第二章6 『闇』
「そんじゃ、まずおいらから」
『孫悟空』と化した『猿山縁間』は、《如意棒》を両手で持ち直す。
バオギップはと言えば、ハンマーを手に構えている。
「ぐほっ」
瞬間、何の前触れもなく《如意棒》がバオギップの腹を抉り吹き飛ばす。
地面を弾み、転がりゆくバオギップを皆は呆気に取られ眺めている。
「伸び、た……?」
生き残った山賊の部下たち数名は、武器が伸縮するという事実を目の当たりにし、口を開けて呆けている。
「ぐぬぬ……」
けれどバオギップは、すぐさま起き上がっており、攻撃はあまり効いていない。
猿山としては、ほんの挨拶代わりであり、本番の二撃目を与えんと駆けていく。
「よそ見とは、良いご身分ですな?」
気づけば、標的であるはずのローブが姿を消している。
声のする方を向いてみれば、いつの間にか上空を浮遊している。
見上げた途端、老人は魔法を唱え済みのようで、直径5メートルほどの赤い魔法陣が広がっていた。
「私の名はケトラ。冥途の土産に持って行くがいい!」
バオギップと言い、ケトラと言い。
名乗りたがる目立ちたがり屋な性分は何なのか。
そんなくだらないことを思っているうち、魔法陣から四つほど爆炎が隕石となって、こちらへと集中砲火を浴びせに来る。
「《バーニング・フレア》!」
食らえば焼き潰されるであろう火属性の魔法。
小岩のようなサイズから、威力や規模を想像するにケトラの実力は中級魔導士と言ったところか。
迫る爆炎に対し、翼による回避を試みようと、背中へ魔力を集めていく。
しかし翼を作成するよりも、《バーニング・フレア》の落下速度の方が上回っている。
フェザーになったのは最近であるがために翼の急な発現は不慣れなものだった。
そのため、瞬時に魔力の一部を別のモノへと回し、組み立てる作業へ移行する。
するとついにケトラの魔法は激突し、火炎が弾け広がる。
一つ、また一つと炎が釣られるように爆散していき、無数の火花が舞い上がる。
「くくく……くくくくくくく!」
辺り一帯を土煙が覆う中、ケトラはかすれ気味の高笑いを浮かべている。
大技の炸裂による高揚感か、性格によるものなのか。
漂わせる魔力も含め、ケトラは少し狂乱であると秘かに思う。
「ん?」
砂塵の隙間から様子を窺うケトラが見え、生やした翼により風を起こして、視界を晴らす。
「何っ!?」
ふと、ケトラは何に驚いているのだろうと小首を傾げる。
考えうる要素は三つ。
一つは、得意げに放った《バーニング・フレア》を受け、無傷であったこと。
二つ目は《バーニング・フレア》による攻撃を無色透明な六角形の防御壁――《インビジブル・シールド》により防いだこと。
三つ目は、対峙していた相手が、実は翼を生やした人型生命体――『フェザー』であったということ。
おそらくは、全てが混同し困惑しているのだろうと察する。
ケトラを見上げるのも疲れてきたため、跳躍による勢いと翼による羽ばたきで同じ目線になるよう空を昇り、向かいに並び立つ。
『今度はこちらの番だ』
そう言い放とうと思うも、驚愕したケトラを前にすると勝負は決したも同然で、口にすることさえ面倒に思えてくる。
故に止めを刺そうと切り掛かれば、ケトラは杖で辛うじて受け止める。
空中戦は初めてなもので、振り下ろした剣は勢いに乗り切れていない。
その所為もあり、ケトラは屈指の抵抗を見せつけている。
「やるな……」
所詮は悪あがきだとわかっていても、平然と感嘆の呟きが漏れる。
ただの魔術師や魔導士であれば、魔法に頼りきりで、知力はあるが脆弱なため肉弾戦が不得意なものが多い。
しかもケトラは老人であるために非力なのは間違いない。
勢いが弱まっていたとはいえ、戸惑い気味の思考でありながら無事というのは、単純に凄いと言えた。
「くっ……んぐっ……がっ」
振り下ろし、薙ぎ払い、叩き落す。
何度か剣をぶつけるも、ケトラは一心不乱に防ぎ続ける。
このまま攻撃を繰り返していけば、先に崩れるのはケトラだろう。
こちらは不慣れな体勢を整えながら、動きを身体に馴染ませていく。
次第に状態を安定させながら剣を振れるようになり、渾身の斬撃をお見舞いする。
「ぐわっ」
ようやくケトラを弾き飛ばすほどの威力を放ち、スペルディウスを目に思い悩む。
切りつけた相手の血を啜り、命を食らうとされる漆黒の剣。
スペルディウス自体の重量が意外とあり、腕が軽く疲労している。
扱い方も、一般的な(我流で身に着けた)剣術で合っているのかどうか。
初めての空中戦で実践を行うというのは、命知らずと言うべきか。
スペルディウスを握り締め、感触を確かめる。
兎にも角にも、現状これでなんとかするしかないと、腹を括ることにする。
「貴様ぁ……」
「ん……?」
ふとケトラに視線を戻せば、青紫のオーラを放っている。
いつの間にか、持っていたはずの杖も手元から離れ落下していた。
「貴様貴様貴様貴様貴様ぁああっ!!」
怒り憎しみと言った負の感情とでも言うのか。
それが禍々しい魔力となって爆発している。
そして、気になる点が一つ。
「もう容赦はせんぞ!」
どういうわけか、明らかに声が違う。
老人ではなく、青年に若返っている。
誰かになりすましていたというのか、口調や気性は相変わらずのように見える。
正体について気になるも詮索する暇さえ与えてはくれず、ケトラは魔法を発動する。
「《フレイム・ボム》!」
今度は別の炎魔法で、四体の火の玉が顕現する。
鋭い牙と目つきの悪い顔からして、ゴースト系のモンスターに近しいものを感じる。
ただ襲ってくることはなく、四体の炎が横並びに浮遊しているだけだった。
「《サンダー・ティガー》!」
続いてケトラの首元を雷が迸り、肩の上で細く小さな虎となって遠吠えを上げる。
属性からして雷の魔法であり、ケトラは多属性を操れるのだと察する。
その後、虎は雷へと姿を戻し、《フレイム・ボム》に纏わりつき、炎と雷の混合魔法へと形を変える。
「《マキシマム・テンペスト》!」
「ぐっ」
四つの巨大な竜巻が身の回りを包囲する。
反撃をさせないための風魔法のようで、暴風により身動きが取れず、見事に術中にはまってしまう。
「《ウォーター・バレット》!」
風の隙間からケトラを覗けば、水の銃弾が十発分ほど生成されている。
流れからして、多属性による一斉射撃を狙っていると判断できる。
「……っ」
すると《マキシマム・テンペスト》の効力が切れ、自由の身となる。
荒い息と少しの疲労があるだけで済み、面倒になる前に決着をつけようと思う。
「《グランド・クロス》!」
「……っ!」
その隙も見過ごさないというのか、地面から鍾乳石の如く尖った岩が猛接近してくる。
土属性の魔法と理解し間一髪、後ずさりすることで回避に成功する。
安堵したのも束の間、岩が生えただけというわけでなく、側面からも棘が突き出てくる。
しかし左右に突起しただけだったため、刺さった後に威力を発揮する二次的なものだった。
「―――」
発動のタイミングからして、魔法の消えるタイミングを熟知したうえでの芸当。
類稀なる実力からして、ケトラの仮面を被った青年の怪しさが増していく。
「《シャイニング・エッジ》!」
次々と他属性を披露し、ケトラは次に一本の投げ槍をつくりだす。
神々しく光る姿から、光属性の魔法だと見て取れる。
左手に持ったまま抛っては来ないことから、まだ終わりではないと勘が働く。
「《ダーク・ソーサラー》!」
やはりとでも言うべきか。
ケトラの右手に黒い大鎌が出現しており、明らかに闇属性だと識別できる。
それによりケトラは、自分と同様に全属性の魔法が扱えるのだと確信に至る。
ここまで使った『五行魔素』や『心象魔素』に加え、先ほどのバオギップに対する強化系や防御系の魔法も含め、高度な技術を有している。
「さて……」
火・雷・水・光・闇という五属性を一遍にどう防ぐか。
形勢逆転された立場により、僅かな合間にも対応する術を見出さなければならない。
もしかしなくとも、窮地に追いやられている。
「行くぞ」
差し迫る危機、不敵に笑うケトラ。
重く伸し掛かる空気に不思議と焦りは出なかった。
※
「んぐぐ……」
目の前にいる敵により弾き飛ばされ、身体を起こす。
勢いにより口内を噛み、垂れた血を拭う。
そんな中でも歩み寄って来る『猿山縁間』という少年からは目を逸らせない。
――なんなんだ、あの武器は……っ!?
赤い棍棒が意のままに伸び縮みし、鞭のように猛威を揮う。
愛用の武器である《アイアン・ハンマー》でさえ、一撃の重圧には耐えきれない。
竹のように太い棍棒に鉄鉱石を括り付けただけの構造でも、強度は一級品。
身体や武器の重量からして、巨人族でない限り地から足が離されることはない。
にも拘らず、幾度となく巨体が宙を舞い転倒を繰り返している。
「何故だっ!?」
一体どういうことなのか。
果てしない疑問に思考を奪われながら、視線の先に広がる攻防に勤しんでいる。
劣勢という状況が信じられず、戦いに集中できずにいる。
「この武器は常人には扱い切れない代物なんだぞ……っ!?」
《アイアン・ハンマー》を握り締め、怒号を上げる。
500キロはある武器を片手で振り回せる人間は存在しない。
加えて、体重も同程度はあるというのに街の中央から随分と距離を置いている。
陸には少なからず生き残った部下がこちらを見つめ、空中では傍にいたはずのケトラが、黒服の少年と応戦している。
両者ともに米粒のようなサイズで視界の隅にいるというのは、あり得ない光景だった。
「だから、何すか?」
「……っ!」
振り下ろされただけの赤い棍棒。
《アイアン・ハンマー》を両手で抱えることで命中を避ける。
「ふんぐ……っ」
全体重を乗せ、踏ん張りを利かせている。
それでも身体はじりじりと地面を削り、後方へと下がっている。
何とか持ち堪えているという言葉が、こんなにも似合う光景はない。
バオギップの脳裏には、太く丈夫な自慢の武器が壊される予感しかしない。
それほどまでに必死の抵抗を続けている。
「俺の体重は500キロ……《アイアン・ハンマー》の重量はとんとんなんだよ……! とんとんで、一トン……!」
冷徹に襲い掛かる猿山を前に攻め入る隙をつくるべく、口を動かし余裕の態度を見せる。
しかし攻撃の勢いが止まることはなく、諦めて後ろに跳躍する。
幸いにも追撃はなく、少しの静寂が場を包み込む。
聞こえるのは、攻撃を受け止めたというだけで息切れを起こしている呼吸音。
全力で全神経を防御に注がなければ、やられると本能が叫び、徹した結果。
《アイアン・ハンマー》を手にしてからは、ほとんどの相手を一撃で仕留めており、防御に専念するなどモンスター相手に数える程度しかない。
遡ってみても、巨体により鈍くとも、対人戦において傷つけられた記憶は、主である御方たち意外に存在しない。
故に弱者だと侮っていた相手に痛めつけられるなど、思いもよらない出来事なのである。
「とんとんで、トン……?」
気が付けば猿山は、眉間にしわを寄せ考え込んでいる。
先の発言に対し、何か思うところでもあるのか、小首を傾げる。
「豚?」
「豚じゃねぇ!!」
『とん』という言葉を見た目に紐づけられるという屈辱。
《オーク》は猪であっても、決して豚などではない。
それは種族にとって、最も許し難い憤怒への着火剤だった。
「あんな家畜と一緒にすんじゃねぇええ!!」
血が沸騰するような感覚。
体中から湯気が立ち上り、全身を赤く染め上げる。
《オーク》にとって興奮状態は、再生を早め、あらゆる力を底上げする効果がある。
「ふん!!」
そのため空いた距離を詰めることは容易く、今までで一番の怪力でハンマーを振り下ろす。
それは1トンが重力に従って襲い掛かるもので、当然の如く地面はひび割れていく。
「んがっ」
これには猿山も耐えきれず、崩れた足場により態勢を乱す。
「ふん!!」
「ん!」
そこへすかさず横の大振りを叩きつけるも、あと一歩及ばず防がれる。
だが攻撃が効いていないわけではないため、だるま落としの如く連打する。
「ぬぅああ!!」
渾身の一撃を再度ぶつけ、フルスイングする。
「どわぁああ!?」
その勢いに呑まれ、猿山の身体は掬い上げられ、吹き飛んでいく。
火の手が回った何軒もの建物を貫通し、土煙が猿山の行方を晦ませる。
後を追うようにゆっくりと近づいて行けば、節々の激痛に身悶えしている猿山がいる。
どうやら防御性能に関しては、頑丈と言えど所詮は人の中でのものだと見て取れた。
「がぁああっ」
腕を踏みつけ、顔を蹴り、与えられた苦しみを数十発の暴行により発散する。
やはり力を手にしようと弱者に変わりはなく、悲鳴を聞くたび強者だという実感がする。
「ふふふ、ハハハハハ……ぐっ」
あまりの心地良さに笑い声が上がり、振動が傷に障る。
大打撃を何発も食らわされ、衝撃により、いくつか骨を折っている。
少し痛みを感じたというだけなのに這いつくばった猿山が口元を緩めており、怒りが込み上げてくる。
「ざまぁねぇっすね……」
雑巾のように薄汚い顔で、見上げながらに嘲笑っている。
どちらが優勢かは明確で、生意気な態度を取る猿山からは苛立ちしか感じない。
もう終わりにしようと片足を上げる。
「どっちがだ」
踏みつける寸前、猿山は最後まで笑みをやめずにいた。
※
「行くぞ」
ローブに身を包んだ老人でありながら、青年の声音で語り掛けてくる。
謎多きケトラという名の魔導士に意識は集中する。
全属性を扱える逸材というのは、詠唱のある『魔術』であるなら珍しくはないが『魔導』となれば話は違う。
黒陰国で自分以外に扱えるという存在は、貴族に一人、魔術講師である『花園彦内』と『シスター・リリィ』の三人。
歴史上の人物を含めれば、絵本である『BestWish』に描かれた英雄と妖精王、英雄の後継者争いで生まれた正統派と内乱を企てた者たちを筆頭とした両者リーダー格一名。
決着はつかず、刀剣は別れ、白陽国と黒陰国という未だ終わらぬ戦争となった。
つまりは自分を除き計7名ではあるが、黒陰国で知られているのは4人。
古き時代の国宝とまで崇めたてられる存在に準え、黒陰国では全属性を扱える魔導士を《古代行使者》と呼んでいる。
白陽国では全属性使いをどんな呼び方をしているか知らないが、噂では扱える者が黒陰国よりも多いと聞く。
もしかしたら、ケトラは――。
「ん?」
ケトラの目が自分ではない何かへと向けられる。
視線の先を追えば、街中で逃げ遅れた住人たちが数名ほど見つかる。
シエラに指示を仰ぎ、住民たちはとっくに丘の上へ避難し終わっていると思っていたが、建物内に潜んでいたか、アクシデントにより脱出が困難な状況にあったのか。
どちらにせよ、早く立ち去った方が安全なのは確かな話。
ふとケトラへと視線を戻せば、右手に持った闇の大鎌である《ダーク・ソーサラー》を天に掲げている。
「何を……」
何をする気なのか、問いたいのに言葉が出ない。
影に埋もれ窺えないケトラの表情と、嫌な予感が、胸の奥をざわつかせる。
立ち上る火炎の熱気とは別に冷や汗をかく。
ゆっくりとケトラの頭上を注目すれば、黄金に輝く直径20メートルほどの魔法陣があり、神々しく光る無数の槍が展開されている。
気づいた頃にはもう遅く、《ダーク・ソーサラー》は振り下ろされ、空を切る。
「《閃光制裁》!」
ケトラの低く静かな声に反応して、矢は放たれる。
降り注ぐ槍の雨が街中に分散し、逃げ惑う住民を狙う。
その存在を理解する間も与えられぬまま、人々は射抜かれ、次々と悲鳴が上がる。
最後の一人まで仕留め損なうことはなく、辺りに静寂が広がる。
助けに入ることもできない、あっという間の出来事だった。
「くくく……あーはっはっはっ!」
するとケトラの笑い声が盛大に響き渡り、何がおかしいのかわからず、茫然と見やる。
人を殺すことに何の躊躇いもなく、まるで子供が玩具で遊ぶように無邪気な姿がある。
眺めているうち、自分の中にある黒く濁った何かが渦を巻く。
頭には、シスターの教えや思い出が過ぎり、それを制止しようとしている。
けれど、シスターの声は聞こえず、蘇る映像も焼き消えていく。
歯止めの利かくなった何かは次第に自分を取り込もうと足先から埋められていく。
底なし沼に沈んでいくような感覚に何故か懐かしさを覚えていた。
――懐かしい感覚に身を委ね、
意識は闇に溶けていく――




