吸血鬼の花婿(1)
夜の中に身を置いた時、人はどういった感情を持ち合わせるのだろうか。陽が出ていたころとは違う、陰の中に何かが潜むような不気味か。それとも往来に誰もおらず、辺り一帯は月と星の明るさで僅かに輝き得体の知れない解放感か。
違う。
本当の夜の中に身を置いた時、それは比喩的形容なんてしていられない程の恐怖に支配される。
「あっ、さっ」
突然の来訪者であるアーサー・アルカードの登場で、僕の口はうまく回らない。あの赤い眼に射抜かれただけで、思考が一つの感情に支配されている。身体が強張って、薄ら寒くて、歯が鳴って、この場から逃げ出したい欲求が爆発しそうになる。
初めて出会った時と圧は変わらないはずなのに、吸血鬼になったことによって、アーサーとの埋められない差を自然に理解しているせいだ。そのせいで途轍もない化け物が目の前にいることを実感してしまっている。元からあった歴然とした差を押し付けられている。
「どうしてここに来られるの」
姫鏡が僕の前に立って冷静に会話を試みた。
「誓約が履行されたからだな」
「決闘は・・・あと一回残っているはず」
「いや終わった。ハクタクとお前の眷属で決着がついた」
全員が白梅沢の方を向く。当の白梅沢はアーサーが出現した瞬間に圧に中てられて白目を剥いて気絶していた。
「ハクタク、貴様が説明してやれ」
アーサーは白梅沢を指して言うと、気絶している手がピクリと動いて、白目を剝いていた目に意識が戻り、まくれあがったスカートなんて気にせずに片膝立てて立ち上がり、気怠そうに首を鳴らしてから髪をかき上げて全て後ろにまとめた。
「どうして俺が説明しないといけないんです。貴方のご依頼でしょう?」
瓶底眼鏡を丁寧に眼鏡ケースに閉まってから、明らかに今までの白梅沢とは違う話し方をする。
「貴様の提案だろう、しろ」
その命令言葉に含まれた圧で胃が潰されそうになる。
ハクタクは小さくため息をついてから従った。
「まず乞仏座さんと眷属君が決闘になる前、俺はアルカード卿から依頼を請けていました。乞仏座さんと同じように決闘で勝てというご依頼ですが、御存じの通り、俺は未来が予知出来て口が達者なだけです。この肉体もそこそこに結界術が使えるだけで、吸血鬼に力で勝るなどできません。よって姫鏡嬢を俺とこの肉体の術で捕まえて、眷属君をおびき出して決闘との事実を極力公言せずに決闘を行いました」
「そんな決闘は認められない」
姫鏡が怒りを前面に出して言うも、怒りに取り合うつもりのないハクタクは言葉を簡単に返してくる。
「認められないと決めるのは誓約次第です。こうしてアルカード卿が貴方達の前に来られている事実があるのだから、決闘の決着は認められたということです。卿らが創った誓約はそういう誓約なのでしょうね。詳しくは俺は知りませんがね」
「・・・・・・私が認めない」
「それは貴女の勝手ですね。こうして審判者も用意していたのですし、眷属君も敗北宣言しましたし、敗北は事実なのですよ」
ハクタクが机に散乱していたノートを一つ摘まんで放り投げると、空中で暮山が現れた。
「お前らがこの部屋に入った時点で、俺はノートの中で宣言したぜ。決闘の合図をな」
嫌な笑い方をしつつ暮山は言う。
「そんなの双方に同意が無かったら決闘にはならない!」
納得のいかない姫鏡は声を荒げた。
「まりあ。君の負けだよ。この三番勝負の決闘が始まった時点で、決闘の同意はなされている。いつどこでどの場所を指定するのは、あくまで善意さ。誓約の穴を突かれたのさ」
「伽羅あんたも知ってたの」
「いいや。どうやら僕は当て馬にされたようだね」
乞仏座がアーサーに対して不満を表して冷たい視線を送った。
「よもや貴様程のモノが、小僧に敗北を喫すとはな」
「衰えたって言いたいようだね。僕は君とは違い、人間、なんだよ」
「戯言を」
つまらなそうにアーサーは吐き捨てるだけだった。その態度が気に食わなかったのか乞仏座は言葉を続けた。
「しかし衰えたって思われるのは心外だね。僕は全盛期に以上の力が今あると確信しているんだ」
「戦場で腐肉を貪っていたのが全盛期だったか?」
「おいおい君も現代を生きるのならばプライバシーポリシーの誓約書を作った方がいいんじゃないかい。というか、君も戦場で死肉に涎垂らしていた口だろう? どの口が僕を馬鹿にできるんだい」
夜のような静寂だった。
風の音もなく、犬の遠吠えもない、耳を劈きそうな甲高い耳鳴りが幻聴で聞こえてくるような静寂。
瞬間、僕は後方へと影を踏んで飛び退いた。
そうするべきだと直感的に身体が判断したからだ。
僕が立っていた場所は黒い影が埋め尽くして、その影から巨大な狼の口が複数現れた。
全員を嚙み殺す為に生成された顎を避けたが、一番近く飛び退く能力も持っていない乞仏座は手で己を守りながら口の中へ姿を消す。
姫鏡は椿海月さんを庇うように避けて、ハクタクは僕が飛ぶ直前に僕に抱き着いてきていた。
暮山もギリギリのところで直撃を避けたが、攻撃に掠ったせいで壁を突き破って吹き飛ばされた。
図書室の半分が噛み痕を残して消えてしまった。
「ぎょええええ、やっぱり予言は当たってたんだぁ!」
僕に縋るように体を預けて震えた脚でなんとか立っているハクタク・・・いやこれは白梅沢だろう。
「オイラー君、逃げるよ」
「でっ・・・わかった」
姫鏡の言葉に従うしかなかった。
ここで戦えば椿海月さんも、白梅沢も巻き込んでしまう。アーサーはこの場にいる誰もが傷ついても歯牙にもかけない程に残忍な吸血鬼だ。それに恐怖で硬直してしまっている今の僕が姫鏡と共に肩を並べて闘えるとは思えない。足手纏いが増えるだけだった。
「逃がすと思うのか」
ギロリと視線を向けた瞬間に、影が伸びて壁一面を黒に染める。
「余所見している場合ではないよ」
影の中から乞仏座の声がしたと思ったら、四対の子供の手が影の中から現れて、アーサーの右頭部と身体の軸になる部分を抉った。
乞仏座は老人の手で狼の喉を握りつぶしながら、呑まれた場所の影から現れた。
アーサーの傷が一瞬で治るくらいの時間で、乞仏座が僕に微笑みかけたように見えた。それが見間違いなのかと思っている間に、姫鏡に腕を強く引かれた。
「いくよ!」
これはあろうことか、乞仏座が作ってくれた脱出の好機だったのだ。
僕は白梅沢を持って、乞仏座とアーサーに背を向け、図書室から脱兎の如く逃げ出した。
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