第三十九話 怒りの翌日
翌日の早朝。
目覚まし時計が鳴るより前に起床した。いや、起きてしまったというべきだろうか。
結局、あの後教会を出てすぐにログアウトした。
シルバーが追いかけてくることも、追いつくこともなかった。
「……くそ」
ログアウトしてからもオレの中に言い表せない感情がグラグラ、とさせていた。まるで、立っている場所を崩し落そうとするかのように、眠りを妨げてくる。
なのに、ようやく寝たかと思えば気づけばもう起きていた。眠った気がしない。
それがまた気分を悪くさせた。
モヤモヤとした感情と格闘しながら階段を降り、リビングの扉を開けると台所で朝食を作っている母さんがオレを見て目を丸くさせていた。
「あら、おはよう敦獅。最近は早起きね」
「……おはよう」
別に好きで早起きした訳ではないが、それを指摘するのも面倒なので席につく。
「……ご飯は?」
「もう少しだから待っててね。牛乳あるから飲んでなさい」
「……うん」
牛乳、成長期の体をレベルアップさせてくれるアイテム。効果があるかどうかは分からない。
白い液体をコップに注ぎ、乾いた喉を潤す冷たさがよく感じられる。思えば、昨日の戦闘から飲み物を飲んだ覚えがない。そりゃ牛乳が一層うまく感じる訳だ。
「あぁ、そうそう敦獅。明日お父さん帰ってくるみたいよ」
「……連絡あったのか」
「えぇ、昨日夜中にね。飛行機に乗る前だったみたい。今頃お空の上ね」
「……ふぅん、そう」
「全く、淡白な反応ね。もう少し嬉しそうにしたらどうなの。お土産買ってくれたみたいよ」
「……どうせよく分からないやつだろう」
海外に遠征に出ることが多い父はよく土産をくれる。まぁ、たいてお菓子とかなんだが何故かオレにはグローブやらダンベルやらと筋肉系のものが多い。
男なら体を鍛えろ、というのが父の言葉である。脳筋という言葉は父のためにあるのであろう。
「……敦獅、何かあった?」
「……急になに?」
「今日のあなた、いつもより口調が淡白だわ。何か悩みか嫌なことでもあったの?」
「…………」
母さんの言葉に沈黙で答える。
オレ自身はいつも通りのつもりだが、母さんから見たらどうやらオレが不機嫌に見えたらしい。
「……別に、何もない」
「……そう、ならいいけど」
それ以上母さんが言及することはなく、朝食作りに作業を戻した。
……多分、お見通しなのだろう。オレが嘘をついたことも、話したくないという判断をしたのも。
そして、それを尊重してくれた。今はその配慮がありがたかった。
その後、少しして起きてきた杏沙がオレを見て驚いたのを見てもう少し普段の生活を改めようと思った。
☆☆
週明けの月曜日というのは、どうしてこうも気分が落ちるのだろうか。
登校の途中、電線に止まる烏を見上げながらぼんやりと歩く。かぁかぁ、と忙しなく鳴く烏は一体何を考えているのだろうか。
そんなどうでもいい、なんの役にも立たない思考を行っている中。
「あ、おはよう灰原君!」
背後からタタタ、と軽快な足音を立てて横に並んだのは加賀だった。
ニコッ、と笑う顔は本人の元気度合いを表しているかのようで、だらけ切っているオレには眩しく思わず目を細めてしまった。
「……あぁ、おはよう」
少し間を置いてから挨拶を返す。他のクラスメイトと比べて加賀には慣れているが、やはりこのテンポの遅さは変わらない。最早これが治る気がしない。
しかし、当の加賀は一切気にした様子もなく「奇遇だね」と笑顔のままだった。
こいつはあれか、聖人に部類される人間なのだろうか。
「……あぁ、そうだな。加賀はいつもこのくらいの時間なのか?」
「うん、そうだよ。朝練ある日はもっと早いけどね」
「……そういえば前にランニングしていたな。ひょっとして早起きが得意なタイプ?」
「うーん、どうだろう。私としてはいつも通りの時間帯に起きているつもりだけど……」
「……ちなみに、いつも何時に起きてる?」
「何もない日は5時起きだね」
え、はや。オレ早くても7時に起きてるんだけど。それでも眠たいとごねているんだけど。
早起きが苦手な人間からしたら衝撃的な言葉に驚く。
「……凄いな」
「そうかな? いつも通りに起きてるだけなんだけど」
「……オレには無理だから」
「え、でもこの前ジョギングしてたじゃん」
「……あの日は偶々早く起きただけで、いつもはもっと遅いんだ」
「ふぅん……あ、早々昨日灰原君学校来てた?」
「……あぁ、来てたけど何で知ってるんだ?」
「練習してたら灰原君見かけて、休日なのにどうしてかなぁって。何か用事があったの?」
「……ちょっと部活でな、歓迎会して貰った」
「へぇ~歓迎会かぁ、いいなぁ~ウチそういうの無いんだよね」
テニス部は確かに人数が多い。見学の際にも二、三年生だけでも2、30人はいたし一年生入れればもっと多いだろう。それだけいると、歓迎会するだけでも会場がないだろう。
「いい先輩たちみたいだね」
「……そうだな」
加賀の言葉に小さく頷く。
こんなオレを受け入れ、噂を聞いてもちゃんと向き合ってくれる先輩たち。いい人たちに迎え入れられたのは正直嬉しかった。
「真奈美!」
ふと、先輩方への感謝を心の中で述べていると後方で加賀を呼ぶ声が聞こえた。でもその声はどこか怒っているようなものだった。
オレと加賀は背後を振り返る。視線の先には一人の女子生徒が仁王立ちしていた。
えぇと、確か加賀の友人の木嶋だったか。前に紹介されたことがある。
というか、なんでか知らないが木嶋はご立腹な様子だった。腕を組み、オレと加賀を交互に視線を寄越す。いや、オレに対しては睨んでいるのだけど。
「おはよう、どうしたのりっちゃん?」
「……よ、よう」
加賀はキョトンと首を傾げ、オレはぎこちなくなりながらも挨拶を交わす。
しかし、木嶋はオレや加賀の言葉に答えずずんずんと近づいてきた。そして、その速度はオレたちの前まで来ても止まることなく、すれ違い様に加賀の手を取るとそのまま歩き去って行く。
「え、えっ、どうしたのりっちゃん!?」
「いいから!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! あ、えと、灰原君、また後で!」
「……お、おぉ」
連れ去られて行く加賀に戸惑いながらも片手を挙げて応える。
……え、どういうこと?
一体、何が起こっているのか分からず暫くオレはその場で呆然と立ち尽くしていた。
☆☆
「まったく、アンタって奴は……!」
「ま、待ってよりっちゃん! 何、どうしたの!?」
真奈美を連れ去った梨津は学校に到着すると人気の少ない校舎の陰へと入った。
ようやく解放された真奈美は友人の唐突な行動に目を丸くさせる。だが、彼女の目には友人が呆れつつ怒っている姿が映し出された。
「なんであいつと一緒に登校してるのよ。人の目もあるって言うのに」
「え、だって偶々会ったから」
「から、じゃない! アンタね、前にも言ったけど灰原っていい噂されてないのよ。そんな人と一緒にいたらアンタも何か言われるかもしれないじゃない」
「な……それは前にも言ったじゃん! 灰原君はそんな人じゃないって!」
「だとしても、周りの目はそうはいかないのよ。事実、灰原に関わろうとする奴いる?」
「そ、それは……」
梨津の言葉に真奈美は口ごもる。彼女の言う通り、クラスで敦獅と会話するのは自分くらい。他のクラスメイト達は遠巻きで見ているだけである。
「それに、また妙な噂が立ってるのよあいつ」
「妙な噂……?」
敦獅の噂は自分が関わっているもののみ。それ以外では敦獅の性格上、問題を起こすとは考えられなかった。
「あいつ、歴地化学部に入部したっていう噂が……」
「え、うん、本当だよ」
「な!? それマジ!?」
「うん、本人が言ってた」
「マジ……」
「え、それが噂? なんで、普通に部活に入部しただけじゃん」
「あぁ~アンタまだ知らないのね。あの部活のこと……」
「??」
梨津の苦いものを噛んだような表情に真奈美は疑問符を頭に浮かべた。
梨津は周りに誰もいないことを確認すると、口元を隠すようにして呟いた。
「あのね、歴地化学部って変人の集まりで二年生の間じゃ相当有名なのよ」
「へ、変人の集まり?」
「なんでも、理科の授業中には爆発起こし、課外学習では一人勝手に採掘して、歴史の授業では先生の話より長く語り授業を妨害、などなど噂はたくさん。とにかく、ヤベェ集団ってこと」
「え、ええー、それはいくらなんでも誇張されてない?」
「私も全部が全部そうだとは思ってないわよ。でも、そんな集団に関わりを持っているだけでも遠巻きに見られるのに、さらにそこにアンタまで加わせる訳にはいかないのよ」
「で、でも、灰原君、先輩たちのこといい人たちって言ってたよ。そういう噂で彼が避けられるのは……」
「とにかく! あいつとは必要以上に近づかないで。じゃないと今度はアンタまで変な目で見られるんだからね」
反論しようとする真奈美に梨津は無理やり話を終わりにして、教室へと向かってしまった。
遠ざかる友人の背中を眺めながら呟く。
「……どうしよう」
困ったことになったと真奈美は頭を抱えるのであった。




