第二章8 『淡彩』
とても淡く不鮮明に彩られた空間。
辺りは黄色、青、緑、赤、様々に白く薄い色をしている。
視線をゆっくりと下に落とし、両手を眺める。
そこにあったのは、相変わらず細く小さな自分の手だった。
『――おーい』
突如として聞こえる声に『ハッ』とする。
顔をあげれば、マリーゴールドのように明るく刺々しい、オレンジにも似た赤茶色の毛を生やした少年がいる。
彼を10歳だと認識したのち、背景は見覚えのある裏山へと変移している。
――何だか、変な感覚だな……。
朧気な世界で目にしたモノの情報が、頭の中へ流れ込んでくる。
当たり前の日常に対し、懐かしいという感情を抱いている。
それが不思議でたまらない。
『―――』
視線の先に佇んだ少年の名は『凛』。
教会で共に生活をする同い年の孤児であり、何でもできる自分の上位互換的な存在。
いつも無邪気に笑う凜が、今は少し薄っすらと不満げのような呆れ顔を見せている。
そこに顔を顰め、疑問に思う。
どれだけ目を凝らそうと曇り気味で、はっきりとした表情を窺えない。
周りに広がる景色でさえ同様にぼんやりとし、確かなものが何一つとして存在しない。
何もかもがあやふやで、知っていることと知らないことが混同している。
記憶にあることないことが合わさり、ありそうだという不可思議な現象を生んでいる。
夢か幻か、あらゆる思考が瞬きという刹那で処理されている。
時間という概念も遅いのか早いのか、よくわからない。
ただ凜の姿を眺めて瞬時に自分が裏山へ馳せ参じた理由だけを悟った。
――そうだ……狩りに行くんだ。
気づけば、凜は背を向けて奥へ奥へと進んで行く。
後を追うように続いて行けば、凜は白い光に姿を消す。
間もなくして自分も、眩しい世界に飲み込まれて行った。
『ん?』
次に目を開いた時、森に包まれた空間で視界には凜の背中が見える。
立ち止まっている姿から、首を傾げて様子を窺う。
『凛?』
途端、凜は腰から剣を抜き、走り出していく。
右手に掲げているのは、木剣ではなく艶やかに光った鋼の真剣。
前方を見れば、猪のモンスターが行く手を阻んでいた。
『はあっ!』
切りつけた剣は猪の牙へとぶつかり、滑るように受け流され、剣は一筋の傷を猪の横っ腹へと刻んでいる。
どうやら猪は興奮状態で、突進により剣の勢いが殺されたようだった。
『グオオオ!』
雄叫びを上げ、猪は背後から凜を襲う。
それに対し、凜は立ち尽くしたまま、動こうとしない。
『ふ』
後ろにでも目があるというのか、凜は華麗に宙返りして戻って来る。
猪は前進したまま止まることはなく、木に激突している。
『―――』
目の前にある、小さくも頼もしい義兄の背中。
何度見ても惚れ惚れするほど、逞しく憧れる。
『ぇ……』
すると何故か、ふと知れず一滴の雫が頬を伝う。
何を持ってしての涙なのか、自分のことなのに思い当たる節が見当たらない。
わからずまま拭った瞬間、凛の足が強く地を蹴り、猪に向かう姿が目に入った。
『グルオオオ!』
猪もまた、凜に狙いを定め突っ込んでくる。
しかし凜は再び宙返りし、猪が衝突した木の側面を足場とする。
凜が直ぐに視界から消えたことで、猪は徐々に走る足を止め、進行方向を切り替える。
そこへ走る一閃。
――早い……っ!
着地した矢先、凜は即座に木を踏み台にして次の攻撃へ繋げた。
その一撃は諸に入り、猪は動きを止め悲鳴を上げている。
『……』
凜はまた、木から木へと移り、今度は左右から切り掛かる。
最後に正面からも斬撃を放ち、見事な四連続攻撃を披露する。
それにより猪は血塗れとなって、倒れ込んでいた。
『ふう……』
地形を利用し、四方から十字を描くような連続切り。
相手を翻弄する速度で剣を揮えるというのは、身体能力の高い凛だからこそできる芸当。
常人には真似し難い技を目に改めて実感する。
『凄いな……』
そんな凜が、こちらを一瞥し頬を緩ませている。
凜がゆっくりと振り返り対峙したとき、木漏れ日が彼の笑顔を照らし出す。
『―――』
そこには太陽のように眩しい、溌溂とした凜がいた。
※
「―――」
朧気な視界に映った暗がりの空。
曇天模様とでも言うのか、いつの間にか青から黒へと移転している。
時間はそれほど経っていないだろうが軽く眠りに落ちていた感覚がある。
身体は蒸し暑さにより汗をかいており、土の臭いが鼻腔を擽る。
気づいたことに瓦礫の上で横たわり、傍で燃え滾る民家があるからだと察する。
何をしていたのか、はっきりとは思い出せない。
ただケトラとの戦闘により、墜落したことだけは覚えている。
「ん」
色々と曖昧な情報ではあるが、理解はできる。
戦いはまだ、終わっていない。
故に眠っている場合ではないと、身体を起こし、辺りを見回す。
火の手の勢いが街の中央にまで迫って来ている。
空中には、緑茶色のローブに身を包んだ長い髭の老人がいる。
顔をフードで隠しながら意味深な笑みで、こちらを見下ろしている。
そのため再度、白い左翼と黒い右翼を生やし、戦場に舞い戻る。
「―――」
ケトラという敵と対峙し気づく。
全身を緑色の光が覆い、蛍のように点滅している。
それが何なのか、今までの戦闘から察する。
「……《リジェネ》か」
「ご名答」
自動で治癒を行ってくれる回復系の魔法。
傷の治りからして、発動したのは少し前だと予想がつく。
「墜落する寸前にかけたのさ」
魔法による攻防で重傷を負った。
だからケトラは《リジェネ》により命を取り留め、無事でいた。
頭から生身で落ちている時点で、普通であれば死んでいる。
にも拘わらず、生きているというのは、気絶している合間にも自動で回復をしてくれる《リジェネ》以外に考えられなかった。
「じゃあ……」
手放すことなく左手に握り締めていた《スペルディウス》を構える。
もう油断はしない。全力で戦いに挑む。
そうやって、覚悟の瞳を持って決着の意を示す。
「くくく……くふふふ」
「……?」
突然、ケトラは不気味な含み笑いを零す。
何がおかしいのか、小首を傾げてしまう。
「お前が眠りについて5分以上……俺が何もしてないわけないだろ」
怪しげな態度に不穏な空気が立ち込める中、顔を顰める。
するとケトラは《ダーク・ソーサラー》をゆっくりと掲げる。
既視感を覚えながら、頭上を見上げれば無色透明な塵が舞っている。
表皮が剥がれているとでも言うのか、隙間からは火炎が漏れ、異様な光景に目を凝らす。
徐々に形を露にしていき、半分ほど削れたところで赤く燃える楕円が姿を見せる。
何もなかったはずの空には、いつしか巨大な隕石が顕現している。
それは紛れもない《フレイム・ボム》という炎魔法で、今までの10倍はある大きさを誇っていた。
「さあ、どうする?」
簡潔にケトラは恐ろしい選択を迫ってくる。
下手に動けば、全てを無に帰すという容赦のない状況に息を呑む。
「今なら俺を殺れるが、代わりに街は全焼する。隕石を止めれば、この鎌がお前を襲う」
まるで心を見透かしたような物言いに改めて理解する。
《フレイム・ボム》は、術者を倒したところで消えぬ魔法。
どちらにも対応するには、人手がもう一人は欲しいところだが猿山は苦戦しており、頼りにはならない。
他に思い浮かぶのは、町娘であるブロンドヘアにピンクのワンピースを着た少女。
シエラという水の精霊に好かれた12歳の女の子。
さすがに子供の手を借りるわけにはいくはずもなく、即座に却下する。
「となると……」
どうにかして一人で食い止められないか、作戦を練る。
隕石の止め方については不明だが、時間が掛かるというのだけはわかる。
ケトラの言う通り、隕石に気を取られ背後から遣られかねない。
優先順位からして、先に狙うとしたらケトラだろう。
ケトラを早く倒し、隕石を止める時間を多く取る。
と、これはケトラも読んでいるはず。
もしかしなくとも、戦闘が長引く方向で何か仕掛けてくる。
故に倒せなかった時を含め、最悪の想定をしておかなければならない。
「残念」
「……っ!」
途端、ケトラが接近し、《ダーク・ソーサラー》が猛威を揮う。
いきなりではあったが、《スペルディウス》で間一髪、受け止める。
「考える暇も、ねぇ……か」
どうやら、ケトラが軟弱な魔法使いというのも設定らしい。
先ほどとは肉弾戦における攻撃の重みが違い、下手をしたら上級騎士にも匹敵する。
敵を騙し、欺き、劣勢だと思わせてから、格の差を見せつけ絶望させる。
道化師とでも言うのか、良い性格をしていると苦笑してしまう。
「そんなん与えるわけないやろ」
「え?」
ふとケトラの訛った声が聞こえ、耳を疑う。
明らかに今までと違う口調に眉を顰める。
「おっと」
何が不味かったのか、ケトラは口元を隠し距離を取る。
「失礼?」
そして爽やかで煌びやかな笑顔を向けてくる。
美青年がするような仕草をしても、外見が老人であるために反吐が出る。
だがその胡散臭さから、ケトラは老人の皮を被った青年であると確信する。
何を持ってして、そんなことをしているのかはわからない。
ただ道化を演じるような者であるため、ろくでもないことを企む輩に違いない。
「さて」
ケトラは制止し、ゆっくり左手を掲げる。
それが何の合図なのか、振り下ろされた後になって勘付いていた。
「……っ!」
傍にある火炎の隕石が『ゴゴゴゴ』と音を立て、落下し始める。
隕石に気を取られた刹那、ケトラが攻撃を仕掛けんと接近してくる。
どちらを選べばいいのか、焦燥感から思考が今までにないほど光速に回転する。
隕石を取れば、ケトラに背後を取られ絶命する。
ケトラに応戦すれば、隕石は街全域を崩壊させる。
やはり、ケトラを速攻で倒すことが先決。
ならば、次に考えるべきは、ケトラを速攻で倒す方法。
自分の持っている技で、殺傷力に長けているのは剣術。
魔法も得意ではあるが、ケトラも同業者であるため、防ぐことは容易だろう。
時間も限られているため、チャンスは一度きり。
絶対的不可避の速攻技――。
『―――』
瞬間、夢で見た凜の笑顔が脳裏を過ぎる。
それだけで全てを悟り、頬が緩む。
思い出に浸っていたいが、急を要するため行動に移る。
「まずは……」
目前で大鎌を振り下ろそうとしているケトラに対し、腹を蹴り反撃する。
「かはっ」
勢いよく吹き飛ばし、距離を取れたことを確認する。
鳩尾に入れたため、案の定ケトラは悶えている。
その隙を見計らい、精神に働きかける。
内に秘めた怒りや憎しみと言った負の感情を闇として体中から放出する。
大量に湧き出た黒く濁った気流を操作し、人型に変貌させる。
「《シャドウ》!」
自分の姿を投影し、実体を持たせた分身。
それを複数体つくろうとするも、三体が限界だった。
だがこれで、準備は整った。
「―――」
剣に誓いを立て、精神統一する。
凜への感謝、シスターへの思い。
過去に対する全てを集約し、力に変え、奮起する。
「《夢現十紋仁》!」
闇魔法によりつくった三体の分身で、相手の四方を囲む。
分身の一体が、敵の背後からこちらに向かって一閃を放つ。
次に左右の二人が同時に斬り掛かり、交差する。
最後に正面から本体が止めの一撃を入れる。
幻のようで実体を持つ分身と共に十字を描く剣技。
陣ではなく仁としたのは、十字架から準えた思いやりの意味を込めて。
「ぐぐぐ……がが……」
回想からヒントを得て改良した必殺技。
凜とは違い、分身をつくらないとできないが、自己至上最速の剣技。
おかげでケトラは諸に食らい悶絶している。
力なく地面に吸い寄せられていく姿を後に隕石へと視線を移す。
そこは街から20メートルほど離れた高さで、間に合ったことに安堵する。
その後、《シャドウ》と共に隕石へ向かい、隕石を闇で支える。
これにより落下は納まり、後は隕石の処理だけとなる。
「どうしよう……」
闇で支え、食い止めたまでは良いものの、処理の仕方に困る。
近くの山に捨てようものなら、帯びた炎で大惨事になる。
丘の向こうに草原があるが、距離があり、避難した住民もいるため危険。
維持するにも限界があるため、魔法による解決など検討してみる。
「火は消せても、魔力ねぇしな……」
ケトラとの戦闘や《フューチャー・バード》、講義に背中の翼などなど。
思えば、一日で多量の魔力を消費している。
講義の後に眠って少し回復はしたが、大技の連発で尽きかけている。
残った魔力で発動できる魔法は、あと一つが限度。
あとは発動中の《シャドウ》を使って闇魔法が一つ、何かできるぐらい。
「闇……?」
ふと闇という言葉で、昔シスターから教わった、とある一説を思い出す。
それは魔法の講義で心象魔素を習った日のこと。
『闇とは、全てを飲み込む混沌。あらゆるモノを暗晦に沈ませる絶望』
魔導書をパタリと閉じて、実践へと移行する。
講義を居眠りしておきながら、実践だけは張り切っていた。
そんな凜を眺めながら、シスターに聞いたのだ。
『闇って、光より凄いの?』
『五行魔素』『心象魔素』と属性を学び、より強い力を極めようという子供の発想。
ただ単純に興味本位の質問だった。
『光とは、この世を照らす太陽のように調和を齎す一筋の希望』
突然、シスターは『心象魔素』の光における一説を口ずさむ。
おそらくは光と闇が相互関係にあり、どちらが強いかなどと明確な定義はないから。
それがため、対になる光の概念についておさらいさせ、わからせたかったのだろうと、今になって思う。
『羽亮は光を鍛えなさい』
『鍛えなさいって、鍛え方がわからないよ……』
『心象魔素』は心の持ちようによって割合が異なる。
善人であれば光が強く、悪人であれば闇に傾く。
憎しみや怒りに囚われ、罪を犯すなど、悪事を働けば闇は濃く洗練される。
対し光は、何を持ってして善とし強固なものになるのかは逆説的に見ても曖昧だった。
『そのまま、純粋なままでいてくれればいいの』
『そのまま?』
具体的に何をすればいいのか。
鍛えろというわりに現状維持を申し付けられる。
益々、どうすればいいのかわからなくなる。
『闇は手名付けるのが簡単なようで、難しい。あまりの強さに誰もが惹かれ、知らぬ間に侵され堕ちていく』
闇ほど強大な力に魅了され虜になったものは、自分を奢り他者を見下す。
闇を征したと思えば、逆に取り込まれていたのだと知る。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。
そういう事例は、よく聞く話であった。
『だから、光であるのはもっと難しい』
人は闇に染まりやすく、絶望に弱い。
どれだけの人が希望を抱き、前のめりに生きて行けるか。
光であれというのは、何ものにも屈しない、人々を照らすほどの強い心を持てと。
そういう意味合いではないのかと、今になって思う。
『羽亮には、そうなって欲しくないな……』
とても儚い、どこか悲しげな笑み。
その意味が当時はよくわからなかった。
けれど今なら、シスターの危惧していたことが理解できる。
知ってしまったからこそ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
気づいた時にはもう、手遅れだと言わんばかりに闇の洗礼を受けていた。
あの日を境に――。
「闇とは、全てを飲み込む混沌……」
過去を振り返り、シスターの言葉を復唱する。
闇の本質が伝承の通りであるなら、やってみる価値はある。
「―――」
三体の《シャドウ》と共に放出した闇で隕石を覆う。
闇が全体に行き渡ったことを確認し、徐々に圧縮をかけ大きさを変動させる。
同時に吸引するイメージで、闇の彼方へ仕舞い込む。
そして無事、隕石が闇に消え失せたことを感覚が知らせてくれる。
「《ブラック・ホール》って感じか」
また新たに闇魔法の開発に成功し、安堵する。
「闇で飲み込み、捌け口として異空間に飛ばし保管する魔法、だったんだけどなぁ……」
隕石ということで、宇宙を思い浮かべたがために違う場所へ移動してしまった。
まるで管に穴が開き、零れ出てしまったかのように行き先が逸れている。
今頃は、空の上を放浪しているのではないかと思われる。
「ま、いっか」
隕石から街を救えたことに変わりはない。
気持ちを切り替え、次に自分がやるべきことを考えることにする。
「言った、ろ……」
そこへ割って入る掠れた声。
目を向ければ、ゆっくりと下降しながら、薄く笑うケトラがいる。
「残念、だったな……」
肉体は灰のように塵となって滅びを迎えている。
死とは似て非なる異様な消失を見せている。
それに気を取られていた直後、自身が影に包まれていく。
そして間もなく、ケトラの言葉の意味を知った。
「……っ!」
あるはずのない影に違和感を覚え、振り返り、空を仰ぐ。
視線の先にあるモノを眺め、影の正体なのだと知って茫然とする。
「マジかよ……」
冷や汗が噴き出し、全身に一瞬の寒気が走る。
ケトラの言葉は負け惜しみでも何でもなく、勝利を確信していただけに過ぎない。
無駄なことはしない主義で、相手を絶望させることに長けた策略家。
そうケトラに対する認識を改め、置き土産に打ちひしがれる。
「―――」
先ほどと同様に透明化を解き、現れた四つの火炎。
今度は質ではなく、量で勝負を仕掛けてはいるが、大きさは巨大なヤツの半分なだけで、防ぐことが容易ではないことに変わりはない。
本当に良い性格をしていると、心底ケトラを嫌悪する。
「やるっきゃねぇ……っ!」
眺めていても何も変わらず、《シャドウ》を連れ配置に着く。
《シャドウ》を解かなくて良かったとほっとしたのも束の間、一人一つずつ闇で支えようと踏ん張る。
「んぐぐ……っ!」
大きさが変わろうと、直径30メートルはくだらない隕石を一人で支えるというのは、辛く厳しいものがある。
未だ耐空は不慣れなうえに隕石の落下は止まることを知らない。
隕石の勢いが強く、《ブラック・ホール》を使う余裕がない。
剰え、モノを移動させるには大量の魔力を消費するために再び《ブラック・ホール》を発動するには魔力が足りず、闇で支えるのがやっとだった。
「ぐおおおっ!」
どれだけ歯を食い縛ってみても、収まる気配はまるでない。
下を見れば、落下する隕石の熱風で街の残骸が吹き飛んでいる。
このまま行けば、街が燃え尽きるどころか、隕石の勢いで跡形もなく崩壊してしまう。
そういう最悪の光景が目に浮かぶ。
「まだだあっ!!」
背中の羽をバタつかせ、足に全身の力を込める。
押し返すことだけを考え、足裏に魔力を集中させ、放射する。
「うおおお!!」
さらに足先に力を加え、拡散していた魔力を一点に凝縮する。
直線状に集約することで勢いが増し、徐々に隕石を押し返していく。
残りの魔力を全て足先へ回すことで、元の高さまでたどり着くことに成功する。
「はぁ…はぁ…」
息を荒げ、気が遠くなりそうな感覚に危うく《シャドウ》を解きそうになる。
せっかく四人で四つの隕石を持ち上げたというのに全てを台無しにするところだった。
「こっから……」
隕石を持ち直すのに魔力を消費し、飛行するのも危ぶまれてくる状況下にいる。
これで終わりというわけにはいかず、問題はまたも隕石の処理にある。
あと使える魔力と言えば、《シャドウ》自体の残り少ない魔力と背に生やした翼の分だけ。
刻一刻と時が流れるに連れ、魔力は消費される。
取れる選択肢も、次第に限られてくる。
「どうする……?」
相も変わらず炎を身に纏っているがために放置することはできない。
せめて火が消えていたならば、どこかへ投げ捨てることも可能であっただろうにと、不毛なことを考えてしまう。
「しゃーねぇ……」
迷っている暇などなく、黒い右翼を魔力に還元することで、隕石を支えている闇に加える。
右翼が潰えていく合間に急ぎ闇で隕石を覆い、炎を吸い上げる。
魔力の都合上、転移などはできないが、闇による無力化を図ることはできなくもない。
片翼を失い、火を消すことに成功はしたが、飛んでいられるのも残り僅か。
体勢が崩れ、墜落してしまう前に岩と化した隕石を処理しなければならない。
持って行くどころか、遠投するほどの踏ん張りが持てず、今にも落としそうになる。
「んらあっ!」
仕方なく、四つの隕石を互いに向けて投げ飛ばし合う。
それぞれが激突し、隕石に亀裂が入っていく。
「砕けろぉおお!!」
《シャドウ》は消え、身体は地面に引き寄せられていく。
すると隕石が崩壊し、岩の雨となって降り注いでいる。
粉々に散っている隕石を目に口角が上がる。
「ふ」
清々しく満ち足りた気分で、背中から不時着する。
身体全体を落下の衝撃が響き渡りながら、痛みに対する感覚は麻痺している。
「―――」
ただ茫然と曇天模様の空を眺め、辺りに目を向ける。
おそらく火の手はもう、街の半分近くまで来ている。
瞬間、脳裏に思い浮かんだのは猿山縁間という少年とシエラという少女の姿。
彼と彼女と過ごした時間は微々たるものだけど、悪くはなかった。
そして何より、少女に助けを求められ、まだ約束を果たせていない。
二人の故郷を守るためにも、まだ倒れているわけにはいかない。
「いや……」
男だからこそ、約束は違えてはいけない。
師匠だからこそ、そう簡単にくたばってはいけない。
英雄なら、どんな逆境に置かれようと諦めはしない。
「まだだ……」
あらゆる理由を取り繕い、起き上がろうと身体を動かす。
しかし仰向けの状態からうつ伏せに返るだけで、思うように動けない。
身体が今までにない疲労を見せており、剣を使うことでようやく腰が上がる。
「はぁ…はぁ…」
ゆっくり立ち上がり、空を見上げる。
今の自分にできること、やるべきことを選別し、徹する。
バオギップは猿山に任せ、自分は後片付けを行うことにする。
折角敵を倒しても、帰る家がないというのでは格好がつかない。
――だから、
何が何でも、やらなくてはならない。
理由はいくらでもある。
ただ一番に上げるものがあるとすれば、これは単に男の意地だった。
――いくつもの理由を前に
立ち上がることをやめずにいた――




