第1章 ―槍の女神と偉大なる冬の魔女②―
「あ、明日香が女神の生まれ変わりだって!?そりゃ一体どんな冗談だよ!?」
「私は酔狂や冗談等でお話ししているつもりはありません。すべてありのままの真実なのです。」
隼人は女神アテナからその驚くべき事実を耳にし、俄かには信じられなかった。
明日香とは物心つく前から共に育ち、共に同じ時を過ごしてきた、隼人にとってはただの幼馴染でしかなかった。
それが、本当の彼女の正体は異世界に君臨する高貴な女神であり、その魂が現代の日本に転生して、藤原明日香個人としての人生を歩み始めたということなのである。
そして今、彼女は何らかの目的を持つ''偉大なる冬の魔女,,なる者らの一味によって捕らえられ、依然として行方がわからない状態である。
「本来、死せる神の魂はあるべき場所へと還り、再び転生の時を待つことがこの世の理なのです。
しかし、極稀に魂が惹かれるように人間を依代として憑依してしまうことがあると私の師から耳にしたことがあります。
おそらくは、彼女と女神との間に何らかの縁を結ぶきっかけがあったのでしょう。今となってはそのようなことは些細なことですが。」
「しかし、異世界からの魂が転生するなんてそんなことが…ん?」
隼人の頭の中に一瞬疑問が浮かんできた。異世界で彷徨う魂が現代に転生することは、この世界での女神パラスの命は終わりを迎えた、つまり「死」を迎えたということである。
おおよそ考えうるのは、先程アテナが話した魔女との戦いにより命を落としたのだろうということは大方想像に難くはなかったのである。
そう呟く隼人がふとアテナの方へ向き直した時、女神の顔はいつの間にか神妙な面持ちで、何かを深く考え込むような様子で佇んでおり、その到底女神らしからぬ姿に、隼人はいささか困惑した。
「そ、そんな暗い顔をして一体どうしたんだ?」
「…彼女は、魔女に魅入られてしまった哀しき女神。もはや友である私の声さえ届きはしなかった…。だからああするしかなかったのです。」
「ま、まさか…!」
「私が彼女を殺したのです。この槍、そしてこの手で…」
自らの愛しい友を手にかけるということが何を意味し、どれだけの苦痛を伴うか、想像するだけでも筆舌に尽くしがたい行為であることは明白である。
そんなアテナの衝撃的な告白を耳にし、隼人の頭の中には数時間前の明日香の顔が浮かんできたが、なかなか頭から離れることはなかった。
「だから、私は彼女の魂が貴方の世界に転生していることを知った時、誓ったのです。たとえ彼女が私のことを覚えていなかろうとも、必ず救い出してみせる、と。」
「アテナ…」
「ふっ、湿っぽい話をしてしまいましたね。今の話は忘れてください。」
そう話すアテナの表情は、先程の陰鬱な様子はなく、口元を緩め、柔らかい表情で隼人に微笑みかけてきた。
そんな女神の切り替えの早さとは裏腹に、隼人は、これまでのあまりの情報量の多さとそのアテナの微笑みに対して、どんな顔をし、どんな言葉を返せばよいか、途方に暮れてしまったのである。
当初、隼人は自分の生命を奪ったと言い放ったこの女神に対して、心の底からくる不信感と身勝手極まりない理不尽さに嫌悪感を抱かずにはいられなかったが、そんな負の感情とは別の想いが今まさに隼人の心を揺さぶった。
永遠とも言える悠久の時を過ごすはずだった、かけがえのない愛する友を救うことができず、あまつさえ手にかけた時、この女神は一体どれほど打ちのめされてしまったのだろうかと。
女神が背負ってきた運命は容赦なく彼女を押しつぶそうとしているのだ。隼人にはそれは如何ばかりかは知る由もないが。
しばし2人の間に気まずい空気が流れていたが、ふと隼人は、先程の小悪党との戦いで繰り出した謎の力について、思いついたようにアテナに問いかけた。
「そういえば、さっきの槍の件なんだけれども、あれは一体どういう原理なんだ?」
「我々神々が生み出した''神臓,,と呼ばれる加護の力です。そして、今から貴方に授けた力をお見せいたしましょう。」
アテナは、右手に握った槍の切っ先を隼人に向けると、隼人の腕を掠めるように真っすぐと槍を振った。
次の瞬間、隼人の腕からは数センチにもなる切創が出来、その傷口からは間もなく赤い血がどくどくと流れ始めたのである。
「いっ…いきなり何を!?血が、血がっ!!」
「さあ、その力を御覧なさい。」
女神が指さした隼人の腕にできた傷口は、流れていた出血がいつの間にか止まっており、隼人がその腕に残った血を拭うと、すっかり傷口は綺麗にふさがれ、傷跡も残っていなかったのである。
「い、一体どうなってるんだ!?俺の身体は!?」
「私の持つ''神臓,,が司るは『再生』の加護です。この加護があれば、並大抵のことで死ぬことはありません。」
「し、死ぬことはないって…。それってつまり、不死身、ってことか?」
「いえ、そこまで万能なものではありません。再生速度には限界がありますし、''神臓,,をつぶされれば当然、死ぬことになります。」
「そ、そうか…。神の力と言えど、限界はあるってことか。」
隼人は、元通りになった腕を横に軽く振り、指先に至るまできちんと問題なく動くかどうか確かめたが、指先に至るまでその感覚は欠損することなく、その他身体のどこにも異常を感じることはなかった。
――なるほど。どうやら加護とやらは間違いなく効いているようだ。しかしこれじゃあもはや、化け物…だな――
もはや、只の人間ではない別の『なにか』になりつつある自身の境遇に対して、素直に受け入れるようにため息を一つついた。
「それで、この加護の力でその魔女とやらに殴り込みをかけようってことか?」
「いえ、我々だけではまだまだ力不足です。ですので、これからある女神を救出に向かおうかと考えています。」
「その女神様も、神聖同盟ってやつの一員かい?」
「そうです。女神の名は''アルテミス,,双弓の女神で私の姉にあたる者です。」
聞けば、歴代の双弓の女神を主とした東の国は人間の王がその神の庇護のもと統治していたが、突如現れた''偉大なる冬の魔女,,の力の前に成す術もなく、王都は陥落し、神とその王族一派は行方知れずとなっていたのであった。
そして現在、神無き東の国はその魔女の一味の強権的ともいえる統治により国民は大変に疲弊しており、依然として状況は好転することなく、未だ魔女の脅威にさらされていたのであった。
「4代目のアルテミスと王都軍は先の王都防衛戦で魔女の軍勢と勇敢に戦いましたが、奮闘空しく王の軍は無惨にも敗北したと聞いています…。しかし、撤退の際にアルテミスが王の子息を連れ逃げおおせたとの噂があり、また王都から脱出したのではないかとも推測されるのですが、真偽は分かっていません。」
「とりあえずは、その東の国に行ってみないことには、始まらないってわけか。」
「そうです。…隼人、ここからは貴方は険しく、非常に困難な旅路になるかと思います。今一度、貴方の力を私に捧げなさい。よろしいですか?」
アテナはそういうと、隼人に向けて手を差し出した。
しかし、隼人はその手を握り返すことはなく、女神に背を向けて一瞬沈黙した後こう言い放った。
「…わかった。あんたが俺の命を奪ったって事実には、一旦目を瞑ろう。
だが勘違いするなよな。俺はあんたを許したわけじゃないし、完全に信用したわけじゃない!
明日香を救ったら、俺の生命と一緒に元の世界に戻してもらう!
それまではお互い協力しようじゃないか!これでどうだ?」
「その言葉を聞けて安心しました。それでは参りましょうか。」
アテナは隼人からその返事を受け取ると、その決意に対して安堵するかのような笑みを浮かべ、そのまま大広間を後にした。
こうして隼人は、女神アテナ共に、''偉大なる冬の魔女,,を打ち倒し、幼馴染を救う第一歩として、女神アルテミスと亡国の王の遺児を捜索するべく、東の国へと足を進めるのであった。




