乞仏座伽羅(3)
「姫鏡ちょっといい?」
一限目が終わった途端に僕は姫鏡を呼ぶ。もちろん話したいことは後ろの席で次の授業の準備をしている乞仏座の事だ。
姫鏡は頷いて席を立った。
僕達は周りの怪訝な目など気にせずに教室を後にして、屋上へと続く階段の踊り場へとやってきた。ここは昼時には溜まり場になるけど、こういった短い休み時間には人がいない場所であることはリサーチ済みであった。悲しいリサーチだね。
「あの転入生って、人間?」
「・・・どちらとも言えないかな」
「暮山のような半人半魚って事?」
「ううん。人間であって、人外であるんだよ。あいつは人間の皮を被った人外」
「ごめん分からない。それって比喩的表現?」
「比喩でもないよ。あいつは人間の皮を被っている。分かりやすく言うと、人間が服を着るように、人間の生皮を被って血肉を張り付けている。あいつの本体は骨。あいつは、伽羅はがしゃどくろの怪異だよ」
がしゃどくろ。たしかめちゃくちゃ大きな骸骨の日本のお化けだったか。あの見た目からは想像できないが、姫鏡が言うならばそうなのだろう。それにしても人間の生皮を被っているだって? じゃああの人間は元々生きていた人ってことか。
「うぐっ・・・」
想像してしまって、朝ごはんが胃液と共に上がってきそうになった。
「ちょっと刺激強いよね。おそらくあの男が送り込んできた決闘の相手が伽羅だと思う。朝話せてなかったけど、オイラー君も知っての通り決闘はあと二回ある。そのあと二回に勝てば、私の事もオイラー君の事も諦めるって言質と誓約を取ったから、勝てば大丈夫。だけどあの男、手段を選ばないのにも程がある」
姫鏡はしっかりと不快感を乗せて言う。
「また影人間を使ってくるの?」
「いんや、あれは前回だけにした。決闘までに手を出せない誓約も結んだから今後は大丈夫。それよりも対戦相手が伽羅なのが問題なの」
「もしかしてかなり強い?」
「本気でやれば、私も勝てるか分からないくらい強い。だけどそういう戦闘経験とかの差じゃなくて、伽羅の能力が普通の人外にとっては強すぎるの。あいつの能力は」
「おいおいまりあ。種明かしが過ぎるんじゃないかな?」
二人で階段の下からした声に振り向く。そこには乞仏座が立っていた。僕も姫鏡も声がするまで気がつかなかった。あのアクセサリーの音も、歩いてくる音も、布が擦れる音さえも無かった。たしかに姫鏡が警戒するのもわかる。
「それにさぁ、僕の話をしているのに、僕抜きで話を進めるのは寂しいじゃないか。オイラー君もそう思わないかい?」
みんな僕のことをオイラーと呼ぶのはデフォルトなのだろう。もうそれでいいよ。
「あんまり敵の人とは話したくないかな」
「おいおい連れないねぇ。今日から同級生じゃないか。仲良くしてねって言ったばっかりなのに、どうしてそうツンケンと冷たいんだい? まりあが悪い噂を吹き込んだのかい?」
これ見よがしに肩を落としてやれやれといった仕草をする乞仏座。その行動を見て姫鏡が心底呆れた顔をする。
「悪い噂って、人間社会に溶け込もうともしないで、あなたは人間を食料か着飾る物だとしか思ってないから間違ってないでしょ。それとクラスメイトや学校の人達に手を出したら、私は許さないから」
「許さないか。まりあに許されないなら、手を出した方が得かな?」
乞仏座の発言に姫鏡から今度は敵意じゃなくて殺気が漏れ出した。
「冗談だよ。ふふ怒り顔のまりあは可愛いね。・・・さて、本題に入ろうか。まりあの言う通り、次の決闘相手は僕だ。僕の能力は至って単純。大きな手で相手を包み込むだけだ。まりあが言いたかったのはこれだよ。ほらオイラー君。こうやって、君をね」
右手人差し指のリングの髑髏が一つ、顎を鳴らしかと思ったら、辺り一面が急に暗くなる。
そして頭に圧迫感を感じた。
昨日とは違い、今回は圧迫感と共に痛みを感じ始める。
「伽羅!」
暗闇の外から姫鏡の叫ぶ声が聞こえたと思ったら、視界は明瞭になった。
何が起こっていたのかと確認するために、ズキズキとする痛みの元に触れると、血がべっとりと手に付いた。どうやら側頭部から出血しているらしく、その傷も大きいようで頬を伝って血の雫が足元に落ちた。
乞仏座は垂れた雫を不思議そうに見てから。
「おや? 不死性が薄れていたのかい。これはうっかりだね。すまないすまない。報酬が無くなるところだったよ」
そう軽い冗談を言ったように謝った。
「オイラー君、君はまだ影を扱えないと訊くが、影を扱えたところで僕には勝てないよ。今みたいに軽く捻るだけで終わるだろう。だからどうだろうか、ここは一つ降参しないか? 痛みは成長と進化を促すが、一世代で変わることはない。君も痛いのは嫌だろう?」
「痛いのは嫌だね」
現にこの痛みは嫌いだし、できるなら味わいたくはない。
「だろう? まりあの為に殊勝な心掛けだとは思うが、人間は自分を大事にしてこその人間だ。個を磨いてこそ人は輝く。僕はそう思うんだよ。君も、君を大切にして、君と言う一等星になりたまえ」
「断るね。個は大事だけど、他を疎かにし貶めるくらいならば、僕は胸張って人間って言えないね。ていうか今は人間じゃないし、僕は姫鏡の眷属だ!」
僕の宣誓に乞仏座は感心した。
「ほほう。まりあ、いい眷属じゃないか。妬いちゃうねぇ」
「ふふん。いいでしょ。あげない」
そう言って姫鏡が僕の腕を抱きしめるように身体をくっつけてきた。傷の痛みよりも、二の腕に伝わる感触が幸せだった。
「興味が湧いたよ。これからの学校生活が楽しみだ。そろそろ二限目が始まるよ。席に着こうじゃないか」
「誰かさんのせいで保健室に行くって言っておいて」
「おや、そうだったね。言伝はしておこう」
乞仏座は軽い会釈をして去ってしまう。
僕が大きく息を吐くと、姫鏡も珍しく同じように大きく息を吐いた。
「オイラー君。とりあえず保健室で止血しようか」
そういえば血が止まらない。ポケットからハンカチを取り出して、傷口にあてて押さえてから、姫鏡に連れられて保健室まで移動した。
保健室には保険医が在中しているはずだったが、ちょうど席を外しているようだったので、勝手に消毒液とガーゼを借りた。二限目はサボるの前提で、込み入った話をする為保健室に軽い結界を張ってから治療してもらいながら、乞仏座の事を姫鏡は話し始めた。
「伽羅は元々ある人間の骨からできた怪異でね。野垂れ死んだか、戦死で埋葬されなかったかは知らないけど、憎悪と怨念と人間への羨望でできた怪異なんだよね。現代ではがしゃどくろって通称で分かりやすく呼ばれているけど、元々は思念を持った骸だよ」
怪異は元々事象や現象だったのを、人間が理解するために名前を付けただけの存在だ。だから基本的に人間の理解を超える存在なのは予習済みであるので驚きはしない。
「決闘相手ってことは、ダキア派閥で人間を敵視しているんだよね」
「伽羅はどこにも属してないよ。人間を物だと思っているし、必要な物だとも考えている。元々が人間だから気まぐれで人間に手を貸す時もあるし、敵に回る時もある。あいつは気まぐれで、自分の心が赴くままに行動するの。今回もあの感じからすると、面白そうだからと、報酬が良かったから引き受けただけに違いない。まったく頭にくるよね」
姫鏡はまた不快感を言葉に乗せていた。成程ね、気分次第で敵にも味方にもなるから、人間が好きな姫鏡には快く思わない存在なんだ。でも味方にもなるならば、それは。
「じゃあ会話で解決できるんじゃないの」
「まぁうん。あいつも極力事を荒立てたくないから、会話をしてきたんだと思う。だからさっきのが伽羅が出せる最大限の譲歩だと思うよ」
実力差は歴然だから命が惜しくば降参しろ。と、言いに来てくれたのか。それを僕は断った。
譲れないものがあるのだから、そんなことを言われてものめないだろう。もしくはその譲歩がのめない前提で会話をしに来ているのだったら、いい性格をしている。
結局戦うしかないのか・・・。
「いいオイラー君。今の感じだと伽羅のことちょっといい人外かもって思うけど、あいつは嘘つきだからね。自分が楽しいならそれでいいだけの、ナルシストなの。私や椿海月ちゃんと一緒にしちゃだめだからね」
姫鏡に注意されて内容は図星であった。話が通じるならば、気が遠くなるまで話し合えば戦わずに済むんじゃないかと思っていたからだ。
「う、うん。肝に銘じておきます」
ご主人様の言葉を胸に刻んでいると、治療行為が終わった。
「よろしい。伽羅のことは大体分かったと思うから、今のオイラー君の現状を言っておくね。オイラー君は弱点を克服した吸血鬼って言ったけど、昨日倒れたのを見て、そうじゃないって分かったの」
「・・・必要栄養素が足りない?」
「そう。オイラー君が吸血鬼たる為には、しっかりとした食事が必要不可欠なの。昨日は力をかなり使ったから栄養が足りなくて倒れたんだと思うの。つまりは貧血だよ」
吸血鬼が貧血とはなんとも情けない。人外らしくはなく、人間らしいな。
「じゃあ・・・その人の血を飲まないといけないの?」
無視してきた訳じゃないが、必要ではなかったから見なかったことにしていたことだ。
「普通に人間の食事でも栄養が行き渡っているから、無理して飲まなくもいいと思うんだけど、吸血鬼的には飲んだ方が元気百倍だよ。・・・・・・飲んでみる?」
そう言われて姫鏡の白い首筋に目線を送ってしまう。
「駄目だよ。吸血鬼同士で血は吸わないの。それをする時は相手の存在を消したいときだけ」
邪な視線を感じた姫鏡は首を抑えて、めっと付け加えて言った。
存在を消すって殺すってことだよな。不死者だけど、人間による特定の攻撃以外の殺し方は、同属に寝首をかかれるのがあるのか。じゃあアーサーに噛みつけば、僕でもアーサーを倒せるのではないだろうか。
「それに主人と眷属ならまだしも、下位吸血鬼が上位吸血鬼の血を吸ったら存在が上書きされるからね。オイラー君は下位か上位かも分からないんだから、あの男の血を吸おうなんて考えちゃだめだからね」
「・・・ははっ、まさか考えてないよ」
人の話は最後まで聞きましょう。
ジト目で見られてる。
信用ならない顔をしているらしいので、微笑んでおく。
「・・・・・・おそらくオイラー君は、今はほぼ人間だね。必要な栄養素が足りてなさ過ぎて、吸血鬼としての存在が保てていない。その証に顔面をぶつけても大した怪我はしていないけど、伽羅の手に握り潰されそうになったところの治りは遅い」
「え、僕は握り潰されそうになってたの?」
「あいつの言った通り、大きな手がオイラー君の身体全体を覆っていたよ。あのまま丸めて圧縮するのがあいつの能力。因みに射程に入った時点で不可避だから、不死性を持ってないと一撃必殺の能力なんだよね」
吸血鬼の特性の一つである不死性を持っていない現在の僕だと、あのまま圧縮されて肉塊になっていたのだろう。ガーゼの奥の傷がじくりと傷んだ気がした。
「やっぱり勝てないのかな」
「万全を期して戦っても、普通にやるんだったら勝てないね。だからその為にも栄養補給が大事。もう一度聞くよ。飲む?」
悪魔的な問いかけだ。確かに僕は姫鏡の眷属であり吸血鬼なのだけど、人間と吸血鬼の間で揺れている。人の血を飲んだり、肉を食べたら、もう後戻りはできない気がする。あの赤くドロドロとした何かを口にするのは完全にそちら側へと至る行程だ。
でももう後には引けない。決闘は始まっているし、姫鏡を諦める気もない。中途半端に逃げ出すのは嫌だ。
「飲む・・・」
真剣な面持ちで姫鏡に言う。
姫鏡も僕の目を見据えて本気かどうかを確かめている。暫く見つめ合って思いが伝わったらしく、視線が離れる。
「わかった。準備に時間がいるから、今日はまたレストランに行こう。あそこなら少しは体力がつく料理を出してくれるから」
「乞仏座はどうするの?」
「伽羅のことはあっちが関わってこない限り放っておいていいよ。案外学校生活を楽しむかもしれないしね」
どこにも属さないからこそ、一時的に学校に属するのが楽しいのかもしれない。そう考えると変な怪異だ。
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