乞仏座伽羅(6)
「オイラーさん」
レストランの前で姫鏡が到着するのを待っていると、通行人の女性に声をかけられた。その女性が椿海月さんだと気づくのに、数秒自分の蔑称を知っている人物像を頭の中で検索せざるおえなかったのは、椿海月さんの印象が昨日とは百八十度違うからだ。
今日の椿海月さんは昨日よりも胸を張っていて、カチューシャもなく、最初に合った時のように凛とした佇まいで、僕達とは違う高校、多分有名な女子高の制服を着ているからかもしれない。
「椿海月さん、こんにちは」
「はい。こんにちはです。姫鏡ちゃんから連絡貰ってます。それで用意はしてあるらしんで、どうぞ」
そう言いながら椿海月さんは鍵を鞄から取り出して、開店準備中のレストランの扉を開ける。
「まだ開店準備中みたいだけどいいの?」
「もう開けますから大丈夫ですよ」
なんか特別待遇されているみたいで、ちょっと浮ついた気持になる。
「ちょっと着替えてきますね。適当なお席でお待ちください」
椿海月さんはそう言って、バックヤードがあるのであろう、厨房の方へと入って行った。
僕は言われた通りに、カウンター席の端っこの席に座って待つことにした。
明るめだった店内が電気もつかずに薄暗く、厨房の奥からだけの明かりで最低限の明るさを保っていた。つい先日着た時とは違う閑散とした雰囲気は、どこか嫌いじゃなかった。
「ヒヒーン」
椿海月さんを待っていると、馬の嘶き? のようなものが聞こえた気がした。空耳かと思ったけど、レストランの横にある駐車場に嘶きの元となるものが停止したのがカーテン越しの窓に影となって映っていた。
う、馬を駐車場に止めたってこと? 今って現代だよな?
狼狽えていると、レストランの扉が開いて、備え付けの鈴が大きく揺れた。
黒のライダースジャケットを着て、ジーパンを履いた背丈がスラッとした人が、バイクのヘルメットを着け、背中に大きな四角い鞄をながら入ってきた。このお店の人だろうか。
馬かと思わされたけど、バイクのヘルメットを被っているし、バイクの駆動音が馬の嘶きに聞こえて、影が偶々そう見えただけなのだろう。乞仏座に付き纏われて、頭が疲れてしまったのかもしれないな。
「お、お邪魔してます」
誰か分からないので、とりあえずは当たり障りないように挨拶しておく。
ヘルメットを被った人は、少し店内を見渡してから、挨拶を返してくれた。
「どうも。もしかして君が噂の眷属君か?」
「は、はい。姫鏡の眷属です」
「そかそか。オイラー言うんやってな。っと、自己紹介まだやったな。自分はこのレストランの店長しとる銃路盥言うもんや。まりあに聞いてるかも知れんけど、一応デュラハンちゅう化け物やらしてもろてます。この店共々よろしゅうな」
銃路さんは快活に自己紹介をするも、フルフェイスヘルメットは外さないので、どんな表情かはわからない。だけど陽気な人なのだろうとの印象はある。関西弁だからかもしれない。
「あ、店長お帰りなさい、遅かったですね」
「ただいま~。せやねん、聴いてや。配達の途中で軍畑さんに捕まってな、なんや孫の進学やら、フィットネスジムの会費の話やら、そらもう話し込まれて帰ってくるの遅れてもうてんな」
「軍畑さんのお話長いですもんね」
「まぁ足腰弱ってべしゃり回らへんかった時よりかはええけどな」
「そうですね。・・・えっとオイラーさんの為に準備していたのってどこにありますか?キッチンに行ってみたんですけど、置いてなくて」
会話の中に入って行けなかったので、手持ち無沙汰にしながら黙って聞いていたら、椿海月さんが察してくれて話題を変えてくれた。気遣いができて優しいのが椿海月さんだ。
「はれ? 分かりやすいところに置いといたけどあらへんかった?」
「冷蔵庫の中まで探してみましたけど、それらしいのはありませんでしたよ」
「ほんまかー? よー探しとらんだけやろ」
銃路さんは鞄をカウンターの裏に置いて、キッチンの中へと入っていく。
キッチンの奥でゴソゴソと音がして、それに合わせてとぼけたような銃路さんの声が聞こえてくる。
「あーすまんすまん。オイラー君の為に作ってた料理、さっきの配達で間違って配達したみたいやわ。代わりと言ってはなんやけど、これでどうやろか」
バツの悪そうにヘルメットを触りながら、本来配達するであったであろう、プラスチックの容器に入った料理を差し出した。
「これは・・・」
容器の中身は肉じゃがだった。レストランにしては珍しいチョイスだ。
「見ての通り肉じゃがやね。美味しくは作ってあるで」
銃路さんが親指を立てて、カウンターの上に置いた。確かに出汁がしっかりとじゃがいもに浸みて美味しそうだけども、これを食べに来たわけじゃない。
「店長?」
「ほんまごめんなさい」
椿海月さんが圧をかけると、銃路さんは頭の前で手を合わせて、深く頭を下げた。
僕の為の料理って、それは吸血鬼用の料理ってことだから、それは人の血と肉ってことになる。それを間違って人に提供しても大丈夫なのだろうか。まぁ配達先の人が人間ではない可能性はあるか。
「ちょっと電話で確認しますね」
商品を間違えて運んでしまった為に、謝罪の電話をしなければならなくなったので、椿海月さんが店のレジ横にある固定電話の受話器を持って、電話をかけ始めた。
「えっと暫く待っているので大丈夫ですよ」
「そう言ってくれるんは有難いんやけどね、オイラー君用をもう一つとなると、今から調達するんは難しいしねんなぁ。せやけどオイラー君がせっかく足運んでくれたんやし、ほなさいならするのもなぁ。食べとらへんかったらええねんけど、ここで頼む人らは遅めの昼ご飯で頼みおんねんよ」
銃路さんはうーんと唸りながら腕を組んで悩むポーズをとった。
「ないならある時に、また来ますよ」
「いやもうそう言うてくれるんはほんまに有難いんやけど。和音君からも言われとるねん。早急に力をつけさせる必要があるって、和音君怒ったら怖いやろ? 今回は自分の凡ミスやさかいに、怒られるねん。多分オイラー君の前で堅苦しい謝罪させられるで、見たいかちゅう話よな」
たしかに大人が叱られた後に、年下に正式な謝罪をするのは見たくないな。
そもそもこの人が悪くて、謝罪する必要はあるのだけども、そこまでは見たくはない。
「先日頂いた料理じゃ駄目なんですか?」
僕としては普通の料理で体力回復を補っても全然問題ないのだが、人外的には普通の料理を沢山食べたところで意味はなさないのだろうか。
「それでもええんやけど、オイラー君の感じからして普通の料理は点滴くらいにしか回復せえへんと思うねんな。知らんけど。ほんで相撲部屋の力士並に食べるんやったら話変わってくるんやけど、その場合胃袋の容量と、お財布の中身と相談する羽目になるんやけど、いける?」
「む、無理ですね」
僕の胃袋は小食気味であるので小さい。
それに財布の中身は妹への謝罪の品を買う為に多少は多く入っているが、全てを叩いても足りるかどうかは分からない。
命がかかっているから、お金に糸目をつけるのはどうかと思うが、明日からの昼ご飯が無くなるのは本末転倒だ。
「せやろ~。うーん、どうしよっかな。決闘の日付や相手って決まっとるん?」
「日付は決まってないですけど、相手は決まってます」
そういえば決闘の日付っていつなんだろう。
「じゃあ今日の夜にいきなり決闘する可能性もあるっちゅうことか。相手は誰なんや?」
その考えは僕の思考の中には無かった。そうだ、影人間を使ったり、椿海月さんを使って、狡猾にも決闘に間に合わないようにする男だ。乞仏座を送り込んできた日に決闘を始める可能性だってある。乞仏座が会話をしてくるからって楽観的過ぎた。背後にはあの男がいる。
「乞仏座伽羅です」
椿海月さんが受話器を落としそうになっていた。
「冗談やろ?」
「いえ、今日僕達のクラスに転入してきて、乞仏座から直接言われたので冗談ではないです」
「へへへ、冗談にしか聞こえんて。悪い冗談やろ。あの伽羅が学生生活できるはずがあらへんやん」
「僕が言うのもなんですけど、かなり馴染んでいました」
僕と言う現役学生よりも学生生活をしていた。
「伽羅が相手やったら、用意してた料理も急場しのぎにしかならへんやろうな・・・しゃーないな、ストック使うか」
銃路さんが大きくため息をつきつつそう言った。
「在庫があるんですか?」
「在庫言うても商品ちゃうねんな。あるのはあるねんけど、見栄えも見た目もおもっくそ悪いし、お客に提供するようなもんちゃう。せやけど、オイラー君に足りない栄養は絶対につく。それでもええなら提供できるけど、正直に言っとくわ。グロテスクやで」
そりゃあ人の血と肉ならばグロテスクなことになるのは必須だろう。それでも乞仏座に勝つためには、僕は人の道を自発的に外れなければいけない。
日常を捨て去る覚悟はないが、日常として受け入れる覚悟はある。
だから僕はこう答える。
「大丈夫です。どんなのでも食べます」
銃路さんのヘルメットの奥にあるであろう瞳が、僕の覚悟を決めた表情を見つめている。
「食べられへんはなしやで?」
「食べます」
「お残しは許しまへんで?」
「残さず食べます」
「ほな、出すで」
出す。
その単語で僕はカウンターの下などからストックされた食べ物が出てくるものと思った。しかしそれは思い違いであった。
銃路さんの黒いヘルメットシールドをあげた。ようやく顔を拝めるのかと期待したが、フルフェイスヘルメットの奥には顔などはなく、洞のように薄暗い闇だけが存在していて、その闇が煙のように漂っていた。
銃路さんは手元にピッチャーを持って、首を下に向けた。
顔面のシールドがあった部分から、びちゃびちゃと音を立てて、赤黒い液体がピッチャーに注がれていく。
ピッチャーの七割を満たしたところで、銃路さんが咽た。
「とりあえずこんなところやろ」
何も見ないで、言われないで、出されたらザクロジュースと似ているので勘違いするかもしれない。だけど、顔のない部分から湧き出た、吸血鬼の栄養となる赤黒い液体と知ってしまっている。銃路さんが言うように、客に提供し、食事するものではない。
「これは・・・なんなんですか?」
答えは分かり切っているが、質問してみた。
「血やな」
「血」
分かり切った答えが返ってきた。
「気い悪いやろ。でもな人の血やなくて、盥ちゃんの血やからな。まぁそれでも気い悪いやろうけどね」
「それって銃路さんが、血を吐いて提供してくれたってことですか?」
献血みたいなことを、輸血パックなしにしているのだろうか。
「いやいやビジュアル的にはそうやけど、盥ちゃんはデュラハンやん? デュラハンは桶一杯に血を貯めて、それを顔を見た輩に引っ掛けるちゅう逸話があるんやけどな。その桶に貯めた血を取り出したんや。ちゃんと、吸血鬼が吸血鬼たるものに必要な栄養素は入っとるから安心しいや」
そんな人間には太陽光が必須みたいなノリで言われてもな。
なんにせよ、どんな理由だろうが、食べる気を失せさせる見た目だろうが、僕は食べないといけないのだ。
銃路さんがグラスに注いでくれて、コースターの上に置いた。なぜかグラスに注いだ後に結露し始めているのが不思議現象だ。
椿海月さんも電話を終えて、心配そうにこちらを見ていた。
姫鏡が初めて僕に出したあのドロドロとした液体とは違うが、明確に血なのだという赤黒さと、血とは思えない甘美な匂い。
グラスを見つめていても何も始まらないので、意を決して飲む。
味わう事をせずに、喉の奥へと流し込むように一気に飲み干した。
血は食道を通って、胃へと流れていった。
舌で味わおうとしなかったからと言っても、舌には触れているので、味はする。血だ。口の中を切った時に味わう血の味。それをより濃厚にしただけ。なのに僕の身体は、それを美味だと謡っている。細胞の一つ一つが喜んでいる。これを待っていたのだと叫んでいる。
コップをコースターに置かずに、ピッチャーをひっくり返す勢いで注いで、わんこそばのように飲んでいく。
ものの数分でピッチャーの中は空になった。運動部もびっくりするほどの早さで、胃の中に収納されて、吸血鬼としての栄養となった。
「ええ飲みっぷりやったな。生産者としては嬉しい限りやね」
「え? あれ? 銃路さん、ですよね?」
僕の前に立っていた銃路さんは、見た目は変わらないけど、八頭身から四頭身へと頭身が変わっていた。
「そやで盥ちゃんやで~。盥ちゃんの桶一杯の血って、まぁざっくり言うと食べた人間や怪異の血やさかいに、それで形成してる盥ちゃんの身体から搾り取ったら、こうちっさなるわな。あ、食べた言うても六百年とかそのくらい昔のやんちゃしてた時の話しな」
六百年前ってこの人は幾つなんだと思ったが、人間のように世代を繋いでいくのは怪異にはないのだろう。だとすれば姫鏡や椿海月さんも実年齢はかなり高いのかもしれない。僕にはそれを訊ねる意気地はないので、謎に包まれておこう。
「身体は小さくなって大丈夫なんですか?」
「暫くは配達はできひんくらいやし、それにこっちの不手際やしね。これくらいは必要経費や」
本人がそう言っているから大丈夫に聞こえるが、お店自体に支障がでているので大丈夫じゃない。
「ほんでな。盥ちゃんの血は、人間の血と同じ成分が入っとんねん。伽羅と同じ性質ってことやね。せやからオイラー君は、吸血鬼として必要な栄養を十二分に摂取したことになってるんや。ほら鏡みてみい、血色良くなったやろ?」
手鏡を出されると、吸血鬼に近い人間な僕が、血色良く写っていた。
吸血鬼の力が戻ったのを自分でははっきりと感じられないので、試しに足で影を踏んでみると、さっきまで感触さえなかったのに踏めた。吸血鬼力は戻っているらしい。
「えっと、これってお値段おいくらくらいになるんですか?」
「んー三百万」
血色の良くなった僕の顔が青ざめる。
「冗談やん。三十万やで」
「それも冗談ですか?」
「いや、これはマジ」
ケラケラと笑っていた声じゃなくて、静かなトーンで言われた。
「えっと、え?」
「いやね、後出しで悪いねんけどさ。コップ一杯は無料で提供しようと思ってたんやけど、オイラー君止める暇もなく飲み干してもうたさかいにね。あれはまるまるやと、まぁまけにまけて三十万になるねんな」
終わった。僕の人生は無銭飲食で終わった。
「い、今、手持ちにないです・・・け、警察だけは・・・」
「和音君と顔合わせるのは盥ちゃんも勘弁や。うーん親御さんに相談・・・もできひんよなぁ」
食事に三十万も使ったとなると、何に使ったと話が飛ぶのは必須。吸血鬼に必要な栄養が必要だったなんて口が裂けても言えない。だから両親からお金を貸してもらうなんてありえない。じゃあ僕に残された道は一つだけだった。
「こ、ここで働かせてください。自炊程度ですけど料理はできます。接客も苦手ですけど、頑張ります」
「お? オイラー君料理できるんか。ほな採用」
「店長もっとちゃんと考えて発言してくださいね」
「三ちゃんはオイラー君と一緒に働くのは反対って訳ね」
「そうは言ってないです。自分の行動と発言に責任を持ってくださいって言っているんです」
「ちゃんと責任はとってるやんか。盥ちゃんもこないな姿になったから、補佐がほしいねん。てことでオイラー君、雇用契約書とかの諸々とか持ってくるから待っててな」
小さな体で銃路さんはまたキッチンの方へと入って行った。
まさか妹についた嘘が本当になってしまうとは、口から高野ならぬ、口からレストランだ。
その日は雇用契約書を書いて、一通りキッチン回りの説明を受けてから帰宅となった。手持ちにある分で支払いをしようとしたけど、とりあえずバイト代から払ってくれれば問題ないとなったので、妹へと貢ぐ詫びの品は買い終えて帰宅した。
結局。姫鏡はレストランには来なかった。
心配になって連絡しても、連絡がつかなかったので、椿海月さんがバイト後に姫鏡の家に寄ってみると言っていたので、僕は椿海月さんに任せておいたが、胸につかえるような不安は拭えなかった。




