第一 12 電子弓には元々矢がない
夜が明けた。太陽は出ていないが・・・。
シボルチ族特製ベットに付随したオートタイマーがなければ、ずっと寝ていたかもしれない。
俺は今、宿舎の中にいる。
他にベットはなく一人きりだ。窓にそっと目をやると城外の様子が観察できた。やはり外も暗い。中より闇だ。
真冬にほとんど陽が上らない北極圏に移住した気分になる。きっと地獄の種族は誰もが北欧人のように色白なのだろう。
城内はコンビニ前の駐車場のような明るさで、外は大翼種類オオコウモリが生息する薮の先にある洞窟のように深い暗黒。一人きりで来たら真っ先に逃げ出したくなる景色だ。
しかしながら、外にも真夏の蛍のごとく光る植物が咲いている。名を夜光花というらしい。地上にいる頃、カスミが教えてくれた。花言葉は“希望”らしい。
地獄にも花言葉があるとは思わなかった。
住む場所が違えど、人の思考はそう変わるものではないという事実、俺は地獄の大衆に親しみを感じた。
言い忘れていたが、地上と違う現象がもう一つだけある。
それは“時間“だ。
「地獄の一日は地上の一年に相当する」
今、俺は地獄へ潜って二日がすぎた。つまり、地上では二年が経っている。実感は湧かないが、地上と同じだけ俺のまつ毛や小指の爪、かかとの角質、黄色ブドウ球菌なども二年分しっかり老化しているそうだ。
何はともあれ、キルカ族の領土を取り戻すまで俺は地上へ帰れないだろう。もしかしたら、地獄でカスミと一生を共にするかもしれない。
なぜなら、カスミがキルカ族の王女の地位にあるからだ。王様や女王様の存在を耳にしていないことから、見知らぬ土地へ亡命したか、天に召されたのだろう。
そして、あと八日で俺とカスミの子供が生まれるらしい。“らしい”というのは地上でそう聞いたからだ。
もう少し詳しく話そう。
そもそも俺は地獄の種族との接点がない。
地獄の事情を一切知らないので、仮に王女が嘘をついていても否定することができない。つまり、地上の常識は通じないので、あるがままに受け入れるしかないのだ。
宇宙船に乗って地球へと降り立った地球外生命体の両親がどのように有性生殖して地球時間に換算して何日で子供が生まれるかなんて想像できないのと同じだ。
もしかしたら、ミズクラゲのように無性生殖できるかもしれないし、耳の穴から卵を放出して冷蔵庫で冷やして育てるかもしれない。はたまた手をつないだだけで爪の先にある、おしべとめしべが受粉し、三日足らずで新しい命が育まれるかもしれないのだ。地上であり得ないことが地獄では起こり得る。そう覚悟しておいた方がいいかもしれない。
でも、地球基準で考えて子供が十日で生まれてくるだろうか。
十日というのは地獄時間での十日だ。地上時間に置き換えると十年かけて孕っている計算になる。まるでアブラゼミではないか。
と、ここで地獄の種族も地下に住んでいるのだから、蝉のような体の仕組みをしていてもおかしくはない。そうなると俺は蝉とエッチをしたのかと驚動を受けるから、その点は深く考えないことにした。
いずれにしろ、俺の子供はキルカ族唯一の後継ぎとなる。
さて、ここはシボルチ族の訓練場である。
すでにターニャ先生は先に来ていて、的の調整や武器の手入れをしていた。これも特別強化訓練なので他の生徒はいない。
訓練場は裏門のすぐそばにあり、戦闘に即応できる配置となっている。以前、俺とカスミが接触したときにターニャ先生が速攻できたのは、たまたま訓練場にいたからと話していたのを思い出した。
「刃よ、今日は電子弓の実戦訓練だが、よく眠れたか? くっくっく」
今日のターニャ先生はラフな格好だ。胸当てもせず短パンにタンクトップ、そして春物の淡い色のロングコートを羽織っている。地獄に春夏秋冬があるか分からないが、春めいた軽そうな素材に見えた。
「なんとか」
「では、まず電子弓を渡しておく」
「おお、ついに!」
俺は両手で恭しく受け取る。
「感嘆の声を上げるのはまだ早い」
俺は頭上に幾つかのクエスチョンマークを浮かべたような顔でターニャに目を向ける。その顔は入学したばかりの小学一年生並みにあどけない瞳であっただろうと思う。
「授業でもやったが、電子弓には元々矢がない」
ターニャ先生の顔が弥勒菩薩のように優しくなった。
「じゃあ、どうやって光の矢を?」
ふう、と一つ溜息をついてからターニャ先生が説明を始めた。
「静電気と教えたはずだが・・・・。ここは多めに見てやろう。実戦と座学の知識が合致すると覚えも良くなるものだ。よく見ておけ」
するとターニャ先生は弓の弦に手をかけ、大きく息を吸ってからぴたりと呼吸を止め、そのまま弦にかけた四本の指をビュンと離した。瞬間、たこ焼きほどの光の玉が四個、モノレール二両分の距離を音速で駆け抜け、ドドドドと命中した。
肉眼では指を離したと同時に的に当たっていたように見えた。
「す、すげえええ!!」
俺は的のそばまで駆け寄り、その矢の正確性を確認しに行った。
誤差は5Bの鉛筆一本分といったところだ。電子弓はアサルトライフル並みの精度と速さを備えていた。
「くっくっく。見たか」
ターニャは電子弓を片手で持ち、あっさりと実演射撃をしてみせた。
「見た!! 見ました。ターニャ先生!!」
「やり方はだいたいわかっただろう? 試しに一度放ってみろ。何事も実戦が大事だ」
ターニャに言われ、見様見真似で弦に指をかけ同時に四本の指を引っ張る。すこしだけ溜めてから、勢いをつけて離す。
しかし、光の玉すら発射されなかった。
俺は弓が壊れているんじゃないかと弓本体を二度見したぐらいだ。ターニャに“なぜ”という顔で訊くと、ただニヤリと笑うだけだった。
おそらくターニャ先生も最初は死ぬほど訓練をしたのだろう。表情から数ヶ月は訓練が必要かもしれないということが感じ取れた。
負けず嫌いな俺は、その後もひたすら電子弓を放ち続けた。




