第三十三話 噂
そこは三日月浮かぶ、夜の森。
月明りが照らすフィールドには、来るプレイヤーを狙うモンスターの眼があちらこちららに光っていた。昼間の明るさとは違う、不気味な雰囲気を漂わせるフィールド。
そこへ、三人一組のパーティが進んでいた。
BGO始まって日が経ち、そろそろ第二陣が来るかもと噂されるこの頃。そんなすぐに来るであろう日を予測して、彼らはレベル上げに余念がなかった。
フィールドボスも次々に倒され、広がる冒険。本格的に動き出したBGOの世界、期待に胸を膨らませていた。
「ふぅ、疲れたな」
「そうだな、だいぶレベルも上がったしそろそろ切り上げるか?」
「そうしましょう」
剣士の男が呟き、頃合いと判断して撤退を決める槍使い、そんな彼の指示に頷く女性のヒーラー。
彼らはモンスターに警戒をしつつ、もと来た道を戻る。
「それにしても、結構進めたんじゃないか?」
「そうだな。まぁ、それでもトッププレイヤーたちと比べられば全然だろうけどな」
「ああいう人たちって、連携して動きますからね。ガチ勢ってすごいです」
「俺たちみたいなエンジョイ勢には眩しいぜ」
「そうそう、エンジョイ勢と言えば聞きました? 【銀狼】コンビのお話」
「確か、BGO初の【先駆者】だろ? 話ならそこかしこで聞こえるぜ。しかも、たった二人でボス討伐したっていうんだから話題性も抜群だろ」
「その【銀狼】さんたちですけど、最近たくさんのギルドから勧誘されているようです」
「まぁ、当然だろうな。実力は確かなんだし、ガチ勢の攻略組たちが黙っている訳がない」
「ギルドを作る奴らも随分と増えたな」
「第二陣が来れば勧誘合戦ですねぇ」
たわいない世間話。BGOに関わるニュースはゴロゴロ転がっているため話題にことかかない。
暗い道を迷うことなく進む三人。
するとその時、剣士の男がピタリと足を止めた。
「……どうした?」
剣士が唐突に止まったことに、槍使いが訊ねる。
しかし、剣士は彼の問いに答えることなく背後を振り返る。
突き刺さるような視線。ひんやり、と冷たい嫌な空気。
剣士の剣呑な雰囲気に、二人も周りを警戒し始めた。
――モンスターか?
三人がそう判断しようとした時。
――風が吹いた。
スパッ、と空間を裂く音が鳴り響いた。
次いで、月明りに照らされる物体。
それは、剣士の左腕だった。
『っ!?』
遅れて反応した三人は武器を構えて互いに背を合わせた。
「な、なにごとですか!?」
「見りゃ分かるだろ! 襲撃だ!」
「敵は!?」
驚きの声を上げながらも、周りの警戒と索敵をする様は熟練さを感じさせた。
剣士が敵を探し辺りを見渡す。ふと、そこへ彼の目の前に人影が差し込んだ。
見上げた先にいたのは、月をバックに木の枝に佇む人間だった。
フードを深くかぶり、黒い布で体を覆っている。顔も分からない、性別も、プレイヤーかNPCかも分からない。
「……なんだよあれ」
不気味な容姿をしているそれに、剣士は嫌な気配を感じる。
PKか、それとも新種のモンスターか。判断材料がないから判断できない。
どうする、逃げるか。
よく分からないものに対する恐れと怯えが一瞬顔を出した。
刹那、それは動いた。
「ぐぅ……なんだよテメェ……」
男の小さな呻き声が漏れる。
三日月が照らす場には、戦闘の跡が色濃く残っている。
弾かれた剣、屍と化した仲間、抉れている地面。
それはたった数分の出来事。あっという間の攻防だった。
圧倒的な力、いやそれよりも彼が感じたのは目の前に立つ者の狂気。
もっと楽に倒せたはずなのに、目の前の者はまるでいたぶるようにゆっくりじっくりと相手の四肢を切断。意に介していない素振りで、攻撃を躱す様は並大抵の実力ではない。
そんな狂気を持つ者に感じたのは、恐怖のみ。
ゲームという枠を忘れさせるほどの強烈な体験。
「……くそが」
強すぎるその者に、剣士は悪態つく。
視界には、剣を振り上げる腕が映し出されていた。
その後、彼は気づけば目の前が真っ暗になっていた。
☆☆
桜も随分と散ってしまった。綺麗なピンク色の木々は徐々に若葉の色へと染まり、緊張して歩いた道にももう慣れた。
入学しておよそ一週間。すっかりと中学校にも慣れてきた今日この頃、通学路の道を歩きながらオレは欠伸をかみ殺す。
昨日もつい遅くまでやってしまった。これも全部シルバーの奴が悪い。
眠たい目を擦りながら心の中で暴言を吐く。昨夜、レベルを上げるまではいつも通りだったのだが、問題はその後である。
「……検証にどれだけ時間をかけるつもりだよ」
オレたちが初めてフィールドボス討伐を果たして数日。なにやらBGO内ではあの日の出来事は衝撃だったようでニュースになっていた。
BGO初のフィールドボス討伐。
レイドパーティを襲った悲劇。
逆境を覆した二人のプレイヤー。
銀色の剣士と灰色の拳士。
BGO初の【先駆者】。
その名も【銀狼】コンビ。
「……何故【銀狼】?」
その話題は暫くの間消える気配はなく、次々にフィールドが開拓されていく今でも囁かれていた。
おかげで街を歩く度に視線を感じてしまう。シルバーは気にしていないのか、それとも気づいていないのか、いつも通りである。
問題はここからだ。
【グリズリーロード】を倒して少しした時、新しいフィールドを探索している中オレは自分のアイテムボックスに知らない装備があるのに気づいた。
UW【強獣のブーツ】:AGI+50 DEX+50 HP+150
最初は首を傾げていたが、結構性能がいいのでとりあえず装備してみたのだ。
そしたら、案の定シルバーも気づき、説明欄を見せたのだが……。
『ええええええええ!! UW!? つまりそれって専用装備ってことだよな!?』
と、珍しく驚き検証かつ情報を集めた方がいいという話になったのだ。
そして、検証と情報収集の結果。
1.UWはフィールドボス討伐をしたプレイヤー(より詳しく言うとラストアタックを決めたプレイヤー)が手に入れることが出来る。(まだ仮説なので正しいか分からない)
2.手に入れたUWは誰かに譲渡したり、破棄することができない。
3.UWを装備することによって固有スキルを発動することができる。
以上のことが分かった。
まだまだ分からないことが多いが、数日で集めたにしては十分な成果だろう。
そして、オレが持つ【強獣のブーツ】の固有スキルであるが……。
固有スキル【超加速】:
1分間、スキル発動者のAGIを2倍にする。効果が切れた後、10分間のインターバルが必要。
AGIが2倍ということなので、オレの今のAGIが160だからそれが2倍……320か。おぉ、計算してみるとすげぇ。けど、一度使ったら10分間は使えないというのがシビアだ。シルバー曰く、ゲームバランスの調整ってやつらしい。あまり強いスキルだとゲームが崩壊しかねないとかなんとか。
結局、使いどころを考えないとダメという結論になった。
とまぁ、こんな検証などを連日行っていたため、最近は寝不足である。成長期にこんな夜更かしをしていると身長が伸びなくなるのでは、とこの頃心配になってきていたりする。
「……牛乳、飲もうかな」
☆☆
学校に辿り着き、オレが向かったのは教室……ではない。
昇降口で靴を履き替え、足先を旧校舎へと向ける。
歩いて数分で着いたのは見覚え新しい理科室。古めかしい壁色に溶け込んだ扉に手をかけて横へ開く。
「……こんにちは~」
おそるおそる開いた扉から顔を覗かせる。
「おっ、早いな灰原」
「やっほ~灰原君」
「……くぅ」
「……おはようございます。三城田先輩、吉川先輩、それに草部先輩」
オレを出迎えてくれた先輩たちに挨拶をして部屋へ入る。
今日は休日であるが、月に一回ある歴地化学部のミーティングの日になっている。
内容は大まかにまとめると、部の活動方針を決めたり予算内で欲しいものがあれば申請するため各々報告するということらしい。
薬品臭が若干漂う理科室の一角にある机まで歩き、ほとんど半分寝ている草部先輩の隣に座る。正面に三城田先輩と吉川先輩が座っており、三城田先輩の目の前にはファイルが開かれていた。
「……それは?」
「あぁ、これ? これ活動記録。一応つけておくように顧問に言われているから。俺、一応部長だし」
「……そうなんですか」
でも、この部って各自が好きにするという方針だと訊いたのだが、それでいいのだろうか?
なんとなく、部活って集団行動を取るようになっている気がするだが。まぁ、新入部員のオレがとやかく言うことでもないけど。
「……それにしても、どうして休日にミーティングを? 平日にやればいいのに」
「あぁ、それはね……っと、その前に最後の一人が到着みたいだ」
オレの質問に三城田先輩が答える前に、扉のガラスに人影が差し込まれた。
ゆっくりと開かれた扉から姿を現したのは一人の女子だった。
「あら、私が最後だったみたいですね。遅れてしまったでしょうか?」
「いいや、時間通りだよ。早乙女」
長い黒髪は腰まであり、艶のある絹のようだった。制服をぱきっ、と着こなした女子生徒は三城田先輩の言葉に「なら良かった」と微笑んだ。
早乙女と呼ばれた女子生徒は、背筋を真っすぐとしたままオレたちのいる所まで歩み寄る。足音立てない所作は、浮世離れしているようだった。
「あら? こちらの方は?」
「あぁ、新入部員だよ。灰原、こいつは早乙女いよ。俺らと同じ二年生で、副部長だ」
歴地化学部最後の部員。三城田先輩に紹介され、オレは彼女のほうに体を向けて自己紹介する。
「……初めまして、灰原敦獅です。よろしくお願いします」
「初めまして、早乙女いよです。副部長とは名ばかりですけど、どうかよろしくお願いしますね」
ペコリ、と軸のブレないお辞儀。オレのなんかより何倍も美しいものだ。
早乙女先輩の綺麗な所作に、思わず呆然としていると「ところで」と先輩の口が開いた。
「灰原敦獅って、今絶賛噂されているあの灰原君でよろしいでしょうか?」
「……っ!」
早乙女先輩の言葉に、一瞬呼吸を忘れた。
噂……考えるまでもなく、あの暴力事件のことだろう。どうしてそれを知っている? いや、噂になっているくらいなら、早乙女先輩が知っていてもおかしくないか。
「え、噂?」
「いよちんいよちん、噂ってなんの話?」
三城田先輩と吉川先輩はオレの噂を知らないようだ。まぁ、知っていたら見学に来た時に何か言ってくるだろう。
「半年ほど前に、小学生が中学生三人と喧嘩してボコボコにしたらしいです。そして、その時の小学生が灰原君というだけです」
「は、なにそれ?」
「小学生が中学生と喧嘩して勝った、だって?」
案の定、二人は信じられないという表情を浮かべていた。当然の反応だろうな。
二人の反応を横目に、早乙女先輩はオレを見る。
「それで? 噂の真実はどのよう風なのでしょうか?」
…………あれ? それって……。
「……先輩、噂信じていないんですか?」
「鉱物というのは、長い年月をかけて唯一無二を作りだします。人も同じです、人によって考え方は違いますし、事情もあるでしょう。なのに、それを知ろうとせずに絶対と考えるのは愚かなことです」
え、なんて?
「つまり、いよは噂は知っているけど灰原の事情を知らないから実際のところどうなの? って聞いてんだよ」
「あ、はなちん、起きたんだ」
「それで、灰原君。よろしければ、お話を聞かせていただけませんでしょうか」
さっきまで速くなっていた脈も、いつの間にか落ち着いていた。
冷静になって早乙女先輩を見れば彼女の瞳がじっ、とオレを捉えていた。
この人、オレの話を聞こうとしてくれている。それを踏まえて、オレを判断しようとしているのだ。
真摯な眼差しに当てられ、オレは話をすることにした。
「……実は」




