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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

気狂いのアイデンティティ

作者: 走馬灯

私は真っ暗な道を息を切らしながら、ひたすらに走って逃げている。

耳に聞こえる自分の呼吸のなんと苦しそうなことか。

数メートル毎に規則的に存在する電柱の灯と信号だけが光源でそれだけ以外は何も見えないほど夜の黒が塗りたくられている。

何も見えやしない。私は数センチ先に誰かがいたとしてもそれに気づくことも出来ないだろう。

それ程暗く、怖い。

しかし怖いという言葉は正確な今の私の感情を表現出来ていない。根本から違う。

私はこの感情を言葉として概念を普遍化する事が不可能である事にどこか気づいている節があった。

それは誰もが私のような感情を覚えた事が無いとある種諦めているからだ。


現状の説明は言葉にすると支離滅裂な物となる。

それでも順を追って説明せねばなるまい。

気がついたら私の体は別人の体を乗っ取っていた。

これは比喩ではない。事実として私は他人の体を自由自在に操れるようになっていた。

記憶も自分の名前が何であったかも覚えている。

それ故に自分が他人の体を操っている事に気づくまでに短くない時間を要した。

乗り移り始めた時私になる前の人物は夕飯を食べていたらしい。

当然のことながら、私の母親を名乗る人は私の事を私の名前ではない名前で呼んだ。

『さゆり、どうしたの?』

そう心配するような様子で覗き込む様に私の顔を舐めるように見て、そう言った。

その場では大丈夫だよと言った。ご飯は残した。

誰か分からない人が食べたご飯なんて食べれないから。

次の日生活をしていると私を私の名じゃない名で呼ぶ人は当然母親を名乗る人だけでは無い。

周りの人が全員私の事を違う名前で呼んだ。

そうしたらどうだ、私が間違っている気がしてきた。

今までの私が嘘でここからの私が本当なのではないか?

そしてまた思うに『私は何人目だ?』

この体を器と言って器のキャパシティが1つの人格だとして、いま私が乗っ取っている。

私が誰かに乗っ取られる話も無くは無い。

むしろ可能性で言えば高いのではないだろうか?

その時私はどこにいる?

今の私が本当だとして私の本当はどこまで続く?

そもそも今本当の私なの?今までの私は何?

別の人の体を乗っ取った私がまた別な私に乗っ取られる気がして私は逃げている。

とりあえず今は私じゃない私の名を聞きたくないので家を飛び出している。

ご飯など食べない。ご飯を食べることが入れ替えの起点である可能性も否定出来ないからだ。

自分の事を名前や体という根本を否定される恐怖は他人が想像するそれとは数段違った気持ち悪さとなって私を襲った。

想像すらしえない恐怖だ。

何を言ってるか分からないに違いない。

いっそ別人としての私でこれからの人生を生きようとも思った事もあった。

だが私はそれを拒んだ。

残りの人生をあの気持ち悪さの中生きるなど私にはできない。

余りにも酷い。


我武者羅に走り疲れて歩きたくなった。

いつの間にか私は山の方へ来ていて、一本道の道路の右側には舗装されてない砂利道へと繋がっている。

言わば別れ道、Y字路だ。

私はなんとなく砂利道へと進んだ。

地面の石が靴を通して私の足を刺激する。

足を進める度ザリ、という音が鳴る。

どこかでガサガサと草むらの中何かが動く音がする。

人か?

私を探してきた人がここに来たのか?

現実はその予想に反した。

音の方向を見ると人はいない

虫か、蛇か。他の生き物だろう。

そう安心しきった所だった。

『さゆり!』

私ではない名前を呼んだ人物がいる。後ろを見ると母親を名乗る人が立っている。

『私はさゆりじゃないって何回も言ってるじゃん!』

この言葉を何回も言う度にその人は何よりも悲しい顔をしてしまう。なぜ?と問うてる様にも見える顔だ。

でも残念ながら私はそのさゆりでは無いのでそんなことは知らない。あなたがどう思おうと知った事では無い。

それはもう私は悪くない。

だから私以外が悪いに決まっている。

『変な名前で呼ばないで気持ち悪い』

私がそう吐き捨てると母親を名乗る人は『なんでそんな風になっちゃったの』と言いながら弱々しく私に近づき、私を抱きしめてすすり泣いた。

『戻ってよ』かすれそうな声で私にすがりついた。


この時の私は虫が全身を這いずり回っているような気持ちになった。

なんと気持ち悪い…

何に泣いているのだこの人は。

同時に腹立たしくもある。

何度言ったら私はあなたの知る私でないと理解できるの…!

私はこの人に操られようとしている…!

この安い泣き落としによって私は別人にすり替えられようとしていると思うと心には激情としか呼べぬ苛立ちが生まれた。

私の母親を偽ったり私を別人にすり替えようとしたりなんとも醜い女だ。

きっと私は入れ替わってなどいない。

この女に騙されようとしているのだ…!

危ない所であった…!


『私をさゆりにするな!』

そう叫ぶと足元に転がっている一際大きな石で女の顬を殴った。その女はまたも弱々しくヘロヘロと地面に倒れた。傷口は赤黒い血が溢れていて傷口の凹凸すら見えない。

『気持ち悪い!』

叫びながら石を女の顔めがけて投げるも力みすぎて石は女の顔の左の砂利に当たってポンポンと跳ねたあとコロコロと転がっていく。

心臓の鼓動が早い。生きていて一番早い。

変な話だが、それに私は深い生を感じた。

バクバクと鳴る鼓動を少し気持ちいいと思った。

このままいっそ死にたいとすら思う快楽だった。




周りを見渡すと血を流して倒れている人がいる…!

私は見覚えの無い砂利道にいる。

どこか分からない所に私はたっていて傍には女の人が倒れている…!

心臓がかつて無いほど早く動いている。

とりあえずこの女の人を助けなくちゃいけないと思った。

『大丈夫ですか!?』と言って女の人に近づくとなんとその人はお母さんだった。

息を飲んだ。お母さんが何故か顬から血を流して倒れている。

傷口は血で見えないが恐らく大怪我だ。

血の量が尋常ではない。

すぐに救急車を呼んだ。到着までに15分程度かかると言われた。

その旨を苦しそうなお母さんに伝えた。

そして『こうすると楽だよ』と言い私はお母さんを仰向けにした。

お母さんは意識が朦朧としながらさゆり、と私の名を呼んだ。

私はその言葉に頷いて『大丈夫だからね』と声をかけた。

救急車が到着すると私は事情を聞かれたが私も分からないので『道を歩いていたらお母さんが倒れていた』と言った。

救急隊の人に『お母さん、大変だね。転んだっぽいね』と言われた。

大変なんて物ではない。

気がついたらお母さんが倒れているし、なんだか記憶が抜け落ちている。

何故私は砂利道にいたんだろう?

実は記憶が無い間に私がやったと支離滅裂な想像をすると怖い。

そんなことは無い。だってお母さんを石で殴るなんて私がする訳ない。

『そうだよね…』と呟いてその日は家に帰った。

家に帰ると葬式みたいだった。

お父さんも弟も全員が黙っていた。

そのうち病院から電話がかかってきたらしい。

『奥さんは命に別状は無いです。だけど記憶を無くしてしまったみたいです』

要約するとそういう事だ。とお父さんに言われた。

『そっか』と私は下を向いて言うとトボトボと私の部屋へ行った。

お母さんは記憶をなくしてしまったらしいけど、命に別状は無いらしい。

喜んでいいのか、悲しんでいいのか。




顔を布団でぐるぐるに巻いて『やったぁぁ!』と叫んだ。

喜ぶに決まっている…!

記憶なんてあってみなさい。私が警察に捕まってしまう!

お母さんの体は私が動かしたのには理由がある。

『こうすれば楽だよ』なんて言って体を動かすと元の状態がわからない。

後は転んで大きな石が顬にぶつかったかのように偽装する。

こんな上手くいくなんて、面白すぎる。

笑いが止まらないが私はもう後戻りができない。

別人としてこれから先生きていかないといけない。

この事件の顛末がバレないように、私は時効までお母さんを石で殴る訳ないと思わせないといけない!

今、覚悟を決めた。これからはそうやって生きていく。それしかない。やってしまったもの。



『お母さん、退院おめでとう』

テーブルには各々の切られたホールケーキがある。お母さんはキョロキョロして戸惑いながら『ありがとう』と言った。

お父さんが『さゆりのだけ少しでかくないか?』なんて言ってみんなを笑わせる。

『さゆりって…誰だっけ…』お母さんがそう言うので『お母さん、さゆりは私だよ』と言う。

お母さんは『ああ……そうね……あなたがさゆりね…』と下を向いた。

お母さんは本当に記憶が無いらしい。

それはお母さんのお見舞いをしている時から感じていた。

私は警察に捕まることは今後無い…!

激情に任せた私を時々後悔する事もあるがこれもまた運命だよね。とてつもなく気持ち悪いけどこれに耐えないと生きていけないし仕方が無い。

もう別人として生きてるので、こうしてご飯を食べるのも怖くないし、良い折り合いの付け方だと思った。

『ごちそうさまでした』

みんなが夕食の皿とケーキの皿を水を張った中に入れていく。

お母さんが皿を洗っている。

『お母さん手伝うよ』

お母さんは私を見ると下を向いて『ありがとう』と言った。

しばらく無言で二人で皿を洗った。

お父さんと弟がゲームをしに階段を上がっていく音がするとお母さんから声をかけてきた。

『私、記憶なくて申し訳ないのだけど本当に私の娘なのよね?』

『本当だよ。何を言ってるの?お母さん、やばくない?』

そう言って笑うとお母さんはまた無言でフライパンを洗い始めた。

またしばらくして口を開く。

『お母さんね、嘘ついてるの。誰にも言えない嘘。』

『でも、誰にも言えないから秘密なんでしょ私にも言えないんでしょ?』

そう言って私は微笑む。

『まあ、そうよね…誰にも言えない…』

と言いながらお母さんはフライパンをしまい、次に包丁を洗おうと手に取るとお母さんは静止した。

マジマジと包丁を見ている。

『お母さん?』

そう問いかけた。

お母さんの手が震えていたからだ。

『さ……ささ……さぅ……』

口が上手く動いていない。発声がままならない状態だ。

『え?』

『さゆりの真似をしないで…!』

ズブリ!と包丁が私の腹に刺さる。

今まで感じたことない死への痛みが走る。

お母さんはドタ、ドタ、とゆっくり後ずさると食器棚にぶつかってその場に座り込んだ。

『私悪くない……悪くない………』

ずっとその言葉を呟いている。

私は叫びながら腹の包丁を抜いた。

抜く時も内臓が切れて激痛が走る。

この女。

フラフラとした足取りで女へ近づく

『悪くない私は悪くない悪くないもの私私は悪くない私悪く悪くない………』

それは私には虫の羽音のように聞こえた。

気持ち悪い。視界がぼやけてくる。

私は包丁を刃が下に来るように縦に持ち替えて言葉にならない叫び声を上げながら包丁を頭に突き刺した。

虫の羽音はもう鳴り止んだ。

虫は死んだ。

最後までこの女は私の邪魔をする。

さゆりって誰だよ。

視界がゆっくりと暗くなっていく。

次があるならこんな理不尽はこれっきりに欲しいな。

誰も悪くないじゃんね。

可哀想な私。

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