姫鏡まりあ(1)
「ねね、どっちが似合うかな?」
姫鏡は鏡の前で白色の春物ワンピースと、黒色のカットソーワンピースを交互にあてがっていたが、こちらを振り向いて訊ねてくる。
僕はそんな状況がまだ現実だと理解していない寝ぼけた頭でこう答える。
「どっちも似合っているかな」
そう煮え切らない回答しかできない。
「もう」
もちろん気に入ら無い回答なので、姫鏡は少し不貞腐れた顔を作って呆れた。
どちらかを選んでほしいのは頭では理解しているつもりだ。理解しながらこの回答なのは意地悪をしているのではない。だって本当にどちらの服も姫鏡が着れば似合うのだから。服に着られるのではなく、姫鏡は真に服を着ていると言えるだろう。それだけスタイルが良いし、立つ振る舞いも優雅である。なので選べないのが僕の中では正答だと思うのだ。
「そっか、ならいいや」
僕の回答が相当気に入らなかったらしく、姫鏡はプイと顔を背けてしまった。どうやら怒らせてしまったようだ。
あの夜から一夜明けた。まだ半日も経っていないのに、あれが現実だと実感できてしまう。頬を撫でた風も、男を突き飛ばした感覚も、身体がしっかりと記憶している。あれは夢ではなくて現実であると細胞が絶叫している。
あれから。
空を駆けて僕と姫鏡は隣街へと続く河川敷までやってきた。空中で着地の仕方を聞いていなかったら顔面から川に突っ込んでいたと思う。あの高さからの着水は洒落にならなかっただろう。
後ろを振り向くと今駆けてきた空には神々しく満月が輝いていた。僕達の背後からは、あの寒気がするスーツ男は追ってきていなかった。もしかして僕が突き落としたから、死んでしまったのかもしれない。夜景を一望できる高さだ、いくら人外でも抵抗なく落下して、打ち所が悪ければ死んでしまうかもしれない。
「あの男は拘束しておいたから、追っては来れないよ」
腰から生やしていた蝙蝠の羽がいつの間にか無くなって、五体満足の姿の姫鏡が、僕の心配そうな表情を汲み取ってそう言った。
「拘束?」
「そ、オイラー君が突き飛ばした瞬間に、これでね」
煙から作り出した拘束具みたいなのを見せてくれる。拘束具と言っても一部分を縛る代物ではなく、口、首、各関節をも拘束できる代物のように見える。かなりえげつない代物を美少女が片手で持っている不釣り合いな絵面に少し興奮してしまう。
「軽く見積もっても三日は抜け出せないと思うから、安心していいよ」
「そ、それは良かった。もうあんな汗を掻くのはごめんだよ」
安堵の息を漏らすと同時にネガティブな思考が頭の中を支配する。三日は大丈夫ということは、逆に言うと、三日しか安心する時間がないということではないだろうか。あの男にまた睨まれるのかと思うと、それだけで身体が委縮してしまう。
安堵したことで、詰まっていた不安が取り除かれ、聞きたい事柄が湧いてきた。
「そもそもあいつは何なの! とういうか僕はどうなったの!?」
「あの男は私の親戚だよ。ちょーっと身内のゴタゴタで、私の事を拉致しようとしているんだよね。まぁ私は拉致監禁されるのも、あの男の言いなりのお人形さんになるのも嫌だから、こうして抵抗している訳だけども。まさかオイラー君を巻き込んでしまうとはね。ごめんなさい」
姫鏡は申し訳なさそうにしている。言葉通りならば確かに巻き込まれた形だが、最終的に決断したのは僕だ。だから。
「姫鏡さん。僕は自分で選んだんだよ。だから気にしないで」
格好をつけた。二枚目のような格好つけの台詞では姫鏡の曇った顔を晴らすことはできなかった。慣れていない事はするものじゃない。所詮は創作での受け売りを日陰者が見様見真似でした技。そんな中途半端では効果などないのだ。
「あのねオイラー君。心して聞いてね」
僕の言葉が響いていない姫鏡は真剣な表情で見つめてくる。
「オイラー君は私の眷属。吸血鬼の眷属になったの」
「眷属っていうと、従者的な?」
「従者というより、親族かな」
「親族・・・・・・親族!?」
親族という単語をおもいっきり反芻してからもう一度叫んだ。親族って間違っていなければあれだよね、親兄弟とかの類だよね。それってつまり、僕は姫鏡の兄妹になったってことか。妹よ、姉が出来たよ。欲しがっていたもんね、良かったね。
あぁなるほどな。吸血鬼の血を吸う事って単なる栄養補給の他にも、親子子分や兄弟の杯を交わす行為でもあるんだ。知見が深まるな。
「オイラー君が眷属になったことで、あの男ものすごく怒っていたでしょ?」
「怒っていたね」
これでもかと言うほどに、僕と姫鏡をとても許容できないと体現している程に怒っていた。人にあれほど怒りを向けられたのは、門限を破って親に怒られた時以来かもしれない。だがあの男の怒りは心配とかではなく拒絶。
「ゴタゴタって言うのがね、私を吸血鬼の良家へ嫁がそうとしていてね。あの男、アーサー・アルカードが仲人だったんだけどね。オイラー君を眷属にしたから、私の価値が無くなったんだよね」
「価値が無くなったって?」
「一応私は吸血鬼の中でも始祖に近い血を持っていてね。その血を欲しがる人たちもいるわけ。その私が人間を眷属にしたとなると、業界は私に価値を見出さないの。例えるとそうだな・・・・・・マニア垂涎のレトロゲーだけど、ゲーム本体しか存在していない。みたいな?」
「そこまでくると、ゲーム本体以外も欲しいかも」
「そうだよね! 完全な状態で欲しいよね!」
何故か力強く言い放つ姫鏡。例えが分かりにくい気もするが、なんとなくは理解できた。
「その、眷属を作ると血が薄まるみたいな捉え方でいいのかな?」
「将来性で言えばそうかも」
現在進行形では違うらしい。眷属を作ると言うのは、お役所登録並みにややこしい事なのかもしれない。だが僕は当事者なので一応は理解しておこう。うん。理解しているつもりだ。
「僕と姫鏡さん」
ビッとか細くきれいな人差し指が口の前までやってくる。突然の人差し指さんの来訪で、開きかけた口は閉じてしまう。
「その姫鏡さんって言うの禁止にしようか」
「えっどうして?」
「これでも主人と眷属の間柄になったんだから、そんな堅苦しい呼び名は無しにしましょう」
そう言われても主人と眷属の正しい呼びあい方なんてわからない。僕の中では姫鏡は姫鏡なのだ。姫なんて呼べないし、ましてや名前で呼べるわけがない。名前で呼ぶなんて想像するだけで畏れ多い。友達になった訳でもないのに呼べるわけがないだろ。
「まりあちゃんにしよう」
いきなり一休さんも頓智では解決できない無理難題をふっかけられた。
「むりだよ」
「なんで?」
「なんでって・・・・・・」
姫鏡は至極不思議な表情で首をかしげる。恥ずかしさ少々、恐れ少々、烏滸がましさが大匙一杯。僕などが姫鏡のことを名前にちゃん付で呼んでいいわけがない。そんなことをすれば、ヒエラルキーの概念が覆って、隣にいるスフィンクスも驚いてしまう。
「分かった。名前で呼ぶのが難しいなら、姫鏡様と呼ばせてあげます」
「姫鏡様」
「ちょっ、じょ、冗談だよ?」
許しが出た瞬間に跪いて呼ぶと、困った顔で言われてしまった。何だ、冗談だったのか。様をつけて呼べるなんてこの上なく光栄なのにな。しっくりくるもん。
パン。と、唐突に僕の顔の前で手を鳴らす姫鏡。
「な、なに?」
唐突すぎてしどろもどろに何をされたのか問う。
「えっ・・・うーん・・・・・・蚊?」
そんなに目障りな蚊がいたのか、気付けなかったな。吸血鬼から血を吸おうとしているんだ、相当無礼で目障りな蚊に違いない。
「とりあえず姫鏡でお願いね」
「・・・分かった」
敬称を無くすだけの折衷案で治まった。
「じゃあ話を戻すね。オイラー君は私と眷属になった。ここまではいいね」
こくりと頷く。
「眷属になったということは、オイラー君も吸血鬼になったって訳だけど、体の調子はどうかな?」
「調子は・・・普通? 好調よりかも」
空を駆けてきた事で先ほどまで心臓がバクバクと高鳴っていたけど、姫鏡と話していると落ち着いてきていた。吸血鬼の眷属になったにしては興奮は冷めている。もしかしたら心のどこかで現実だと受け入れていない自分もいるのかもしれない。
「身体能力は一瞬でつくんだけど、他の能力は徐々に定着していくはずだよ。あとね、多分そろそろ倒れるから」
「倒れ、え? どういうこと?」
いきなりの倒れる宣言に困惑してしまう。
「副作用みたいなものだよ。身体の中に異物が混入したら、色々と対応するでしょ? それと一緒で吸血鬼になるために今、体内で細胞とかが変化している最中なの。その反動で並みの人間は倒れて昏倒するんだよ」
「ちょ、ちょっと待って。それって身体が耐えられなかった場合はどうなるの」
「爆散する」
「ご無体な!!!」
そんな軽々しく爆散とか言わないでほしい。僕が姫鏡の名前を叫んで――呼べないけど、空中で爆散するかもしれないってことを、サラッと軽率に言われても困る。ずっと思っていたけど、姫鏡は重要な事を日常会話のように話し過ぎだよ。
「大丈夫だよ。結界に侵入できる力もあるし、それに童貞だし」
「どっ・・・・・・う?」
何で僕が童貞なのを知っているのかのと、童貞と何が関係あるのかと言葉を続けようとしたら、目の前が真っ暗になった。
きりのいいところまで書いています。
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