第二 1 もうヴィクトリヤでもいいぞ
キルカ族居住区。
ゲティスバーグでのリンカーンを彷彿とさせるカスミの名演説の後、俺たちの国土回復は秘密裏に行われた。
何せ、俺はターニャと挙式を上げ、新婚ほやほやという設定だ。城内の民衆はターニャと俺が仲睦まじく過ごしていると思っている。カスミの見事な戦略によって誘拐されたのは人目につかない寝室での出来事なので、知っている人物は内部の人間だけ。
であるからして、俺たち四人は領土奪還を吹聴することはできず、内輪で次の作戦を練るのみである。
「なあ、カスミ。一つ聞いていいか?」
俺は地下の真水が入ったグラス片手に尋ねた。
「もうヴィクトリヤでもいいぞ」
木製の小さな丸テーブルにはカスミの他、アスカとリンも同席していた。
「エカテリーナ王女と交渉してるとき、ターニャを“辺獄”へ追放したいって言ってたよな? その辺獄って、この城のことじゃないのか?」
「ここは地獄前域だ。ちなみに前線基地の辺りは“地獄の門”と呼ばれている。城の付近で土壌が変わっていただろう?」
俺はかつてターニャが警備していた裏門におろおろしながら接近していたときの状況を回想した。たしかに足音で分かるくらい、地面が土から小さな玉砂利のような土壌に変化していた。その足音の大きさに肝を冷やしたものだと、今では初の偵察任務を懐かしく思う。
「ってことは、ここのさらに下が辺獄なのか?」
「そうだ」
カスミがさらりと言った。
「刃様、正確に言うと辺獄は地獄ではありません。そのさらに下の“愛欲者の地獄”からが真の地獄です」
アスカが捕捉しながら、グラスに口をつけた。
俺はハリウッド映画で“地獄へ送ってやる”と言い放つ正義の味方のスーパーインポーズを目にしたことがあるが、地獄へ送られるのも大変なんだなと他人事のように感じた。
何せ地獄へ行くべくして来たのに、まだ地獄前域の城の中で作戦会議をしているのだから・・・。仮に教室が地獄だとしたら、下駄箱に通学用の靴を入れてもいない。
しかも地獄前域の下に辺獄があって、さらにその下の愛欲者の地獄からが公式ガイドブックに載っている地獄だと言うである。
「元々、シボルチ族は辺獄に住んでいた。しかし、敵対するウハーの民がいて、思うように領土を広げることができないばかりか、女性の人口が男性より多いため人口減少という社会問題を抱えていた。一夫一婦制だからな。そこで目をつけられたのが、我がキルカ族だ。莫大な資金を背景に城を買収し、我ら三人は部族民の保全を約束する代わりに地上へと亡命した」
「それで俺に出会ったと・・・・・」
「ふふふ、そうだ。そしてシボルチ族はキルカ族と混血して人口を増やし、ウハーの民に対抗しようとしている。だが、シボルチ族にとって地獄前域にあるこの城はさほど価値のない小さな町。城内の一部にキルカ族専用の居住区ができたところで、さして国力に影響はない。いずれターニャを残して、王女のエカテリーナは本拠地の辺獄へと戻るだろう。そのときがチャンスだ!」
カスミの目がペトログラードで封印列車を降り、市民から歓迎を受けた革命家のウラジミール・イリイーチ・レーニンのようにらんらんと輝いている。
「へっ? 今度は何をする気だ?」
「ふん! 決まってるだろう。王女が去り、士気が低下した隙に城を取り戻すのだ!」
「でも、この土地はシボルチ族が正式に買い取ったんだろう? カスミがクーデターを起こしてもキルカ族の住民が便乗しないと思うぜ」
「なぜ、そう思う?」
「そりゃあ、ターニャが商売上手だからさ。知識に武力で立ち向かっても敵わないだろうよ」
俺はターニャの締まったお尻を思い出しながら自慢げに言った。
「商売は平和な世の中であってこそ成り立つ。戦争になれば力の強い方が勝つに決まっている!」
「冷静に考えて俺らの戦闘力はたったの四人、電子弓のような強力な武器もないときた。とてもお尻プロテクトのみでクーデターが成功するとは思わないな」
俺はシボルチ族優位の考えを固辞した。
「戦争にはやり方があるのを知っているか、刃? “敵の敵は味方”というであろう。ここはウハーの民の協力を得る」
「どうやって?」
「アケローン川を渡って辺獄へ行くんだ」
「もしかして・・・・・・・・」
脳裏に嫌な予感がよぎった。予感とは自分にとって都合が悪ければ悪いほど的中率は上がるものと相場が決まっている。
カスミはテーブルをバンッと叩き椅子の上に立つと、
「これより刃に新たな偵察任務を課す。辺獄でウハーの民と接触し、協力者を得よ!!」
と命を下した。
「また俺?」
カスミもアスカもリンもおっぱいモミモミ事件のことを根に持っているのだろうか。六つの目が「お前が行け」と主張していた。