吸血鬼の花婿(8)
飛んで二日。
僕が吸血鬼に成ってちょうど一週間が経った。怒涛の一週間だった。これ以上に濃い一週間は滅多に味わえないだろう。そこには一抹の寂しさはないけど、虚しさはあった。
あれから修復班と呼ばれる者達が校舎と校庭を修復し、小一時間で綺麗さっぱりと元通りになっていた。校舎を潰したことをくどくどと説教をされることはなかったけど、新人の子に小言を言われて頭が上がらなかった。
僕に血を吸われたことで動けなくなっていたアーサーは、立藤さんに担がれてどこかへ連れられて行ってしまった。それ以来顔も見ていないし話も聞かない。
椿海月さんは専門機関の病院に入院になって、乞仏座も身体を修復するために同病院に入院になった。
身体は無事だった白梅沢はここ二日は学校に来ていない。気に病んで家に引きこもっていると人伝いにきいた。まだ会いに行っていないので、心の整理がついたら引きずってでも学校に来させようと思っている。余計なお世話だろうが、僕の責任でもある。
いつもの裏庭の一画で座っていると、携帯が鳴った。
画面を見ると立藤さんからで、急いで出た。
「もしもし」
「やあオイラー君。調子はどうだい?」
「太陽光がこんなにも鬱陶しいとは知りませんでした」
「冗談を言えるなら大丈夫なようだね。君の検査は夏休みに入ってからになったよ」
僕の身体は完全に吸血鬼になった。しかも今度は弱点を克服していない吸血鬼としてだ。だから今まで普通に食べていた食べ物は味がきつくて受け付けない。救いがあったのは腹が空かないことで人間のように毎日三食を食べなくてもいいことだ。ただ吸血鬼としての力は減っていくし、吸血鬼の力を使えば消費される。そこを置いておいた話で、盥さん目安だが、月に一回ちゃんとした食事をとれば生きてはいける・・・らしい。
弱点である太陽光も影を纏っているので鬱陶しいくらいの感覚で、直接当たったら不死性が無くなるまで燃えるらしい。影を纏っても鬱陶しいくらいの感覚は、上位吸血鬼の指標なので、僕はそこに位置していることになっていた。
「わかりました。それだけ・・・ですか?」
「・・・アーサーは一旦本国に帰ったよ。アーサーも得心したようだから、もう君達にちょっかいをかけてはこないだろうね」
「そう・・・ですか」
「何やら君はまだ納得いっていないようだね」
「いや、あの、まだ勝ったって思えなくて」
あの化け物に搦め手と言っても勝利したのが、寝ても起きても信じられない。夢のようなのだ。
「んー言わないでおこうと思ったが、あいつは本気じゃなかったよ」
電話越しに困ったように声を上げてから立藤さんはそう言った。
「そ、そうなんですか」
「先の大戦で吸血鬼としての権能をほとんどなくしているからね。本気でやってるなら無理やりにでもその権能を起こしているさ。例えば・・・変身とかね」
そういえば姫鏡も腰に蝙蝠の羽を生やしたりしていたっけ。後でまた更に詳しく調べたんだけど、吸血鬼には怪力や影の力だけじゃなく、変幻自在な力や人を魅了する力、それに人の思考を読む力も持っているのだ。僕はその事実をどうやら見落としていたようだ。
アーサーは傍若無人な吸血鬼だと思っていたが、一応は誰かを想う気持ちはあるみたいだ。
「でも言って良かったんですか、アーサーが知ったらまた怒るんじゃないんですか」
「あいつの尊厳が傷つくのなんて、今回の件の罰にとっちゃ軽いものだし、君が心の中に閉まっておけばいいのさ」
「それもそうですね」
ときにオイラー君。と立藤さんは続ける。
「まりあはどうしているんだい? 一緒じゃないのかい?」
「元気ですよ。姫鏡は今飲み物を買いに行ってくれています」
姫鏡はあの後貧血で意識不明となっていたが、普通の方法の輸血をして治療をし、数時間後に意識を取り戻した。だから一日だけ入院して、次の日には退院となって登校して、ご飯をぺろりと平らげるくらいには身体は元気だった。
「そうかお昼時だったね。俺も監視強化されてあまりまりあに近づけなくなったから、少々のことはオイラー君に任せるよ」
「はい。任せてください」
アーサーに誓ったように、病院でも同じように言ったが、もう一度立藤さんにも誓いを立てた。
「いい返事が聞けて安心したよ。これからもまりあをよろしく頼むよ。それじゃあね」
「はい。また」
通話が終わって、スマホを治し終えると、鬱陶しい光が指す空を見上げる。
もうじめじめとした六月も終わり、ギラギラとした七月が始まろうとしている。高気温に項垂れて机にへばりつくことも、もうないのだろうと考えるとやはり虚しさがあった。
「オイラー君お待たせー」
そんな虚しさを埋めるかのような姫鏡の声に、僕は立ち上がって微笑みかける。
「ごめんね買いに行かせちゃって」
「いいのいいの。私にできることがあるなら任せちゃってよ。さ、座ろ座ろ」
姫鏡は明るく朗らかに振舞っている。まるで一昨日までの事が無かったように僕と接している。
言われたとおりに僕は腰を下ろす。
姫鏡も隣に座って持ってきていた弁当箱を二つ取り出して、一つを自分に、もう一つを僕に手渡してくれた。
「開けてみて開けてみて」
嬉しそうに言う姫鏡の顔を見てから、弁当箱を開けると、色とりどりで選り取り見取りのおかずが入っていた。白飯にはずぼりと梅干しが埋められていて、ゴクリと唾を飲んでしまう。
「凄い沢山入ってるんだね」
「そうなの! 今日は早起きしたからいっぱい作っちゃった。てことで食べよ食べよ。いただきまーす」
姫鏡は両手を合わせて、おかずの一つであるミニハンバーグを食べて幸せそうにしていた。
僕も倣ってミニハンバーグを食べる。
一口咀嚼して終わる。味の詳細を記載すると隣にいる姫鏡に申し訳なくなる。確かに、これは食べられたものではない。
「ん? どうしたの? ま、まさか砂糖と塩を間違えていたとか!?」
顔に出さないように特訓はしたけど、口に含んだままで止まっていたために不自然だったようだ。味わうことはせずに丸呑みしてから返答する。うぐっ・・・やっぱり気持ち悪い。
「そんなベタな間違いはしていないよ。ちょっとしょっぱかっただけ」
「やっぱり間違えてる!? どれどれ? んー? そんなにしょっぱいかな?」
僕のミニハンバーグを摘まんで食べて、姫鏡は首を傾げた。
彼女には普通のミニハンバーグの味がしているのだろう。
それもそのはず。なんたって姫鏡は人間になったのだから、味覚も人間なのは当たり前だ。
「そういえばね。ふと思ったんだけど、オイラー君と私ってどうやって仲良くなったんだっけ?」
自分のペースで食べ進みながら姫鏡はそんな酷いことを言う。
でもこれは冗談じゃなくて、彼女は純粋な疑問を発言しているだけなのだ。
姫鏡は人間になって、吸血鬼としての記憶を失くしてしまったいた。
僕が血と一緒に、姫鏡の吸血鬼としての全てを吸ってしまった。力と記憶を吸いだしたら、そうなるのは必然だった。質問もしたし、分かっていたけど、あの時は・・・こうするしかなかった。誰も僕を責めないし、責められる姫鏡もいない。
姫鏡にこれまでの吸血鬼としての記憶は無い。吸血鬼として僕と出会った記憶もないし、吸血鬼として僕と過ごした記憶もない。
でも不思議な事に身体が精神を壊さないようにか、偽の記憶が補間されているようで、完全な記憶喪失ではない。意識を取り戻して検査された時にそう報告された。だから椿海月さんのことや立藤さんのことを忘れたとかでもないし、僕の事も忘れてはいない。吸血鬼や、あの夜の闇のような世界を忘れてしまっている。
それは人間と共存したかった願いが叶ったのだと捉えれば美しくはあるのかもしれない。
ただ失われた真実を知ると精神が崩壊してしまう可能性があるので、もう姫鏡はこちら側には戻っては来られない。
僕はそれを未然に防ぐための防波堤だ。他の誰にも任せられないし、任せない。
「姫鏡が僕を試食の実験台にしたんじゃないか」
「えーそんな横暴な出会いだったっけ? もっとほらなんか、キュンとする出会いじゃなかった?」
「僕は姫鏡のご飯に胃袋を捕まれたんだけど?」
「それだとキュンじゃなくてキュッとしてそうだね。でも・・・・・・それもいいかも」
姫鏡は恥ずかしそうに箸を白飯の上で動かした後に、動かされた感情を紛らわすように買ってきていた飲み物を飲んだ。
もう吸血鬼としての姫鏡まりあはいない。
人間としての姫鏡まりあが、吸血鬼の僕の隣にいる。
僕の願いは姫鏡を人間として幸せにして最後まで見守ることだ。それを邪魔するものは吸血鬼として排除する。怪異であろうが、人間であろうが、もう二度と姫鏡を傷つけさせない。二度と、僕の傷を舐めさせない。
ずっと一緒。
あの言葉は僕の中で血潮として流れ続けている。
「そういえば美門ちゃん見ないね。ってえっえっ、どうしたの! 泣いてるの!?」
唐突に熱い筋が頬を伝ったのを感じ取ったのは、姫鏡に言われたからだ。
過去を思い出して涙を流すなんて、願いと場にそぐわないので、弁当箱の料理を口の中にかきこむ。
色んな食材の味が口内に広がって、胃の中で自然が創られた。気持ち悪すぎて咽て、ノスタルジーとは違う涙が出た。
「ほら、水、水」
キャップを開けて水を受け取ると、背中をさすってくれた。
「ごめん。美味しすぎて」
「・・・えー、じゃあ食べる毎に感動させちゃうよ?」
「姫鏡に美味しさの感動をずっと掌握されるは困ったなぁ」
「褒め上手だねこのこの。明日はもっと豪華にしちゃおうかな」
これ以上豪華になると僕の胃は地球になるんじゃないかな。
「姫鏡ありがとう」
「えーなに急に改まって」
「言いたくなったから」
本当はこの日常をくれてありがとう。なんだけど、言えないから気取って誤魔化しておく。
すると姫鏡はこちらに膝を向けた。
「じゃあ私も言っちゃお、オイラー君もいつもありがとう。これからもよろしくね」
「うん。末永くよろしくお願いします」
姫鏡が頭を下げて丁寧に言うので、僕も同じように頭を下げて丁寧に返した。
互いに頭を上げて、顔を見合わせて笑い合う。
こんな風に日常を過ごせるならそれでいい。
地獄の日々から蘇った僕は、地獄に堕ちるまで姫鏡まりあと共に人生を歩むのだろう。
いつかこの傷が癒えて、互いに心から笑い合える日が来るまで。
それまではずっと一緒だ。
この想いは僕の血肉となり、誰にも与えることはない。
終わりです。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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