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 手傷を負ったのは不覚だった。いや、そもそも初見の魔物に、なんの備えもなく出会したのだから、むしろ不運と言うべきか。ヒロは苔むした倒木に背を預け、太腿に開いた傷からの出血を、どうにか止めようと奮闘していた。それは小指が一本入る穴で、深さは四インチほどもあった。今は上から布を押さえつけているが、ものの役にも立っていない。

 魔物の苛立たしげな咆哮が森の中に響き渡り、治療に割ける時間がさほどないことを告げた。ヒロはふと思い立ち、剣で布を切り裂いてから、倒木の上の苔をむしり取って細長い包みを作り、大きく深呼吸をして、それを傷の中に押し込んだ。果たせるかな出血は止まり、余った布を上からきつく巻き付ける。いささか荒っぽい処置で、後々傷が膿むことも考えられたが、ともかく今を生き延びる事が先決だった。ヒロは剣を取り、傷の痛みを無視して倒木の陰から飛び出した。


 ヒロは、いわゆる食いつめ者だった。数年前までは、それなりに戦もあり、彼の剣の腕を生かす機会にも事欠かなかったのだが、帝国が建ってあらかた大陸が平定されると、戦争は国家から俸給を受ける軍人の仕事となった。兵士には個人の武よりも、統率と忠誠を求められるようになったから、ヒロのような自由契約の傭兵たちは、身の振り方を考える必要に迫られた。

 募兵に応じ、兵卒としてやり直す者がいた。つてを頼って、貴族や商家の用心棒になる者がいた。かつての戦争で、それなりの武勲を立てた者は、諸侯に請われ剣の指南役となった。しかし、ヒロのように集団になじめず、かと言って職のあてもない人間は、彼らとは違う生き方を選ぶしかなかった。

 そう言った食いつめ者たちにとって幸いだったのは、平和になった世界でも、まだ人たちが暴力を必要としていることだった。殺人や盗み、隊商の護衛、魔物の討伐、危険な地域の探索――請われれば、あらゆることを、彼らは手がけた。そうして、いつしか人たちは、そんな彼らを「冒険者」と、ひとくくりにして呼ぶようになった。

 もちろん、冒険者たるヒロは、自分もいつか暴力によって死ぬことを覚悟していた。しかし、それは今ではない。生き延びたとしても、酒やうまいメシにありつく以外の目的はないが、それでも簡単に死んでやるつもりはなかった。ただ、目の前の敵は手に余った。

 たてがみの生えたヒヒの頭を持つ巨大な虎――大まかにいえば、そいつはそんな姿をしていた。恐ろしげな牙や鋭い爪が目を引くが、ヒロに手傷を負わせたのは、そのどちらでもない。鱗に覆われた、自身の体長の三倍はあろうかと言う、長い尻尾だった。ざっと見ても長さは三〇フィートを下らず、その先端には鋭い棘が一本、斜めに飛び出している。それが矢のような速さで、しかも予想外の角度から襲い掛かって来る。かわすことは至難で、実際にヒロは太腿に大穴をあけられることになった。おそらく、尻尾の棘で獲物を弱らせ、動けなくなったところに襲い掛かり、とどめを刺すというのが、この魔物の狩りの方法なのだろう。まさに今も、こいつは急所が集まる頭や胸ではなく、脚や腹ばかりを狙ってくる。恐ろしげな見た目とは裏腹に、存外臆病なのかも知れない。

 ヒロは食いしばった歯の隙間からしゅっと息を吐き、斜から飛んできた尻尾を剣で払いのけた。さっきは不覚を取ったが、今は周囲の立ち木や足元の倒木のおかげで、魔物の狙いを絞り込めている。どれほど素早い攻撃であっても、狙い所がわかれば防ぐことは容易かった。しかし、尻尾を覆う鱗は思いの外頑丈で、敵の厄介な飛び道具を奪うと言う目論見は外れた。さらにまずいことに、二撃、三撃と重ねて加えられる攻撃を捌くうちに、とうとう傷付いた足が裏切った。

 がくりと膝が抜け、ヒロは仰向けに地面へ倒れこんだ。そうして唐突に、白銀の鎧をまとった剣士が目の前に現れたとき、ヒロは自分が死んだのだと確信した。輝く剣を手に、ほとんど褐色に見える長い赤毛を編んで背に垂らし、肩越しに振り向いて見せる絵画から抜け出してきたかのような美貌を前にすれば、聖なる山から死せる戦士を迎えに来た、戦乙女と見紛うて当然だったからだ。しかし、剣士の口から出た声を聞き、ヒロはその考えを放り出した。

「おじさん、大丈夫?」

 まぎれもなく若い男の声だった。

「俺に構うな!」ヒロは叫んだ。魔物の尾が、まさに白銀の剣士を貫こうと飛んでくるのが見えたからだ。しかし剣士はヒロから目を離さないまま、輝く刃を一振りして、あっさりとそれを叩き切った。

「おっと」

 剣士は、まるで今気付いたとでも言った様子で、地面をのたくる尻尾に目を落とした。彼は咆哮する魔物に向き直り、剣を構えて背中で言った。「すぐにやっつけるから、ちょっと待ってて」

 ヒロがにらんだ通り、尻尾を失った魔物はひどく弱気になっていた。無謀ともいえる剣士の突進を見ても、彼――あるいは彼女は真っ向から戦うことを避け、大きく横へ飛びのき攻撃をかわそうとする。しかし剣士は、まるでその動きを見越していたかのように、地面を蹴って進路を変え、魔物の無防備な横っ腹に輝く剣を突き立てた。魔物は短くぎゃっと叫び、ぶるぶると痙攣しながら地面にくずおれ、たちまち息絶えた。

 剣士は魔物の身体から剣を引き抜き、それにまとわりついた瀝青のような血を振り落としてから、刃を鞘に納めた。彼は人懐っこい笑みをヒロに向けた。「終わったよ、おじさん」

「ありがとよ」ヒロは身を起こし、大きなため息を落とした。「助けてもらって注文を付けるのもなんだが、おじさんは勘弁してくれ」

 剣士は空色の瞳をぱちくりさせた。「ごめん。ひょっとして、見掛けよりも若い?」

「いや……まあ、三十路に踏み込んじゃいるが」

 おじさんと呼ばれても仕方のない年齢ではあるが、連呼されれば一気に老けた気がしてくる。

「そっか」剣士は頷いた。「あ、僕はサクラコ。(とし)は十六歳」

 年齢だけで言えば、ヒロの半分だ。それなのに手強い魔物を一撃で屠る剣技を得ているとは、よほどの才に恵まれているに違いない。感心していると、不意にサクラコは額をぴしゃりと打った。「間違えた。名前はアーシオンで、齢は二十二」

「どっちが本当なんだ?」ヒロは片方の眉を吊り上げ、訝しげにたずねた。

「もちろん、アーシオンのほうさ」

 いずれにせよ、彼が見た目通りの若者でないことは確かだった。「俺は、ヒロだ」

 サクラコ改めアーシオンは、こくりと頷く。「怪我を見せてくれる? 治療したいんだけど」

「至れり尽くせりだな。あとで請求書を突き付けるつもりじゃないだろうな?」

「まさか」

 ヒロは巻き付けた布を解いて、太腿に空いた穴を見せた。アーシオンはひざまずき、傷をしげしげと眺めてから眉をひそめた。「よくこんな止血方法を思い付いたね?」

「ビール樽に穴が開いて中身が漏れてるのを見れば、普通は何かを突っ込もうと考える」

「なるほど」アーシオンは感心した様子で頷く。「詰め物、取ってもいい? このまま傷をふさいだら、まずいことになるし」

「構わんが、どうやるんだ?」

 見たところ、この美貌の青年は、それらしい道具など持ち合わせていないように思える。

「まあ、見ててよ」アーシオンは鎧の籠手を外し、血まみれの詰め物を引っ張り出してから、再び出血を始めた傷口に手をかざして何やら呟く。

 理解出来そうで、出来ない。意味を掴みかける度に、ウナギのようにつるりと逃げて行く――そんな、奇妙な言葉だった。そして、ふとむずがゆさを感じ傷を見れば、肉が盛り上がってピンク色の新しい皮膚が出来ていた。ヒロは驚いて言った。「魔法も使えるのか」

「すごいだろ」アーシオンは胸を張り、自慢げに言った。

「ああ、大したもんだ」ヒロが褒めると、青年はにへらと顔を緩める。二十二歳にしては、やけに立ち居振る舞いが子供っぽい。

「あ、でもね」アーシオンは立ち上がりながら言って、指を一本立てた。「この魔法は傷をふさぐだけだから、すっかり元通りになるまでは無理しないように」

「わかってる。前にも、同じ魔法の世話になったことがあるんだ」ヒロは剣を支えに立ち上がった。それなりに血を失ったせいか、あるいは命拾いをして緊張が解けたためか、不意に目の前が暗くなる。ふらつくヒロに、アーシオンは素早く腕を回して、その身体を支える。

 ヒロは、無償の親切を素直に受け取れるほど、()()ではない。かと言って、この美貌の青年が、どんな見返りを求めているかは、皆目見当がつかなかった。

 まず、金銭という線は薄い。金が欲しいのなら、ヒロを見殺しにした上で、死体から欲しいものを奪うほうが簡単だからだ。そもそもアーシオンが身に着けている剣や鎧は、ヒロのそれより、ずっと高価そうに見える。彼が金に困っているようには思えない。

 となれば、青年にとって価値のありそうなものは、ヒロが持つ情報か、あるいはヒロ自身と言うことになる。例えば、酒場で飲んだくれに一杯おごるときは、そいつが知っている何かを聞き出したいからだし、困っている女性を見かけて手助けをするときは、彼女とねんごろになりたいと言う下心があるからだ。

 もっとも、ヒロはあまり人好きのする容姿ではないし、アーシオンがある種の高尚な趣味を持ち合わせていたとしても、三十路の武骨な冒険者を一夜のパートナーにしたいとは思わないだろう。すると、ヒロに聞きたい何かが、彼にはあると言うことか。

「もう少し、休んでから出発した方がよくない?」アーシオンは、いかにも心配そうな様子でたずねた。

 ヒロは剣を鞘に突っ込みながら、首を振る。「あまり遅くなると、村の連中が心配するからな」

「ヒロさんは、そこに住んでるの?」

「いや」ヒロは身を隠していた倒木の下に目をやった。そこにはマントと、中身が詰まってぱんぱんのずた袋が放り出してある。マントを拾って身に着け、ずた袋を担いでから彼は答えた。「俺は、冒険者なんだ」

「冒険者!」アーシオンは目を輝かせた。「それじゃあ、森へ来たのは何かの依頼なんだね?」

 ヒロは頷いた。「魔物退治だ。まあ、大物はあんたに持っていかれたけどな」

「マンティコアは、僕がずっと追い掛けてた魔物なんだ」アーシオンは鼻息も荒く言った。

「マン……なんだって?」

「マンティコア。本当は、もっと西の方に棲んでたんだけど、やっつけようと思って棲処(すみか)に乗り込んだら、あいつ僕を見るなり逃げ出したんだ。ヒロさんが足止めしてくれて助かったよ」

 つまり、親切への見返りは、とっくに支払い済みだったわけか。まったく、余計な気をもんだものだと、自分に苦笑を向けながら、ヒロは持ち掛けた。「俺のおかげで本懐を遂げられたって言うんなら、ついでにもう一つ世話を掛けても構わないか?」

「もちろん」アーシオンは鎧の胸を叩いて請け合った。「何をしたらいい?」

「村まで付き合ってくれ。どうにか歩けはするが、この体調で他の魔物にでも襲われたら、終いだからな」

「だったら、荷物も僕が持つよ」

 ヒロは頷き、ずた袋を青年に手渡した。そうして、未だに地面でひくつくマンティコアとやらの尻尾を取り上げ、手際よく束にして腰の剣帯に引っ掛ける。その様子を見ていたアーシオンは訝しげにたずねてくる。「それ、どうするの?」

「ちゃんと仕事をしたって証になる。その袋の中身もそうだ」

 アーシオンはずた袋にちらりと目を向け、好奇心に目を輝かせた。「見てもいい?」

「構わんよ」ヒロは肩をすくめた。

 アーシオンは袋を地面に置き、いそいそと口を開け、中を覗き込んだ。途端、顔を青ざめ女のような悲鳴を上げて尻餅をつく。袋は倒れ、中身を地面にぶちまける。「手、人の!」

 ヒロは袋を拾い上げ、こぼれた中身を戻してから、そのうちの一つを顔の前に掲げた。「よくみろ、これは手じゃない。鼻だ」

「鼻?」

「地中に棲む三フィートくらいのモグラに似た魔物で、この触手が付いた鼻を地面に出して獲物を待ち伏せする」

「あー、マンドレイクだね」アーシオンは、なるほどと頷く。

「マンドレイク?」

「うん」アーシオンは元気を取り戻して立ち上がった。「その鼻の魔物の名前」

「魔物は魔物だろう。名前なんてあるのか?」

 アーシオンは首を振った。「僕が付けたんだ」

「あんた、学者か何かか?」

「まさか」アーシオンはヒロの手からずた袋を取り上げ、肩に担いだ。「一体、何匹分あるの。結構、重いけど?」

「今回は妙に数が多かったからな。二十匹で数えるのを止めたから、よくわからん」

 アーシオンはまじまじとヒロを見つめた。「ひょっとして、ヒロさんって強い?」

「あんたほどじゃないさ」ヒロは肩をすくめた。「それよりも、さっさと出発しよう。日が落ちると面倒だ」

 森の出口へ続く道を探し当て、それをたどって歩き出す。しばらくは黙々と進んでいたが、ふとアーシオンがたずねてきた。「ヒロさんは、どのくらい冒険者をやってるの?」

「さて」ヒロは思い出しつつ言った。「フ=ジャダンとの戦争が終わってからだから、ざっと五年くらいになるな」

「ずっと一人?」

「行きずりで誰かと組むこともあるが、大抵はそうだ。そもそも徒党を組んで仕事ができるなら、軍にでも入って兵隊をやってるさ」

「そう言うもの?」

「給料は安いが、毎日食事にありつけて寝床もある。無事に退役できれば年金ももらえる。その日暮らしの冒険者よりは、楽な生き方だからな。とは言え、ちょいとばかり窮屈で退屈だ」

「そっか」束の間を置いて、アーシオンは質問を続けた。「今日みたいな魔物退治って、いつもやってるの?」

「いつもと言うわけじゃないが、一人でやっつけるには、ちょうどいい仕事でな。それに魔物ってやつは、殺しても殺しても湧いて出る。きっちり仕事を果たして印象がよく映れば、同じ依頼主からまたお声が掛かるって寸法だ。おかげで、今のところは食うに困っていない」

「なんか、かっこいい」青年は目を輝かせて言った。「魔物退治のプロって感じ」

「まあ、それでメシを食ってりゃプロだろうさ」

「あー、それもそうだね」

 夕暮れ時になって村の入口へたどり着くと、ヒロの姿を見て、髪の薄い年配の男が駆け寄ってきた。「よお、ヒロさん。首尾はどうだい?」

「今回は、ちょいとばかり危なかった」ヒロは正直に報告した。「モグラ以外に、手強いやつが森に迷い込んでたみたいでな。この兄さんに助けられたんだ」

 ヒロはマンティコアの尻尾を村人に手渡した。村人は魔物の尻尾を見て、眉間に皺を寄せた。「こんなの、見たこともねえや。一体、どんな魔物だ?」

 ヒロはマンティコアの特徴を細かく説明した。

「そんなやつに居着かれたんじゃ、おちおち山仕事もできやしねえわな。やっつけてくれて助かったよ」

「やっつけたのはアーシオンだ。俺じゃない」

 村人は青年に目を向けた。「若いのに、ずいぶんと腕利きなんだな。私は、この村の長をやっているアーロンだ。今回は骨折りご苦労だったね」

「大したことはないです、村長さん」アーシオンはにっこりと笑って言った。

 アーロンはしげしげとアーシオンを眺めた。「それにしても、冒険者にしちゃあ、ちょいと身なりが立派すぎやしないか?」

「冒険者じゃないけど、依頼を受けて魔物をやっつけてる点ではヒロさんと同じだよ。この装備は、その依頼主からもらったんだ」

「ええと、そのマンチカンとかってやつをやっつけろって言われたのかい。一体、誰に?」

「ごめんね。それは内緒なんだ」アーシオンは唇の前に人差し指を立て、片目を閉じて見せた。

 とは言え、これだけの装備を用立てるのだから、その依頼主とやらは、相当な金持ちに違いない。

「アーシオン、俺の仕事の分を渡してくれ」ヒロが言うと、青年は村長にずた袋を手渡す。アーロンは袋の口を開け、一つ頷いた。「さすがヒロさんだ。他の連中じゃ、こうはいかん」

「そうなの?」アーシオンがたずねた。

 アーロンは頷く。「このモグラの魔物はすばしっこい上に数も多いから、なかなか厄介らしくてな。連中が森に居着いてから、何組かの冒険者に退治を頼んだが、みんな森に入ってすぐのところを、ちょいちょい片付けただけで帰って来るんだ。まあ、私らも森の奥まで入ることは滅多にねえし、それでも差し支えねえけど、モグラどもはお仲間がいなくなって空いた場所を埋めようとやってくるから、またすぐに退治を依頼しなきゃならんようになる。ところがヒロさんは、きっちり奥のモグラまで退治してくれるから、半年くらいは安心していられるってわけさ」

 アーシオンはきょとんとした顔をヒロに向ける。「それじゃあ、仕事が減っちゃわない?」

「その分、高めの報酬をもらってる」ヒロは肩をすくめて言った。「それに、いつも寝床と美味い飯を用意してくれるから、仕事にも身が入るってもんさ」

「持ちつ持たれつってやつだね」アーシオンは納得した様子で頷いた。

「まったく、その通り」アーロンは言って、村の奥を指差した。「今日も宴会の準備ができてる。さっさと行って、みんなを安心させてくれ。もちろん、アーシオンさんも来てくれるんだろ?」

「いいの?」アーシオンは、ぱっと笑みを浮かべた。

「遠慮は要らんよ。たっぷり楽しんどくれ」

 アーロンは言うと、先に立って歩き出した。あとに続きながら、アーシオンは子犬のような顔でヒロを見てくる。「宴会だって!」

「貴族様の宴会のようなものは期待するなよ。だが、酒も料理も量だけはたっぷりある」

「いつもそうなの?」

 ヒロは頷いた。「村の連中にしてみれば、馬鹿騒ぎをする丁度いい口実なんだろう」

「お祭みたいなもの?」

 ヒロはアーシオンを指差した。「それだ」

「ヒロさん祭だね」アーシオンは言ってから首を傾げた。「マンドレイク祭の方が合ってるかな?」

「その名前だと、狩ったマンドレイクの数を競う祭に聞こえるぞ」

「それ、いいね。参加者を募って、一番たくさんマンドレイクを倒した冒険者に賞金を出すんだ。参加料を取れば、大儲け出来るよ」

「面白そうだが、俺の飯の種が無くなるのは困る」

「あ、そっか」

 アーロンが案内した先は、彼の自宅だった。石造りな上に他の家々の倍はある大きさだが、それは村長の権威をひけらかすためでなく、集会場や、今回のような宴会場の役割を果たすためだ。通された広間には、松明が焚かれ、素朴な田舎料理をどっさり乗せたテーブルが並び、村人たちは主役の登場を待たず、勝手に飲み食いを始めていた。すでに酔っぱらってご機嫌な連中もいて、調子っぱずれの歌などを歌っている。しかし彼らは、ヒロの姿を認めるなり、わっと歓声を上げた。

「すごい人気だね?」アーシオンは目を丸くした。

「まあ、それにはちょいと理由があるんだ」ヒロは苦笑を浮かべて言った。

「理由?」

 ヒロがわざわざ説明するでもなくアーロンがやって来て、ヒロにビールが注がれた木製のジョッキを手渡す。「今日の報告、お願いできるかい?」

 ヒロは頷き、ビールを飲み干した。そうして、一つ咳払いをしてから今日の魔物退治について語り出す。もちろん、ありのままを話すつもりはない。これは四角四面な業務報告ではなく、娯楽(ショー)なのだ。実際は単調だったマンドレイク退治も、ほどよく脚色して手に汗握る熱戦に変えた。そして、マンティコアの登場。傷を負い、むなしく転倒する様子を語れば、目の前に生きた本人がいると言うのに、村人たちは絶望に嘆息した。しかし、こつ然と現れた白銀の剣士が、まさにヒロを貫かんとした魔物の尾を一刀のもとに切り落とす。恐るべき魔物は不意の強敵に鋭い爪と牙で挑むも、ついには心臓を貫かれ息絶えるのだった。

 ヒロが語り終えると、人たちは惜しげもなく拍手喝さいを送った。その中には、なぜかアーシオンもいる。「すごい!」

「いや、お前は一緒にいただろう?」

 村人たちが、ヒロとアーシオンを取り囲み、二人にジョッキを押し付けては乾杯を繰り返した。ひとしきりもみくちゃにされた後、人たちの興味が村長の持つマンティコアの尾に向いたところで、ヒロは人の輪をそっと抜け出した。テーブルの上の料理を適当につまんで皿に乗せ、部屋の片隅に背をもたれて食事を始める。アーシオンは、魔物に興味の無いご婦人方に取り囲まれていた。足元に駆け寄ってきた小さな女の子を抱き上げ、頬にキスをされてにへらと笑う。楽しんでいるようで何よりだ。

 酒も進み、人たちが各々集って雑談を始めると、ようやく解放されたアーシオンが、ご機嫌な様子でやって来る。「楽しい人たちだね」

「そうだな」

「でも、若い男の人が少ないね?」

「みんな、村を出て人の多い街へ行ってしまうんだ。畑仕事でも食っていけないわけじゃないが、田舎は少しばかり退屈だからな」

 ふと、アーシオンは眉間に皺を寄せる。「みんなの話を聞いてたら、ヒロさんって魔物退治だけじゃなく、畑の手伝いや、家の修理や、子守までしてるんだってね?」

「まあ、お前が気付いたように、男手が少ない村だからな。重宝にされてるよ」

「ちょっと世話焼きが過ぎない?」

「いつもじゃないし、ちゃんと金も取ってる」

「そんなだから、軍隊で働けないんだね」

 ヒロは首を傾げた。なぜそんな結論に繋がるのか。

「だって、軍隊って言ったらたくさん仲間がいるし、ヒロさんならきっと部下とかもいっぱい抱えてそうだから、そんな人たちの世話を焼いてたら、きっと気疲れして長続きしないと思うんだ」

「そんな解釈をされたのは初めてだな」ヒロはアーシオンをまじまじと見つめた。「お前、酔ってないか?」

「どうかな」青年はくすくす笑った。「何杯かビールは飲んだけど、それで酔っ払ってないなら、もったいないよね?」

「まあな」間違いなく酔っ払っている。

「でも、お酒は今まで飲んだことがなかったから、酔っ払うってよくわからないんだ。ちょっと眠いのも、そのせいかな?」

「そうだな」ヒロはしかつめらしく頷いた。

「この変で寝っ転がっても大丈夫かな。ブカツで遅くなった時の帰り道で、酔っ払いのおじさんがそうしてるのを見たことがあるんだけど、すごく気持ちよさそうに見えたんだ」

「ちょっと待て」ヒロは慌てて言って、長に声を掛けた。手早く事情を話すと、彼はもうヒロのために部屋を用意しており、青年をそこへ連れて行くように言った。「ヒロさんも、そろそろ休んだらどうだい。今日は相当に大変だったんだろう?」

「ああ。みんなには悪いが、そうさせてもらう」ヒロは村長に礼を言ってから、引きずるようにしてアーシオンをあてがわれた部屋へ連れて行った。そこはテーブルと藁のベッドがあるばかりの何もない部屋だが、シーツは白く清潔だった。ヒロがテーブルの上のランプに火を灯している間に、アーシオンはベッドへどっと倒れこむ。

「おい、せめて鎧を脱げ」

 しかし、青年はすでに寝息を立てていた。ヒロはため息をつき、鎧の胸元に手をかけて彼の身体の向きを変えようとした。どこかに留め金があるはずだと探るが、不意に手元の感触が変わる。

「すまないが、手をどけてくれないか」少女の声が響く。ぎょっとして見れば、アーシオンの姿はなく、代わりに黒髪の少女が横たわっており、ヒロの手は彼女の胸に乗っていた。ヒロが手を引っ込めると少女は身を起こし、ベッドの上にあぐらをかいて真っ黒な瞳をヒロに向けてくる。

 まったく、奇妙ないでたちだった。まず、目を引いたのは髪だ。娘たちがよくやるような三つ編みはしておらず、そればかりか肩のあたりでばっさりと切りそろえてある。服は半袖で生地は白く、首元には大きな三角形の青い飾り襟が付き、それが合わさる胸元には赤いスカーフが垂れている。黒っぽいスカートは上衣から分かれており、丈は膝ほどしかなく、しかも脚の肌をさらしていた。とは言え、まったくの素足と言うわけでもなく、ふくらはぎの辺りまでしかない短い黒のタイツと、まるで油をひいたような艶のある革靴を履いている。

「お前は、誰だ。アーシオンはどこへ行った?」

 ヒロがたずねると、少女はふと苦笑いを浮かべた。「私が、アーシオンだ」

「俺が知ってるアーシオンは、赤毛で青い目のきれいな兄さんだ」

 少女は頷いた。「少々、込み入った話になるが、端折って言えば、私とサクラコは互いに肉体と魂が入れ替わっている状態なのだ」

「そう言えば、あいつは最初にサクラコと名乗っていたな。てっきり、訳ありで偽名を使っているのかと思ったが……」にわかには信じがたい話だった。「まあ、それはいい」

「いいのか?」少女はきょとんとして聞き返した。

「サクラコの魂が入った、あんたの身体はどこだ」

 少女――アーシオンは、かたわらに転がっていた剣を顔の前に掲げて見せた。「おそらく、この中だ」

「あいつは、そんなにちっちゃくなかったぞ」

「仕組みは私にもわからない。宮廷付きの魔術師は、ある種の呪いだと言っていた」

「宮廷?」

 ヒロが聞き返すと、アーシオンは頷いた。「まだ、私が何者か教えていなかったな。私はイ=ゼエル帝国が皇帝、ゼエル陛下の末子なのだ」

「おいおい」ヒロはぎょっとして言った。「皇子(おうじ)様とは、ずいぶん大きく出たもんだな。しかし、うちの皇帝陛下に、そんな名前の子供がいるとは聞いたことがないぞ?」

「名を知られてない皇子は何人もいる。そして、それは私も含め、大抵が妾腹なのだ」

「末っ子にしては、齢がいってるな?」

「弟妹たちの多くは、家臣や従属国の王室へ嫁や養子に出された。さすがに、皇子と皇女を合わせて三十五人は多すぎる」

 ヒロの質問にすらすらと答える様子を見る限り、どうやら彼女の言に嘘は無いように思える。それにしても、この国の皇帝は、ずいぶんと恋多き人物のようだ。

「それで打ち止めに思えないのは、俺だけか?」ヒロが呟くと、アーシオンは渋い顔で頷いた。「去年、妹が一人生まれている。父上はもう六十七なのだぞ。信じられるか?」

「ご壮健で、何よりだよ」ヒロは苦笑を浮かべた。「それで――」

 部屋の扉がノックされた。ヒロは唇の前に人差し指を立てて見せてから、扉へ向かう。そっと扉を引き開けると、若い娘が三人笑顔で立っていた。いずれも年の頃は、サクラコとさして変わりない。

「今晩は、ヒロさん」娘の一人がかすかに頬を上気させて言った。

「よお、エイダ。それに、ベスとキャシーも。宴会はいいのか?」

「あっちは、もういいの」と、エイダ。「それより、ヒロさんたちとおしゃべりしてた方が、ずっと楽しそうだもの。ねえ、あのきれいな方は?」

 部屋を覗こうとするエイダの視線を遮りながら、ヒロは肩越しに言った。「もう寝たよ」

 アーシオンは察して、素早く毛布へ潜り込んだ。

 ヒロはエイダに向き直り、肩をすくめた。「どうやら、酒に弱い()()のようだ」

「残念」エイダは口をへの字に曲げた。ベスとキャシーは顔を見合わせ嘆息する。

「そう言うわけで、今夜はもう――」

「それなら、お友達は寝かせておいて、(うち)の納屋に来ない?」エイダはヒロの言葉を遮って言った。「そこで去年の秋の続きをするの。四人で」

 少女の熱っぽい眼差しを受けて、ヒロは思わずほだされそうになるが、すんでの所で踏みとどまる。そして、少女たちの機嫌を損なわないような理由をひねり出し、どうにか三人を追い返した。後ろ手に扉を締め、ため息をつくと、毛布から這い出たアーシオンが面白がるような目を向けてくる。「ご壮健で、何よりだ」

「ほっとけ」ヒロはしかめっ面をして見せた。「そもそも、あいつらはあんたも目当てにしてたんだぞ」

「私を?」アーシオンはきょとんとする。

「男の方のあんただ。つまり、サクラコってことになるのか?」ヒロは頭を掻きむしった。「まったく、ややこしいな。どうやったら元に戻れるんだ。呪いとやらが原因なら、知り合いの魔術師を紹介するぞ」

「やはり、あなたは世話焼きがすぎる」アーシオンはくすりと笑った。「だが魔術師よりも、あなたの助けが欲しい」

「俺の?」皇子様が、なんだって三十路冒険者の助けを必要とする。そもそも呪いが相手となれば、どう考えても畑違いだ。

「細かいことは帝都で教える」アーシオンは言って、一つあくびをすると毛布へもぐりこんだ。

「おい、ちょっと待て」なぜか、彼女に同行することが、決定事項とされてしまったことに気付き、ヒロは慌てて言った。

「ああ、わかっているとも」アーシオンは悪戯っぽい笑みを向けてくる。「ベッドは一つだ。分け合うのもやぶさかではない。しかし、戸締りはしっかりしておいてくれ。さっきの娘たちが夜這いに来れば、少々手狭になってしまう」

「いや、そう言うことじゃない」

「違うのか。私も、女の身体と言うものを試してみたいと思っていたのだが?」毛布の端からつるりと細い足が伸びた。ヒロはため息をついた。「もう片方の足も出せ」

 アーシオンは言われた通りにした。ヒロは靴とタイツを脱がせてからベッドのわきにそれを置き、脚を毛布に押し込んだ。アーシオンは目をぱちくりさせてヒロを見つめた。「あなたは、私の乳母か?」

「はいはい、殿下。さっさと寝ないと、お尻をひっぱたきますよ」

 アーシオンはくすりと笑い、目を閉じてすぐに寝息を立て始めた。ヒロは再び、盛大なため息を落とす。やせ我慢はしたものの、やはり少女の白い脚が目に焼き付いて離れなかった。こんなことなら、エイダたちの誘いに乗っておけばよかったと、彼は後悔を込めてランプの灯を吹き消した。

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