第一 14 気に入ったぞ
ターニャ先生にキスをした。
でも、決して教師と生徒の情事という訳ではなく、ターニャ先生がキスしろと言ってきたのだ。ただ、そういった関係性より、もっと重大な事実がある。
それはシボルチ族の間でキスは“プロポーズを意味する“ということだ。
確かに地上でも結婚式で新婦のヴェールを外して誓いのキスをするという儀式はあるが、大抵のカップルは付き合っているときに手をつないだり、真冬にライトアップされた橋梁や鉄塔や街路樹を見ながらキスの一つや二つはしているのではないだろうか。
もっとも明治時代ならば話は別だが、毎年のように白ひげの爺さんにクリスマスプレゼントをお願いする子どもたちがいて、元旦に神社へお参りに行っていながら結婚式は西洋式にウエディングドレスを着たいという女子が多い現代日本では、キスがプロポーズと同等という位置付けにはなるまい。
もちろんキスの何日か後、人によっては数ヶ月後には彼女の左手薬指のサイズを聞いて、婚約指輪をジュエリーショップで見つけ、初めて会う女性店員さんと値段交渉しながら、適度な物を手にしてプロポーズという展開を考えてはいるが、彼女の頬に口付けをするという行為だけで入籍というところまでは思い描いていないだろう。
そういう訳で、俺はターニャ先生の頬に軽くキスをした。
チュッと。冷蔵庫から出したカスタードプディングを食べるように。
さらにキスは、ある行為の交換条件であった。
つまりターニャ先生は電子弓の放ち方を教える立場でありながら、そのコツを教える代償に“キス”を要求してきたのだ。
公平に考えれば、教師が電子弓の扱い方をアドバイスするのは至極当然のことで、その代償にキスを求める発想そのものがちゃんちゃらおかしい。
地上も地獄も女性はズルい。
なんとかして男子を手玉に取ろうと手練手管を使う、いい意味で。
当のターニャはもう結婚する気でいるようだ。
ターニャの従姉妹に当たるエカテリーナ王女も同じ派閥のようで、最初から俺とターニャを結婚させようと目論んでいたらしい。そうすれば、キルカ族とシボルチ族が親戚関係になり、争いが減るだろうという智謀を巡らしたのだ。
とにかく今、俺はシボルチ族の皆から愛の祝福を受けている。
「くっくっく。大胆な男だな、お前は。気に入ったぞ」
チュッ。
はやし立てる民衆の声を受けてターニャが俺の頬にキスをした。
結婚指輪二個分の近さでターニャを見ると、思っていたより鼻が高いことに気がついた。
今までターニャの脚や美しいお尻ばかり見ていて、全く気に留めていなかった。
いやはやシボルチ族の結婚式も悪くない。
俺は至福の時を迎えた。
キルカ族のスパイとしてシボルチ族の領土に潜入していることも忘れて・・・。
「それで、今日は一緒に寝るんだろ?」
「あ、ああ。そうだな」
結婚相手が決まるとシボルチ族は積極的になる。もしかして、エッチも激しいのだろうか。
「な、何か特別な夜になりそうだな」
「くっくっく。そうだな。刃」
俺はターニャと腕を組んで、にわか造りの結婚式場を後にした。