から隅まで見て回れる。ただし……」

「ただし?」

「下手に動いたら消されるぞ」

 所長は腕組みをすると苦虫を噛みつぶしたような顔をしてうなった。


「と、いうわけなんだ」

 俺は、玲奈に事情を話し終えた。

 ここはハイヒールカフェのラナミー一号店。アジクの街で創業したハイヒールカフェは、イギフィギの終息とともに四方へ支店を増やしていた。ラナミーへの誘致は俺が数理事務所の所長に強く進言した結果だ。そして、メイドリーダーとしてやって来たのが玲奈だった。同じ世界の出身者がいることが心強かったのだろう。

「で、勇者様としては、この()()()に協力をしてほしいと」

「うん。バイトよりは収入がいいんじゃないか。……あ、そこそこ。気持ちいい!」

 肩甲骨の周りを、ハイヒールのかかとが踏む。丁度いい感じの圧だ。続けて背骨の横から腰にかけてを踏む。坐り仕事が続くと腰が痛くなるので、とてもありがたい。

「お兄ちゃん、あたしの給料がどのくらいか知らないでしょ。これでもけっこうもらってるんだよ」

「いや、知ってる。うちで給与計算してるから」

 どん、と脇腹を蹴られる。これは施術ではない!

「鈴代は連れて行かないの?」

「うん。今回は危険そうだから……」

「弓使いのお姉さんは?」

「置いていく。玲奈が断ったら、ミチョナと二人だけで行くことになる」

「ふうん。で、その旅の過程であたしも毒牙にかけようって寸法なんだ。うふふ」

 臀部を強めにぐりぐりされる。

……ああっ、やめて! そこは感じる。感じすぎる!

「違うよ。純粋に戦力として来てほしいんだ。大勢に囲まれても、玲奈なら銃をぶっ放して対抗できるだろ。ババババって」

「確かに、エテルネ・リンネのウォーハンマーじゃ同時に複数の敵は倒せないものね」

「そう、それな!」

 スキル「トトの目」は、戸原玲奈――ブラスター・カノンが最大戦闘能力を発揮すると、百人近い小隊を一分で全滅させると算定していた。何もない空間から供給される無限の銃弾は、とんでもない殺戮兵器なのだ。……「絶対防壁」のスキルでもない限りは。

「でも、あの二人は許してくれないと思うよ」

 踏み踏みは太腿からふくらはぎにうつる。靴底の平らな部分でごりごり踏まれる。

……あー、ほぐれるー

「……かなあ」

 数理事務所、また人手不足になるなあ、なんて考える。

「ひゃん!」

 少し離れたところから女の子っぽい悲鳴が聞こえてきた。

 葦簀で区切られた隣りの施術室では、ミチョナが複数のメイドさんにもてあそばれて――もとい、揉みほぐされていた。あっちはいたれりつくせりコースだ。ちなみに誘ったのは俺だ。

「ひぃ…… やめて下さい~ 脇腹は弱いんです~」

 女の子っぽい悲鳴を聴いていると、いけない店に入っている気分になる。ここは労働に疲れた人々を癒やす健全な店なんだぞ!

「もしもあたしがついて行かなくても、あの二人は絶対について来ると思うよ。だって、ねえ」

 施術を終えた玲奈はにやつきながら俺の前にしゃがむ。もちろん、スカートの中はカボチャパンツだ。

「お隣りのあの子と浮気されたら困るじゃない」

「あはははは」

 その可能性はなきにしもあらずだった。

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