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FEATHER  作者: 「S」
第二章 山賊討伐編 ―夜明けの道―
12/20

第二章1  『旅の始まり』

 あれから3日。


 『梶鉄船かじてっせん』という男の指示で南へと向かい。

 荷物は必要最低限の急拵えだったばかりに水や食料はとうに尽き。

 『魅剣羽亮』は果てのない荒野を歩き続けていた。


「暑い……」


 翼があるからと甘く見ていた。

 飛ぶのにも限界があるというのに。


 空腹には慣れていても、黒い髪と黒いハイネックのロングジャケットから伝わる熱の方が耐え難い。

 フード付きの防水加工が施された、お気に入りの一張羅だからと安易に着てきたのは間違いだったのかもしれない。


 世界は広く、自分は浅はか。

 もしかしたら『魅剣羽亮』はここで野垂れ死ぬかもしれないという思考が拭い切れない。



「―――」



 視界がぼやけ、意識が朦朧とする。

 暑さで思考も定まらない。

 歩く気力も失われていく。


「……っ」


 段差に躓き、転ぶ。

 起き上がろうにも、空腹で力が出ない。


 瞳に映る、ギラついた地平線。

 次第に頬から伝わってくる暑さが、心地よく思えてくる。


 いつしかゆっくり、瞼を下ろして。

 何もかもが、どうでもよく感じて。


 死に行くように眠りへと誘われていた。



      ※



 外の光景をまるで自分が目にしているかのように察知する。

 朧気で暖かな空間に取り込まれ、目を瞑ってもいないのに暗幕に包まれるような視界の感覚が頭にある。


 自分でありながら、自分ではない。自分ではないが、自分でもある。

 言葉遊びのように彼の意識下で、自分は存在している。


 彼の肉体が滅びれば、中にいる自分も死ぬ。

 しかし自分が消えても、彼が死ぬことはない。

 ただ意思疎通が可能ではあるはずなのだが、それができることを彼は気づいていない。


 忌々しくも彼を通じて外の状況を眺めているだけの状態。

 居心地が悪くないわけではないが、心中までは良くはない。


 彼に敗北し、彼の中に封印されるという失態。

 どうにかしようにも自分では何もできない。


 まさに籠の中の鳥。


『……ったく、だらしねぇな』


 そんな今に不貞腐れながら、ため息が零れる。

 暖かな黄金色に包まれた意識の空間で、外で実体が倒れ、宿主である彼がこちらの世界へとやってきたことに呆れる。


『こんな人間のどこがいいんだよ』


 彼の中へと封印され、五日。

 意識を通して外での出来事を眺め続け、宿主がどういう人間なのか把握し。

 その軟弱さに見ているだけで、苛立ちが絶えなかった。


『えー、可愛いじゃん。ネコみたいで』


 それを彼女は嬉しそうに受け止めている。


 金色に輝く長髪を垂らし、碧眼を輝かせ、同じ空間にいる少女。


 彼女を探し、取り返すべく彼に挑んで返り討ちに遭い、生まれた現状。

 彼女を救うべく動いていたというのに。

 彼女は悪びれることなく、無邪気に笑う。


 自由奔放さは昔からのため諦めがつくが、納得はいかない。


 何故なら彼女の膝の上に彼の意識が横になっているから。

 眠りにつくことで潜り込んできた彼の意識に膝枕をして、愛でるように頭を撫でて。


 何度も思う。

 こんな人間のどこがいいのかと。


『優しすぎて、誰にも迷惑をかけまいと、一人で抱え込んで……支えてあげたくなる』


『いいじゃねぇか、男なんだし』


『わかってないなー。羽亮は子供なんだよ?』


『はあ?』


 しんみりと、何を言い出すかと思えば。

 大人びた彼のどこが子供なのか、わかりかねる。


『生きるために自分だけが頼りで。頑張って、頑張って。心はいつも悲しみに暮れている。平民というだけで皆から嫌われちゃってさ……私たちみたい』


 彼に自分を重ねてか、彼女は傷心に浸っている。

 フェザーというだけで、迫害され続けた毎日。



 付き纏う――孤独。



『やっぱり、頑張ったからには、褒めてほしいよね』


 哀れみながら撫でる手は優しく。

 零す笑顔は、薄く儚げで。


 自分の目に映った『魅剣羽亮』を振り返る。


 平然と、誰にでも分け隔てなく接する気立ての良さ。

 育った環境がそうさせたのだろうと理解できる。



 ――しかし、



 それとは裏腹に潜む影。


 過去に家族を失い、常に一人ぼっち。

 自分だけが頼りだから、全てを一人でこなす。

 周りからは、それが彼にとって当たり前なのだと片づけられている。


 本当はただの、泣き虫なのに。



『―――』



 救いの手なんて何もない。


 大事な人にさえ迷惑をかけて。

 自分は救われてはいけない人間なのだと決めつけて。


 同じことが繰り返されることに恐怖している。


 失う痛みを味わうならば、何も持つまいと一人になる。

 それでも何かに縋ろうとするのは、今を生きるため。


 とても弱い動機。


『子供、か……』


 孤独の痛みを知った、同じ穴の狢。

 親近感の所為か、封印された恨みは淡く消えかかっている。


『ふふ』


 お世話好きな性分なのか。

 ただ『魅剣羽亮』が好きなのか。


 彼女は彼に夢中のようで。

 呆れるように肩を竦めた。


「ん……」


 眠りに入った意識が戻りかかっているのか。

 こちらの世界の彼が目を覚ます。


『おはよう』


 それを祝福するかのように彼女は優しく笑顔で迎え入れる。


「ソラ……」


『……?』


 覗き込む彼女の顔を目に彼は呟く。

 もしかしなくとも、彼女に対して呼び掛けているようで。

 それが少し、疑問だった。


天白あましろソラ。私の名前だよ』


 顔をこちらに向け、無邪気に恥じらう素振り。


『ふーん……』


 人間に名を付けてもらうフェザーなど前代未聞で。

 何故か少しだけ、秘かに羨ましいと思う自分がいた。


『そうだ!』


 何を思いついたのか、彼女は手を合わせる。


『羽亮に名前つけてもらったら?』


『は?』


「へ……?」


 突然の閃きに起き上がる彼と視線を交わす。


 とても間抜けそうな表情。

 こちらは自然と眉を顰めてしまう。


「……?」


『……』


 どうするとでも言いたげに見つめられ、慣れない事態に頭を掻く。

 数秒の時が流れ、逃れられない空気にため息を吐く。


『……変な名前にしたらぶっ殺すぞ』


 考えた末、何故かそう答えてしまっていた。


「わかった」


 表情一つ変えることなく、彼は平然と了承すると、しばらく考え込み。


「じゃあ……『黒喜羽虚空くろきばこくう』」


 くろきば・こくう。

 それがどういう字を書くのか、聞く前に彼は指で文字を綴り、何もない空間に光る単語が浮遊していた。


『『黒喜羽虚空』……』


 今までずっと、名無しのフェザーで。

 《黒翼》なんていうコードネームで存在を示して。


「よろしくな、虚空」


 けれど今、彼によって誰でもない自分の存在を認められようとしている。

 ようやく、世界に降り立ったような実感がする。


『……けっ、悪くねぇな』


って」


 差し伸べされた羽亮の手を握ることなく弾き返す。

 それを羽亮は怒ることもなく、嬉しそうに苦笑していた。


『よかったね』


 傍から眺めるソラも、笑顔でいた。


「ん?」


 消えかかった彼の意識体。

 外の彼が目覚めようとしており、意識が実体へと引き戻されようとしている。


「また、会えるかな……?」


 羽亮のちょっぴり寂しそうな表情に今度はソラと顔を見合わせる。

 同じ気持ちだったのか、不思議と互いに頬が緩む。


『意識を集中するだけだから。会いたくなったらいつでもおいで』


「そうか」


 安堵するように笑みを零し、羽亮の意識が昇っていく。

 吸われるように光の柱を伝って、こちらを見下ろして。


『……なぁ、一つ聞いていいか』


「うん?」


『この名の意味は、なんだ?』


 人が名を授けるとき、何かしらの意味を与えると聞いたことがある。

 羽亮はどういう意図で、『黒喜羽虚空』という羅列をつくったのか。

 それを別れ際に問えば、彼は途端に微笑む。


「黒い羽のフェザーは悪魔みたいで、嫌われている。たとえ嫌われていても、羽は羽。それがどうであれ、人々にとって翼は、自由の象徴でしかない。お前は大空を羽ばたける喜びを知っている。だから、ソラと同じ空を象らせた」


 彼女と同じ空。

 それはまるで、『お前は幸せ者だ』と語りかけているようで。

 今までで一番、自分が誇らしく思えた。


『お揃いだね』


 こちらを覗き込むようにソラは頬を綻ばせて。

 気恥ずかしくなり、背を向ける。

 羽亮を横目にすれば、消える寸前で。


『そうだな』


 ただ悪くはないなと、素直に思う。

 三人揃って、笑みを零す。


 そうして羽亮は、元の自分へと帰って行った。



      ※



「―――」



 ゆらりゆらりと伝わる振動。

 瞼そっと開けた先、知らない背中と動く景色が目に入る。



「――お、目覚めたっすか」



 誰かはわからない、刈り上げたような黒い短髪の少年。


 歳はきっと同じくらい。

 白いタンクトップからはみ出た腕は筋肉質で、細身な身体に負ぶられていながら、落ちる気がしない安定感がある。


 そしてどこか、懐かしい匂いがする。


 何よりも気になるのは、陽気な彼の笑顔。


「猿……?」


「寝起き早々、口悪いっすねあんた……。まぁ、あながち間違ってないっすけど……」


 苦笑して怒らないあたり、猿とは違って温和なようで。

 失礼なことを言ってしまったわりに罪悪感は生まれなかった。


「おいらの名は『猿山縁間さるやまえんま』。あんたの名前は?」


「『魅剣羽亮みつるぎうりゅう』」


「『うりゅー』っすか~。呼びにくい名前っすねー」


「初めて言われた」


「えぇ?そうっすか?」


「うん」


 名前に対してのちょっとした不満。

 何気に自分も思うことではあったが、面と向かって言われることはなく。

 猿山との会話に新鮮味が湧く。


「うりゅーは、貴族っすか?」


「……?」


「その恰好。ここじゃ珍しいっすから」


 どう答えるべきか、少し迷う。

 ただどう答えようと、変わりようのない事実が一つ。


「平民だ」


「へー……」


 何を疑っているのか、猿山の声色は低く。

 そのわけを何となく察する。


 こんな荒野で倒れている人間を怪しまない方が可笑しいだろうと。

 同士であれば、尚更であろうと。


「旅芸人っすか?」


「芸人じゃない」


「旅はしてるんすね」


 猿山の質問攻めは不思議と悪い気がせず。


「旅立って、3日しか経ってないけどな」


 だから自然と、聞かれていないことまで口にしてしまう。

 それほどまでに情報収集かいわが上手いことに感心する。


「……家出っすか?」


 いけない引き出しを開けてしまったのではないか。

 深刻な話題になるも、こちらは変わらず平然と対応する。


「家は……ない。俺、孤児なんだ。2年前まで教会にいた」


「2年前?」


「フェザーに襲撃された。そっからは貴族に拾われて……」


「あ~、なるほど」


 淡々と答え、納得したのか、猿山は無邪気に笑う。

 その後、感慨深く浸り込む。


「……うりゅーは、素直っすね~」


「そうか?」


「警戒心なさすぎ。そういうの、気を付けた方がいいっすよ~?」


 あしらうように危ぶまれ、共感する。

 が、さして心配はいらないと思えている。


「それはたぶん、大丈夫だ」


 何を持ってして、言い張れるのか。

 猿山は含み笑いを浮かべる。


「その心は?」


「俺は、聞かれないと、答えない」


「なんすかそれ」


 『結局、答える』ということに猿山は吹き出す。

 けれどそこには少し、語弊がある。

 それをちゃんと、説いておこうと思う。


「お前なら、大丈夫な気がした」


 意外だったのか、猿山は途端に口を噤む。

 しばしの間を空けて、猿山の明るさが薄く染まる。


「……どうして、そう思うんすか?」


 見なくても想像のつく表情。

 言わなくても背中が何よりも語っている。

 同類だと、察せられる。


「同じ匂いがしたから」


 黄土色のズボンから抜け出た裸足と、ほのかに漂う泥の臭い。

 平民特有の小汚さが、かつて自分も味わっていたもの故に。


「着いたっすよ」


 気づけば目の前に小さな街があり、背中から降ろされる。

 西部劇のような寂れた街並み。行き交う村人の声。



 入門に建てつけられた看板には、赤く消えかかった文字で『賑わいの街――《プロスパー》』と記されている。



 近くに生い茂った山があることから、狩りをして生計を立てているのだと悟る。



「――あー!猿だー!」



「――ほんとだー!猿だー!」



「――おーい、猿ー!」



 幼気な子たちが次々と声を上げ、血気盛んに集まってくる。

 次第に猿山の周りは囲まれ、身動きが取れなくなる。


てててててて!だからおいらは猿じゃねぇって!」


 手足を掴まれ、足を引っ張られ、戯れる姿に和まされる。

 猿だと言われて怒らなかったのは、身近で呼ばれる愛称だったからなのだと腑に落ちる。


「この人だ~れ~?」


「貴族~?」


「真っ黒~!」-


 会話の矛先が自分に向かれ、瞬きをする。


 正直、何と答えればいいのか。

 真顔で子供たちを見回すと、綺麗なブロンドヘアをした内気そうな少女を見つける。


 その佇まいはまるで、昔の自分を見ているようで。

 薄く微笑んで、自然と彼女の頭を撫でていた。


「この人は、おいらのお客さんっす」


 すると猿山は、助け舟を齎すようにニヒッと笑う。

 撫でた少女は気恥ずかしそうにしていて。


「猿~!」


「バイバーイ!」


「またね~!」


 嵐のように過ぎ去る子たちは元気の塊で。

 釣られて離れていく少女は、笑顔でこちらに手を振っていた。


「おう、またな」


 見送りが終わり、一息つく。


「さて」


 吹っ切れたようにこちらを向く猿山。


「これからどうするっすか?」


 何をしようか。

 とりあえず、宿屋を見つけるべく、猿山に尋ねようと思う。


「宿屋は……」


 言いかけて、お腹の虫が鳴り、視線を落とす。

 そういえば、何も食べていなかったのだと、無関心にも忘れていた。

 そこに猿山は、微笑ましそうに合図する。


「ついてくるっす」


 街を歩いてしばらく。

 近くにある酒場へと辿り着き、テーブルの上に並んだ肉やサラダを貪り食う。


 鶏の丸焼きを食い千切り、頬袋に詰め込む。

 久しぶりの料理の美味さが、口の中いっぱいに広がっていく。


「ふんうぇ」


「ちょっと何言ってるかわかんないっす……」


 ようやく租借し終わり、飲み込む。


「うんめぇ」


「それは良かったっす」


 思わず零れた台詞を言い直し、今度はサラダに手を付ける。

 肉の油を緩和させるようにシャキシャキとした野菜の瑞々しさが舌を唸らせる。

 自然と頬は緩み、猿山は嬉しそうにこちらを眺めている。



「――山賊だー!山賊が来たぞー!」



 途端、男の叫び声が聞こえ、街の空気が一変する。

 目の前にいる猿山は険しそうに顔を顰めると、そっと立ち上がる。


「ゆっくりしててくださいっす」


 そう言うと、店を出ていく猿山。

 ただ意識は食事に夢中で、完食することだけを頭に置いていた。



「――ギャハハ!今日はどうしてやろうか!」



「――酒に女!これだけは譲れねぇ!」



「――街破壊もいいなぁ!」



「――金銀財宝、奪い尽くせぇ!」



 いかにも悪人とでも言うような声が耳に入った時。

 外の様子が気になり、スイングドアの向こうを覗き見ようと身体を仰け反る。


 しかし視界には何も映らず、仕方なく料理を全て銜えて素早く平らげる。

 軽く戸を開け、店の前へ出ると現れた数人の山賊と対峙する猿山がいた。


「なんだー猿?」


「俺らの邪魔しようってか?」


「けけ!やめとけやめとけ。お前じゃ話になんねぇよ」


「痛い目あいたくなきゃすっこんでな」


 舐め腐った者共の言い分に猿山は強く拳を握っている。

 そうとう怒りに来ているのだと見て取れる。


「……お前らの好きにさせるわけにはいかないっす」


「あぁ?」


 呟くように放った一声。

 少しずつ、恐怖に立ち向かう勇気を奮い立たせている。


「お前らの所為で、みんな迷惑してるんす……!」


「は~あ?」



「大人しく出ていくっす!さもなくば――」



 誰かのために。守るために。

 猿山は怒りを力へと変えていく。



 ――けれど、



「ぐふっ」


 山賊の膝蹴りが勢いよく猿山の腹に入り。

 そんなものは、儚くも虚しく散る。


「さもなくば……何だよ?」


「力、づくで……」


 それでも倒れず、猿山の目から闘志は消えていない。


「聞こえねぇんだよ」


「がはっ」


 力の差は歴然。

 今度は頭を蹴り飛ばされ、地面へと転ぶ。


「お前、誰に向かって口利いてんだ?ああ!?」


「うぐっ」


 横になった無防備な猿山を足で甚振り、身体のあちこちに痣や傷がどんどん出来上がる。

 周りは怖気づき、助けられない自分を悔いながら、顔を背けることしかできずにいる。

 次第に痛めつけられる猿山が見るに堪えなくなってくる。


 子供だろうと関係なく、力あるモノが全てだと。

 昔、自分も味わった痛みを彷彿とさせる。


「凛……」


 いじめられてばかりだった幼き頃。



 いつも助けてくれていた、血の繋がりのない優しき兄――りん



 温和な性格で、怒ったところを見たことがないほど大人びていて。


 同い年とは思えない、陽だまりのような存在。

 フェザーの襲撃後、シスターを追うように姿を晦まして。


 もうどこにいるのかさえ、わからないけれど。

 凛に自分が救われていたという事実。

 重なる光景に今度はこちらが手を差し伸べる番だと、その場へと踏み入る。


「何だテメェ?」


 山賊が次の一発を放つ寸前で間に割り込み、辺りの視線を一緒くたに浴びる。

 空気はより一層、不穏なものと化す。


「おめぇもそこの猿みてえになりてぇってか?」


 どこまでも人を下に見た態度。

 貴族が平民を見下すように弱肉強食という平民の底辺争い。

 何も感じないはずの自分に久しく腹立たしいという気持ちが湧いてくる。


「やめるっす……羽亮……あんたの敵う相手じゃ……」


 地面に這いつくばり、怪我を負わされながら、尚も他人を思いやる。

 子供に優しく、見ず知らずの自分を助け、食事までご馳走してくれる。


 そんな猿山の筋金入りのお人好しぶりに頬が綻ぶ。

 こっちは相手の心配をしているというのに。


『この世に悪人なんて存在しない。ただ育った環境が悪かっただけ。元は皆、純粋な子。大人になるにつれ、現実に歪められた可哀そうな人たち。だから、許してあげて』


 握りしめた拳を制止させるシスターの記憶。

 許せるわけがないだろうと動くのにシスターの手が放してはくれない。


『やられたからと言って、やり返したら相手と一緒。同じことをしてはダメ。誰かを傷つけるためじゃない。誰かを守るために力を奮って』


 蘇る教えが、自分の気持ちを改めさせる。

 甘い考えだと、誰もが思う。


 それでも、大好きな人の言葉だから、裏切ることはできない。

 かと言って野放しにしても、同じことが繰り返される。



 ならば――、



「半殺しでいいか……」


 守るための力。

 同じ言動を持って粛清し、相手の気持ちを理解させ、反省を促す。


 これならば、シスターも容認してくれるだろうと。

 そう思うと、シスターの手がそっと離れる。


 後ろへと振り返れば、困ったように苦笑するシスターの影が映って。

 消えゆく幻に笑みが零れた。


「おめぇら、やっちまえ!」


 不意を突いてか、一遍にかかってくる山賊たち。

 飛んできた右ストレートを仰け反ってかわし、反対側から木製の鈍器が接近しており、しゃがんで回避すると、拳を振るった者の頭部へと直撃する。


 今度はサーベルナイフを振りかざす者が現れ、腹に蹴りを入れて弾き飛ばす。

 殴りかかる者は、受け流して地面へと投げつけ。

 背後から剣を構える者には、態勢を低くして剣を空振りさせ、お留守な足元に回転蹴りをぶつける。


 そうやって、避けては一撃で仕留めることを徹底し、十人ほど薙ぎ払って、ひと段落する。


「あの人数を一瞬で……!」


「何なんだこいつ……!」


 驚愕する一同。

 こちらとしては、身近に圧倒的速さで即死させられた者を内に飼っているため、山賊たちの攻撃はのろく、少し物足りなく感じる。


 さらに言えば、その彼と同化してしまっているため、思考速度・身体速度は増し、人の頃の比ではない。


 そのため、山賊たちとの攻防は蟻を踏み潰す程度のものだった。


 こんなことをシスターに言えば、反感をくらいそうではあるが、頭の中に浮かんだのは頬を膨らまして機嫌を損ねる可愛らしい姿であり、悪くはないなと口元が緩んでいた。


「てめぇ!覚えてろよ!」


 気づけば視界に山賊たちが尻尾を巻いて撤退する光景が映っており、茫然と立ち尽くす。

 背後へと目を向ければ、手負いの猿山が腕を抑えて立っていた。


「羽亮、あんた……」


 鳩が豆鉄砲を食らったかのように猿山は暫し間抜けな顔をさらす。

 呆気にとられ言葉が出ないのか、こちらは軽く笑って対応する。


 すると物陰に隠れていた子供たちが現れ、建物に身を潜めていた街の大人も顔を出し、身の回りが笑顔で包まれる。


 一番に飛び込んできたのは、先ほど頭を撫でた内気な少女だった。

 満面な笑顔で円らな瞳を向けられ、無邪気に抱きついてくる彼女が微笑ましい。

 何故か頭にソラの剥れた顔が浮かんだのが不思議だが。


 ふとして華聯のことも思い出し、釣られて《レイヴン》での日々を思い出す。



 そして、シスターのことも――。



「なぁ……」


 記憶を遡り、思う。

 この街は山賊により困っている。


 シスターならば、救いの手を差し伸べるだろうと。

 兄である凛ならば、迷わず山賊に立ち向かい、撃退したであろうと。

 自分の行動は、教会で育った日々によって形作られている。


 それを土返しにしても、単純にほっとけないのだ。

 脅威によって苦しめられ、辛そうにする人々が。


 弱く泣き虫であった自分だから、同情しているだけなのかもしれない。

 それでも、思うのだ。


 彼らを助けたいと。


「講義、してやろうか?」


 自分にできることなら、何でもしてあげたい。

 自分を慕い、頼ってくれる人がいるならば、それで笑顔になってくれる人がいるのなら、迷わず力を貸そう。


 辛いのは自分だけでいい。

 周りには笑顔でいてもらいたい。


 ただ、そう思うのだ。


「へ?」


 そんな思いなど知る由もなく、猿山は目を点にする。


 この街で一番度胸があり、信頼を持つ男。

 彼が用心棒として皆を守れる存在となったなら。

 想像するだけで、笑みが零れる。


 もしかしたら、あの頃のシスターもこんな気持ちだったのではないかと。

 どこまでも広がる青い空に思いを馳せる。


 そうして、『魅剣羽亮』の指導が始まる。



 ――過去を背に

  少年は未来を描く――

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