R-持たざる者の気持ち-
ここに残すものが,君達に何らかの教訓として残ってくれれば嬉しい.
そうだな,まずははじめまして.私は一般人.本当にただの一般人だ.スーパーに行けば何を買うでもないのに商品を見てうろうろしてしまうくらいには一般人だ.そんな私が,よりよく生きていくためのお話を今からする.もしかしたら,君達にも同じような体験をしたことがある人がいるかもしれない.もしかしたら参考になるかもしれない.だって君たちも一般人なのだから.
記念すべき第一回は,そうだな.持たざるものの気持ちの話をしよう.第一回から湿度高めで行くぞ.君たちは,やりたいけどできなかったり,自分の能力じゃどうしようもないものってあるよな.私にもある.そして,往々にしてそのどうしようもないものを簡単にやりのけてしまう者たちがいる.それは仕方のないことだ.人には優劣が存在し,できることとできないことが存在する.だから当たり前のことなのだ.
生まれ持った能力,人格,環境,きっかけ,なにかしらに恵まれた人間はそれを持たざるものの気持ちを理解できない.理解しようとするものもいる.ただしようとするだけだ.真に理解することは叶わない.他人が真に他人を理解することなどできない.同じ境遇にならなければ,何を感じ,何を考えているかしることはできない.なぜなら持っているからだ.大富豪が飢えを知らないように.スラム街の少年に向かって腹が減ったら食べ物を食べればいい.ないなら買えばいいと,当然のように言ってのけるように.持っているものは,なぜそんな簡単なことができないのかがわからない.
勉強ができる者,コミュニケーション能力が高い者,力が強い者,金を持っている者.すべての「持つ者」は持たざる者の気持ちは理解できない.
理解できないのだからしなくていい.憐憫や同情など求めていないのだ.持つ者があたかも分かった気でアドバイスをしてくることに腹がたつ.持つ者は持つ者なりにふんぞり返っていればいい.私たちが持たざる者であることなど私たちが一番理解している.
君らには簡単なことでも私たちには逆立ちしてもできないことばかりなのだ.
だから持つ者たちよ.理解はしなくていい.ただ見守ってあげてくれ.アドバイスもいらない.そのアドバイスは君らにとっては簡単でも私たちにとっては努力して努力してやっと手が届きうるものなのだ.
共感も批判もあるだろう.それでいいのだ.君たちが知らない人生観を見ていって欲しい.それではまた今度会おう.