妹の力(1)
妹には二種類ある。
ひとつは実在妹。もう一つは概念妹だ。
実在妹とは、一つ屋根の下で一緒に育った年下の女のことで、大抵はがさつで可愛げがなく、服は脱ぎっぱなしで時に臭かったり理由もなく不機嫌になり、掃除も炊事も手抜き、都合のいい時だけ兄を利用してくる、けど可愛くなくもないやっかいな生き物のことだ。
対する概念妹は、二次元の世界にだけ存在する尊い存在だ。可愛さの塊ような外見、気がきいて清潔で整理好き、おかしなことは口走らず時には超絶役に立つ頼りになる相棒にもなる。
かつて柳田国男は『妹の力』でこのように記した。妹には兄を守る霊力があると。(AIによる雑要約)
そして時はうつり、とんと現代。
少子化の影響で実在妹はどんどん生息数を減らし、幼なじみ女子が妹の役割を果たすように移りかわってきた。その浸食率は顕著で、ある研究によれば五人に一人は幼なじみ依存症にかかっているそうだ。
……自分でも、何を考えているのだろう。この命の瀬戸際に。死に瀕して脳機能が異常に活性化し、走馬灯のかわりに「幼なじみ妹」という全く新しい概念を生成したとでも言うのか。 ひゃっほう! 今、世界は俺の手の中にある!
違う。そうじゃない。
今、俺の前には巨大なトラックがせまっていた。
異世界転生物といえばお定まりの暴走トラックだ。誰がこんなクソッタレなテンプレートを生み出したのか。
ブオーっという大きな警笛を鳴らしている。警笛を鳴らすくらいなら、踏み間違えたブレーキとアクセルを踏みかえるのが先だろう。あるいはどちらのペダルも折れたというのか。
目の前には笹森鈴代――中学二年生にしてご近所の幼なじみ、ご近所で誰しもが可愛いと認めるであろうお嬢さんが飛び出してきた。あと少しでパンツが見えそうな絶妙な位置に。そして、すっころんだ俺の腕の中には一匹の子猫――赤信号の歩道の真ん中で立ち尽くしていた可愛い灰色縞の毛玉が、純粋無垢なまなざしで俺を見上げていた。
やんぬるかな!
俺は、子猫を歩道の生け垣めがけて投擲すると、鈴代の救出に向かった。夢の中のように体の動きが鈍い。まるで水飴の中に浸かったみたいだ。
理性はどう頑張っても無理と告げていた。が、心が反応して動かざるを得なかった。どうせ死ぬなら幼なじみを守ってともに挽肉になった方がいいじゃないか。
その時、鈴代の体が七色の光に包まれた。
キュルキュルキュル……
最高速再生した動画のような音がして、鈴代の周りに光のボンボンが広がった。
一瞬でコートがブカブカになり、うさ耳つきのパーカーにかわる。髪の毛がピンク色にかわり、風をはらんだようにぶわっと広がった。
その右手には、背丈の半分くらいもある銀色のウォーハンマーが握られていた。
衝突寸前、鈴代のウォーハンマーが振り下ろされる。
トラックの真正面が左右に切り裂かれた。物理を超えた物理攻撃だ。衝撃波が感じられる。
そのまま亀裂はトラックの真後ろまで切り裂き……
大きな火球となってそこに巻き込まれた。
気がつくと、俺の体の前には抱き留めた鈴代が収まっていた。
髪の毛から桃のようないい香りがする。そして、焦げ臭かったりガソリンの香りはしない。
「大丈夫?」
鈴代が、ゆっくりと振り返る。
「お兄ちゃん……?」
不思議そうに見ている。
「ああ」
確かに、小学校の頃はそう呼ばれていた。が、そう呼ばれたのは数年ぶりだ。
「わたしは…… えっと、何があったんだろう」
さすがに、お前が切り裂いたタンクローリーが爆発したんだ、とは言えなかった。脳の中のとぼしい語彙を引っかき回してようやく絞り出した言葉は……
「異世界転生」
……。
お互いに顔を見合わせる。
俺は、沖天にかかった月を見上げ、視線で現実を示した。
大きな月と小さな月が夜空に浮かんでいる。
月が二つあればそれでSF、という誰かの言葉が脳裏をよぎった。ただ、それが三体問題を度外視した配置にあればサイエンスフィクションではなくスコシフシギナファンタジー、という補足がついていた気もする。
閑話休題。
「お兄ちゃん、怪我はない?」
幼なじみ妹が、ごそごそと向きを変えた。
「ああ。なんとか。鈴ちゃんは?」
「うん、なんともない」
「変身は、とけないんだ……」
「へ? あ? うぎゃっ!」
変な声を出す。
その瞬間、淡い光がひろがって鈴ちゃんを包み込み、元の中学生に戻る。
年齢は少し下がり、背丈も小さくなった。
「……なんで、なんで私だってわかったの?」
「いや、変身したところから見てたから」
「いやーーー!」
ポカポカと胸を叩いてくる。これぞ概念妹だけに許された技――攻撃力ゼロ・パンチだ。
そして、いつの間にか手にウォーハンマーを握っている。
「魔法少女の正体を知った者は、死ある……のみ?」
「なんだよ、それ」
「あるいは結婚! あるいは」
「あるいは!?」
「お兄ちゃんになる!」
「じゃ、二番目でお願いします」
「ぶっぶー。年齢的にまだ結婚はできませーん。正解は、『お兄ちゃんになる!』でしたー」
……とりあえず、異世界転生してすぐに死亡。という悲劇からは逃げられた。
「はいはい。お兄ちゃんになるよ。……ところでさ」
「?」
「周囲にいるのって、熊か何かだよね? さっきから俺たちを喰おうとしてない?」
「はっ!?」
変身!
キュルキュルキュル……
コンマ〇〇〇何秒かの変身シーンが見えた後、ピンク髪の戦士になった鈴代は、ウォーハンマーを振るって熊っぽいのを片っ端から叩きのめしたのだった。
「うわー、やっちゃいましたねえ」
荒野を騎馬で駆けつけたのは、甲冑姿の男たちだった。大体が髭のおっさんだ。あちゃー、と言いたげにあたりを見回す。
「何かまずいことをしてしまったでしょうか」
おそるおそるたずねる。
「ああ。昨日から、ロックベアーの禁猟期間なんだよ。まあ、見たところ正当防衛だろうし仕方ないとは思うのだが…… まさか、あなたはラナミーの村人ではない?」
「はい。俺はしがない旅人です。熊が取り囲んできたので、退治しました(妹が)」
この世界の人との初めての会話がスムーズに進む。けど、半透明の紙を挟んだような違和感がある。言葉が通じるスキルの効果か。
「お兄ちゃん、話せるの?」
鈴代は困惑している。
「うん。なんか話せるみたい。転生の特典ってやつかな」
「私には、わからない……」
そういえば、なんとなくおぼろげな記憶があった。
転生する前に一度、どこかの手術室のような場所で目を覚ましたのだ。
急に記憶が甦ってくる。
〈いいですか、落ち着いて聞いて下さい〉
青い手術着と帽子で全身を覆った人が、俺の顔をのぞき込んでいた。やりとげと言いたげな表情をしている。
〈私は、あなたの心に直接語りかけています。あなたは魔法少女が引き起こした不慮の事故によって亡くなりました。正確に言うと、再生不能なまでに爆砕されてこのバックヤードに跳ばされてきたのです。けど、魔法少女災害保険の特約が適用されて、異世界への転生が約束されています〉
入った覚えのない保険の話になった。鈴代が入っていたのだろう。
〈そこで、転生時の特典としていくつかの能力をさしあげたいと思います。これから見せるパネルから選んで下さい〉
ベッドの上にパネルが開いた。
……いやまあ、色々とありましたよ。
「即死枉截」「目射光線」「眷属調教」「変化自在」。
けどね。なんか引っかかったんだな。一番左上に「四則演算」とか「文字筆記」とか「言語自在」とかがあったんだ。だから、まず最初にこの三つをとった。あとは、「水魔術師」なんてのをとったあたりで気を失った。たぶん、鈴代も同じ経験をして転生しているはずだ。
……とまあ、回想シーンはここまでだが、魔法少女事故の影響なのか断末魔の走馬灯効果なのか、なぜか脳がクロップアップしていた。
「うん。『言語自在』のスキルをもらったから」
「ほげー!」
鈴代が、間の抜けた感嘆の声を上げた。
俺たちは、ラナミーの町へと連行された。
これは渡りに舟だった。俺たちは、この世界を全く知らなかったからだ。
ちなみに、「ロックベアー」というのはこの世界の言葉ではない。「言語自在」の解釈でこちらの熊っぽい野生動物を英語にして表現したのだ。この世界の言葉だと「オロクイジェチョイ」となる。
騎士たちは、俺と鈴代が異国の言葉――日本語――で会話しているのを聞いて、外国からの旅人だと信じてくれた。つまりおとがめはなし、だ。ただ、俺には厳しい一言がかれられた。「この国で旅をするのなら、きちんと法律を学べ」と。そして、ロックベアーに感しては狩猟期間の間に取ったことにして守備隊で買い取ってやると言われた。
もちろん、異存はない。たぶん、相場よりは安くだろう。が、牢屋にぶち込まれるよりはましというものだ。
次に、冒険者ギルドへの登録をすすめられた。
……出ました! 異世界転生物の定番「冒険者ギルド」!
いやね。正確に訳すと「旅行者登録機関」になる。そこに出頭してきちんと講習を受けろ、と。
そして、騎士のリーダーは宿まで紹介してくれて、別れ際にこう言った。
「俺はジェイコブ・ビン・エーチャイ、困ったことがあったら何でも言ってくれ」
顔に似合わずいい人でした。