親友に女装してパーティー同伴を頼んだら、婿入りすることになった件
永久凍土の策士。
そう呼ばれているやつを知っているだろうか?
湯水のように国費を使い、それを咎めた者はあの手この手で失墜させてきた、王妃と取り巻きの女たち。
そんな彼女たちを、冷徹にして容赦ナシの策謀で追い詰め、たった二年で半幽閉状態にした、若き天才官僚のことだ。
名を、ジョン=ラヴェール。
自慢ではないが、俺の親友である。
そんじょそこらの親友レベルではない、故事に言う「刎頸の交わり」レベルの親友だと自負している。
故事の詳細? 知らん。
親同士が無二の親友で、物心ついたときには一緒だった。同じ家庭教師の下で基礎的な教育を受けた後、俺は軍へ入り、ジョンは上級学校へと進んだ。
本当は、俺も学校へ行けと言われていたんだがな。
俺、バカだから。はっはっは。
まあ、道は分かれたが、俺たちの友情は続いた。ジョンが小柄で綺麗な顔立ちなせいか、たまに「あなたたち、付き合ってるの?」なんて誤解をされるほどの仲だった。
いやいや、ないからな。俺とジョンは、あくまで友人だ。
体だけは頑丈な俺が、軍人としてメキメキ頭角を現し始めた頃。
ジョンは優秀な頭脳を買われて官僚となり、父親の手足となって腐敗した政治の改革に乗り出していた。
そして、ジョンは気づいたのだ。
腐敗の元凶が、王妃とその取り巻きであることを。
王妃を取り除かない限り、この国に未来はない。
理想に燃えた若き天才官僚は、父親を説得して王妃との戦いを決意した。
それを知った俺は、迷わずジョンの護衛になり、共に戦うことを選んだ。
「いいの? 出世できなくなるどころか、下手したら――死ぬよ?」
あいつは俺に気を使って、そんなことを言った。
だから、言ってやったのだ。
「俺が死ぬわけないだろう。ごちゃごちゃ言わず、俺にお前を守らせろ」
「うん――ありがとう」
こうして、俺たちの戦いは始まった。
いやもう、王妃サイドの攻撃ときたら、陰湿かつ執拗で、うんざりさせられた。
今でも、俺たちよく生き残ったよなと思うほどの、危険の連続だった。
だが、この俺がついていたのだ、ジョンにはかすり傷ひとつ負わせなかった。
その分、俺は五、六回死にかけたけどな。
「ごめん、レオ。ごめん――本当にごめん」
何回目かに死にかけた時、重症の俺を見舞ったジョンが、泣きながら謝っていた。
気にしなくていいと言ったのだが、あの時はジョンのうっかりミスが原因だったので、本当に落ち込んでいた。
「いつかレオが困ったとき、必ず力になるから。だからその時は、遠慮なく頼って」
その約束を思い出し、俺は今、ジョンの元へ向かっている。
そう、あいつなら。
俺様、レオ=エヴァンの危機を、難なく救ってくれるだろうからな!
◇ ◇ ◇
「断る。帰れ」
俺の頼みは、秒で一刀両断にされた。
あっれー? 思ってたのと違うぞー?
「お、おい、頼むよ! 俺が困ったら助けてくれる、て約束だろう?」
「知らない。他を当たって」
ぷいと目をそらして、取りつく島もない。
ううむ、今回はこいつの知略を頼ってのことじゃないからなぁ。ひょっとして、簡単すぎて気に入らないのか?
だが、そこを何とか。
「なあ、頼むよ。親友だろ、助けてくれよ!」
「絶対に、断る」
「なぜだ!? せめて理由を教えてくれ!」
「言われなきゃわからない時点で、話にならないっ!」
あ、怒鳴った。
珍しい。こいつ、めったに大声出さないのに。
レアイベント、ゲットだな♪
じゃなくて。
「え、なに、マジギレしてる?」
「当たり前!」
俺の問いに、バキッ、と音がして、ジョンが握っていたペンが折れた。
うわ、それ俺が昔プレゼントしたやつじゃん。大切に使ってくれてて嬉しかったのに。
「いやいや、落ち着こう。な? 確かに俺の頼みは、失礼極まりない頼みかもしれない」
「かもしれない、じゃない! 失礼そのものだ!」
「うむ、そうか、そうだったか。だが、そうだとしても、お前なら絶対に大丈夫だ。俺が保証する!」
そう、ジョンならば。
「女装しても、絶対バレない、て」
「ふざけんなぁぁぁぁ!」
うおぅ――キーンときた、耳にキーンときた。
目釣り上げて、めっちゃ睨んでるよ。うわちゃー、これマジでマジギレだな。でもなんで?
「だれが、女装なんかするか! 今すぐ帰れ!」
「いやいや、そこまでマジギレしなくても――お前、絶対似合うって。ほら、小柄だし、綺麗な顔してるし。みんなお前のこと、本物の女だと思うって」
「フ・ザ・ケ・ン・ナ」
ねめつけられた。
うわ、こえぇ。こんな顔、初めて見たぜ。何がこいつの逆鱗に触れた?
「レオ――そこに座りなさい」
「お、おう」
「椅子じゃない。床。正座しなさい」
「お、おおう?」
何でだよ、と思ったが。
本気で怖いので、大人しく床に正座した。
「そもそも。どうしてそんなことを頼みに来たわけ?」
どかん、と行儀悪く椅子に腰掛け、正座している俺を見下ろすジョン。
うわ、こえー。
手に定規持ってパシパシ叩いてるの、めっちゃ様になってるし。
さすがは「永久凍土の策士」様。城勤めの女性に「あのクールさがたまらない」なんて、キャーキャー言われてるだけはある。
超絶カッコイイぜ♪
「何をにやけている。ひっぱたかれたい? さっさと理由を話しなさい」
うお、定規突きつけるなよ。話す、話すから定規を引っ込めてくれ。
「いや、その――隊長に、たまには社交パーティーに出ろと言われてな」
軍人とはいえ、一応貴族の俺。たまには社交の場に出て顔をつなげといわれた。正直めんどくさいが、「家のことも考えろ」と言われては行くしかない。
「それで?」
「俺の年だと、一人で出るのはまずいらしくて」
俺ももう二十八。年齢的に、妻なり恋人なり、とにかくパートナーとなる女性を同伴するのがマナーらしい。
いないっての、そんな女性。
ほんと、社交パーティーってめんどくさいな。もう貴族やめようかな、俺。
「ふうん――そういうこと」
じとーっ、とした目でジョンが睨んでくる。うーむ、怖い。
「それで、私に女装させようと。そう思いついたわけだ」
「い、いや、待ってくれ。いきなりそんなことは思いついていない。まずは軍の女性に、同行してくれと頼んだんだけど――」
「ふっ、うぅぅぅぅん。軍の女性に」
ミシッ、と音がした。
ええと、今のは定規の音? うわ、なんか、めっちゃ曲がってるし。折れるんじゃね?
「私のところに来る前に、軍の女性を口説いたんだ。そうかそうか、見境なしか」
「いや、口説いたんじゃなくて、その、一夜限りのお相手をしてほしいと――」
「一夜限りの、お相手ぇっ!?」
バキン、と。
ジョンが持っていた定規が折れた。おい、破片が飛んできたぞ。危ないじゃないか。
「なお悪い! このゲス野郎!」
「あ、いや、ちょっと待て。そこだけ切り取るな。文脈で判断しよう、な?」
うわちゃー、言葉間違えた。
ジョンの視線がグサグサ突き刺さる。やめて、痛い、視線だけで殺されそう。
「紳士的に、事情を説明して、ちゃんと頼んだんだ! だけど全員に断られたんだよ!」
全員が全員、異口同音に「ジョンが怖いから」と言うのだが――はて、何故だろう?
「なあ、なんでお前が怖い、てみんな言うんだと思う?」
「――さあね」
そっけなく答えるジョン。ふむ、こいつにわからないのなら、俺にわかるわけがないか。
よし、忘れよう。
「とまあ、そういうわけで。切羽詰まった俺はこう思ったんだ。だったら、ジョンに女装して一緒に行ってもらおう、とな」
「ああそう。そういうこと」
ジョンが、ものすごく不機嫌な顔になった。
「女装ね。この私に、女装しろと、ね。ははっ、女装ですか」
いやまあ、成人男性に女装してパーティーに同伴しろなんて、失礼な頼みだとは思うけどよ。バレたら大恥だし。
でもさっきも言った通り、お前、小柄だし綺麗な顔してるし、正直イケると思うぜ?
「ふざけんなぁぁぁぁ!」
うわっ、また噴火した。
「やだ。ぜーったい、やだ。誰が女装なんてするもんか!」
ゼェハァと、肩で息をして俺を睨みつけるジョン。
やだ怖い。
「そこをなんとか。頼む! もうお前しか頼る奴がいないんだ」
「体調不良と言って、休めばいいでしょ!」
「骨折しても働いてた俺が、体調不良なんて誰も信じねえ、て」
「だったら正直に、誘った人全員に断られました、と言って一人で行け!」
「それはそれで恥ずかしいだろ」
「知るか! 大恥かいてしまえ!」
「いやだ、負けたくない!」
「何に!? 何に負けたくないのさ!」
「何かに!」
「なにそれ! わけわかんない!」
「気にするな、俺にもよくわからん!」
「ああもう、帰れ! 一人で行って、ぼっち気分を味わってこい!」
「いやだ! 俺はお前を恋人にしてパーティーに行くんだ!」
ん?
なんか――変な言い回しになったな。
ジョンも口をパクパクさせて絶句している。うわー、顔、めっちゃ赤いよ、絶句するぐらいのマジギレ中か?
だが、ひるむわけにはいかない!
軍務で鍛えた胆力、なめんなよ!
「頼む! エルザ姉さんにドレスの手配も頼んでいる! お前がうんと言ってくれれば、万事解決だ!」
エルザ姉さんというのは、家庭教師が同じだった、三つ年上の人だ。俺とジョンの共通の幼馴染で、まあ、姉貴分、てとこだ。
今回の件を相談したら、「何それおもしろそう! あの子が着るドレスは任せて!」とノリノリだった。何でもかんでも面白がるんだよな、あの人。
「――それでエルザ姉さん、いきなり来たのか」
「え、なんだ?」
「なんでもない! とにかく、嫌だから!」
ふん、と言って机に向き直ってしまうジョン。
ぐぬぬ、なんとかせねば。
「た、タダとは言わない。そうだ、うまいと評判のレストランで、好きなだけ食わせてやる!」
「少食なんで」
「じ――じゃ、次の休み、どこかへ遊びに連れて行く! どこだっていいぞ!」
「暑いから、出かけたくない」
「なら、仕事を手伝――」
「やめて。かえってめんどくさい」
だな。俺に事務仕事は無理だ。
「な、なら、お前が欲しがってた本をプレゼントする!」
「もう買って、全部読んだ」
「え、まじ? 面白かった? 俺もちょっと読んでみたいんだけど、貸してくんない?」
「やかましい。帰れ」
「ぐぬぬ」
「ほら、帰った帰った。どうしてもというなら、エルザ姉さんに頼んで」
いや確かにエルザ姉さんは美人で華やかだから、見栄えはいいけどな。
俺じゃ、弟にしか見えんのよ。そもそも、もう嫁いでる人を連れ出すわけにはいかんだろ。
「よおし――」
こうなったら。
「ジョン」
「なに? 私の気持ちは変わらな――」
「なんでもする」
「――は?」
ピクリ、とジョンの眉が動いた。
「お前が俺にしてほしいこと、なんでもする! だから頼む!」
「――なんでも?」
お、いけるか。
何を頼まれるかという不安はあるが――問題はない。俺はこいつの親友、命を懸ける覚悟すらできている。
なにせ、刎頸の交わりだからな! 詳細は知らんけど!
「おう、なんでもだ! この命、丸ごと差し出したって、かまわねえ!」
「――言ったね?」
ゆらり、とジョンが立ち上がった。
「なんでもするんだね、間違いないね? 命差し出すってことは、人生差し出してもかまわないね?」
「お、おう――」
「言質、取ったよ」
にっこりと微笑むジョン。
え、なんか今までとはちょっと違う感じで、怖い。
早まったかな、俺?
「よーしわかった。行ってやる。首を洗って待ってなさい。完璧に仕上げてみせるから」
◇ ◇ ◇
七日後、パーティー当日。
女装したジョンをエスコートして会場に入ると、どよめきが起こった。
うむ、わかるぞ。
俺も度肝を抜かれたからな。
髪は付け毛をして美しく結い、もともと綺麗な顔を存分に生かしたメイクをし。
身にまとうのは青色のすっきりとしたデザインのドレス。母親に借りたという豪華な宝石が身を飾り、マジで「どこの姫君ですか」と言いたくなるような、完璧な美女になっていた。
「文句は?」
「――ございません」
ドヤ顔されて、頭を下げるしかなかった。
さすがはあの王妃を相手に勝利した策士様、やると決めた時の、有言実行度がハンパない。
「初めまして。ジャネットと申します」
挨拶に行った隊長や、集まって来た軍の友人に、淀むことなく偽名を名乗るジョン。
立ち振る舞いも、堂々としていながら美しく、まったく隙がない、まさに完璧な淑女。なんかもう、しっくりきすぎて、これが本来の姿のような気がして来たぜ。
ん?
あれ、何か今、脳裏をかすめたような――なんだろう、この「ヤバイ、やっちまったぜ」感は。
ううむ、わからん。まあいいか、後で考えよう。
「いやー、しかし。美女と野獣感がすげえな」
美人のジャネットを一目見ようと集まってきた軍の友人たちに、そんな風にからかわれた。
悪かったな、いかつい顔で。でも見てくれじゃない、俺のよさを見抜いてくれる女性が、きっと世界のどこかにいるはずさ。
「だよな、ジョン――じゃなかった、ジャネット」
「はっ」
俺の問いかけに、ジョンは、あきれた顔でため息をついた。
「なんだよ」
「レオ。幸せの青い鳥、て知ってる?」
「お、今日の料理にあるのか? うまいの?」
「ち・が・う!」
なんだよ、何が言いたいんだよ。
はっきり言えよ。
「言いたいことが山ほどあって、どれから言えばいいかわからない」
これ見よがしの大きなため息。
うーむ、俺は一体何をやらかしたんだ?
「パーティーの後で、きっちりはっきりわからせてあげる。覚悟しなさい」
口に手を当て、ふふふ、と品よく笑うジョン。
美人が何か企んでる姿って、こえーな。隙をみて逃げようかな、俺。
「お?」
音楽が始まった。
どうやらダンスタイムらしい。
「さて、せっかくパーティーに参加したんだし」
ジョン――おっといけない、今はジャネットが、皺の寄っていた眉間をほどき、俺をまっすぐに見上げた。
「少しは楽しもうか、レオ」
そう言って浮かべた、輝くような笑顔。
え――と。
やばい、思わず見とれてしまった。
こいつ、ほんと綺麗だよな。顔だけじゃない、所作も姿勢も、何もかもが。
思わず抱きしめたくなったぜ。
「なに?」
「い、いや、なんでもねえ。えーと、では」
俺は咳払いをして、ジョンに一礼し、手を差し出した。
「――ダンスのお誘い、てことでいいのかな?」
「お、おう。そういうことだ」
「ちゃんと踊れるんでしょうね?」
「まかせろ。ちゃんと練習してきた」
俺の返事にくすりと笑い、ジョンが俺の手に自分の手を乗せる。
その手の柔らかさに、俺は少しドギマギした。
「ドレス、歩きにくいんだから。ちゃんとエスコートしてよね、レオ」
「う、うむ。じゃあ行こうか、ジョ――じゃなかった、ジャネット」
◇ ◇ ◇
パーティーも無事終わり、そろそろお開きという頃、俺はジョンに引っ張られるようにして会場を後にした。
向かったのは、パーティー会場に隣接するホテル。ジョンが、控え室として一室押さえていたらしい。
「さあて。お待ちかねの尋問タイムだね」
俺を部屋に押し込め、扉に鍵をかけるジョン。
ふっふっふ、とものすごい迫力。怖い、尋問、て何それ聞いてないけど?
「ここは私とレオだけだし、防諜も完璧。というわけで、単刀直入に聞くけど」
「お、おう。なんだ?」
「女の私に女装を頼んだ、真意をうかがいましょうか」
――は?
え、何言ってんの、こいつ?
「女? お前が? え、何の冗談?」
「冗談なんかじゃない! 私は正真正銘、生まれたときから女!」
俺の頭が、真っ白になる。
「え、ちょ、お前が女!? マジで!? 嘘だろ!?」
「こんなこと嘘つくか!」
ジョンの目がみるみる吊り上がる。
「私の名前はジャネット! ジョンは男装するときの偽名! 生まれたときからの付き合いでしょうが! なんで性別を間違える!」
「え、え? そうだっけ? え?」
「その反応――」
困惑する俺を、ジョンが吊り上がった目でにらみつけてくる。
「からかってるんじゃなくて、本気で私が男だと思ってたね?」
「お、おう――」
「なんで!? どうして!? 四年前まで、ちゃんと女扱いしてたでしょ!?」
「え、そうだっけ?」
四年前――と聞いて、頭の中で何かが光った。
そう四年前といえば、ジョンが王妃の内偵を始めた頃。つまり俺が軍から出向し、ジョンの護衛を始めた頃。
お? そういえば。
「なあ、ジョン」
「ジャネット」
「う、うむ――ジャネット。ひとつお前の意見を聞かせてくれ」
四年前。その頃から、俺には謎の習慣ができていた。
「俺、毎朝鏡に向かって、『俺の護衛対象は、親友である侯爵の一人息子』、て十回唱えてるんだが――なんでそんなことしてるんだと思う?」
「は?」
ポカンとした顔をするジョン――じゃなかった、ジャネット。
ピヨピヨと、俺とジャネットの間を、小鳥が何羽か通り過ぎていく。
「毎朝、そんなことしてるの?」
「うむ」
「いつから?」
「たぶん四年前から」
「今も?」
「うむ。今朝もしたぞ」
「なんで?」
「それがさっぱり思い出せんのだ」
命にかかわる重大なことだという、強烈な使命感だけはあった。
だから毎朝、俺は全身全霊の力を込めて、唱えていた。
「この――」
ジャネットが呻く。ぷるぷると体を震わせ、全身から怒りのオーラを立ち昇らせたのち。
「脳筋がぁ!」
思い切り、怒鳴られた。
「ああそう、そういうことね! 自分で言い聞かせているうちに、本気で暗示にかかったと! どうりでレオにしては、演技がうまいと思ってたよ!」
ジャネットいわく。
王妃の内偵のため男装したものの、護衛である俺の態度で女とバレかけたことが何度かあったとか。
だから、ジャネットは俺にきつく言い渡したらしい。
次にレオのせいで女とバレそうになったら、クビにする、と。
「あ、それで毎朝自分に言い聞かせてたのか!」
長年の謎が解けたぜ! さすがは永久凍土の策士様だな。
いやー、よかったよかった、すっきりしたぜ。
「よかったよかった、じゃない!」
「うぉう!」
「王妃追い出したの、二年も前でしょうが! 何でまだやってるのよ!」
「いや、なんかもう習慣になっててな。やらないと気持ち悪くて」
「あ、あんたって人は――」
うお、また怒鳴られるのか、と身構えたが。
「そうか、私か――私のせいでレオは――あはは、そうか、自業自得なわけね、私」
何やらいきなり落ち込み始めたジャネット。
大丈夫か?
「うるさい。で? 私が女だって、思い出してくれた?」
「あ、いや、その――」
正直、まだ。
「ああそう、そうなの。じゃ――実力行使だね」
何やらつぶやいたジャネットが、決意を秘めた顔になり。
いきなり、ドレスを脱ぎ始めた。
「え、あ、おい、ジョン! なぜ脱ぐ!」
「ジョンじゃない、ジャネット! レオに、私が女だって思い出させるためよ!」
目の前でドレスを脱ぎ、下着姿になったジャネット。
間違いなく「女」だという証拠を見せつけられて、俺は息を呑む。
おおう――着やせするタイプだったんだな、お前。
いや、そうじゃなくて!
「ば、ばか、待て! 早まるな! 侯爵家の令息――じゃなかった、令嬢として、あるまじき行為だぞ!」
「うるさい! さあ見なさい! なんなら触りなさい! 私は正真正銘、女よ!」
うろたえる俺に、下着姿のジャネットがずずいと迫ってくる。
待て待て、俺は男だぞ!
体力有り余ってる、若くて血気盛んな軍人だぞ!
お前みたいな綺麗なやつに、そんな格好で迫られて、理性を保つ自信は、絶対にない!
わー、きゃーっ! やばいってー!
「レオ。なんでも言うことを聞いてくれる約束だったよね?」
「え? あ、ああ――そうだった、な」
今、それを言う?
「だったら」
ジョンの顔が、みるみる赤くなっていく。
え、何? この状況で何を言われるの、俺。
「わ、私と――結婚しなさい」
「――は?」
いやいや。
いやいやいや、ちょっと待て。
結婚、て。
俺とお前が結婚て。
お前、侯爵家の一人息子――じゃなかった、一人娘だよな。お前の親父さん、今や国を支える宰相様じゃねえか。そんなお前と結婚なんて、大ごとじゃね!?
「うるさい、観念しろ! もう逃がさないからね。なんでもする、て言質は取ってるんだからね!」
抱きつかれて、怯んだところに足払いをくらった。
背中で感じる、心地よいマットレスの感触。
うおっ、いつのまにベッドのそばに!?
やばい、俺の貞操が!
危険が危ない状態だ!(錯乱)
「ま、待て! 話し合おう! まずは清い交際から始めて、お互いを知るところからだ!」
「生まれてこの方の付き合いでしょ! いまさら何を知るのよ!」
馬乗りになったジャネットが、俺の顔を両手で挟む。
綺麗な顔が近づいてきて、じっと俺の目をのぞき込む。
無理、もう無理。
こんな美人に下着姿で馬乗りされるなんて、もうじき俺の理性は天空の彼方へ飛び去ってしまう。
そうなったらもう――俺、ジャネットに何するかわからねえ!
「別に、いいよ」
「いや待て、こういうことはだな――」
「レオには」
俺の言葉を遮るように、ポタリ、と温かな雫が落ちてきた。
ジャネットの涙だった。え、なんで? なんで泣いてるの? 俺のせい?
「一生かかっても返しきれない、恩があるんだから」
「は?」
「恩返し、させてよ。妻として、尽くすからさぁ」
突然の態度豹変に面食らったものの。
ジャネットが言う「恩」が何なのか、わからないほどバカではない。
王妃一派と戦った二年間、ジャネットを守るため剣となり盾となって命懸けで戦った、そのことだろう。
「お前なぁ」
俺はため息をつくと、手を伸ばし、ジャネットの涙をぬぐってやった。
「恩返しなんて、いらん」
俺は役目を果たしただけだ。お前を守ることは、俺の誇りと同義。見返りなんて求めていない。
そしてお前は、この国と国民を守った。その国民には俺も含まれている。それで十分お釣りがくる。
そもそも、恩返しで結婚なんて違うだろう。
結婚というのは、愛し合う男女がするものだからな。
「レオのくせに――かっこいいこと言うな」
「え、俺、かっこいい?」
「うん、かっこいい」
ジャネットが泣き笑いの顔になる。
その透き通るような笑顔に見惚れてしまい――俺の心の中でコトリと音がした。
たぶんそれは、恋に落ちた音。初めて聞いたぜ。
「惚れ直しちゃった」
ちゅ、と。
ジャネットの唇が、俺の唇に重ねられた。軽く、ついばむような感じだったけど、間違いなく重なった。
「お、おい、ジャネット」
「私と結婚するの、嫌?」
「あ、いや、そういうわけじゃなくてだな。その、恩返しというのは違うというだけで――」
「じゃ、こういうのなら、いいかな?」
ジャネットがもう一度、俺にキスをする。
そのまま首に抱き着いて、俺の耳元で囁く。
「一生、側にいて――私を守って」
体がカァッと熱くなる。
無理、これは無理。
下着姿の美女に抱き着かれて、こんなこと囁かれて、「否」なんて言えるやつは男じゃない!
「お安い、御用だ」
俺が上ずった声で、そう返事すると。
「よっしゃ、合意成立!」
ジャネットはがばりと体を起こし、輝くような笑顔を浮かべた。
「言質取ったよ、レオ♪」
しまったぁぁぁっ!
しおらしい態度にだまされた!
そうだ、こいつが男装したのは、出自を隠すと同時に、王妃の取り巻きにハニートラップ仕掛けるためだった! こういう駆け引きは得意中の得意じゃないか!
ちくしょう、見事にハメられちまったぜ!
「さてと。結婚の約束もしたし。さっさとレオの暗示を解くとしようかな」
「え? ち、ちょっと待て、こら、なぜ脱がす!?」
「レオは、体に教えた方が早いもの」
「体、て。え、おい、ちょっと待て、マジか!?」
「マジに決まってるでしょ! こ、こんな状態にまでなって、何もされないなんて、その方が屈辱なのよ!」
「わ、ばか、やめろ! せめて親父さんに挨拶してから――でないと、殺される!」
「あ、それは大丈夫。さっさと落としてこい、て言われてるもの。レオのご両親にも、根回しは終わってるから」
「俺の意志は!?」
「さっき聞いたよ。お安い御用、だよね♪」
オウ――万事休す。
「さーて、既成事実作って、さっさと婿に来てもらうからね」
「まて、心の準備が、頼む、せめてもう一日――」
「あーもー、うるさい! 抱いてくれなかったら、全身全霊でレオを社会的に抹殺するからね!」
うげ。
やる、こいつはやる。それをやってのけるだけの権力と才能を持っている。
詰んだ!
「さ、観念して私を抱きなさい」
「け、権力者の横暴だ―!」
「往生際悪いぞ。どうせ私が好きなくせに!」
「ひ、否定はせん! でも、でもだなぁ――」
「ええい、どうだ!」
強引にシャツをめくり上げられ、肌があらわになった。
そこに、ジャネットの素肌が重ねられた瞬間。
「おおう――」
俺の理性は、光を超える速度で、空の彼方へ飛び去ってしまった。
◇ ◇ ◇
かくして、悪しき王妃を追い出し宮廷改革を成し遂げた天才官僚「永久凍土の策士」様は、その夜を境に姿を消し。
同時に、俺とジャネットの「刎頸の交わり」は、「比翼連理の誓い」へと姿を変えたのであった。
え? 比翼連理の、故事の詳細?
知らん。