椿海月三幡(4)
休憩してから何時間経ったのかを確認すると、既に昼は過ぎていた。ずっと集中していたので時間が吹き飛んでいた。通りで腹が減った気がする訳だ。
その事実に気付いたからか、正直者の身体は返事をした。
「そろそろお昼ごはんにしよっか。椿海月ちゃん結界を一回解いても大丈夫だよ」
「う・・・うん」
椿海月さんが結界を解いた瞬間に視界の奥に人が現れた。次第に僕達のいる一画にも人通りができるようになった。結界の効果を目の当たりにして、改めて結界が作用していることを実感する。
姫鏡が空いていた椅子へと腰掛けて、持参していた鞄の中から淡い青色の布に包まれた弁当箱を取り出した。朝から張り切って何かを作っている姫鏡の背中を手伝いもせずにボーッと見ているだけだった――手伝おうとすると座らせられたので、手伝えなかったが。昼ご飯を作っていたらしい。
「なんか距離遠くない?」
姫鏡が僕と椿海月さんとの座っている距離を見てそう言った。
姫鏡が真ん中に座っているのだが、僕と椿海月さんはそこからある程度距離を空けて座っていた。
「そうかな?」
「そうだよ。二人とももっと寄っておいでよ」
「わ、私はお二人のお邪魔になりますから」
「僕のことは気にしないで、友達同士で食べてよ」
お互いに姫鏡を譲り合う。僕は姫鏡の友達関係の輪にいきなり入って行くのが失礼だと思っているから、椿海月さんは眷属関係に入って行くのが失礼だと思っているのだろう。
「オイラー君ちょっとこっち来て」
「なんで・・・」
「いいからこっちこっち」
手を引っ張られて椅子の真ん中に無理やりに連れてこられる。
「で、椿海月ちゃんがこっち」
「ひゃあ」
椿海月さんは僕と肩が密着できる程の左隣に座らせられて、姫鏡は僕の右隣に座った。図らずしもこれは両手に花というやつだ。
両隣から甘い香りがして頭がくらくらする。
「これでよし。私の意見も言っておくね。椿海月ちゃんとオイラー君が仲良くなってほしいからね。これで三者三様の意見が通る形だよね」
姫鏡は僕をどう思っているのだろうか、異性の友達で、初対面の相手にここまで距離をくっつけさせるのは椿海月さんの性格上嫌なんじゃなかろうか。僕でさえ椿海月さんを理解するのに時間がかからなかったのに、僕よりも付き合いの長い姫鏡が分からないわけでもない。
「椿海月ちゃんは男性耐性がなくて、接客でも失敗しがちなんだよね。その耐性をつけさせる為にちょっと手伝って欲しいんだけど、駄目かな?」
姫鏡が耳元で小さくそう言いながら、ラップに巻かれた手作りのフルーツサンドウィッチを手渡してくれた。
「僕で勤まるかなぁ」
「オイラー君だから任せられるんだよ」
過大評価だと思うんだけど。姫鏡のお願いならば叶えてあげたいのだが、男性耐性をつけさせるって一体どうすればいいんだろうか。
「はい、これ椿海月さんの分」
「えっ私も食べていいんですか?」
隣で顔を赤くしながらもじもじとしていた椿海月さんにフルーツサンドを渡すと、困った表情で返されて、僕も困ってしまい、姫鏡に助けを求める視線を送る。
「そりゃあそうだよ。食事は皆でするのが一番だって師匠も言ってたよ」
「あ、ありがとう・・・」
「いいってことよ。じゃあ食べようか。いただきまー」
姫鏡が手を合わせた時に、姫鏡の携帯のバイブレーションが鳴った。まーの口のまま姫鏡は携帯を手に取って、通話相手を確認する。くっつくように隣にいるので、立藤さんからの着信なのは見えた。
「はいな、どうしたの師匠」
『まりあ。単刀直入に言う。アーサーとの交渉が済んだ』
電話越しに立藤さんの声が聞こえる。これは椿海月さんには聞こえていないが、吸血鬼になった僕にだけ聞こえているのは確かだろう。
アーサーの名前が出た瞬間に、弛緩していた姫鏡の表情が強張った。
「それで、どうなったの?」
『交渉の末、アーサーが直接お前達に手を出すことは無くなった』
「直接? じゃあ間接的に手は出してくるって事?」
『お互いの妥協点を探りながらの交渉だったからね。もうちょっと穏便に済ませたかったが、これでもまだ血生臭くない方だとは思う。それでまた問題が浮かび上がった。まりあの言う通り、アーサーは直接手を下さない代わりに、ダキア派閥の人員をオイラー君と決闘させる気だ』
「・・・あー、そう。そっちを標的にした訳だ」
優しさで輝いていた姫鏡の目から光が消えた。
『想像以上にアーサーの奴が取り乱していて、妥協点がそこしかなかったすまない。今日の日付が変わる瞬間にあの公園で待つと言っていたが、アーサーが律儀にただ待っている訳がない。今は外か?』
「うん。師匠に言われた通りにオイラー君の影を動かす修行中」
『椿海月ちゃんもいるんだろう。だったら結界は絶対に解くな。今のあいつは手段を選ばずに搦め手を使ってくる。俺もそっちに合流するから待ってろ。どこにいる?』
「丸の手公園だよ」
『なんだって? すまないよくきこえな』
立藤さんの通話が途中で切れてしまった。その瞬間に腕に鳥肌が立った。蒸しっとした気候なのに薄ら寒い気配が辺り一帯を支配したような感覚。怖くなって辺りを見回すと、景色は何も変わらないが、周りにいた人たちが全員僕達を見ていた。
「あの・・・私達見られてますよ・・・ね? 公共の場で密着しすぎちゃったんですかね・・・」
確かに冴えない男に美女二人がくっついている状況は、普通の感性からしたら異常なのかもしれないが、全員が全員、明らかな害意を含んだ視線で見てくるのは普通じゃない。
「オイラー君、実践だよ」
姫鏡は膝に置いていた弁当箱を僕に預けて、駆けだした。駆けながら足元の影に手を突っ込んで、抜き身の刀を取り出して、こちらをずっと見ていた正面の成人男性を斬った。
躊躇なく、逡巡することもなく、人間を斬り捨てた。
僕の頭はパニックになっていたが、成人男性から血の一滴も噴き出さないことに違和感を覚える。音を立てて倒れるのかと思ったが、斬り捨てられた成人男性は、ボロボロと空間から剥がれ落ちるように黒い粒子になって消えていった。
「人、じゃない?」
「こっちです」
椿海月さんが僕の手を引いて、斬り捨てた男性の横を通り過ぎる。僕達が動いたのを見て、他の凝視していた人達も追いかけてくる。奇妙なことに首から上は一切動かさずに僕達を見つめたままで、機械的な走り方で追ってくる。
「これは影人間! アーサーの影で作られた人間だよ! 結界を解いたせいで捕捉されたの。オイラー君は椿海月ちゃんを連れて逃げて、時間が来るまで隠れていて! 通話聞いていたでしょ。オイラー君は絶対にあの公園に遅れないで、遅れただけでまたアーサーが直接襲ってくるから。あの男を制御するには誓約でがんじがらめにするしかないの。そうすればあの男も手は出せないから、だから、今は逃げて」
追ってくる影人間をバッサリバッサリと斬り捨てながら姫鏡は言う。
「姫鏡はどうするの、こんなにいたらまた」
一昨日出会った時のように腕や足が欠損してしまうんじゃないかと危惧していしまう。今ならば、肉体は常人以上の力を出せるから、その部分では影人間とやらは相手にならないだろう。だから姫鏡の助けになれるはずだ。
「これくらいのは大丈夫。それにあの男の今の標的はオイラー君、君だよ」
「なんで、僕が眷属になったから?」
「そのとおり。まだ情報は広がっていないから、広がる前に潰そうって魂胆だね。だから私の為を思うなら、今は君が逃げる番だよ。私を守ってくれるのはまたの機会ってことでね」
影も操れない僕が姫鏡と共に肩を並べて戦うことはないのだろう。いや、いまここで逃げて、隠れながら影の操作を修行すれば、恐らく或いは、日付が変わるまでに何かが変化しているかもしれない。淡い期待でも抱いている方が歩は進みやすい。
それらを考慮すれば、姫鏡の言うことに従っていた方がいい。
「椿海月さん、ちょっとごめんね」
「え、なんですひゃわ」
椿海月さんに有無を言わさずに、お姫様抱っこをする。
「頼んだよオイラー君」
「姫鏡も気を付けてね」
屈伸運動をして空中へと高く飛び上がる。影人間も同じように跳躍してこようとしたが、姫鏡によって落とされた。少しだけ漏れた奴らが僕等の後を追ってきた。
「オイラーさん! 前! 前!」
恥ずかしかったのか両手で顔を隠していた椿海月さんが前を指さす。前には黒い壁のようなものがあって、それが何かを判別できなかったけど、直感的に結界なのだろうと理解した。椿海月さんや姫鏡が張っていた結界とは違い、悪意が染みついた壁のように感じる。
前面を蹴るようにして空中で急停止し、道へと降りて、結界の前で止まる。空中散歩も二回目だけど慣れたものだ。
「もしかしてぶつかると不味い?」
「五体が弾け飛びます」
「そんなんばっかり!」
「でも大丈夫です。もう解析が終わりましたので、通れますよ」
「へ? 通れちゃうの?」
「大丈夫です。ほら」
結界の外へと椿海月さんは手を伸ばして見せた。椿海月さんの五体は満足で保たれている。さっきの結界を解いた時にも結界の存在を実感したけど、こう目の前で実演されると余計に実感が沸く。
「ありがとう。じゃあまた飛ぶよ。しっかり掴まっててね」
「は、はい」
再び僕達は空を駆けて、追ってくる影人間が見えなくなるまで逃げ続けた。
きりのいいところまで書いています。
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