4.池袋爆破事件~珠美視点~
202x年6月13日(土)の11:55。珠美はイラついていた。そろそろテロが起きる時間なのに、ヒクツが現場に現れないからだ。
(何をやっているんだ、アイツは!?)
スマホのメッセージアプリを確認しても、音沙汰なし。昨日の覚悟は何だったのか、問い詰めたいところだ。
そのとき、珠美はモヒカン男を見つけ、胸が苦しくなった。あの男が来たということは、悲惨な運命が始まってしまう。ヒクツが来ないなら、自分で止めようか。そんなことを考えていたが、眉をひそめる。モヒカン男が脇道に入っていった。
(あれ? おかしい。このまま、まっすぐ来るはずだけど)
珠美が確認するために歩き出そうとしたところで、電話が鳴った。ヒクツである。珠美は急いで電話に出た。
「おい、今、どこにいるんだ!」
「ん。金髪でモヒカンの男を見つけたから、追いかけている」
「え、もういるの?」
「ああ。黒い野球帽を被っているんだけど、わかるかな? 今、左手でつばの部分を握っている」
珠美は目を凝らす。金髪のモヒカンほど、目立つ特徴ではないので、探すのに苦労したが、確かに黒い野球帽を被り、つばを握っている者がいた。珠美が駆け寄ろうとしたところで、ヒクツが言う。
「ちょっと待って!」
「何?」
「いや、昨日、珠美から聞いていた話と違うと思って。あのモヒカンは、珠美がいる辺りの場所でテロを行うんだよね?」
「ああ、そのはず」
「んじゃ、今、脇道にそれたのって、いつも通りの行動なの?」
「いや、違う。だから、今からどこに行ったか、確かめようと思っていた」
「なるほど。なら、俺が確認するよ。珠美はそこにいて」
「何で?」
「もしかしたら、迂回してそこに来る可能性もあるじゃん? だから、監視のためにそこにいてほしいの」
「確かに」
ヒクツの言うことは一理ある。しかし珠美としては、モヒカン男が、今までとは異なる行動をとっていることから、自分の目で確認したい気持ちもあった。
「電話はつないだままにするね」
「あ、うん」
しかし、珠美が悩んでいる間にヒクツが歩き出したので、珠美はその場に留まることにした。ヒクツの言う通り、別のルートで現れるかもしれない。
「なんかあのモヒカン、ビルに入っていったけど」
「ビル?」
「ああ。5階建てくらいの古そうなビル。心当たりは?」
「……ない」
「ふぅん。んじゃ、もう少し様子を見てみようかな」
「間違いなく、そのビルに入ったんだよね?」
「そうだけど、何で?」
「なら、私もそこに行って、様子を見たいと思って」
「もしかしたら裏口があって、そこから出てくるかもしれないよ」
「……確かに」
「ちょっと待って、今から映像を送る。動画に切り替えるね」
「あ、うん」
珠美はスマホの画面を見る。動画に切り替わって、古びたビルが映し出される。
「これが、モヒカン男が入っていたビルか?」
「そうだけど、どう?」
「どうと言われても、とくに何もないかな」
珠美は動画のビルを確認する。特筆するようなことのないビル。ビルに入っていく男がいたことから、利用者はいるようだ。
「少し待ってみるね」
「うん」
数分でモヒカン男が出てきた。モヒカン男は現場の方へ歩いていく。
「そっちに行くみたい。このまま追いかける」
「わかった」
動画が切れて、通話のみに戻った。同じタイミングで、脇道からモヒカン男が現れ、珠美は息を呑む。
「このまま、予定通りに動きそうだから、いったん、電話を切る」
「うん」
「あ、耳栓は持ってきた?」
「一応」
「なら、忘れずにつけておいてね」
通話が切れる。珠美は耳栓を取り出そうとするも、周りの人々を見て、取り出すのを止めた。緊張した面持ちでモヒカン男を見据える。モヒカン男が近づいてくるにつれ、珠美は自分の鼓動が大きく聞こえた。モヒカン男の絶叫で、周りの人間が倒れたまま動かなくなった記憶が蘇り、唇を噛む。
モヒカン男が立ち止まる。その後方にヒクツらしき人物がいた。眼鏡をかけていなかったので、一瞬、誰かわからなかったが、自分がヒクツであることを示すように野球帽のつばを握ったので、珠美は彼をヒクツだと認めた。
モヒカン男が、キャリーケースからマイクとスピーカーを取り出し、マイクを通して訴えた。
「お前ら、聞け!」
モヒカン男の声がスピーカーから聞こえ、人々は奇異の目を男に向ける。ヒクツが動こうとしないので、珠美は急かすように睨んだ。モヒカン男はスピーカーの音を調節しながら、話し続ける。
「お前らは人を幸せにする方法を知っているか?」
ヒクツが動き出し、モヒカン男の死角から近づく。
「はん。お前らは本当に――」
「どうやるんですか?」
「え?」
モヒカン男は驚いた表情で、ヒクツに目を向ける。
「だから、どうすれば人を幸せにできるんですか?」
予想していなかったのか、モヒカン男は一瞬戸惑うも、すぐにヒクツへ向き直る。
「他人を不幸にすればいいんだよ」
「どうして他人を不幸にすればいいんですか?」
「この世界は、誰かが幸せになれば、その分誰かが不幸になる。だから、誰かを幸せにしたいなら、その分誰かを不幸にすればいい」
「なるほど。深いですね。お兄さんは、何かバンドとかやっている人なんですか?」
「バンドじゃない。『感動幸せ協会』だ」
「何ですか、それ?」
「この世界に感動と幸せをもたらす素敵な団体さ」
「へぇ。具体的にどんな活動をされているんですか?」
「さっきも言っただろ、誰かを幸せにするために、誰かを不幸にしている。まぁ、百聞は一見に如かずだ。今から、そいつを見せてやるよ」
モヒカン男は大きく息を吸い込んだ。珠美は目を強く瞑り、拳を握った。彼の絶叫で皆が死ぬ――が、モヒカン男は咳き込んだ。
そのとき、大きな爆発音が辺りに響いた。悲鳴が上がり、人々が逃げ惑う。珠美は呆然とした表情で爆発があった方角を確認した。モヒカン男の奥の方から爆発が聞こえた気がする。
「あれはあなたがやったんじゃないですか?」
ヒクツの声で、視線をモヒカン男に戻す。ヒクツはモヒカン男のすぐそばに立っていた。
「はぁ? 俺じゃない」と言って、モヒカン男はヒクツを突き飛ばした。
「さっき、人を幸せにするために不幸にする、みたいなことを言っていませんでしたか?」
「た、確かに言ったが」
「何か、あなた、すごい怪しいですね。犯人なんじゃないですか?」
ヒクツに詰められ、モヒカン男はたじろいでいたが、おもむろにマイクを投げ捨てると、逃げ出した。
「あの人が爆発の犯人だ! 捕まえて!」
ヒクツが叫ぶと、そばにいた大人たちが、逃げるモヒカン男を追いかけ始めた。
「おい、待てこら!」
「逃げるな!」
モヒカン男とヒクツが自分のそばを過ぎたので、珠美も慌てて追いかける。前方に信号があった。モヒカン男が赤信号にも関わらず飛び出す。そして、トラックに撥ねられた。モヒカン男は毬のように地面を転がり、血だまりの中に沈んだ。数秒の静寂があってから、悲鳴が上がる。勇気ある大人たちがモヒカン男に駆け寄り、珠美も歩道から状況を確認する。大人の一人が首を振った。素人でも、即死であることがわかるような状態だった。
(何が起こっているんだ?)
爆発があって、モヒカン男が事故で死ぬ。初めての状況に、頭の整理が追い付かない。
(そういえば、ヒクツは!?)
辺りを見回していると、人の気配を感じ、振り返る。そこにヒクツが立っていた。が、その格好に違和感を覚える。黒い野球帽を被っておらず、眼鏡をかけていた。また、服装も変わっている気がする。
「大変なことになったな」
「う、うん。そうだけど、ヒクツ、着替えた?」
「ああ。一応」
「何で?」
「そりゃあ、だって、あのモヒカンが死んだし、俺がモヒカンと話していた姿を撮っていた人とかいたから、あの恰好でうろついていたら、警察は俺に事情を聞こうとするだろう? そうなったら、何と言えばいいかわからないじゃん。まさか、あいつがテロを起こすなんて言うわけにもいかないし」
「……確かに。でも、そんな簡単に着替えることができるものなのか?」
「手品部の部長である俺にとって、早着替えなんて造作もないことさ。それより、この事故は、起こる予定だったの?」
「いや、起きたことが無い」
「ということは、俺のせいであの人は……」
悔いるように大人たちを眺めるヒクツに、珠美は何と声を掛けるべきかわからなかった。実のところ、モヒカン男が死んだこと自体は喜ばしいことだ。これで、公共の電波を介し、奴の絶叫を日本国民に聞かせるテロが起きることは無くなった。しかし、ヒクツにはその事情を話していないから、余計な罪の意識を背負わせてしまったことになる。
「……まぁ、なんだ。こういう時もあるさ」
珠美に肩を叩かれ、ヒクツは力なく頷く。
「――そういえば、爆発の方も起きるものなの?」
「いや、あれも今まで起きたことが無かった。ちょっと見に行ってみよう」
2人は爆発があった場所へ移動する。すでに警察が駆けつけ、周囲が封鎖され始めていた。それでも、爆発が起きた場所は遠目にわかる。
「ヒクツ。もしかして、あの場所って」
「ああ。あのモヒカンが入って行ったビルだね」
珠美の眉間に皴ができる。モヒカン男が入ったと思しきビルの、5階の一部の窓が割れていて、窓枠が黒くなっているように見えた。
(どういうことだ?)
珠美は、初めて見る光景に困惑する。
その横で、ヒクツは薄い笑みを浮かべた――。