七話
遠くの方に夕焼けに照らされるゆづの姿があった。
僕は必死になって追いかけた。
息が切れる。
それでも僕は伝えなくちゃいけないんだ。
急がないとゆづが駅に着いてしまう。
いつもならここで、明日でもいいや、なんて思うのかもしれない。
でも今回ばかりは、明日でいいなんて馬鹿なこと言っている場合じゃない。
「ゆづ」
僕はめいいっぱいに叫んだ。
だけどそれに反して出たのはカスカスで全く通らない声だった。
いきなり走ったせいか、脇腹が痛くなってきた。
それでも自分が出せる最大限のスピードでゆづの元へと走る。
「ゆづ」
かなり近づいたと思ったところでもう一度叫ぶ。
「……えっ」
声が届いた。
キョロキョロとあたりを見回した後、ゆづは僕がいることに気がついた。
「え、どうしたの。そんなに息切らして」
ゆづが僕の姿を見て驚いた。
今すぐに喋りたいけど、息切れがひどくて話せない。
「ちょっと座って息整えよ」
そう言ってゆづは僕の手を引く。
土手にある石の階段のところに二人並んで腰を下ろすと、ゆづは僕の背中をさすってくれた。
「べつに、まりなのこと許したわけじゃないから」
そう念押しするように言った。
さっきまではゆづが怒る理由が今ひとつわからなかったけど、今ならわかる。
僕は謝らないといけない。
例え許してくれないとしても。
数分してようやく息が落ち着いてきた頃に、僕は話を切り出す勇気を出した。
「……さっきはごめんなさい」
僕は頭を下げる。
ゆづは黙ったままだった。
「今まで友達なんていなかったから、ゆづとこんなに話せるようになったことがすごく嬉しかった。ずっと友達だったらいいのにって、馬鹿みたいかも知れないけど、考えてた」
少しずつ早口になっているのが自分でもわかった。
でも、勢いは止められない。
「だから、オーディションをすることで関係がギクシャクしたらどうしようって、ほんとに怖かった。でもそれはただの逃げだって気づいて。ゆづの話も全く聞かずに、本当にごめんなさい」
文章はめちゃくちゃかも知れないけど、自分が言いたいことは全て言えたような気がした。
僕は一人でいることに慣れているはずだった。
それなのに、ゆづと友達になってから一人で歩く帰り道が前よりも寂しくなった。
教室で話してるクラスメイトが日に日に羨ましくなっていった。
僕の世界をゆづが変えてくれたんだ。
ゆづがそっと口をひらく。
「……そりゃあさ。オーディションをやれば優劣はついちゃうよ、どうしても。もしそこで自分が落ちたってなったら、戦った相手が誰であろうと、その人に純粋な気持ちで『おめでとう』ってすぐには言えないと思う」
ゆづはピンポイントでどこかを見るというわけでもなく、ぼーっと川の方を向いていた。
「でも仕方ないよ。私たちはまだ完璧な大人じゃないから」
風に草木が音を立てながら揺れる。
僕らは大人じゃない。
間違えることもまだまだたくさんあるし、後悔することもたくさんある。
でもそれでいいのかも知れないなんて思った。
ゆづが一度腰をうかせて僕の方に向き直る。
「私はまりながずっと友達でいたいって言ってくれたの、すごい嬉しかった。だからこそ、私はまりなと正々堂々戦いたい。友達としても、ライバルとしても最高の関係を築き上げていきたいって思う」
その眼差しはまっすぐと僕の方を見ていた。
「まりなはどう」
僕はもちろん
「そうしていきたい」
そう言った。
周りの大人は僕らをまだ子供だということがある。
でも、大人なんだからとも言われる。
そもそも僕らはごちゃごちゃな時間を過ごしているんだ。
みんなそれぞれに悩みを持っていて、そして各々でいつのまにか大人になっているのかも知れない。
大人になった時、今の高校生活はどのようにうつるのだろうか。
今日のこれも、あんなこともあったねと笑い話にできる日がくるのだろうか。
そんなのわからないけどただ一つ。
その時も彼女と繋がっていられたらと思う。
「三年後、私たちって大人になれてるのかな」
二人で並んで歩きながら僕はゆづに問う。
高校を卒業したら、僕らは大人になるのだろうか。
「えー、わかんなーい」
明るい、少し能天気な調子でゆづが返す。
「そっか」
「でもね、どんな大人になりたいとかはあるよ」
「え、どんなの」
「んーとね、子供だった頃を忘れない大人」
「いいね、それ」
そう言って顔を見合わせた僕らは、笑った。
完璧な大人なんて、まだ妄想のままでいい。
無理して大人になる必要はないんだから。
いつの間にか駅に着いていた。
「じゃあ、またあしたね」
「うん、また明日」
そう言って、いつもと同じように手を振る。
「あ、まって」
大事なこと、言い足りないことを思い出して、僕は慌ててゆづの細い腕を掴む。
ゆづは少し驚いたような顔をした。
「なに」
不思議そうな顔をしたゆづに、僕はそっと笑いかけて言った。
「ありがとう」
僕と友達になってくれて。
僕とライバルになってくれて。
僕にチャンスをくれて。
ゆづはきょとんとした後、いつもみたいな笑顔を見せた。
「いきなり何かと思ったら、それ」
「うん」
ゆづは笑ってこちらを見た。
「どういたしまして」
不覚にも、ゆづのその少しいたずらな顔がとても可愛いと思った。
僕らはもう一度手を振って、それぞれ反対のホームへと向かう。
お互いにホーム越しに目を合わせて笑い合う時間が、いつもよりも特別に感じた。