表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「マギ」(MAGI):マギ

#記念日にショートショートをNo.55『ブラッデッド・マギ』(Blooded MAGI)

作者: しおね ゆこ

2021/2/14(日)バレンタインデー 公開

【URL】

▶︎(https://ncode.syosetu.com/n4376ie/)

▶︎(https://note.com/amioritumugi/n/neb7b0a4bb1c0)

【関連作品】

「マギ」シリーズ

 母と姉がいなくなってから、僕は一人になった。元々自分から周りとじゃれあいに行くような性格ではなかったが、僕はより一層、周囲を遠ざけるようになった。

休み時間になると、男子のうちほとんどは校庭へと駆け出し、サッカーに興じた。一方、教室には女子だけが残り、こそこそと内緒話に精を傾けていた。教室に残った男子は僕一人だけだったが、僕にとっては、一人自分の席で本を読むこと、それがただ一つの息抜きだった。

 「定価860円の商品を3割引で販売した時、売り値はいくらになるでしょう?」

算数の時間。黒板の前で、男の教師が教科書を片手に説明をしている。

退屈だ。こんなにも簡単な問題に何故わざわざ耳を傾けなければならないのか。

授業に飽き飽きしてきた僕は、数Ⅱの問題集を広げ、積分の問題をそらで解き始めた。一人になってやることがなくなった僕は、最近、読書と勉強に自分を見出すようになっていた。

ひと月もあれば、高3レベルまでの学習事項は簡単にクリア出来た。国語なら漢検1級レベルの漢字や古漢文,英語なら仮定形や関係代名詞,数学なら微分積分……といった具合に。どれも簡単だった。一度見れば、それがどんなに難解な英文だったとしても、どんなに難解な物理の定理だったとしても、直ぐに覚えることが出来た。理解出来ずに頭を唸らせるといったことは微塵もなかった。その中でも積分は、極めて簡単な計算ではあるが、パズルを解いていくようで楽しかった。良い暇つぶしだった。授業に関心をなくした僕は、大抵の授業中、難関大学の入試で出題されるような積分を解くことがいつしか習慣になっていた。

 「おい、幸神!」

出席簿で頭を叩かれ、僕は顔を上げた。鬼のように顔を赤くした男性教師が、僕に怒りを滲ませた視線を向けていた。

「何ですか。」

僕は教師を一瞥すると、再び視線を積分の問題に落とした。

「授業中に内職とはいい度胸だな。」

「僕はただ時間を有効活用しているだけです。」

「何だその態度は!己の分際を弁えなさい!」

教師の唾が頬や机に飛散した。頭の隅でプチンと精神の糸が切れる音。僕は冷たく煮立った心を鎮め、教師の顔を真正面から見据えた。

「お言葉ですが先生。僕は暇な時間を無駄にしないよう、有効活用しているだけです。他の人間の邪魔や居眠りはしていませんし、何も文句を言われる筋合いは無いと思いますが。」

「じゃあ、この問題は解けるんだろうな。」

教師の鼻にかけたような態度が癇に障った。

「602円ですね。式は860-(86×3)です。」

黒板を一目見て答えると、クラス中がざわついた。教師が口籠もる。

「じゃ、じゃあ、その答えに定価の35%をプラスしたら定価と比較してどうなる。」

「定価より43円高くなりますね。602+8.6×35で903円になるので。それがどうしたんですか?」

労力を割くことを避けるために抑揚をつけずトーンを一定にして出来る限り早口で答えると、教師が青ざめた。

「う……そうなる…かもしれないな……。」

生徒に問題を出したくせに答えを把握していなかったのか、と内心拍子抜けした心地がしたが、面倒だったので僕は何も言葉を返さなかった。

 それ以来、自ら殻の中に閉じこもる僕に、教師を含め話しかけてくる人はいなくなった。

 小学校が終わると、僕は真っ直ぐ家へ戻った。そして縁側の下に隠すようにしまい込んでいた洗濯かごを引っ張り出し、その中にいるものをそっと抱き上げた。

「ただいま、朝緋(あさひ)。」

茶色でふわふわの毛並みが、僕の腕の中でくるりと身体を動かし、僕のほっぺたを舐めた。くりっとしたまんまるの目が、僕を見上げる。まだ子犬の朝緋は、両手で持てるほどに小さかった。

朝緋は、捨て犬だった。神社の石段の陰にひっそりと置かれた段ボール箱の中で、小さい身体は雨に身を震わせていた。小さな身体を抱え、誰もいない家まで走り帰ると、僕は母が使っていた洗濯かごに毛布を敷き詰め、その中に小さな身体を入れた。ホットミルクを作って少し濡れた黒い鼻先に差し出すと、小さな身体はそれをペロペロと舐めた。僕は彼女を、「朝緋」と名付けた。その日から朝緋は、僕の唯一の家族だった。

 「朝緋!」

ボールを軽く放ると、朝緋はジャンプして器用にそれを口で咥えた。

「おいで、朝緋!」

僕と朝緋は、雪原を駆けた。雪の絨毯の上で、一緒に転げた。一緒に、雪をかけあった。自分の殻に閉じ籠もるようになってから2か月が過ぎようとしていた。2月の初旬に朝緋と出会ってから、1か月が過ぎようとしていた。

 3月の初旬のある日の夕方、僕は朝緋にコンビニで買ってきた市販のミルクを飲ませた。朝緋は美味しそうに、小さな舌でそれをペロペロと舐めた。

翌朝、僕が目を覚ますと、いつも窓の外から僕を覗き込んでくる朝緋の姿は見えなかった。

「朝緋?」

外に出ると、縁側の上で朝緋が体を丸め、ぐったりと動かなくなっていた。暖かいはずの毛並みは、冬の季節の中でも分かるほど、はっきりと冷たかった。

僕は訳が分からないまま、庭の一角を掘り、朝緋のお墓を作った。

毛布を掛けて、朝緋の好きだったボールと一緒に、朝緋の体を土の中に横たえた。

 学校に行くと、僕を見る周囲の視線が、いつもより異質なものを含んでいた。いつも穢らわしいものを見るように僕を見ているクラスメイトの目に、軽蔑が浮かんでいた。

その日から、僕の日常は、ほんのわずかに一変した。

僕の身体には、黒い痣がいくつも見えるようになった。またいつも、至るところから赤い血が流れていた。

【登場人物】

●マギ(Magi)/幸神 悠緋(こうがみ ゆうひ/Yuuhi Kougami)


○朝緋(あさひ/Asahi):犬

【バックグラウンドイメージ】

【補足】

◎タイトルの「ブラッデッド(blooded)」について

○「血統の良い,純血腫の」の意味の「blooded」と「出血した・させられた」の意味の「bled」を掛け合わせました。「血統の良い,純血腫の」の意味の「blooded」を選んだ理由としては、より皮肉なイメージを持たせられると思ったからです。また、多くの人々を処刑したかつてのイングランド女王メアリー1世がその由来とされる、「ブラッディ・マリー(Bloody Mary)」とも掛けています。

【原案誕生時期】

公開時

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ