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姫鏡まりあ(4)

「うーん。いいね。ビシッときまってるね」


 姫鏡は指でカメラのジェスチャーをしながら、指の間にできた空間に治まっている僕に対して嬉しそうに言う。


「ほ、本当? 変じゃないかな?」

「変じゃない変じゃない。フォーマルなオイラー君はなかなか新鮮だよ」


 僕は後ろを向いて試着室の鏡に映っている自分を見る。

 冠婚葬祭で着るような黒のスーツに身を包んだ自分がいる。馬子にも衣裳とは言うもので、最初は似合わないと思っていた黒スーツも着てみると意外にしっくりくるものだ。


 なぜこんなものを購入しに来ているかと言うと、少し早い就職活動ではなくて、これから会う人物には正装で会うことが条件だと姫鏡に言われたからだ。


 姫鏡はデートと言ったが、本当の目的はその人物に出会うというものらしい。少し残念だったけど、私服の姫鏡と共に買い物をするのはデートと言っても過言ではない。


「本当にもらってもいいのかな?」

「うん。気にしないで、巻き込んじゃった迷惑料みたいなものと思ってくれたらいいから。それでも安いくらいだけどね」


 スーツ姿のまま支払いを終えて店から出て、次の目的地に向かって歩き出す姫鏡の半歩後ろから言うと、カラリとした笑顔で言われた。


 スーツを買うなんて学生の懐事情では大きな買い物だと思う。参考書を買うのさえ古本屋で探す僕がそういう感覚なのだ。こんなパリッとしたスーツを一括で払う姫鏡を見て、あの噂がほんのり頭の隅を過ったが、一蹴する。


「このまま、その人のところに行くの?」

「うんにゃ。ちょっとお腹すいちゃったから、あそこ寄っていこうよ」


 姫鏡が指さしたのは個人経営のレストランだった。店名はアンナイトメア。ファミリーレストランが御馳走の僕にとっては、入ったこともない店で、美味しそうよりも高そうが最初に彷彿とさせる場所だった。


 そういえば姫鏡は僕に付きっ切りで食事をしていなかったと思う。お腹も空くのもそうだろうから、断ると言う選択肢はない。


「そうしようか。僕もまた小腹が空いてきたんだ」


 財布にはなけなしの四桁額のお札が数枚。自分の食べる分のご飯を賄えるだろうか。


「今日は私がオイラー君とデートをしたいんだから、お金のことは気にしないでね」


 不安が伝わってしまったのか、またしても核心を突かれてしまった。例え姫鏡にそう言われても、気にするのが性である。


 しどろもどろとしていると、道行く人々が怪訝な目で僕達を見て過ぎ去っていく。スーツ姿の若い男に、目を引く美少女が高級レストランの前でお金の話しをしているのは物珍しいだろう。


 ここは学校区内ではないけど、どこに顔見知りがいるかは分からない。また写真を撮られて、姫鏡にいらぬ噂が立つのはよろしくない。


「とりあえず入ろうか」

「そ、そうだね」


 目立つことを恐れた僕は頷く。


 姫鏡がドアを開けると、カランカランと、ドアに備え付けられていた鈴が鳴った。その音を聞きつけて、テーブルを拭いていた黒髪ショートのウェイトレスさんがこちらを見た。そしてにこやかに笑って。


「いらっしゃいませ」

「二階席空いてますか?」

「お席空いていますよ。二名様でよろしいですか?」

「はい」

「ではこちらへ」


 僕と姫鏡はウェイトレスさんに案内されて、店内の二階へと案内される。一階は白色光で明るめだったが、くの字の階段を上ると蛍光色の大人な雰囲気に変わった。一階はカウンターとテーブル席が多めだったが、二階は扉がある個室がメインとなっていた。それだけでとんでもない値段がするのだろうと予想できてしまう。


「こちらになります」


 普段の飲食店では見ない丁寧な所作で部屋の前まで案内される。個室の中はほんのり薄暗く、外を覗かせる窓などもなく、少しだけ息苦しい留置場のような雰囲気を感じたが、閉鎖的なのが高級感を醸し出しているのかもしれない。凡人の僕には理解できないのだ。


「メニューはこちらになります」


 僕と姫鏡が座ったのを確認してから、同じ目線に身体を屈めて、どこから持ってきていたのかは知らないがメニュー表をテーブルに置いた。


 ウェイトレスさんからは柑橘系のすんとした匂いがした。吸血鬼になったからか五感が優れているようだ。さっきも街を行く人々のにおいがハッキリと分かった。シャンプーのにおいに汗のにおいに煙草のにおい。すれ違うだけでにおいの情報に頭と鼻がおかしくなりそうだった。


 聴力も優れていて、ひそひそと僕と姫鏡が釣り合わないとか、電話の内容とかも聞こえてきたし、環境音がうるさすぎて、ガンガンと頭に響いて歩くのも一苦労であった。


 それに対してここは静かである。外の喧騒も無く、小さなオルゴールのような音楽だけが鳴っている。ウェイトレスさんの呼吸音も、息を殺しているのかと言うほどに聞こえない。


「私はいつもので。オイラー君は朝食セットでいいかな?」


 少し緊張を解けていると、先にメニューを見ていた姫鏡が言う。朝食セットを目で探していると、姫鏡が指でこれだよ。と示してくれた。特にアレルギーもないし、嫌いなものもない。


「うん。じゃあそれで」

「ということです」

「注文を繰り返します。B定食と、朝食セットでよろしいですね?」

「はい」

「かしこまりました。お水はセルフサービスであちらにございます。では少々お待ちください」


 ウェイトレスさんはそういうと伝票を机の端に置いて、静かに扉を閉めてから、一階へと降りて行ってしまった。


 改めてメニュー表を見て驚いた。僕の頼んだ朝食セットは650円なのだけど、姫鏡の頼んだB定食はなんと時価。そんなの回らないお寿司屋さんとかでしか見ない価格設定だろ。時価って何だ。定食一品一品が時価とかか? だとすれば万は優に超すんじゃないか。


「姫鏡はよくここに来るの?」

「月に二、三回くらいかな。どうして?」

「いやだって、このお値段設定は何回もこれるようなものじゃないでしょ」

「あーなるほど・・・」


 姫鏡はメニュー表を見てしまったという表情をした。値段の事に気を遣うなと言っておきながら、自分が値段不明の品を頼んでしまったことを悔いたのだろう。僕はそんな些細な事は気にしないが、優しい姫鏡は気にするのだろう。


「時価って言っても、お高いって訳じゃないから。品薄だったらそりゃあ少しは高くなるけど、適正価格だよ。オイラー君が想像しているような法外価格ではないからね」

「大体どれくらいなの?」

「高い時で1500くらいかな?」


 学生の身分で一食1500円は高いよ。それを月に二、三回来るとなると、それなりのお財布事情という余計なお世話な計算ができる。


「まぁ普段は自炊で、今日みたいなどうしても自炊できない日はここに来てるんだよ。ほらいつもオイラー君の隣でお弁当広げてたでしょ?」


 そういえばいつも教室にいるのが居た堪れなくなって、人のいない裏庭に逃げるように食事をしにいく際に、自分の鞄からお弁当を出している姫鏡を度々見ていた。


「そうだったね。あれ姫鏡の手作りだったんだ」

「うん。ご飯を安く美味しく作るコツを知っているからね。料理は趣味なんだよ」


 嬉しそうに姫鏡は言う。料理が趣味なのは意外であった。お高く留まっているとかの姫鏡を僻む女子達の印象操作はクラスに浸透していて、それも併せて親に作ってもらっていると思っていたから。僕は菓子パンの時の方が多く、クラスの弁当持ちは全員が親に作ってもらっていると思い込んでいたからだ。


「あれ・・・でも、姫鏡って人間の食べ物が食べられないんじゃなかったっけ?」


 ふと疑問に思ったことを口にしてしまう。そうだよ。姫鏡は吸血鬼であり、説明されたことを考えると、人間の食べ物が素材の味、いやそれ以上のえぐみのある味になるのではないのだろうか。でも普段普通に食べているような。


「じゃがいもって、土臭いんだけどさ。ほろほろになるまで塩ゆですると、恐らく本来のじゃがいもの味になるんだよ。それを砕いて、油分を掬い取ったマヨネーズをかけると、そこそこ美味しいんだよ」


 手間の割に味が薄そうな料理だ。でも感覚過敏ならば、それくらいしないと食べられたものじゃないのだろうと、聴力と嗅覚で体験した僕は思うのだった。


 姫鏡はどれだけ苦労して自分が食べられる領域に辿り着いたのだろうか。僕には計り知れない程の苦労があったはずだ。だから軽々しく凄いねなんて言えなかった。


「そうなんだ。今度僕も食べてみたいな」

「ほんと? じゃあ今度オイラー君にも作ってあげるね」

「あ、いや・・・」

「ん?」

「なんでもない」


 自分で作って食べてみるねとの意味合いだったのだけど、食べてみたいと言った時の姫鏡の向日葵のような笑顔に訂正することはできなかった。


 もしかして僕は今、姫鏡の手料理を所望したのではなかろうか。デート(仮)をしているのに、今度は手作り料理を振舞ってもらうなんて、普段妄想していた姫鏡にしてもらってみたいことが叶ってしまう。


 空想が現実になりつつある僕の浮ついた気持ちを引き戻すかのように、コンコンと扉がノックされた。


「失礼します。お待たせしました。こちらB定食と朝食セットになります。追加でご注文はございますか?」


 ウェイトレスさんが片手で扉を開けて、音を立てずにおぼんに乗った料理をテーブルに置いた。問いかけには姫鏡が首を振ってくれた。


「それではごゆっくり」


 また丁寧な所作で姿を消してしまう。


「どうどう、オイラー君、凄く美味しそうでしょ?」


 僕の朝食セットはこんがりと焼き目のついた食パンに、レタスとトマトとカニカマがドレッシングと共に和えられたサラダ、ふんわりとした猫の目のような形をした卵焼きに、ウィンナーと細長いポテトが添えられていた。パンにかけるのか蜂蜜とマーガリンが小鉢に少しだけ入っている。お洒落な朝食セットだ。


 姫鏡のB定食は揚げ物定食だ。メインのお肉の揚げ物がきゃべつの上にドンと乗っていて、しお、ソース、レモン、どれかでお召し上がりくださいと小鉢がある。麩だけが浮いた腹に優しい吸い物に、白い湯気をたてこれまたピンと立った白米。ガツリといける内容。


 確かに姫鏡の言う通り凄く美味しそうだ。くるると小さく腹の虫が鳴った。身体は正直で、魚肉ソーセージだけでは足りなかったみたいだ。


「あ、お冷取ってこなきゃだね」

「僕が取ってくるよ、ちょっと待っててね」


 スーツまで買ってもらって、超美味しそうなレストランまで紹介してもらって、至れり尽くせりの限りなのだから、この程度の事はさせてもらいたい。


 部屋を出て、二階の突き当りにこれ見よがしに置いてあるウォーターサーバーの前までやってくる。

 空のピッチャーに水を入れながら店内を見回す。なんか違和感があったんだけど、ようやく違和感の正体に気がついた。一階には窓があったのに、二階には窓の一つすらないのだ。なるほど閉鎖的に感じるのはそういうことかと、一人で納得した。


 ピッチャーに並々に水が入ったのを確認してグラスを二つ重ねて持って、振り返る。


 振り返ると、上と下の睫毛が同じくらい長く、魚のような光を孕まない死んだ目が僕の顔を見つめていた。


「うわっ!」


 人が人を凝視するのに最適解な距離。つまり至近距離にウェイトレスさんの顔があって、音も気配もなく突然現れたせいで、ウェイトレスさんにピッチャーの水を頭から引っ掻けてしまったのである。


 ショートボブの髪の毛は水に濡れて雰囲気が変わり、店の名前が刻印された黒いエプロンに水が浸みわたっている。


「あわわわ、ごめんなさい。拭くもの拭くもの」


 ピッチャーを置いて、スーツを買った時に付属してきたハンカチをポケットから慌ただしく取り出す。


 バツン。と何かが弾け飛ぶ音がした。ハンカチを取り出しながら何の音だろうと思っていると、足元に白い小さいものが転がってくる。これは・・・ボタンだ。衣服を留める為のボタン。


 それを拾い上げようとすると、にゅっと手が伸びてボタンを先に拾い上げた。


「し、失礼しまひた!」


 ウェイトレスさんは腕で胸の濡れた部分を押さえながら、丁寧なお辞儀をしてそさくさと走り去っていってしまった。失礼をかましたのはこちらなんだけども・・・。まぁお咎めがないのならそれでいいか。


「何かあった?」


 再びピッチャーに水を入れてから戻ってきて席に座ると、水を持ってくるにしては遅かったので、姫鏡にそう言われた。


「ウエイトレスさんに水をかけちゃったんだけど・・・」

「あちゃー、オイラー君は大丈夫?」

「うん。僕はびっくりしただけだから何ともないよ」


 その場で謝ったけど、あとでちゃんと謝った方がいいだろうな。


「オイラー君は悪くないからね。どうせ至近距離で観察されたんでしょ?」

「なんでわかったの?」

「一応常連さんだからね。さ、食べよう」


 常連さんにしてはウエイトレスさんの扱いが存外な気がするが、まぁ姫鏡が大丈夫と言うならば大丈夫なのだろう。 


「いただきまーす」

「いただきます」


 僕は朝食セット、姫鏡はB定食を食べ始める。


 何もつけずにパンを一口。えっ・・・パンってこんなにふんわりして口溶けるんだ。外はカリッと中をふわっとって言うけど、その形容を表したパンだ。本当にあったんだ。


 今度は蜂蜜をつけて一口。この蜂蜜甘ったるくなくて、口当たりが良い。待て待て、これが650円で食べてられていいのか? 二口でそう思ってしまう程に美味しすぎる。市販のパンが物足りなくなっちゃうよ。


 パンに舌鼓を打っていると、姫鏡もナイフとフォークを使って揚げ物を頬張っていた。姫鏡が頬張って食べている姿なんて見たこともなかったが、こんなにも愛おしい表情なのか。


 そもそも人の食事風景をまじまじと見たこともない。人が幸せそうに食べていることが、その人と同じ空間にいることが、これ程までに幸せを分け与えてもらえることを知らなかった。あぁ、だからみんな昼休みに誰かと昼食をとるんだな。


「私ね。ここの料理を食べたから、料理を作ろうと思ったんだ」


 二人とも空腹だったために黙々と料理を食べて、料理を食べ終えそうになった時に姫鏡は話し始めた。


「ここの料理凄く美味しいでしょ? 私が食べても美味しいんだよ。それって物凄く努力しないとできないことだってのは私は知ってる。ここの料理を食べなかったら、人の食べ物は不味いんだって一生思ってた。だからね。私はこの感動を他の人にも伝えたいんだ」


 確かに姫鏡が食べているのは普通の料理に見える。あの赤くドロッとした液状のものとは違う。匂いも香ばしく、食欲をそそらせる代物だ。


「いい・・・ことだと思う」

「だよね。だからオイラー君がその一号だよ」

「え? どういうこと?」

「オイラー君が、私と感動を共感しあってくれる初めての人ってことだよ」


 ご飯を食べて赤みがかった頬でそう言われる。

 まずい、目を合わせられない。姫鏡の顔をまとも見ることができない。僕も朝食を食べたせいで身体が熱くなってきている。


 どうして姫鏡は僕を揶揄うような言い回しをするんだ。


「ぼ、僕も」

「失礼します」


 姫鏡と同じ気持ちだと伝えようとすると、扉がノックされてウエイトレスさんが入ってきた。


「先程は失礼致しました。お詫びとしてはなんですが、こちらサービスです」


 ウエイトレスさんはアイスクリームを二つテーブルに置いて、深々とお辞儀をした。


「いや、こちらも水をかけちゃってごめんなさい。大丈夫ですか?」

「お気遣いいただきありがとうございます。こちらが驚かせてしまった非がありますので、お気になさらず。誠に申し訳ありませんでした」


 深々とお辞儀したままウエイトレスさんは言う。これこちらがもういいよと言うまで頭を上げなさそうだ。逆に悪いことしているみたいだ。


「もう大丈夫ですよ。頭を上げてください」

「お客様の懐の広さに感謝を申し上げます。それではごゆっくりどうぞ」


 ウエイトレスさんはまた退出してしまう。


「律儀だよねぇ」

「そうだね・・・」


 とりあえずサービスのアイスクリームを食べて温まった身体をクールダウンさせる。あのまま行くと、姫鏡に告白同然のようなことを口走っていた気がする。これからの眷属生活を考えると、そういう心は閉まっておいた方がいいだろう。その点に関してはウエイトレスさんに感謝だ。


きりのいいところまで書いています。



なにかしらの↓のリアクションやらを頂けると励みになります。何卒よろしくお願いします。

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