第二章7 『苦戦』
『待って!』
外にいる彼の意識が、徐々に闇へと沈んでいく。
ケトラと言う魔導士に人々が虐殺されたことにより、負の感情が彼自身を飲み込んでいく。
しかしケトラはきっかけであって、招いているのは別の存在。
『やめて、虚空!』
魅剣羽亮の暖かな光が彩られた意識内で聳え立った大樹の傍、大岩で胡坐を掻きながら腕を組んで怖い顔をしている。
青白い肌を隠す黒く刺々しい羽毛、グローブや革靴といった彼らしい黒尽くめの装飾。
それが身から溢れ出した闇と同化し、見えるのは緑はずの瞳が紅く光っているだけとなっている。
放出され続ける闇は天を伝い、実体である羽亮の意識を蝕んでいく。
他ならぬ同種である『黒喜羽虚空』の怒りにより、羽亮は闇に侵されている。
『やめてってば!』
闇に覆われた意識は徐々に溶けて、いずれ良心がなくなる。
仕舞いには理性も失い、ただのモンスターと化してしまう。
『やめてよ!』
青い瞳はソラで、白い天使のように可愛い。
『天白ソラ』と名付けられ、慕ってくれる羽亮が堕ちることを自分は望んではいない。
だから何度も叫んでいるというのに虚空は微動だにしない。
あまりの頑なな態度に自然と膨れっ面になり、そっぽを向く。
『やめないなら、もう口きいてあげない!』
『―――』
ようやく声が届いたのか、虚空は即座に放出を解く。
一瞥すれば、不貞腐れた虚空の表情が覗える。
とても単純な言動に従順なあたり、虚空に可愛げを感じた。
『もう……』
世話のかかるフェザーだと、つくづく思う。
人を嫌っていながら、虐殺されていく人々を目に憤る。
怖そうに見えて、中は凄く優しい。
優しいねと言えば、不機嫌になり口数が減る。
面倒臭いことこの上ない。
『変わらないんだから』
生まれた頃から、四人ずっと一緒だった。
その中でも虚空とは長い時間を共にしている。
残りの二人とは、ある日を境に離れ離れとなり、再会した時には敵同士。
いつしか囚われの身となって、虚空の計らいにより脱出に成功する。
しばらく逃避行の日々が続いて。
そしてまた、囚われの身となっている。
『ほんと、変わらない……』
軽く今までのことを振り返り、思う。
とても長い年月を同じような日々が彩っている。
何百、何千と時が過ぎても、不変的な運命という未来しかない。
現在は、終わることを知らない生き地獄の延長線上でしかない。
牢獄の中で、空を見上げるばかりの毎日が流れていく。
囚われていた頃の自分ならば、そう捉えていた。
――でも、
『もう、違うよね?』
とある日に出逢った少年により、世界が変わった。
――いいや、
自分の見ていた景色に新たな色が差し込んだのだ。
一目見て、彼が次の主だと悟った。
事あるごとに鉢合い、次第に自ら彼を探すようになった。
共に過ごしていく時間は笑顔という幸せで満ち足りた時間だった。
それを彼は覚えていないけれど、致し方ない。
魅剣羽亮の記憶を消したのは、紛れもない私自身なのだから。
『―――』
ふと背後に目をやれば、岩の上で不貞寝する虚空がいる。
図星を突かれて口籠る、照れ隠しの癖は相変わらずで、苦笑してしまう。
変わっていくモノもあれば、変らないモノだってある。
羽亮もどちらかと言えば、後者なのだろう。
純粋すぎて変わっていく周りに置いてきぼりにされ、歪められてしまった。
変わる前の過去に囚われ、ずっと取り残されている。
『一緒、か……』
大切な人を失った悲しみと一人ぼっちの寂しさ。
ただ切なく、癒えることのない孤独の痛み。
思い出に浸り、不毛な毎日を垂れ零す。
きっかけさえあれば、立ち上がることだってできる。
けれど、それは強者にしかできない自らの変革。
羽亮にとって、変わらないと変われないは表裏一体。
自分が変われば、過去を忘れてしまうようで怖い。
変わらない自分でいれば、思い出は色褪せない。
死に絶えそうな今よりも、幸せだった過去を思えば、今を生きられる。
そうやって、偽りの強さを身に着けている。
『羽亮……』
大切な人を取り戻したいと、生きる目的を定めていても、自分を偽る言い訳に過ぎない。
仮初めの強さを手にしたところで、孤独が癒えることはない。
とても弱い動機だから、いつ崩れ去ってもおかしくはない。
死に際になると、平然と諦めるような人なのだ。
誰かが傍で見ていてあげないと、知らぬ間に帰らぬ人になっている……なんてことになりかねない。
羽亮には前科がある。しかも二回。
失う恐怖を知っていながら、悲しんでくれる存在に気づかないふり。
他の誰かにご執心で、自分を見てくれたのは最初だけ。
毎日毎日、自分ではない誰かに思いを馳せている。
洗脳や呪いの類にかかっていると疑いそうになるほど、一途でいる。
『妬けちゃうなぁ、ほんと……』
その純粋さが眩しく、時に恐ろしい。
『羽亮は……』
世界は醜く汚れている。
綺麗事ばかり並べる大人たちによって構成されている。
見てくれだけの偽善が蔓延った現実に屈した者たちの集合体。
触れてしまえば、否が応でも逆らえない濁流に呑み込まれていく。
純粋であればあるほど、敵わなかった時の絶望は大きく、闇に染まる。
『羽亮は……』
人々に忌み嫌われ、一人ぼっちで生きた屍のように現存している。
誰の言葉も届かず、信じ切れないでいる。
『大丈夫、だよね?』
だから羽亮も彼のようになってしまうのではないかと、嫌な想像をしてしまう。
優しい心持ちでありながら世界に歪められ、全てを見限り憎んだ存在。
悲しそうな表情をしながら、何の躊躇いもなく平然と殺戮を繰り返す。
そんな彼に――。
『ぇ……』
ふと見上げた作り物の空に目を疑う。
外にいる羽亮の意識が闇へと溶けている。
背後を見れば、胡坐を掻いた虚空が自分の仕業ではないと首を振って否定している。
再び天を仰げば、一滴の黒い雫に荒れ狂う暗雲が黒い霧となって纏い、渦を巻いている。
やがて繭となり、薄く透けた壁の中に一人の影が姿を見せる。
『羽亮……っ!』
実体にいたはずの意識がこちら側の世界で眠りに浸かっている。
先ほどの粒は闇の種子であり、羽亮の心象魔素である闇が爆発して自身を侵食している。
実体を操る意識を外界とするなら、奥底に潜んだ別意識は内界と言ったところ。
闇に連れられて、意識が外界から内界へと引きずり込まれた。
ならば今、外界は意識がない状態であり、実体が独立するなんてことはあり得ない。
しかし外で、実体から大量の闇が放出され、羽亮の身を包み込んでいる。
内界に意識はおり、外界は操縦士のいない肉体が動作している状態である。
それはつまり、羽亮の闇が暴走していた。
※
「は~……」
笑い疲れ、一息つく。
危機に直面し、生き延びようと必死な《プロスパー》の住民。
その真剣な顔が死を前にした瞬間、絶望に満ちた表情へと一遍する。
それぞれの容姿、性格によって最後に見せる顔は、十人十色、千差万別。
何度見ても堪らない。飽きることを知らない。
これほどまでに最高の娯楽はないと言っても過言ではないのかもしれない。
「ん?」
気づけば、自分は黒服の少年と対峙し、戦闘中であったことを思い出す。
伝説の片剣である《スペルディウス》を所持した『魅剣羽亮』と名乗る少年。
黒髪に灰色の瞳、黒いロングジャケットに黒いズボン、革のブーツ。
静かに黙り込む彼を目に顔を顰める。
「なんだ?」
俯いた彼の表情は影に染まり、窺えない。
それよりも、体中から漏れ出た黒い霧のような闇に異質さを覚える。
「……っ!」
瞬きをした刹那、10メートルは距離を置いていた敵が目の前にいる。
同時に剣を振り下ろされ、防御が間に合わず、切りつけられる。
それだけでなく、身体は地面へと叩き落される。
「かはっ」
瓦礫の山に身を埋めて、今度は敵に見下ろされる立場にいる。
先ほどとは一撃の重みや威力がまるで違う。桁違いにも程がある。
信じ難い状況に歯ぎしりし、敵のもとへゆっくりと上昇する。
「やってくれたな……」
口元を拭い、相手から目を離さぬよう気を引き締め直す。
返って来ない言葉に対し、翳された手に警戒する。
「《シャドウ・ミスト》」
途端、濃い紫色のような黒い霧が辺りを覆う。
いきなり相手を見失い、周囲に気を配る。
「《ファントム・ブレイク》」
人知れず聞こえる少年の声。
何かを企んでいるのは明白で、黒い霧に目を凝らす。
「ぐあっ」
背後から不意に斬撃を浴びる。
深く真面に剣が入り、振り返る余裕もない。
すぐさま次の攻撃へ対応するべく、俯きそうになる顔を上げ直す。
「んぐっ」
今度は右腕を切られ、痛みを堪え霧に向かって反撃する。
鎌で軽く振り払うも、当たった感触はなく、苛立ちが増す。
「ごっ」
直後、隙をつかれ左背に一筋の切創が入る。
動くと傷に障るため一旦、身動きを止める。
すると正面から霧を破り現れる少年がおり、《スペルディウス》による一閃が胸元を伝う。
「うがっ」
盛大な一撃に足がふらつきながら耐え凌ぎ、相手の行方を目で追う。
少年は素早く霧の中へと溶けて行き、こちらは息を整える。
段々と相手にするのが面倒に思え、同時に怒りが込み上げてくる。
「クソが……っ!」
左手に持つ光魔法の黄色く光る槍、《シャイニング・エッジ》を握り締め、状況を整理する。
右手には闇魔法でできた黒紫色の大鎌、《ダーク・ソーサラー》がある。
宙には炎魔法の《フレイム・ボム》に雷魔法の《サンダー・ティガー》を融合させた混合魔法が放置されている。
加えて、水魔法でつくった十発の《ウォーター・バレット》が平行して浮いている。
攻撃を食らいながら、魔法を解いてはいない。
魔力操作により、手元に連れて攻撃の盾にすることができるが、無駄に魔力を消費しただけになってしまう。
何より、現状を打破しない限りは操作している間も狙われる。
兎にも角にも、まずは霧を晴らすことにする。
「はぁああっ!!」
《ダーク・ソーサラー》の大振りで一回転する。
道中、偶然にも霧から接近してきた少年の腹に刃が食い込む。
「……っ」
ただ手応えはなく、刃は霧を捉えていた。
思わぬ出来事に驚きながら、霧は散開していく。
「そういうことか……」
視界の先に佇む少年により、違和感の正体に勘付く。
霧の中で交戦した少年は幻影で、本体は高みの見物をしていた。
おそらくは霧の外側から影の動きに合わせ、斬撃を放っていたのではないかと推測する。
「闇魔法による幻影か……卑怯な真似をする」
人のことを言えた義理ではないが、欺くという点においては良い線を行っている。
称賛に値するが、騙された身としては気分が悪い。
「次はこっちの番だな」
高ぶる衝動が抑えられず、頬が緩む。
武者震いにより強張った指を動かして解す。
「ん?」
相手に視線を集中させ、少年の両手に注目する。
今まで右手で握っていたはずの《スペルディウス》を左手に持ち替えている。
さらには剣を持たぬ右手が何やら光を帯び、徐々に輝きが増しているのがわかる。
「……っ!」
それは間違いなく、光魔法の類。
本体が接近して来なかったのは、大技による追い打ちをかけるため。
分身はあくまで時間稼ぎであり、発動するための陽動だった。
長いようで短い分析の末、光の塊と化した少年の右手がこちらへと向けられる。
「《オーバーレイ》」
防ぐという選択や逃げるという選択も、咄嗟のこと故に判断が鈍る。
どちらかに決めようとする刹那には、白く神々しい光線が解き放たれている。
魔法による反撃も鑑みた結果、空に放置された魔法に目が行く。
ここで過ぎった選択は二つ。
敵に当てるか、盾にするか。
攻撃に回せば相打ち狙い、防御に使えば何のために発動したのかわからなくなる。
それを瞬時に見定め、前者による魔力操作を執り行う。
「ふ」
《ダーク・ソーサラー》を天に掲げ、思念を送り、魔力を通わす。
魔法と見えない糸で繋がれた状態になり、《ダーク・ソーサラー》を振り下ろす。
それに従い、《フレイム・ボム》《サンダー・ティガー》《ウォーター・バレット》の三種が敵目掛けて落下していく。
続けて左手に持っていた《シャイニング・エッジ》も投入する。
黄金の槍は白い光線をすり抜けて直進している。
残す武器は《ダーク・ソーサラー》のみとなり、《オーバーレイ》を防ぐ道具とする。
「く……っ」
凄まじい勢いで突進してきた少年の光魔法は予想より遥かに重い。
空中では踏ん張りが利かない分、耐えるのは困難極まりない。
「―――」
「マジかよ……っ」
もうすぐ放った四つの魔法が直撃するというのに《オーバーレイ》の勢いが増している。
どうやら魔力を攻撃に全振りしており、防御に回すつもりはないらしい。
「んぐぐ」
じりじりと後退させられていく中、残りの魔力を《防御壁》に使っていく。
一枚、また一枚と《ダーク・ソーサラー》と《オーバーレイ》の間に何重にも張り巡らす。
「くっそ……」
《防御壁》を七枚つくりあげたというのに攻撃の勢いは止まない。
変わらず後ろへ押されていることから、逆に威力が増していっているように思える。
ただ絶体絶命のピンチだというのに自然と笑みが零れてしまう。
炎の爆弾、雷の虎、水の弾丸、光の槍の四種が、相手の目前にまで迫っていたがために。
「ぇ……」
相手に攻撃が直撃するという寸前、《オーバーレイ》の勢いが爆発的に増す。
一瞬の気の緩みが隙を生んだ所為もあり、《オーバーレイ》を防ぎきることができない。
そして次々と《防御壁》は割られて行き、白き光に飲まれていく。
「ぐおおお!!」
焼けるような激痛が全身を包み込む。
切り傷により熱を帯びる箇所、皮膚が引き剥がされる感覚、汗を吹き飛ばす熱風、キンと耳鳴りがする上、白く眩しい世界に目を開けていることさえ儘ならない。
「ぁ……」
白き光が納まり行く頃、意識は遠ざかりながら、肉体は墜落していく。
痛みを無関心にさせるほど身体は重く、蓄積された疲労と眠気にも似た感覚により、指一本たりとも動かせない。
それは宛ら、太陽に近づきすぎて焼かれたイカロスのようだと。
近づく地面を視界に入れながら、呑気な感想を抱いていた。
「ざまぁ……」
ふと隣に目をやれば、瓦礫の山へ同様に落下していく少年がいる。
濡れ焦げた服と、顔には火傷、脇腹には穴があり、血が糸を引いている。
無意識でありながら、彼は掴んだ剣を放さないでいる。
律義だなと思えば、自分が落ちていく先の民家に目が行く。
黒く燃焼しつくした木造の住宅であり、追加の苦痛が待っていることに嫌気がさす。
どれだけ不満を持とうが、身体が言うことを聞かないのだから抗いようもない。
「―――」
だが意思という最後の力を振り絞り、一つの魔法を発動する。
唱えたところで、誰もが予想する展開を免れることはできない。
ただちっぽけな生への可能性を未来に託しただけ。
そうして悪あがきをしたのち、互いに焼けた街へ突っ込んでいた。
※
目の前にいる《オーク》の足が頭上にある。
下には冷たい土の感触があり、這いつくばった自分がいる。
山賊の首領である『バオギップ』の《アイアン・ハンマー》による攻撃で、身体が重い。
未来の力を手にし、心のどこかで浮かれている節があったために油断した。
だから今、見下される側にいる。
「ざまぁねぇっすね……」
調子に乗って、力を出し惜しみした所為で、地面に転がっている。
そんな自分が情けなく、我ながら呆れてしまう。
「どっちがだ」
自分に対して呟いた言葉に何を勘違いしているのか、バオギップが反応する。
徐々に身体の痛みは薄れ、動かせそうになって来ているというところで、翳された足が振り下ろされる。
この一撃は避けようがなく、反射的に目を瞑りそうになる。
「……っ!」
そこへ介入する爆発音。
気づけば、バオギップの注意が逸れ、動きが停止していた。
「なんだっ!?」
視線の先からして、羽亮がいる方角だと瞬時に理解する。
派手に暴れているおかげで、バオギップに隙が生じている。
それを機に両掌の一点に魔力を集中させる。
形状はトルネード、威力は相手を吹き飛ばす疾風、圧縮をかけ噴射する。
「くっ!?」
足元を目掛けながら、バオギップは電車道をつくり耐え忍んでいる。
けれど狙いは、倒すことではなく態勢を立て直すための時間稼ぎ。
それがため、地面を掠めるように風魔法を放ち、土煙を巻き上げた。
敵と距離を置く目眩ましであり、身を潜めるべく講じた逃げの一手だった。
「あの野郎……っ!」
案の定、バオギップの前から姿を消すことに成功し、火の手の回っていない民家の路地裏に隠れ、一休みする。
「どこ行った!?」
当分の間は見つかることはないが、火の勢いによっては、危機的状況であることに変わりはない。
最悪、見つかりそうになれば、窓から建物の中に侵入することでやり過ごせる。
とにかく今は、現状を整理し、作戦を練ることにする。
「クソガキがぁああ!!」
しかしどうやら、バオギップの怒りは最高潮に達したようで、策を弄したところで無意味に思えてくる。
もうバオギップに恐れを抱く自分はいないが、過信もいいところ。
敵を侮っては相手と同じ、いずれ痛い目を見る。
だから自惚れるのはやめにしようと、改めて思う。
軽く嘆息したのち、少しだけ前の自分に戻る。
口先ばかりで、非力な自分に――。
――追い詰められて尚、
瞳はまだ、死んでいない――




