スイート、スイート――甘いもの――
その休日に、ぼくは甘いものを探していた。
甘いものが大好きだ、と女友達の佐倉がいったからである。
今日は三月九日で、ホワイトデーを来週に控えている。
佐倉は友達で、率直にいってぼくは彼女のことが好きだった。
友達でいる期間は長いけれど、ぼくは彼女のことをよくは知らない。
つまり彼女はどういう男性が好きで、男のどんなところに魅力を感じるのかはよくわかっていない。
知っているのは世間話で得られる程度の情報だけ。
その、佐倉と世間話をする、というのがぼくにとっては何より大事な時間なわけだけれど。
だが佐倉がぼくに恋愛感情を持っていないことは、すでにわかっていた。
少し前、告白に失敗していたからだ。
好きだ、と伝えた次の日に、ぼくのことはそういう風には見られない、という返事が来た。
ああ、そう、とぼくは素直にうなずいた。
じゃあまあ、友達でいようかというと、佐倉はうなずいて親指を立て、「おう」と答えた。
佐倉のそういうところが好きだったぼくは、おさえようとしていた胸の痛みを感じた。
だけどそれはやっぱり少し前の話で、今のぼくはもう、佐倉の大事な男友達になろうと努力しているところだった。
そうして、バレンタインデーに佐倉から義理チョコをもらったために、ぼくはいま張り切っていた。
友達として、ホワイトデーに贈ることの出来る一番素敵なものってなんだろう。
恋人として贈ることが出来るのなら、素敵なものはいくらでもあるのにな、なんて考えてぼくは苦笑した。
駅前のデパートの地下では、ホワイトデーフェアが開かれていた。
チョコレートやキャンディー、クッキーがガラスケースに並んでいる。
ぼくは一通り店内を回ってみた。
種類の差こそあれ、どれも似たようなものに思える。
甘いものが大好きなら、これらの中から選ぶのがいいのだろう。
だけど、ぼくにはいずれもピンと来なかった。
階段を上がり、デパートから出た。
するとそこで佐倉に出会った。
本当に偶然のことだった。
入り口のガラス戸をあけて一歩足を踏み出した時、いままさにデパートに入ろうとしている女子がいた。
ぼくの学校の制服を着ており、ふと顔を見ると佐倉だった。
向こうも意外そうな顔をしていた。
「何してんの?」
声をかけてきたのは佐倉の方からだった。
「うん、ちょっと、買い物。佐倉は?」
「わたしね、部活の帰り」
へえ、とぼくは答え、彼女の丸い目を見た。
『じゃあそういうことで』とでも、どちらかが言って、この会話は終わるものだと思っていた。
だけど佐倉はこう言った。
「買い物って、もう終わった?」
「まだだけど。なかなかいいのがなくてさ」
「そう? わたしヒマだからさ、付き合わせてもらってもいいよ」
佐倉はたまにこんな妙な言い回しをする。
ぼくはどう答えたものか迷った。
きみにあげるものを探しているんだけど、と言うべきだろうか。
だけどそうしたら、佐倉はぼくについてくるのをやめるかもしれない。
自分にあげるプレゼント選びを手伝おうとする女子は、おそらくそんなに多くはない。
しばらく佐倉と一緒にいたい、というのがぼくの中には第一にあって、他のことは後回しでいいやと思った。
「こっちはヒマじゃないけどさ、付き合ってもらってもいいよ」
「ならよかった。それで、なに探してたの?」
ぼくは適当なウソをついた。
デパートの中には何でもある。
何を探すでもなく、何かいい品物がないか適当に見ていたのだ、ということにした。
佐倉は「そうかあ」と首をかしげて答え、だったらやっぱり山木もヒマなんだね、と口にした。
山木というのはぼくのことである。
ぼくは素直にうなずいた。
それでぼくらはしばらく、ぶらぶらと街を歩いた。
春の近い街は静かで、暖かだった。
風が吹いて佐倉の肩ほどまで伸びている髪の毛の先を揺らした。
ふとぼくは今の状況に幸せを感じ、一人でニヤニヤとしていた。
佐倉はたぶんそのことに気づいていなかった。
雑貨屋に入ってガラス細工の人形に対する感想をいいあったり、書店の中で最近読んだ本の話をしているうち、時間は過ぎていった。
いつの間にか夕暮れが近かった。
歩き疲れ、お腹を空かせたぼくらはジャンクなハンバーガーショップに入り、佐倉いわく「まずしい夕食」をとった。
佐倉は固めのポテトが好きだそうで、柔らかめが好みのぼくとは意見があわなかった。
それでぼくらは互いのパックの中の、好みのポテトを交換してはかじっていた。
「それでさあ、山木」
佐倉がそんなことを言いだしたのは、もう会話のタネも尽きだしていたころだった。
「もうすぐホワイトデーだね。何くれるつもり?」
突然だったので、ぼくは戸惑った。
「甘いものかな。好きなんでしょ」
「うん、そうだよ」
佐倉はまた一つポテトをかじり、それからぼくをじっと見つめた。
ぼくは少し考えた。
今日はすでに、当初の目論見通り、佐倉と一緒の時間を過ごすことができていた。
だから、もう、本当のことを言ってもいいんじゃないだろうか。
今日はホワイトデーに、佐倉に渡すものを探していたんだ。
だから、何がいい?
そうたずねたら彼女は怒るだろうか。
そこにぼくの、ただの友達よりも親しくなりたいという想いを、こらえようとしているその気持ちを感じて嫌がらないだろうか?
ぼくは自分に対して正直でありたかったし、そして何よりも、佐倉に嫌な思いをさせたくなかった。
だから、佐倉のいい友達になろうとがんばっている。
いま言おうとしているその言葉は、『佐倉のいい男友達でいよう』という、自分に課したルールに反しないだろうか?
なんて戸惑っているうちに、先に佐倉が口を開いた。
「ねえ、山木はさ、わたしからチョコもらってどう思った?」
ぼくは言葉に困った。
「どうって、……義理チョコだなって。うれしかったけど」
「なんで義理だと思った? ……市販品だから? 手作りじゃないから? メッセージとか入ってないから?」
「だって……他にないじゃないか」
ぼくは佐倉をずるいと思った。
小憎らしいとさえ思えた。
何でそう、ぼくがおさえつけようとしている想いを引き出そうとする?
「山木はわたしのこと、どう思ってるんだっけ?」
そういってから、佐倉はにんまりと微笑んだ。
ぼくは相当に戸惑った。
「ねえ、山木。わたしでよかったら、付き合わせてもらってもいいよ」
「どういうこと?」
「そのままの意味。……でも、今日みたいな意味じゃないよ。付き合うとか、別れるとか、そっちの方。わたし、山木と付き合いたい」
「……どうして? なんで?」
ぼくの告白を断ったきみがなぜ、そんなことを言う?
その疑問は、声に出さなくても伝わったみたいだった。
で、その答えが返ってきた。
「なんかね、……よく考えたら、わたしも山木のこと好きだった。ていうか、恋人とかそういう風に見ようと思えば見れたっていうか、結局、山木のそばにいたいっていうか……まあ、そんなとこ」
こんなときぼくは、どういう反応をしていいのかわからない。
喜んでいいのだろうか?
たぶんそうだ。
だけどあまりに展開が速すぎて、頭の中がついていけなかった。
それでとりあえず、ぼくはそれまでついていたウソを謝ることにした。
「佐倉、ぼくは今日、本当は、きみに渡すホワイトデーのお返しを探してたんだ。だけど、佐倉と会えたから、一緒にいようと思ってウソをついた。ごめん」
「そんなところだろうと思った。うん、思ってた」
「でさ、ぼくはやっぱりきみのことが好きだ」
「うれしい」
佐倉はそういって微笑み、それからポテトをかじった。
そうしてもう一本ポテトを手に取り、ぼくの口元に向けてきた。
ぼくは口を開きかけたけれど、彼女は素早く手をひるがえして、ポテトを自分の口に入れてしまった。
「ま、こういうのは、おいおい、ね。それで、さっきの話に戻るけど、ホワイトデーにわたしがなに欲しいか、知りたい?」
うん、と答えかけてから、そうあわてる必要はないかと考え直す。
何しろ、これまでは女友達としての佐倉にわたすプレゼントしか考えてこなかった。
だけど、今のぼくたちの関係は、先ほどまでとはもう違う。
だから、ぼくは首を横に振った。
「ぼくなりに探してみるよ。佐倉、本当は甘いもの好きじゃないかもしれないし」
「それはないかな。でも、もっと好きなものはあるかも。……ねえ、山木、あのとき、告白を断ったりしてごめんね。わたし、自分のことよくわかってなかった」
「いいよ、別に」
結果がよければすべてよし。
本当にそうだ。
この言葉を今ほど実感できたことはない。
佐倉は笑ってこういった。
「でもやっぱり、わたし、甘いもの好きだと思うよ。山木もなんだか、わたしに対して、甘いもの」