吸血鬼の花婿(5)
「僕としたことが下手を打ったね」
技術棟を破壊しきって、校庭まで押し出された乞仏座が右脚だけで姿勢を保ちながら呟いた。
「マズいな」
幾度の攻防の中で、もぎ取った乞仏座の左脚の脹脛を噛み千切り、咀嚼してからアーサーは吐き出して嫌悪感を露わにする。
「貴様、人間の食べ物を口にしたな」
「ああ僕の愛おしい子が丹精込めて作ってくれたんだ。食べない者はいないだろう」
「ハッ、博愛を語るとは堕ちたものだな」
乞仏座の人間へ向ける憎悪の感情だけはアーサーは認めていた。だが乞仏座は人間に対して憎悪だけではない感情を複数持ち合わせている。
「なんだい嫉妬かい? だとしたら見苦しいよ」
「嫉妬? 有り得んことをぬかすな。失望しているだけだ」
「君に期待されていたとはお笑い種だね。僕はなんだい?」
「知れたことを、道化の皮を被った骨標本だろう」
「正解」
乞仏座は最後の指輪が嵌めてある右手の中指を突き立てて手前に引いた。
地中から無骨な成人男性の手がアーサーの足首を掴んだ。
アーサーは自分の足首が圧縮されるのを一瞥もせずに、右手で両足を払いのけた。それだけの動作で払いのけた両足の部分は消しゴムで消したように消えた。
アーサーの影は空間を作り出す。主だっては移動が多いが、この動作は視覚情報からはまるで空間を削り取ったように見える。実際は空間を作り出したとき、その空間と同じ位置にあったものは作り出した空間に上書きされ影の中に消えているだけであった。
この空間の上書きだけは自身の手や足に影を作り出さなければ使用できず、尚且つ手も足も空間を作り上げた瞬間に上書きされる欠点を抱えているが、それは再生能力を持つ吸血鬼にとっては些細な欠点に過ぎなかった。
影の中を移動して乞仏座の前に現れたアーサーは胴体に蹴りを入れる。
乞仏座の両腕と胸から下の胴体は臓器をまき散らすこともなく消えて、アーサーは背後へと吹き飛ぶことも許さずに首を掴んだ。
ここまでの攻防で要していた手を失い、指に嵌めていた最後の指輪も破壊された乞仏座。
普段であればこうはならなかった。本日はずっと人間の食事だけで済ましていた為に、力を全力で出すことはできなかった。ただ、想いの力だけでブリキロボットのようにぎこちない身体を動かしていた。
これは捕食したアーサーしか理解しえない事であり、この状況が詰みなのも理解しうるのはアーサーだけであった。
「終いだな」
掴んでいる手に力が入る瞬間に、乞仏座は口を力なく開けた。
舌裏に隠れていた髑髏を象ったピアスが薄っすらと笑った。
次の瞬間にアーサーの脳内に存在しないはずの記憶が発生する。嘲笑、飢餓、貧困、略奪、差別、殺人、ありとあらゆる憎悪の記憶が一気に脳内を支配した。人の歴史と共に歩んだ忌まわしくも、さもしい記憶だった。自分の持ち合わせた記憶とほぼ類似したものだったが、その中に哀傷があり、それは過去に捨ててきた感情であったと理解し、存在しない記憶と断定できた。
アーサーが正気に戻った時には、乞仏座の首から手を離して、自分の首を掴んでいた。
通常の人間や、木っ端な亜人が受けていたら、そのまま狂って自死していた精神攻撃。しがない吸血鬼も戻って来られずに、朽ち果てるまで自死を選び続けるはずだったが、それを一回もすることなく、アーサーは正気に戻ったのだ。
「奥の手を隠していたが、無駄骨だったようだな」
足元で仰向けになって空を見上げている乞仏座を見下して言うと、乞仏座の視線がアーサーへと向けられた。
「次はヘソにでもつけるとことにするよ」
「貴様に次などない、消えろ」
アーサーの右脚が乞仏座の顔面を踏み潰した。
胡桃を割った時の音と、トマトを落とした時の音が混ざり合った音がするはずであった。
アーサーが感じた感触も、ただ地面を踏み潰しただけであり、そこにいた乞仏座はいなくなっていた。
「君は・・・・・・王子様かい?」
乞仏座の声がしたのはアーサーの背後である。校庭の一番端っこにある体育倉庫前からだった。
「柄じゃないよ」
僕は乞仏座を体育倉庫の壁に持たれかけられるように置いてから、掌を強く握って切断された部分に血を流して治癒する。
「それに僕は吸血鬼だよ」
ある程度かけてから、僕は乞仏座に背を向けて、影の中に手を入れて刀を取り出した。
「それは・・・・・・まりあの?」
乞仏座の驚いた声が聞こえたが、気にも留めずにそのまま影を踏み込んだ。
遠くにいるアーサーが目を丸くさせていた。その後牙を見せるくらい口を開けて叫んだ。
「貴様ぁ! まりあに何をした!」
瞳孔を開ききったアーサーが出した剣と、僕の刀が鍔迫り合って甲高い金属音を鳴らす。
「契りを交わしただけだ」
僕の一言であらゆる可能性の中から取捨選択して、現状と状況が合致する可能性を予想したアーサーは歯をギリリと強く鳴らした。
「お前は! お前は人間の分際でどこまでも土足で踏み込む不敬な奴だ!」
「分かってるだろ! 僕はもう人間じゃない! 人間じゃないのは」
「黙れ! まりあはその選択をしない! できない! やる勇気はない! お前などに託す道理などない!」
「このっ! 分らず屋が!」
癇癪を起しているアーサーに言葉は通じない。この男には暴力でしか対抗しえない。暴力で屈服させ、ようやく対等と認めさせることでしか、言葉を交わす機会は来ないのだ。最悪の手段だ。
暴力が嫌いだ。身体、精神、性、経済、社会。人の心を屈服させ、誰も彼もを否定し、自分だけを肯定して、人を踏み台にする行為。
でも嫌いだからこそ、やらなきゃいけない時なんだ。
これは取り合わないといけない問題であり、先人が託してくれた言葉と知識を持って、答えを導き出さなければならないのだ。
刀を強く握って剣を上に弾いて、アーサーの腹部に蹴りを入れる。アーサーが左手で僕の脚を削り取ったが、削り取られた足のまま影を踏んで半回転して懐に潜り込む。
刀でアーサーの左腕を切り裂いて、切断された左腕は空中に舞うも、まだ意志を持ち僕の顔面目掛けて飛び掛かってくる。
斬りぬいた動作のままなので、アーサーの赤い眼が光ったのが良く見える。その目の中から影がぞるりと飛び出てきて、狼を形成する。
肺に貯めていた煙を強く吐いた。同じような狼を形成して、狼同士喉を噛み千切りあって影と煙に消える。その煙の中からアーサーの左腕が空を切って現れた。
僕はもう一人刀を持つ女性の影を生成し、アーサーの左腕を切った時の動作を真似させて、飛び掛かってくる左腕を切り落とした。
アーサーは互いの間合い外の距離を取った。アーサーは自身の左腕が再生しないのを一瞥してから、予想が当たっていることを理解したのだろう。僕にとってはアーサーに立ち向かえていて、話し合いの場に持ち込める好機であると理解する瞬間であった。
「お前、まりあの力を奪ったな」
「・・・・・・ああ、奪った」
「がっ・・・にんげ・・・・・・」
声にならない声を漏らしながら怒りを抑えきれない様子のアーサー。
僕だって怒りが抑えられない。アーサーに対してもあるが、自分自身に対してもだ。
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