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吸血鬼の花婿(4)

 姫鏡が言った言葉はいつもの揶揄いからと思って、へらへらとした表情で彼女の顔を見た。


 でもそれが覚悟の決まった告白だと言うのは、顔を見れば一目瞭然だった。


 僕が歪んでいた頬が戻っていくのを感じ取っている間に、とんとんとんと軽い足取りで姫鏡が僕の前まで来て、首に腕を回し、軽く爪先で身長を合わせてから唇と唇を合わせた。


 さっきまでの会話と、いきなりの出来事過ぎて頭がそれがキスだって理解しているつもりでも、やっぱり現実感はなく、その湿った柔らかい感触と、甘酸っぱく心の奥底から湧き上がる知らない感情と、目を瞑ってこの時間を愛おしく感じているだろう姫鏡の表情に混乱するだけだ。


 混乱を解くために今度は僕が目を瞑ると、口の感触が離れていく。


「アーサーの倒し方を教えるよ」


 口惜しいながらも、その言葉にゆっくりと目を開けると、そこには恥ずかしそうにもしていない姫鏡が、いつもと同じような風に話し始めた。この距離での姫鏡の言葉は耳にこそばゆい囁きとなり、得たことのない快感を感じた。


「・・・あるの?」


 感情と思考が纏まっていないまま訊ねる。


「あるよ。あの男の首元にかぶりついて血を吸えばいいの」

「それって分の悪い賭けなんじゃないの?」


 さっきまでは否定していた行動だったのに、姫鏡はそれを是としだした。


「うん、今のままだと分は悪いよ。でも分相応の賭けにできるの」

「それは・・・どうやって?」


 キスの感覚を反芻し終えて、ようやく話に身が入ってきた。


「吸血鬼同士の血を吸う行為は、存在を消し合う行為だって言ったよね。でも主人と眷属だと力を分与することになるの。つまり私の力をオイラー君に与えるって事だね。そうすることで少なくともアーサーと同じ階級の吸血鬼になれる」


 吸血鬼と言っても同じ血な訳ではない。主人と眷属は同じ血を分け合った存在だから、力を与えることもできるってことか。薄々思っていたけど、吸血鬼の眷属って親や子という概念ではなく、もっと薄情な概念な気がする。


「でもなんで僕なの、姫鏡が僕の力を奪えばいいんじゃ」

「私とアーサーでは頭打ちの戦いしかできないの。それじゃあ繰り返すだけでなんにも解決にならない。でもオイラー君は吸血鬼の弱点を克服しているし、元々は人間だから、私はそこに変化があるって賭けている・・・・・・ううん、信じている。だから、ね」


 そう言って姫鏡は自身の首元を差し出す。

 記憶に新しいあの公園での時とは反対になってしまった。姫鏡は今、自分にできることで、自分が逃げないでやることを選択した。あの時の僕と同じように、心の指針に従って悔いのない選択をしたのだろう。だったらそれを無碍にできない。


 僕は意を決して姫鏡の首元に口を近づける。

 そこでふと思った。それをまた悪い癖で口にした。


「でも・・・・・・吸血鬼の力を吸ったら、吸血鬼の姫鏡はどうなるの」


 そうだ。吸血鬼の力を吸ってしまえば、吸血鬼としての存在は保てなくなるのではないか。僕が必要栄養素とやらが無くなった時、ただの人間はおろか、人間としても貧弱になっていたじゃないか。元々人間じゃない姫鏡は存在そのものが消えてしまうんじゃないか。


 その事実に気がついて姫鏡と目を合わせらる位置に戻すと。


「もう心配性だな。大丈夫だよ。ちょっと力を分け与えるだから全部は吸わせないよ」


 姫鏡は右頬に手を置いて撫でてくれた。そして優しくまた首元まで顔を移動させられてしまう。


「私は自暴自棄なんじゃないよ。だってオイラー君言ってくれたじゃない。一緒にいるって。私が存在を保てなくなっちゃったら一緒にいられないじゃない。まだまだオイラー君としたいこと沢山あるもん。だからね、安心して。私はオイラー君とずっと一緒にいるよ」


 そういう姫鏡の表情は全部見えなかったけど、口元は笑っていた。


 笑顔に誘われるように再び口を開いて、尖った犬歯を白く細い首元へと突き立てる。


 つぷりと歯が表皮を抜けて肉に突き立った。歯を通して姫鏡に流れる血が流動しているのが分かった。

 僕が初めに想像した吸血鬼としての食事風景が、頭の中で合致し、姫鏡の温もりと僕の反射する生暖かい息が唇に当たって、さっきの嬉しさを超えた感情ではない、戦慄が感覚を麻痺させようとしてくる。


「いいよ」


 姫鏡が僕の背中を撫でて合図した。

 たったそれだけで、不思議と身体が軽くなった気がした。


 気持ちを整理して、その合図で一気に姫鏡の血を吸う。


 血。

 血だ。濃厚で甘美な味をした血。まるで大好物の桃を千倍にした程の美味しさの血。

 それを一気に、一気に、一気に喉が鳴るほどに飲み干していく。


 僕の背中に皺ができるくらい拳を握った姫鏡の手の感触が抜けていく。無我夢中だったが、感触が無くなったことに、初めて本格的に摂取口から取り入れた血の味わいから抜け出して牙を抜こうとする。


 だけど牙は抜けなかった。姫鏡の首元の筋肉と、片腕で僕の頭を押さえつけて、背中に回った手が力を取り戻して首をガッチリとキープした。


 馬鹿だ。

 ああ知っている僕は馬鹿だ。

 これまで重要な事を慮って言わなかった姫鏡が最後の最後で本当の事を言うと信じ込んだ。


 違う・・・・・・分かっていたはずだ。

 さっきの口元を見て気付いていたはずだ。

 僕程姫鏡を目で追っていて、地獄の中で縋っていた人間はいない。

 だから見間違い、勘違いをするはずがないのだ。

 あれはいつもの愛想笑いじゃないか。


「ずっと一緒。ずっと一緒だから」

 

 譫言のように姫鏡は呟いていた。

 やめてくれ。そんな今生の別れのように言わないでくれ。


 必死にどうにか離そうにも離せない。吸血鬼としての本能なのか、それとも吸血鬼同士でのやってはいけない禁忌だったのか、意思に反して身体が全力で引き抜こうとしてくれない。だから姫鏡の抵抗力が弱まっていくまで抜けなかった。


 次第に姫鏡から力が失われていき、やっと力尽くで牙を抜いた。抜くと同時に姫鏡は僕に身体を預けるように倒れ込んでしまった。


 姫鏡の頬に熱い涙が伝い、地面に落ちて赤と交わった。それは姫鏡が流した血と、僕が流した涙の潮が引き起こした現象だ。


 姫鏡の血を吸い終わると同時に思念が流れ込んできていた。

 影を形成する方法と感覚、刀の使い方に煙の使い方、身体の動かし方、成熟した高貴な吸血鬼としての在り方。全て姫鏡が経験してきた記憶として、僕の身体に血肉と思考になって流れ込んできたのだ。それは姫鏡がアーサーに勝てるように僕を思ってくれた思念であり、その思念の中には僕に対しての姫鏡の私的な思いは一切なかった。

 私的な思いは終わったら直接言葉として伝えてくれるのだろう。そうだろう。そうなのだろう。

 もう伝え終わっているなんて言わせない。


 血を吸って理解に至った。

 吸血鬼は・・・血を吸うことで相互理解を得る生き物だった。


 存在が上書きされると言うのは、相互理解しあったからこそ、強い意志に寄って意識が上書きされるのだ。だから同属どうしで血を吸うのを、あそこまで忌避していたんだ。


 それを僕は・・・僕は我儘と願いだけで・・・・・・。


 主人と眷属で力を分与するのは嘘ではない。ただこれは献上だ。力を主人から献上された。


 姫鏡はこうなると理解しながらも、僕を信じていると言って託してくれた。

 言葉に責任を負う必要があるのだ。傷つけ合ったならば、互いに傷を舐め合えばいい。そう言ったからこそ、それを信じてくれたからこその行動なんだ。信頼に応えよう。


 ぐったりとした姫鏡の後頭部を持って顔に近づけて抱くと、まだ小さく息をしていた。

 安堵していると、姫鏡からいつもの匂いが抜けていって、さっきまで味わっていた甘美な匂いがすることに気がついた。


「ぐっ・・・あぁっ・・・・・・あぁ!」


 それは姫鏡が人間になりつつあって、僕が完全に吸血鬼に成っている証明。

 嗚咽を堪えようとしたけど、揺るがない事実に止まらなかった。


 涙を拭うこともせずに姫鏡の手を握っても、冷たく反応がない。これ以上力を籠めたら潰してしまうかのようにか弱く、慎ましい華奢な女性の手だ。


 僕はその手の甲に願いを込めて口付けをした。


 それから姫鏡の首元に常備していた治癒の呪いの水をかけて、意識を失った姫鏡を持って体育館へと戻り、白梅沢に姫鏡を預けると。


「な、なにがあったん? てか本当にオイラーさん?」


 そう言われたので、何も言わずに体育館を出て、乞仏座とアーサーの気配がする校庭へ向けて大きく跳躍した。


なにかしらの↓のリアクションやらを頂けると励みになります。何卒よろしくお願いします。

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