IF 先の未来で、愛焦がれる
きっかけは、些細なことだった。ただ、罪の重さに耐えきれなくなってしまったのだ。
あの日見た鏡の奥。僕が、笑っていた。
「お前はもう、手を汚しきった。これ以上は、伊豆奈にも汚れが飛ぶぞ?」
彼はそう言って、にたぁっと笑った。それから、僕はもう、彼女をどうにかして、という気持ちが一気に冷めた。そうして、僕は「普通の高校生」である立石侑斗となった。
そして、月日は流れ・・・・・・。
「おはよー」
暖かい日差しが部屋に差し込む。朝食の匂いに、自然と目を覚ました。
ダブルベッドの右側の掛布団がはがれているのを見て、僕はゆっくりと体を起こした。
「あ、おはよー侑斗くん」
「いただきます」
「はい。どーぞ」
パンの焼けたいい匂いとコーヒーの香りが充満していた。
朝ごはんが並べられていたから、僕はテーブルに着席した。
丁度良く焼かれたパンを頬張りながら、伊豆奈のエプロン姿を見る。
僕らは、あれからも付き合いが続いた。いつしか、同じ会社に勤め、社内一の仲良しカップルに なって。そして、ちょうど1年前に籍を入れた。
そして今は、僕と伊豆奈。そして、新しい命を授かろうとしているところだ。
「伊豆奈、しんどかったらちゃんと言うんだよ?」
「大丈夫だよ~。あ、コーヒーとマヨネーズ切れちゃったから、ついでに買ってきてもらってもいい?」
「 わかった。えっと、子供用衣服と、あとはおむつの買いだめだね」
「うん!お願いします」
もちろん、と言って食事にまた取り掛かった。
あの日にやめておいて、本当に良かった。やめたおかげで、今や僕はこうして幸せな日々を送れるようになった。
子供は、女の子だという。だから、僕は子供に「侑奈」と名付けることにした。
今日は、侑奈の服を買いに行くと言っていた日だった。
あの頃の僕だったら、こんな外出できなかったんだろうな・・・。そう思いながら、コートを羽織り、伊豆奈の編んだマフラーを巻いた。これで身支度は完了だ。
「じゃあ、行ってきます」
「待って!忘れ物!」
だだだと重い体を一生懸命動かし、伊豆奈は玄関まで来た。
しかし、見た感じ何か持っているように見えない。一体僕は何を……。
chu...
それは、あまりにも突然で、反応が遅れてしまった。
その遅れた反応の合間に、伊豆奈は頬を赤らめ、しかし満足そうな満面の笑みで
「行ってらっしゃい!」
と。確かにそういった。
まいった。これじゃ、厚着した分汗をかいてしまいそうだ。
「行ってらっしゃい!」
私がそういうと、真っ赤に顔を赤らめながら。
「・・・・・・い、行ってきます」
と言って出かけて行った。
「・・・・・・ふふっ。やっぱり可愛い」
そう呟くと、侑奈は ボコボコっとお腹を蹴った。
「今 ね〜、お父さんが作奈の服買ってきてくれてるんだよ~。うれしいねぇー」
外は相当寒そうだったし、侑斗くんが帰ってきたら、あったかいココアでも出してあげようかな。
ココアの残りがどれだけあったかを見ようと取り出して中身を見た時、呼び鈴が鳴り響いた。
「は〜い」
「・・・・・・宅急便で〜す」
宅急・・・・・・?何か頼んだのか、もしかしたら、叔母さんの仕送りだろうか。
そんなことを思いながら、カギを開け、ドアを開いた。
「は~・・・・・・い゙っ!」
刹那の出来事だった。開いた瞬間、外にいた人物は半ば蹴るように中に押し入り、私を押し倒し た。そして、首を両手でしっかりと絞めてきた。
「あ・・・・・・がぁっ・・・・・・あ、んだ・・・・・・何・・・して・・・・・・」 「・・・・・・やっと、見つけた …………………………!」
やだ・・・・・・やだ!侑斗くん、助けっ・・・・・・・・ 次第に視界が定まらなくなっていく。 グラグラと、揺れる。目の前が、暗くなっていく。
侑奈………………侑奈が・・・助け・・・・・・な…………
「・・・・・・・・・・・・ただいま」
家に帰ってきて、一番最初に感じたのは、違和感だった。
なぜか。家からは、人の気が全くなかった。伊豆奈の気配も、そこにはなかった。 最初は、ただ出かけただけなのかと思った。しかし、家に入って、リビングへ伸びる廊下に、靴 の足跡があるのを見て、そんな甘い考えが出来なくなった。
「この足跡は・・・・・・?」
足跡は、リビングに向かっていた。俺は、背中にいやな寒気を感じた。
伊豆奈は?俺がちょっといなくなっただけで、伊豆奈に何かあったのだろうか。異変を感じて、隠れていたりしないだろうか。そうであってくれと、心から願った。
「伊豆奈!帰ってきたよ!だから、出てきてくれ!」
しかし、応答はなし。家の中は、淋しい静寂と、それに乗った駆り立てるような焦りが満たされているだけだった。
リビングにつき、ドアを開けたが、とうとうそこにも伊豆奈はいなかった。 しかし、リビングのテーブルには紙が一枚あった。
恐る恐る、そのメモを手に取った。
「お前の大事なものは奪った。
お前が奪った分、俺がお前から奪う
俺はお前を決して許さない」
俺は、血の気がすべて消える感覚に押されて家を飛び出した。
「伊豆奈!!!!」
とある廃倉庫。その中に、伊豆奈は椅子に括りつけられて座っていた。
慌てて駆け寄りながら、思考を巡らせた。
メモには、なぜかここの場所が書かれていた。それも、住所のみじゃなく、行き方まで詳しくだ。
口で説明しやすそうな場所を選び、そこを拠点としていた。
何故なのだろうか・・・・・・。もし、これが伊豆奈の容姿に見惚れ、ただ伊豆奈が欲しいだけなら、ま ず住所は書かないし、こんな近場にするなんてもってのほかだろう。 では、なぜなんだろうか・・・・・・。
駆け寄って、縄を解きながら、一個の答えにたどりついた。
わかりやすい場所。わざわざ無事で括りつけられた伊豆奈。その癖に、何の音沙汰もない今。
・・・・・・ああ、そうか。あの時の僕と同じで・・・・・・。
「誘い・・・・・・出された・・・…………………………」
「そうだよ」
後頭部の強い衝撃に、抗う間もなく僕は意識を手ばした。
「………………………?こ、ここは・・・・・・」
薄暗い殺風景な部屋で、僕は目を覚ました。
「目が覚めたか?立石侑斗」
「・・・・・・お前は・・・・・・」
「忘れたか?それとも、俺は覚えちゃいなかったか?」
彼はそう言いながら、僕が見慣れた道具を手入れしていた。
それは、指を折るもの。
それは、指を切るもの。
それは、体を固定し、定期的に痛めつけるもの。
そう。それは真っ赤に血塗られた、拷問器具だった。
「それを・・・・・・なにに・・・・・・」
「まだ、お前の仲間にしか使ってないぞ」
「っ!?あいつらは無関係なはずだぞ!!?」
「無関係なわけないだろう。なんせ、あとお前の居場所を探れそうな情報は、お前の仲間しかいないってのに、お前の名前を出すだけで糞尿垂れ流して知らないの一点張り。最後の一人が口を割ったからよかったものの・・・・・・かなり強めに洗脳したみたいだなぁ?」
そんな・・・・・・どうして?どうして今になって、あの頃のことを出してきやがる・・・?
個人 的に恨みを買った人物・・・・・・は、大抵を殺したはず。地に足が付かないように、精いっぱい努 力もした。それなのに、どうして
「 ・・・・・・新谷。この言葉に、聞きなじみは?」
「新谷・・・・・・。っ!ま、もしかして、それ・・・・・・!」
忘れていない。忘れるものか。何せ、あの頃の僕は、障害をすべて記憶していたんだ。忘れるわけがない!
新谷。新谷香苗。彼女は、僕に恋をして、僕らの邪魔をしようとしていたと僕が勘違いをした相手だ。
そういえば、助けた日には、確か横には・・・・・・。
「・・・・・・君は、まさか・・・・・・あの時迎えに来ていた香苗の・・・・・・!」
「やっと思い出したか!!?そうだ。俺は香苗の叔父、新谷修三だ。冥途の土産にでもしとけ!」
ああ。そういうことか。何もかも、すべて理解した。
これは、復讐だ。当然だ。なんせあの時、泣くほど心配していた家族を。助けてもらえたと思った相手に殺された。悲しみの前に、恨みつらみが来るのが当然だ。
「あれから俺は、必死になったよ。文字通り死に物狂いだ。俺の貯金をほとんど使って誰に殺さ れたか探した。どうやったらお前に復讐できるか徹底的に調べ上げた!お前の居場所を探るため にどうしたらいいのかも、この道具をそろえるのも全部!俺が捕まるのも上等で必死に集めたん だ!全部・・・・・・全部お前に殺された香苗の仇だよ!!!!!!このイカレ殺人鬼が!!!!!」
胸ぐらをつかまれ、一発こぶしが顔面に入った。
痛い。その痛みは、痛覚の部分だけではない。彼の、狂わんばかりの嫉妬心と、助けてやれなか ったという後悔が強く乗っていた。
しばらくの間、何度も殴られた。血反吐で血だまりが出来ていた。顔は多分、原形をとどめているかわからないぐらいはれ上がっている。息も虫の息。頭もグラグラとする。ダメだ、このままじゃ……。
「はあっ・・・・・・はあっ・・・・・・・・・そのまま死ぬんじゃねぇぞ?お前にはまだ、絶望しきってもらわなきゃいけねえんだからよぉ・・・・・・」
そういうと、彼は殴る手を止め、離れてどこかに行った。
まもなく、というかすぐに、彼はある人を連れて戻ってきた。
あどけない端正な顔。
華奢で抱きしめたくなる体。
そして、成長するのをずっと見てきたその膨れたお腹。
「伊………………豆奈………………」
「やっぱり、な・・・・・・」
背筋が凍る。血の気が引く。そんなレベルじゃない焦りが、僕の行動を冷静になどさせてくれるわけがなかった。
必死に手枷に力を込め、体を前に突き出し、死に物狂いで飛び出そうとした。
「やめろ・・・・・・やめろ!伊豆奈は・・・・・・・・僕の妻だけは、関係ないだろ!」
「関係なくても先に大事なものを奪ったのはどっちだ!お前が!お前自身が招いた事象なんだよこれは!」
「違う………………違う違う違う!違・・・・・・うんだ・・・・・・違うはず、なんだよ・・・・・・・だからやめてくれよ・・・・・・妻と子供だけは、それだけは奪わないでくれ!!!!!」
手枷と足枷が、ぶつかる金属音が鳴り響く。彼は、僕の言葉と掛け合いせず、奥から何かを引っ張ってきた。
先がとがった、金属製のデカい針ようなものが、四本出てきた。
「おい・・・・・・なんか言えよ!!?どうしてだまって・・・……………?」
「………ぅ………」
「伊豆奈!」
伊豆奈が、目を覚ました。ゆっくりと顔を上げて見えた首に、真っ赤な手形がくっきりとあった。 伊豆奈は、自分の置かれた立場に気が付いた。そして、顔を真っ青にして、フルフルと涙をため始めた。
「い、いや・・・・・・ゆ、侑斗くん・・・・・・・・助け ・・・……………!」
「伊豆奈!おい、やめろって!殺すなら僕だけにしろよ!どうして伊豆奈を!」
しかし彼は、無視して、その針を一つ手に取った。
そして、大きく振りかぶり彼は、伊豆奈の肩を貫いた。
「いやああああああああああああああああああ!」
「伊豆奈!!!!!やだ・・・・・・いやだ・・・・・・解け、解けよこれ!なんで解けねぇんだよ!!!!!」
死ぬ。このままじゃ、伊豆奈が・・・・・・侑奈が・・・・・・・・!
「なんで・・・・・・やめてくれよ・・・・・・」
けれども、彼は僕の制止を聞かず、またもう一本を逆の肩に刺した。
「ああああああああああああああああああああああああ!いだっ、いだい!いだいよ侑斗くん助けてえええええええええ!
「うあ・・・・・・やだ・・・・・・神様………………」
「・・・・・・お前に、神が微笑むとでも思ってるのか?」
さらにもう一本を、今度は足の甲に刺した。
伊豆奈の断末魔が、絶望感を染め上げ、涙を込み上げさせる。
「お前は、散々大切なものを奪ってきた。お前は、たった一人殺すだけ。でも、その事実に何人が涙し、絶望し、自ら命を絶ったと思う?」
そして、最後の一本を、逆の足に刺した。
彼は、両肩両足に針を刺し、そして、伊豆奈の後ろにあった布を取った。
布の下には、大きな機械が、針に繋がっていた。
「この針には、一本100万ボルトの電気が流れるようになっている。俺がひとたびスイッチを押せば、この女の体には計400万ボルトの電気が流れるんだ」
「ひっ・・・・・・や、やだ・・・侑斗くん・・・・・・侑奈ぁ・・・・・・」
「やめてくれ・・・・・・お腹には、侑奈が・・・・・・」
僕は、すがった。
彼に残っているであろう道徳心に。
僕は、祈った。
神、あるいは助けてくれる何かに。
さっきから、何度も腹の中身が外に吐きだされる。伊豆奈は、殺されるという恐怖から、すべてを漏らしていた。
「 ・・・・・・頼む?何を頼むっていうんだ?もう殺さないでくれと?僕は悲劇の主人公。だからこれ以上 幸せを奪わないでくれと?」
彼は、大笑いを一つし、こちらを向いて、声を荒げた。
「冗談じゃねぇんだよ!なんだ、俺に人は殺せないと?女の命一つ奪えないと思ってるのか!!?本気じゃないと思って……ああ、そうか。ああそうだよなぁ!じゃねぇどそんな甘ったれたセリフが出るわけねぇんだよなぁ!?もし本気だってんなら手枷の一つ!足かせの一つ壊すだろうよ!」
錯乱したように、彼は辺りをすべて殴り始めた。こぶしからは血が垂れて、骨が見えて、それでもなお殴り続けた。
「もうお前を助けるものは何もない!お前はただただ奪われる様を眺めるしかできない!神も悪魔も何もかも。お前の味方は何一つないんだよ!!!!!」
「やめろおおおおおおおおおお!修三おおおおおおおおおおおお!」
叩きつけるように。彼は電源のスイッチを叩いた。
絶望に染まった顔を向け、伊豆奈は一瞬「たすけて」といったような気がした。
バチンッ!という音とともに、伊豆奈が真っ黒に焦げた。体がビクッと跳ね、その直後に項垂れた。
煙が立っている。涙の一滴も、息の一つも聞こえない。
察した。察しざるを得なかった。
伊豆奈が、死んだという事実に。目の前で、殺されたという、悲劇に。
「・・・・・・お前は、もし俺に奪うなと言われたら、奪わなかったと誓えるか?」
「……………………」
「お前は、俺の必死な訴えにも動じず。きっとただ淡々と殺して、こういう。『危険分子が少なく なりました。これで平和ですね』と」
「そんな・・・・・・こと……………………………………」
そんなこと………だって、人を殺すのは……だめな……こと……。
どうして?
そんなこと・・・・・・。だって、人を殺すのは・・・・・・ダメな、こと・・・・・・。
だって、人間だから・・・・・・それに、秩序が・・・・・・。
人が勝手に決めた秩序に従うの? 動物は殺すのに、どうして人間は殺さないの?
人は・・・・・・人は・・・・..
この一つの自問が。一回の自答が。心を、蝕んで、あの頃を思い出させる。 目の前の彼が、突如として黒く染まる。あの日々、俺が見えていたあの景色だ。 懐かしい・・・・・・。恐れは、ない。目の前の、敵・・・・・・恨み………………?
殺しちゃえよ。どうせ敵だ。人間かどうかは、二の次さ
そう・・・・・・だったな。
目の前にいるのは、伊豆奈を殺した、許せない奴。
殺す。殺さなきゃ。殺されて同然。殺すべき相手。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロ スコロスコロスコロス
殺らなきゃ。
おかしい。何が起きてるのかわからない。
鉄だぞ?鉄製の手枷だぞ?どうして・・・・・・。
なぜ彼は手枷をくだい
「…………………………」
そっと触れる。熱い、火傷しそうだ。でも、どうでもいい。
キスしてみる。柔らかい唇は、真っ黒に焦げていた。
お腹のふくらみは、生命の気配なんて微塵もなく、ただ奪われたという感覚しか残らなかった。
「………………伊豆奈………………伊豆っ・・・・・・・伊豆奈っ…………………!」
涙が込み上げる。嗚咽が、胃液を出しても声が収まらない。抱きしめた体が、冷たくて熱い。死が、これまで見た死と比にならないほど、心を砕くものだった。
ふと、スイッチが目に入った。
伊豆奈を抱きしめた。
スイッチに手を伸ばした。
伊豆奈は、まだいる。
死ぬなら。一緒。二人で、いっしょ。
「伊豆奈が死ぬなら、僕も死んだ・・・・・・あは、アハハ、アハハハハハ、あははハハははハハはハハ はははハハハハ!」
バチンッ!