R-発言-
久しぶりに書こうと思う。
私はよく自分の発言で他人を傷つける。
その度に「配慮がない」「もっと気を遣え」と言われてきた。だからそうしてる。
そうしているのだが、いまだに他人を傷つけ続けている。どれだけ気を遣っても配慮をしても、いつも誰かを傷つけている。
私は傷つけるつもりなんかないのだ。さっきだって、ただの例としてあげた事なのに相手のことだと勘違いさせてしまい傷つけてしまった。私自身は相手のことを傷つける気持ちなんて一切無かったのにだ。悪感情をもって例を挙げたわけでもないし、そもそもそういう雰囲気でもなかった。
だが相手は傷ついた。それを自分が言われたことのように感じた。俺はまた傷つけてしまった。
なんだかやるせない気分だよ。私自身はそんなことをするつもりじゃないのに、結果的にそうなってしまっている。
では、なぜこうなるのか。理由はとうの昔から分かっている。3つだ。自分に対するアウトのラインが無いこと。他人に興味がないこと。他人はどうでも良いこと。
一つずつ説明しよう。
一つ目。自分に対するアウトラインがないことだ。
これの説明の前に一つ話をしよう。
人は、自分と近しい存在になる程、相手に対する扱いが自分に対する扱いと同じになっていくらしい。
話を戻そう。
私は自分を刺せる。
私は自分を刺すことが常であり、日常なのだ。私は私を思いやらないし、傷ついても、死んだとしても多分どうでも良い。
さて、そこで先ほどの話だ。自分への扱いがこうだとしたら近しい人への扱いは?
そういうことだな。
だが俺は自分のことはどうでもいいし自分を大切になんて今更しようとも思わない。自分が傷つくことはどうでもいいのだ。
二つ目。他人に興味がないことだな。これは言葉通り。相手が休日何をしているか、どんな人間か、興味がない。相手に関心がないから相手のことを考えれない。どう言う人間で、何を言ったら傷つくのか、それがわからない。
三つ目。他人なんぞどうでもいい。子供が目の前で泣いていても、誰かが電車で自殺しても、どこでなにをしてどんな目にあったとしても、どうでもいいのだ。自分に関係のないモノがどうなろうと、自分には関係ないのだから。だから表面上で共感するだけで心底どうでもいい。何も思うことが浮かばない。
そんな具合だから配慮も気遣いも思いやりもから回る。努力はすれど、もとより興味もないしどうでもいいもの。昔より改善はしているものの、やはり完治はしていない。
あとは言葉遣いも良くないと言われる。私は今、虫と意思疎通するようなモノだと言おうとした。これは、興味もなくまた自分とは全く違う考え方生き方をするモノとして虫を挙げただけであるが、普通の人であれば、自分たちを虫扱いされたと捉えるだろう。
これが良くない。ここで決定的なまでの考え方の差がある。これをどうにかしない限り、私は他人を傷つけ続けるだろう。
逆に言えば、今挙げたものを全て改善すれば私もすぐに真人間になれるのだ。だがそれができれば苦労はしない。先天性か後天性かは分からないが、一度形作ってしまったものは直すのが難しい。焼いてしまった陶器のように、歪んだ状態で出来上がった陶器を直すには、一度壊してしまうのが手っ取り早い。しかし一度壊してしまえば2度と同じものにはならない。
いや、それで良いのかもしれない。歪んでいないのならば。人間も、陶器のように簡単に作り直せると良いのに。