第三十六話 遭遇
《ガウス街》から少し離れたジャングル風のフィールド《ミリュ森林》。密集した木々が行く者の歩みを阻み、体力と気力を削る。
空から見たことのない鳥が飛び、見たことのないキノコが道端に生えており。
見たことのないモンスターが目の前に立ち塞がっていた。
「ほっ!」
シルバーの軽快な声と共に剣が豹型モンスターの首に突き刺さる。
急所への攻撃に豹が飛び跳ねる。背中に乗っていたシルバーがヒラリ、と近くの木に移る。
「ファング」
痛みに悶える獣から避難したシルバーがオレを呼ぶ。
いつも通りなやり取りなので、特に返事をすることなく豹との間合いを詰める。
「……【ボルトスマッシュ】」
奴の顎の下から微かな電気を迸せたオレの掌底を振り抜く。
下からの衝撃にモンスターの首の骨が折れる音が響いた。HPが0になった豹は光の粒子となり消えて行った。
「……ふぅ」
「いやぁ、結構時間かかったな」
戦闘が終了し、樹から降りたシルバーが不服そうに呟く。いや、タイムアタックをした覚えはないぞ。
シルバーの底知れぬ向上心に呆れつつ、周りを見渡す。
最近、【索敵】のレベルも上がり徐々にだが敵を感知できるようになってきた。これで、モンスターを探して奔走する必要もない。スキルってすげぇな。
「……今の所、敵の気配はなしだな」
「う~ん、そっかぁ、まだ【切り裂きジャック】には会えないか」
分かりやすく肩を落とすシルバー。オレからしたら四肢をバラバラにするPKなどに遭遇したくないが。
それにしても、この森は随分と深い。密集するように生えている植物のおかげで行動が制限されてしまう。地面にいるのが億劫になりそうだ。
空を見上げれば、気持ちよさそうに空を飛ぶ鳥が見えた。いいな、あんな風に飛べたら楽だろうに。
らしくないことを考えながら、オレは近くにある樹に上る。
「……先が見えない」
セーフティエリアまでどのくらいかと道を探すが、見渡す限り緑、緑、緑。
視界いっぱいに広がる緑色のせいで遠近感が怪しくなる。
「どうだった?」
「……無理。全然見えない」
「う~ん、出来ればセーフティエリアまでは行きたいんだけどな」
セーフティエリアにはモンスターが立ち入れずゆっくり出来る。フィールドに入ってはや一時間。もうそろそろ休憩がしたい。
肩をグルグルと回して体の調子を調整していると。
「…………」
「……シルバー?」
隣で能天気な顔つきをしていたシルバーの雰囲気が変わった。
これは、何度か目にしたことのある表情。こいつがこういう険しい顔つきになるのは大概ロクでもない時だ。その証拠に、シルバーは右手に携える剣に力が籠っていた。
いる。光が差し込みにくい森で、何かがいる。
オレは周囲を見渡し、もう一度【索敵】を使う。だが、結果は先ほどと同じだ。
何もいない。
だが、そんなはずがない。
オレが突き止められない、何かがいるのだ。それは、隣にいる奴が証明している。
「【熊殺し】」
静かにスキルを唱える。
前回のボス討伐で得たスキル【熊殺し】。効果は《無手での戦闘の際、STRが1.2倍上昇》。
嫌な予感がする。他の人間の様子からそう感じるのは初めての経験だ。
戦闘態勢に入って数秒無音が続いた時。
「来る!」
シルバーが叫ぶと同時、森が騒ぎ出した。
ガサガサ、と蠢く葉の音。吹き抜ける風が喧騒を奏でる。
__ピュッ!
一音。鋭い風が鳴った。
次いで、頬に切り傷が入った。
「っ!? なっ」
「ファング! 横に飛べ!」
呆然となるオレに、シルバーの声が入る。
驚く暇もなくほぼ反射的にシルバーの言う通りに樹の裏に飛び込んだ。
樹の陰に隠れたオレは斬られたと思われる頬を撫でる。斬られた感触が手に伝わる。
「……なんで」
いつ攻撃された? 敵はどこから現れた? なんで認識できなかった?
湧き上がる疑問は、オレの思考を占め体を雁字搦めにさせた。
「こんにちは!」
と、唖然とするオレに聞き馴染みのある元気な声が届いた。
「……っ」
樹の陰から顔を覗かせれば、シルバーが黒い影と剣を重ね合わせていた。
フード付きのマント。全身を覆っているため、体格がよく分からない。
使っているのはシルバーの剣よりも短い短剣。だが、力は拮抗しているようだ。
正面からの鍔迫り合いを行うシルバーは、一瞬だけオレを見るとすぐに目の前の相手に視線を戻す。
「あなたが【切り裂きジャック】ですか!」
拮抗する力の押し合いの中、シルバーが訊ねる。
「…………」
しかし、答えが返ってくることはなかった。
ギギギ、と金属が擦れる音が鳴り響く。だが、次の瞬間敵はシルバーとの鍔迫り合いを止めバックステップで一歩下がると軽い足取りで樹の上に飛んだ。
なんという跳躍力。音なくあそこまで飛ぶとは……。
敵が距離と取ったのを見て、オレも姿を現す。
「初めまして、俺シルバーって言います」
「……さっきから気になっていたけど、なんで挨拶してんだお前は」
「え? 挨拶は大事だろ?」
「……そういうことじゃなくてだな」
こいつ、目の前にいるのが極悪PKだと本当に認識しているのか?
いや、普通に阿保なだけか。
「……普通、はいそうですかって答えないと思うぞ」
「え、そうなの?」
「……はぁ」
けど、あの怪しい風貌は間違いなく巷で話題のPK【切り裂きジャック】だろう。
考えれば分かるようなものだが……。
「……それにしても」
どうやってこいつは【索敵】に引っかかることなく近づいたのだろう?
どういうトリックだ?
「多分隠密系のスキルだろね。スキルレベルが高いと【索敵】に引っかからないことがあるんだよ」
「……もう驚かないぞ」
だが、シルバーの説明で納得した。そんなスキルがあるのか。
多分他の被害者も気づかない内に襲われたのだろう。
「……それで、どうする?」
「話をする」
オレが言いたいのはそういうことではない。
もっと作戦的な話をしたかったのだが、こいつには無駄だったようだ。
結局、やることは変わらない。オレは相手を注意深く観察しながら構える。
オレの警戒など露知らず、シルバーは一歩前へ出て【切り裂きジャック】を見上げた。
「初めまして、俺はシルバー。こっちはファングです」
「……」
「あなたが噂の【切り裂きジャック】ですか?」
「……」
「……なんだこれは」
全く会話が成立しない様子に思わずツッコんでしまった。いや、ここまで無言を通されて何故こいつはなおも会話を続行させようとするのか。
当の会話相手である【切り裂きジャック】は樹の上に立ってこちらを窺っている。
このまま何事もなく立ち去ってくれればいいのだが……。
そんなオレの希望が叶ったのか。【切り裂きジャック】がゆっくりと樹のから飛び降りてきた。
《ミリュ森林》の鬱蒼とする植物とどんよりとした空気が揺れ動く。
自然、オレは最大限警戒して構えを取る。隣のシルバーは特に構えていないが、すぐに動けるようにしているのが分かった。
「うーん、どうしたら話をしてくれるのかな? ファング、いい案ないか?」
「……知らん、コミュ障に訊くな」
こちとら未だにクラスでは加賀以外誰とも会話出来ていないんだよ。悪かったなこんちくしょう。
「……ていうか、なんでお前そんなにあれと話がしたいんだよ。普通に考えておっかないだろ」
「そうか? 話をしないと分かり合えないだろ」
「…………」
さも当然とばかりに言うシルバーの言葉に、オレは言葉を失った。
シルバーの言う事は正しい。そして、どうしてか皆が忘れてしまっていることだった。
赤の他人が親密になるには会話するしかない。ごもっともな意見だ。
だが、それが上手くいくとは思えなかった。
「……相手が会話する気がないんじゃ無理だろ」
「うーん、そうかなぁ? あのー! 出来ればお名前教えてくれませんか?」
大声で聞くシルバー。しかし、相手から返答はなかった。完全に無視を決め込んでいる。
けれど、諦めの悪いシルバーはさらに続けた。
「良かったら俺たちと友達になりませんかー!?」
刹那、森が騒ぎ出した。




