第一 5 ヒップアップ効果がある
前キルカ族の城へ入ると周囲は一段と明るさを増した。不思議と地獄で地上の昼間ぐらいの明るさを保っている。
煌々と照らされる城壁や扉、黒光りする鉄格子を眺めながら、地獄では“光“に高い価値が置かれているような気がした。例えるなら地上で言うところの金塊の山、ヨーロッパ地中海のリゾート地、エルミタージュ美術館に展示されているイリヤ・レーピンの絵画だろうか。
そして俺にとって、もう一つ嬉しい光景が。
目の前を歩くターニャのお尻がくっきりと鮮明になったのだ。それまでは物質の輪郭しか分からなかった装備の質感や肉体の膨らみ具合が目に飛び込んできた。
電子弓使い・ターニャのボトムスは、ぴったりとしたエナメルのブラックパンツ。トップスには赤い胸あてを装備していた。胸当てには戦闘でこしらえた傷跡が残り、戦国時代の赤備えのような逞しさがそこにはあった。
ヘアスタイルは金髪のツインテールで長さはロング、垂れた毛束がちょうど胸元にかかっている。大人っぽさと可愛らしさを兼ね備えたファッションスタイルと形容すればいいのだろうか。その素材や毛髪の一つ一つが絶妙に男心をくすぐる。
そして特筆すべきは、鍛錬されキュッと引き締まったお尻である。英国の乗馬ガールのようにスリムな脚は男子だけでなく女子も憧れるプロポーションだ。
俺が右脳でエロっちいことを考えていたら、急に前を歩くお尻の動きが止まった。あわや追突か、というところでギリギリ足を止めた。
(ふう。危ない、危ない。)
「見たまえ。キルカ族の女性捕虜だ」
とんこつラーメンを一杯食べ終わるぐらいの時間歩いたところでターニャがさっと立ち止まり、両手を大きく広げると得意げに城内のガイドをスタートした。
捕虜の数を俺に見せつけることでシボルチ族の戦力の高さを示したいのかと思ったら、どうも狙いが違うようだ。
俺は目を凝らして、辺りを見回した。
そこにいる全ての女性たちはヨガ専用コスチュームに豊かな胸と細い脚を覆い、なんと紙飛行機のようなポーズをとっている。
「・・・な、何をしているんだ?」
俺は開いた口が塞がらなかった。
「あれはヨガ講座の一つだ。ヒップアップ効果がある」
「どうして捕虜がヨガを?」
「ただの小遣い稼ぎだ。こう見えて私はヨガのコーチもやっていて、入会希望者が後を立たん。ふふっ(笑)。好評だったので、受講料を取って本格的に教えることにしたんだ。結構、稼げるんだぞ」
ターニャはATMコーナーの脇で、通帳を見てニヤリとする専業主婦のような顔つきをした。
せっかくなのでレッスンしている捕虜女性たちを少しだけ見物することにした。
総勢三十名ほどの若いレディたちがヨガマットの上に揃って四つん這いになり、片足だけを後ろにスッと伸ばしている。
そこで二秒ほど静止したあと、伸ばした足を外側へ回し直角になるまで引き上げる。また二秒ほど止めるとピンと伸ばすという動作をワンセットとして何度も繰り返していた。
(簡単そうに見えるが、実際にやるとキツイのだろう)
キルカ族のスパイをしている俺はさりげなく捕虜について幾らか尋ねようとしたが、あえて口を噤んでおいた。
(まずは相手の信頼を得るのが先決だ)
ヨガのレッスン場から、さらに小学校の校庭一つ分ほどの距離を歩いた。
「城壁」という大きな括りで言えば同じ敷地だが、途中あちらこちらに小さな石造りの家が立ち並んでいたので違う区画にきたような情景だ。
城内は右や左へとうねうねとした道が続き、敵が侵入しても真っ直ぐには進めない構造になっている。
フィヨルドのような地形がそうさせたのか、前の城主たるカスミが設計したのかは不明だが、城内の石畳はそう作られていた。
歩きながら周囲をさりげなく観察したが、小さな子やその母親が普通に暮らしている様子を見ると、戦闘の混乱もさしてなかったのだろう。俺はどんな条件でシボルチ族がキルカ族から城を乗っ取ったのか、未発表のiP○oneぐらい気になった。
観光ガイドにつき従う異国人のように浮ついた気分でターニャの後をついていくと、四角く囲われた特別教室一個分の広場へたどり着いた。
どうもここが目的地らしい。
いかにも捕虜が連れてこられそうな殺風景な場所だった。地面に血の跡が残っていたり、悪臭がするわけではないが、俺は陰鬱な気分に侵されていた。
沈んでいると、凛々しい表情でターニャが話しかけてきた。
「お前はここで待機。間も無くシボルチ族の王女様がおいでになる。まっ、王女様に気に入られれば処刑されることもないだろう。何せキルカ族の女は男に飢えているからな。そこそこの容姿でも大丈夫だろう」
(そこそこの容姿? つまり平凡なキルカ人ということか?)
俺はターニャの好みのタイプを聞きそびれたと後悔しながら、その殺風景な石畳の上に突っ立っていた。諜報員と疑われないよう、ただただ直立していた。
案内してくれたターニャは入ってきた狭く低い門を潜ると元の任務へと戻った。
気持ちが落ち着いてきたので辺りを見回したが、俺以外に捕虜らしき男も女もモグラもいなかった。もしかしたら、すでに収容されているのかもしれない・・・。
女性捕虜はヨガレッスンを受けられるほど自由が効いているが、男性捕虜がどうなるかはミステリーだ。
やがて、話のつまらない人間との夕食を終えたぐらいの時間が経過した。
ここは地獄なので、太陽光が届かない。だから、一体今何時なのかが空を見ただけでは予測できない。ただ錆色の天井が見えるだけだ。
そっと耳をすますと城内を行進する二列縦隊の足音が響いてきた。北京の天安門広場で十月一日に開かれる閲兵式のように規則正しいリズムだった。
俺は依然としてシボルチ族はどのようにして、この城を奪ったのかを考えていた。
(もしかして、買収されたのか? どうも戦闘によって城が明け渡されたようには見えない。徳川家最後の将軍が天皇陛下に大政奉還したように平和的解決方法によって権力が移譲されたのかもしれない)
ふと奥の入り口に目をやると王女らしき人物とその取り巻きが広場に入ってきた。王女だけに入ってくる扉も違っていた。
その集団の中央にいる人物はプリズム色のドレスを着て、長い藍色の髪をアップにしている。美貌と威厳を兼ね備えた迫力がそこにはあった。
「王女様、あれがキルカ族の生き残りです。いかがいたしましょう」
付き人の声が俺の耳にも届いた。
「どれ、近くで見てみよう」
王女が声で“前へ“と合図すると純白に金色の装飾が施されたフリスビーのような乗り物が音もなく、こちらに向かってきた。そのフロント部分には紺碧のガードが設置され、中央にシボルチ族のものと思わしき盾の紋章が刻まれていた。
その乗り物をひと目見ただけで高度なテクノロジーをシボルチ族が有していることがわかった。
立ったままお互いに視線が合うと、王女は乗り物を降りて俺の方へと近寄ってきた。
脚には漆黒のロングブーツ、ヒールの高さは五センチぐらいだろうか。真紅のマントを羽織り、動きやすいよう純白のパンツを履いていた。
バストは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小さい。身長は俺よりやや高く、百八十センチぐらいだろうか。武勇に優れた女騎士といった印象を受けた。
「名は?」
ずいと王女の顔が迫る。
「刃です」
「そうか。お尻を見せろ」
「へっ?」
俺はシボルチ族王女のちゃらんぽらんな問いに戸惑ったが、王女に向かってくいっとお尻を見せつけてやった。
(そんなにお尻が好きな王女様なのか? 地獄の女って変な奴が多いな・・)
バチコーン!
いきなり乗馬鞭のようなもので尻を叩かれた。
(お、俺は宝塚記念で優勝したクロノジェネシスじゃないぞっ!!)
思いのほか痛かったので、つい声をあげてしまった。
「なかなかいい尻だな。よし、トレーニングに回せ。その後で判断してやる」
(何? トレーニング? 本当に調教するつもりか? それともSMプレイ好きの王女様なのか??)
「はっ」
取り巻きの兵士が俺の両腕をぐいと掴むと、さっきの女性集団がヨガレッスンをしていた場所へと連行された。
(えっ? 俺もヨガやるの? 受講料なんか払えないよ。地上から一銭も持ってきてないし・・・。それとも王女の権力で特待生扱いしてくれんの?)
俺は訳が分からないまま端にある小さなテントでヨガレッスン用のスパッツとティーシャツを渡され、着替えるよう指示された。
なお、レッスンは五分後に始まるという。コーチはあのターニャだそうだ。