第四十一話 相談
結局、吉川先輩の実験ショーは帰宅のチャイムが鳴るまで続いた。が、正直記憶に残っているのは最初の過冷却くらいだ。
部室の鍵は副部長の早乙女先輩が職員室に返しに行き、吉川先輩と草部先輩は先に帰って行った。
オレは一人、家までの道をトボトボと歩いている。
夕日が道を照らし、どこからかカラスの声が聞こえる。心なしかまるで自分を小馬鹿にしているように聞こえた。
「……はぁ」
深いため息が漏れる。先輩たちがせっかく楽しくやっていたのに空気を壊してしまった。その罪悪感と自分に対する苛立ちが体を駆け抜ける。
どうしてかあそこでシルバーの顔なんて思い出したせいだ。そのせいで、関係ない人たちにまで迷惑をかけてしまった。まったく、いい迷惑だ。
湧き上がる苛立ちをここにいない相手にぶつけることで発散させようとするが、心の中のモヤモヤが晴れることはなかった。
「あれ、灰原?」
不意に名前を呼ばれ、隣の方に視線を移す。
そこは学校からほど近い小さな公園だった。ブランコとすべり台、砂場があるだけの本当に小さな公園だ。
その端っこの方に設置されているベンチで、こちらを見上げていたのは三城田先輩だった。
普段はしっかりと着ている制服は着崩れており、シャツが外に出ている。傍らにはビニール袋が置かれており、中からネギが顔を出していた。
「奇遇だなこんな所で会うなんて、部活帰りか?」
「……えぇ、そうです。先輩はどうしてここに?」
「妹の迎えに行って買い物した帰りだったんだけど、妹が公園で遊びたいって言うからちょっと寄り道」
よく見れば先輩の隣には小さな鞄が置かれており、公園のブランコを見れば小さな女の子が楽しそうに揺れていた。
「……吉川先輩から聞きました。大変ですね」
「ま、親が両働きだと上の兄妹はこうなるわ……灰原、今急いでいるか?」
「……? いえ、特には」
「そうか、ならちょっと話そうぜ。部活での事とか知りたいし、あと案外ヒマなんだよ」
そう言って三城田先輩は自分の隣の空いたスペースを指差した。時間的にはまだ帰宅まで余裕があるのでオレは頷き、ベンチに座った。
「それで、今日は俺がいない部活はどうだった? 依織の奴爆発させてなかったか」
「……第一に聞くことがそれですか」
「いや、あいつ前に実験で爆発騒動起こして先生たちから目をつけられているんだよ。また同じような事があったら部的にマズくてな」
しみじみとした目で遠くを見る三城田先輩。一体、どんな苦労があったのだろうか……。
「……爆発はなかったですよ。今日は……えぇと、過冷却の実験をしました」
「あぁ、あれね。俺も小学生の時に見せられたわ」
「……昔からあぁなんですね」
「そうだな、昔からあぁだあいつは」
自由奔放、好奇心旺盛、実験大好き。どうやら吉川先輩の性格は生まれた時から決まっていたようだ。
いつも楽しそうに笑って、勢いよく実験して、嬉々として原理の説明を行う。
その姿は、まるでゲームの中のあいつのようで……。
だぁ! 散れ! 雲散しろ!
「どうかしたか灰原?」
「……いいえ、なんでもないです」
「……なぁ、灰原。お前はまだ入学したてだし、俺らは頼りない先輩かもしれないけど悩みがあるなら言ってみてくれないか」
優しく穏やかな口調で三城田先輩はそう言う。
「……頼りない、なんて思ったことはないです。先輩たちはオレの噂を知っても、ちゃんとオレの話を聞いてくれました。でも、オレの問題に先輩を巻き込むのは……」
「なぁに、言ってんだお前。後輩の問題に先輩が助けるのは当たり前だろうが」
きっぱりと言い切る先輩の言葉に嘘はなく。本当にそう思っているんだということが伝わってきた。
だからか、これまで出て行くことのなかった言葉がすんなりと口から漏れ出ていた。
いつの間にかオレは先輩にシルバーとの事を話していた。
出会いとかは省いたが、意見が対立したこと、そしてこのモヤモヤのこと。
一度口を開けばスラスラと喋っていた。いつもこれくらい饒舌だったらいいのにと思ってしまうほどに。
「なるほどなぁ。要は友達とケンカしたってことだな」
「……あれ、オレの説明がたった数文字で表された」
結構長く話したはずなのに、あっさりと簡単にまとめられた。
オレの体験談ってもしかして案外そうでもない?
「で、どうやって仲直りしたらいいのか分からないって所か」
「……いえ、オレは別に……それに、あいつは友達って言う訳では」
「友達じゃない奴のことでそんなに悩んだりしないだろ」
なんてことないように、あっさりと三城田先輩は言った。
「……」
「ま、俺も昔は依織とケンカしたことあるから分かるけど」
「……ケンカ、するんですか」
「そりゃぁ付き合い長いとケンカの一つや二つはする。特にあいつは自由だからな」
「……その度、どうしてるんですか?」
これまで誰かとケンカなんてしたことはない。だから、普通の人たちはどうやって仲直りしているのだろうか。
「うーん、大抵はどちらかが謝って終わりなんだけど。深刻な場合は、まずは話し合いだな」
「……話し合いですか」
「あぁ、相手がどう思っているのか、何を考えているのかをちゃんと冷静に聞く。結局、どんなに仲良くたって他人だからな、考えが理解出来ないこともある。でも、そのまま疎遠になるよりは相手が何考えているのかを聞いて、譲歩出来る部分は譲歩する。俺たちの場合はそんな感じかな」
三城田先輩は言い終わるとその場に立ち上がる。前を見れば妹さんがこちらへ走ってきていた。どうやらもう帰るみたいだ。
「灰原、俺の言った通りにしろとは言わない。だが、このまま友達と疎遠になるのが嫌なら一度ちゃんと話し合った方がいい」
「…………」
三城田先輩の言葉に何も言い返せなかった。
相手が何を考えているのか分からないのは当然だ。だってオレはシルバーじゃない。あいつの考えが分かるのはあいつだけだ。
けど、オレはちゃんと知ろうとしただろうか。あいつPKを庇う事に苛立ちを覚えただけだった。
オレは何もあいつから聞いていない。
「……先輩って、兄みたいですね」
「兄貴だからな」
にかっと気持ちよく笑う三城田先輩。彼の背中はとても大きくて、頼もしく見えた。
もしもオレに兄がいたらこんな風だっただろうか。いや、父さんみたいな熱血マッチョかもしれない。それは勘弁だ。
「役に立ったか?」
「……はい、ありがとうございます」
「おう、若いうちは何事も経験だ。頑張りたまえ少年」
「……あの、先輩っていくつですか」
一つしか違わないはずなのに、大人みたいな人だ。どうしたらこうも大人びたことが言えるようになるだろうか。
「はは、んじゃな灰原、しっかりやれよ」
「……はい、ありがとうございました」
「気にするな、後輩の悩みを解決するって先輩らしいことやってみたかったんだ」
最後に子どものような笑顔を向けて、三城田先輩は妹さんと公園から立ち去って行った。手を振る二人の姿が見えなくなるまでオレは眺めると、傍にある鞄を持って公園から出た。
いつもの足取りでゆっくりと歩く。
徐々に足幅が大きくなる。
歩む速度が自然と早くなる。
そして、気づけばオレは走り出していた。
走って、走って、やがて家に辿り着いた。
「ただいまっ!」
靴を蹴るように脱ぎ、リビングの扉を開ける。
リビングと併設しているキッチンでは母さんが夕食の用意をしている最中だった。
母さんは慌てた様子のオレに目を丸くさせている。
「母さん、今日のメシは何時くらい!?」
「え、えぇと、19時くらいかしら?」
「分かった!」
まだ17時過ぎた時刻。あいつがいるかは分からんが……いや、あいつならいるはずだ。
階段を上がり、部屋に入る。鞄を適当に置き、制服の上着を脱ぎVR機を被る。
パソコン起動、アイコンクリック。何度も行ったゲーム開始手順を済ませベッドに寝転ぶ。
「……ゲームスタート」
そうして、オレは瞼を閉じた。




