序章 ―槍の女神と剣の女神、相対す―
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大粒の雨がとめどなく降り注ぎ、何物をも吹き飛ばさんとする嵐が吹き荒れ、地上を揺るがすほどの雷鳴が鳴り響いていた。
空は既に暗雲が立ち込め、一筋の光すら天から降り注ぐことはなかったが、不気味に光る赤い月だけが、まるでこの世の終わりを知らせるかのように地上を煌々と照らし続けていた。
そのような地獄の様相を呈した地上において、戦い続けていた2人の麗しき女神がいた。
片方は白銀の鎧に身を包み、煌めく黄金の槍を持つ美しい金髪碧眼の女神、相対するは紅く不気味な輝きを放つ剣を握りしめ、槍の女神を赤目で鋭く睨む黒髪の女神が剣戟を鳴り響かせ、お互いがお互いを討ち取らんと死闘を繰り広げていた。
既に戦いは数時間にもわたって繰り広げられ、お互いの険しい表情から僅かに疲労の色も見え始めてきた。雌雄を決するにはもはやそう時間はかからないことは明白であった。
剣の女神は柄を力強く握りしめ、槍の女神との距離を一気に詰めると両手に握った紅の剣先を喉元に目掛け、幾度となく素早く突き立てた。
しかし槍の女神はこれに動じることなく、すべての剣撃を自身の槍で裁き切ると、剣の女神が握りしめるその手を目掛けて槍を振りぬいた。だが剣の女神はこの攻撃にいち早く反応し、身体を捻らせながら跳躍して槍の女神の頭上を越えていった。
互いに背中合わせになってまもなく、剣の女神が振り向きざまに力強く、吐き捨てるように言葉を投げた。
「戦の神ともあろう貴様が臆病風に吹かれたか!」
「私はあの''魔女,,への義理を果たす!その為には例え友である貴様でも容赦はしない!!」
その言葉を背中で受けてもなお、槍の女神は振り返ることも、言葉を返すこともしなかった。
剣の女神は剣を構え、再び距離を詰めて槍の女神に切りかかっていったその瞬間、2人の近くに雷が落ち、続いて耳を劈くような雷鳴が轟いた。
彼女が振りぬいた剣は、槍の女神の首まで後数センチのところまで達してはいたが、その首を切り飛ばすまでには至らなかった。
逆に剣の女神の左胸には、黄金の槍が深く突き刺さる形となり、それは背中まで貫通し致命傷を与えていた。
おそらく肺をも貫かれたであろう剣の女神は、口から大量の血を吐き、膝から地面に崩れ落ちていった。
いくら神の力をもった女神ともいえど、急所を撃ち抜かれれば人間と同じように「死」を迎えることに変わりはなく、ましてそれが神の武器であるならば、たとえ急所を免れたとしても手酷い傷を負ってしまう可能性は想像に難くはない。
槍の女神は、その胸に突き刺さっていた槍を引き抜くと、息も絶え絶えの剣の女神を見下ろす様にして立ち尽くしている。
その顔からは既に疲労の色は消え、代わりに得も言われぬような表情で剣の女神をただ見つめていた。
そして今まさに「死」を迎えんとしている剣の女神は全身の力を出来る限り振り絞り、血濡れの唇を震わせて、吐き捨てるように言葉を投げた。
「き、貴様はいつだってそうだ…。いつもいつも…私の先を悠々と歩いていくのだからな…。ああ憎らしい、憎らしいよ…」
立ち尽くしていた槍の女神は、その場に屈みこむと、地面に伏せていた剣の女神の身体を抱き上げ、唯々強く強く抱きしめた。
「なぜ…なぜなのです…。あなたほどの女神が…あんな魔女に心を奪われるなど…」
「私は…貴様が羨ましかった…。多くの神々の中でも、強く、美しく、誇り高い貴様のその、在り方が…とても…。
『私は、お前になりたかった。そのために博愛を捨て、情を捨て、友である貴様を切り捨てることで、強い自分を取り戻したい』と…。
でも、その願いは叶わなかった…いや、叶うはずなんてなかったんだ…。私は…なんて、愚かで、惨めでどうしようもない…女神だな…」
「っ…!」
槍の女神の着る美しく輝いていた鎧は、今は雨と血にまみれ、鈍い光を放つのみであり、そしてまた、彼女の蒼く輝く瞳からは未だかつて頬を濡らすことのなかった大粒の涙が溢れ、降り注ぐ大雨に交じって剣の女神の顔を濡らすばかりであった。
「なぜ、泣くのだ…?気高き女神様とあろう、ものが…」
「私は、ただあなたさえ、側にいてくれれば…それだけでよかったのに…」
「ふっ…そんなこと、今更言われたって…困る…な…」
その時、槍の女神がふと顔を上げると、燃え盛る城塞都市の上空から一人の女がこちらを見下ろしていることに気がついた。
このひどく荒れた悪天候のなかでも、その顔からは恍惚とした不気味な笑みを浮かべているのが遠くからでもはっきりとわかり、女神たちを舐めるようにただじっとりと見つめていた。
その様態から察するに、剣の女神を言葉巧みに惑わし、槍の女神との殺し合いを仕向けた張本人である''魔女,,であることにおおよそ間違いはなかった。
「ひ、引け…。あの魔女は、今の貴様が、叶う相手じゃ…ない…。」
「でも、このままでは貴女が…」
「どのみち、私はもうすぐ、命尽きる身…。ここで、お別れだ…。さよなら、愛し、かった…と、も…よ…。」
最後にそう言い残すと、剣の女神はゆっくりと瞼を閉じ、その女神としての一生に幕を閉じた。
「パラスっ…!」
槍の女神は動かなくなった剣の女神の身体をゆっくりと地面に横たわらせると、剣の女神の血で濡れ、今は朱に染まった黄金の槍を手に取り、天空に佇む''魔女,,を一瞥し、失意のうちにその場から足早に立ち去るのであった。
こうして、永くも短い2人の美しき女神の戦いは、槍の女神に軍配があがり、剣の女神の死という形で幕を閉じた。
しかしその勝利は最早何の意味を為すことはなく、ただ彼女の胸の中に深く傷跡を残すのみであった。
失ったのは、城塞都市1つ。そして―――剣の女神パラス、かけがえのない友1人―――