発掘作業の実施3
その日はずっと、遺跡の周りを歩き回って、ひたすら地形の測量に費やされた。アレックスは測量棒を持たされたまま、炎天下の中ずっと立たされていて、これならまだ研究室で陶器破片の洗浄をしていた方がマシじゃないか、と思えてくるほど退屈だった。崖からわずかに姿を見せる『本遺構』の入口に何度も目を向けて、あの中に宝があるかもしれないのに……と、口惜しい気持ちで一杯だった。
夕陽が地平線に差し掛かる頃、仕事を終えたアレックスたちはケシュの街に戻ってきた。馬車を返しに事務所へ行くと、クリストファーが待っていた。
「おつかれさまでした。調査の具合は如何ですか?」
「一通り測量は終わりましたので、明日から早速テストピットを掘ろうと思います」シンシアは金網門扉の鍵をクリストファーに渡した。「それで、作業員の件はどうなりました?」
クリストファーは鍵をスーツの胸ポケットに収めた。「そう言われると思いまして、隣の会議室に十名ほど集めておきました」
「まあ、気が利きますね。うちの助手と替わってほしいぐらいです」
シンシアの皮肉めいた口振りに腹が立ったが、言い返すことはできなかった。考古学の知識もなく、今の所、彼女の役に立てているのは、馬車の運転と荷物運びくらいだからだ。この鬱憤した気持ちの腹いせとばかりに、アレックスはクリストファーを睨みつけてやった。しかし、彼はアレックスの憎しみに満ちた視線には気付かず、顔を赤くして首を振っていた。
「いえいえ、私なんかでは、とてもコット博士のお力にはなれません」
「それは残念。でも、貴方とは一度ゆっくりと、あの遺跡について議論してみたいです」
「そういうお誘いでしたら大歓迎です」クリストファーは柔和に微笑んだ。「おっと、皆さんお待ちですので、どうぞこちらへ」
クリストファーに促されて、シンシアは会議室へ向かった。
そんな二人の後ろ姿を見ながらアレックスは、ちっ、インテリ野郎め、と心の中で悪態をついた。
会議室に集まっていた男たちは、普段は鉄道工事に従事している作業員たちで、下は少年と呼べるような子から、上は五十代くらいまで年齢はバラバラだった。しかし、皆一様に屈強な体つきで浅黒く日焼けしていた。
しかし、パワフルそうな男たちの中に、一人だけ背の高い色白の青年が混じっていた。
「どうしてあんたがいるのよ!」
会議室に入った瞬間、シンシアが髪を逆立て叫んだ。
「やあ、シンシアにアレックス君」
会議室に一つだけある高級そうな椅子に踏ん反り返っているハインリッヒ=シェーンベルクが手を振っていた。
「ハインリッヒさん、どうしてここに? バカンスに行ったんじゃ?」
「もちろんバカンスに来たんだよ、ここに」ハインリッヒは何やら含んだような笑みを浮かべた。「そうしたら、ここの責任者のターナー君から是非会いたいと言われて。来てみたら、発掘作業があると言うじゃないか。そんな話を聞いたら、ノーブレスハンターとしては参加しないわけにはいかないだろ。……ということだ、シンシア」
シンシアは両手を力強く握りしめ、窓ガラスも震えんばかりの大声で叫んだ。
「ハインリッヒ、オークション会場でわたしとおじさまの話を盗み聞きしたな!」
「盗み聞きとは人聞きの悪い」ハインリッヒは肩をすくめた。「たまたま聞こえただけだ」
あの時、VIPルームの入口はシェーンベルク伯の付添人が見張っていたんだぞ、どうやってたまたま聞けたんだ? ……って、最初からシンシアの発掘に加わるつもりだったのかこの人は! と、アレックスはようやく気付いた。ストーカー、ハイエナ……シンシアのハインリッヒへの罵倒の言葉が脳裏に浮かんだ。
「取り巻き達を買収したか……」シンシアが小声で呟くと、再びハインリッヒに向かって叫んだ。「今すぐ、ここから出て行って! 貴方がいるとろくなことが起こらないんだから」
しかしハインリッヒは、平然と答えた。
「幼馴染として、お前を心配して様子を見に来てやったというのに、冷たい奴だな」
「何が幼馴染よ。都合のいい時だけ持ち出して!」
すると突然、「おいっ」と、野太い声が会議室に響いた。作業員たちの中にいた、スキンヘッドに白いちょび髭を生やした、壮年男性が苛立った声で言った。
「これ以上、俺たちを待たせるな。痴話喧嘩なら他所でやってくれ」
「だ……誰が、痴話喧嘩ですって!」
と言い返したシンシアの顔が、見る見るうちに赤く染まっていった。
ハインリッヒも顔をしかめた。「そんなふうに思われるのは心外だが、その男の言うことももっともだ。シンシア、ここで言い争っても時間の無駄だぞ」
「くっ……」
シンシアは唇を噛んだ。しかし、彼女もこれ以上の口論は無駄だと思ったのだろう、気分を落ち着かせようとするかのように、大きく深呼吸した。
「……失礼しました。話を始めましょう」
と言って、ようやく会議が始まった。
「わたしは今回の調査を担当させていただくシンシア=コットです。で、脇にいるのがアレックス=ブローム。……一応、わたしの助手です」
「どうも、コット博士の助手のアレックスです」アレックスは『助手』という単語を強調しつつ、軽く頭を下げ、ちらりとクリストファーの方へ目を向けた。彼は無表情で作業員たちの方を見ていた。
「そして僕がハインリッヒ=シェーンベルク。人呼んでノーブレスハンターだ」
頼んでもいないのにハインリッヒも自己紹介をした。シンシアはもう突っ込む気も起こらないのか、完全にスルーした。
次に、シンシアに促され、先ほど大声で怒鳴ったスキンヘッドの男が自己紹介した。
「俺の名前はサントス=マルドナド。こいつらのまとめ役みたいなことをやっている。……よろしくな、嬢ちゃんたち」
マルドナドの小馬鹿にするような笑みに、シンシアは一瞬、顔をひきつらせたが、すぐに真顔に戻り、今回の発掘調査の概要を作業員たちに説明を始めた。ただし、よくある遺跡調査、ということで、考古学的にも珍しい千二百年前の遺跡だということや、全てのトレジャーハンターたちが狙ってやまないメサイア・アンティークについては伏せた。余計な情報が漏れないよう、彼女の配慮だろう。作業員たちからは特に質問も出ず、じっと彼女の説明を聞いていた。
「……そういうわけで、今回皆さんにお願いしたい作業は、今回姿を現した遺構以外に周囲に遺物や遺構がないかを調べるため、テスト的な発掘……テストピットを掘っていただくことです」
一通りシンシアの説明が終わったところで、「おい」と、ハインリッヒが不服そうな声を上げた。シンシアはうんざりした気分を隠そうともせず答えた。
「何?」
「『本遺構』はどうするつもりだ。シンシアの話を聞く限り、それが本命だろ。そこにメサイア……」
「あーあー!」シンシアが声を張り上げて遮った。「今回はあくまで予備調査で遺跡の全体像を調べるのが目的だから、あの遺構だけを詳細に調査するつもりはない。だから今回、入り口の土砂は取り除くつもりもない」
「ふっ、ふざけるな! お前、何考えてるんだ」
ハインリッヒが声を荒げた。まあ、内情を知っている人が彼女の話を聞いたら全員がそう思うよなあ、とアレックスが考えていると、シンシアは素っ気なく言った。
「だって時間も予算も限られてるし」
「そんなの、どうとでもなるだろ。遺跡の価値がわかってるのか!」
「貴方よりはずっとわかってるわよ」
再び二人が言い合いを始めると、マルドナドが大きく舌打ちした。
「いい加減にしてくれ。俺たちゃ遺跡なんてどうでもいい、それよりも給金の話だ。嬢ちゃん、いくら払ってくれるんだ?」
シンシアはハインリッヒを憎々しげに一瞥した後、まじめな表情に戻って、マルドナドの方を向いた。「失礼しました。給金ですね。もちろんお支払いいたします、これくらいで如何でしょうか?」
シンシアは作業員たちに日当を告げた。その金額はアレックスが昔王都で土木工事のバイトした時に受け取っていた金額とほぼ同額で、妥当な提案に聞こえた。
しかし、マルドナドは鼻で笑うと、「足りねえな」と提案を突っぱねてきた。
「た、足りませんか?」シンシアの眉間に皺が寄る。「皆さんの普段の鉄道工事の給料と遜色ないはずですが」
「ああ、足りねえ」マルドナドは繰り返した。「もっと出してもらわねえと、俺たちゃこの仕事は引き受けられねえな、なあ。お前たちもそう思うだろ」
リーダーに同意して、作業員たちは一斉に頷いた。
「せめてこれくらいは出してもらわねえと」
「「はあっ?」」
マルドナドが指で提示した希望金額を見て、アレックスとシンシアは同時に目を見開いた。シンシアが提示した金額の倍だったからだ。
シンシアは苦しそうな声で言った。「……わかりました、一割増しで応じましょう」
「いいや、負からないね。この金額だ」マルドナドは強気で全く譲歩しなかった。「お嬢ちゃんにとって重要な遺跡なら、これくらいは出せるだろ」
「ホワイトさん」
シンシアは助けを求めるように、部屋の隅に立っていたクリストファーを見た。しかし鉄道会社の秘書は首を振るだけだった。
「コット博士、申し訳ありませんが、私たちとしましても、斡旋はできても労働者との個々の契約についてまでは口が出せません」
「くっ……」シンシアは歯ぎしりした。
完全に足元を見られていた。もともと短い調査期間、彼らと契約せずに別の作業員を探していたら、ますます時間がなくなってしまう。これでは財宝を手にいれる可能性もなくなってしまう。アレックスも不安になってきた。
すると、シンシアとマルドナドのやりとりを黙って見ていたハインリッヒがさっと立ち上がった。
「まったく、はした金でちまちま言い争いをするなんて、それこそ時間の無駄だろ。いいだろうその給金、僕が代わりに払おうじゃないか」
大実業家の息子の発言に、それまで厳しかったマルドナドの表情が途端ににやけた。
「ほお、こっちのに兄ちゃんは話がわかるじゃねえか」
ハインリッヒは蔑むような目でマルドナドを一瞥し、シンシアに向かって言った。
「ただし、条件がある。シンシア、『本遺構』の土砂を取り除く作業も進めるんだ」
「そ、それは……」
シンシアが言い返そうとしたが、ハインリッヒは畳み掛けるように言葉を続けた。
「これが呑めないなら、僕は金を出さない。……さあどうする?」
背に腹は変えられない、結局シンシアは渋々といった様子で同意した。ハインリッヒの勝ち誇った表情に、彼女の両腕はプルプルと震え続けていた。
アレックスはこの会議室でのやり取りを見ていて、この発掘大丈夫かなあ……と、心配になり始めていた。
※ ※ ※
「重ね重ねのお願いになりますが、お父上様によろしくと、お伝えいただけないでしょうか?」
ジェフ=ターナーはハインリッヒに向かって何度も何度も深く頭を下げた。
「わかったわかった、ちゃんと父には伝えておく。それよりも早く帰らないと、妻がうるさいんだろ」
「ええまあ……お恥ずかしい限りで。それでは失礼させていただきます」
ターナーは更に頭を下げて、ようやく待たせていた黒塗りの馬車に乗った。馬車が走り出したと思ったら、今度は窓から身を出して「どうか、何卒、くれぐれも、お父上様によろしくとお伝えください!」と、ハインリッヒに向かって叫び続けていた。
「やれやれ、愚かな男だ」
闇夜に馬車が消え、ターナーの声が聞こえなくなった後、ハインリッヒは呟いた。
金と出世にしか興味がない小者にして恐妻家、これがハインリッヒのターナーに対する評価だった。ターナーから是非にと誘われて夕食に来たものの、彼の口から出てくる話は、大陸横断鉄道が全線開通した暁には会社に莫大な利益が転がり込んでくること、某国政治家の眉唾物のゴシップ、それにハインリッヒの父、レオンハルトの業績に対する賞賛だけだった。一代で魔法具製造で財を成しただけでなく、人々の生活がいかに快適になり、ひいては魔法の民主化にどれほど大きな貢献したか、レオンハルトのことをこれでもかというほどに持ち上げた。ハインリッヒにとっては耳にタコができるほど聞き飽きた話だった。
その一方で、トレジャーハンターに関わる話は何一つ、ターナーの口から出てくることはなかった。
結局、ターナーもこれまでハインリッヒに近づいてきた大勢の連中と同じく、ハインリッヒ自身に興味があるわけではなく、貴族にして大実業家レオンハルトに取り入ることが目当てなのだ。本来、工事中に遺跡が発見されたら、まずは会社の上層部に伝えるだろうに、歴史遺物の有名コレクターであるレオンハルトに直接連絡を入れたのも、大実業家へ自分をアピールするためだろう。
没落の一途をたどっていたシェーンベルク家を一代で復活させた父をもちろんハインリッヒは尊敬している。しかし、父があまりに偉大な故、自分がレオンハルトの息子としてしか見られていないことが、無性に腹立たしかった。
ハインリッヒの周りには、父から商才を認められ、今やシェーンベルク魔法工業の二代目代表としての地位を確立した兄リヒャルトがいて、血は繋がってなくとも一時期兄妹同然のように育てられ、今は、新進気鋭の考古学者として学会での評価も高く、父からの信頼も厚いシンシアがいる。
(それに対して僕は一体……)
ターナーと行った店はケシュの街で一番美味いと評判らしいが、ワインの香りも料理の味も全く覚えていなかった。
懐中時計を取り出し、時刻を確認する。夜はまだまだこれからだ。
「飲み直すか」
ハインリッヒはまだ煌々と明かりに照らされる街の中心地に向かって歩き出した。
さすが労働者のために作られた街だというべきか、夜の盛り場は活気に溢れていた。そこかしこで一日の労働を終えた男たちが、酒を飲み肉を喰らい、馬鹿騒ぎにしている。
ハインリッヒはたまたま目に留まった、〈山猫亭〉と書かれた看板が掲げられている店に足を踏み入れた。この店内も、丸太のように大きなジョッキを一気飲みする集団、その場に居あわせた若者たちにぐちぐちと酩酊状態で説教する老人、テーブルにコインとカードを並べて賭け事に興じる連中、その間を大皿を抱えて忙しく駆け回る給仕たち……。祭りのような賑わいだった。
店の隅の空席に腰を下ろすと、すぐに中年女性の給仕が注文を取りにやって来た。ハインリッヒはこの店で一番高級なワインと焼きベーコンを頼んだ。給仕は一瞬怪訝な表情を見せたものの、「あいよ」と言って、厨房へ戻っていった。
普段王都ではもっと静かな高級クラブに通うハインリッヒにとって、この耳が痛くなるようなやかましい空間は苦手だった。
しかし、宝のため、多少の我慢は必要だ。
メサイア・アンティーク。その価値と神秘性から、大陸中の考古学者やトレジャーハンターのみならず、政府や教会、それに国家転覆を狙う秘密組織までが狙っているとまで噂されている、人類の至宝。これを手に入れることができれば、レオンハルトの息子としてではなく、最高のトレジャーハンターとして、ハインリッヒという一人の人間として見てもらえるかもしれない。三流雑誌の読者だけではなく、ターナーのような連中や、それに父からも……。
そのためにも……、ハインリッヒは二人の人物の顔を思い浮かべた。
一人目はシンシア。これまでに何度もあの手この手で彼女を言いくるめ、本当は彼女が発見した遺物をハインリッヒの手柄としてきた。その度にシンシアは「金輪際お前と関わりたくない」と言っておきながら、今回もなんだかんだ言って、ハインリッヒの存在を受け入れてしまっている。甘い奴だ。そんな彼女を意のままに操ることなど造作もない。
先ほどの事務所での給金に関するやり取りも、ハインリッヒがあらかじめ仕組んでおいたことだった。シンシアたちが会議室に来る前に、作業員たちへ給金要求を吊り上げるよう言っておいたのだ。おかげで、発掘の主導権を握ることができた。
もう一人はアレックス、トレジャーハンティングの素人のようだが、ハインリッヒの事を尊敬している。うまくやれば彼も手足として使うことができるかもしれない。
ともあれ、まずは遺跡の発掘を進める必要がある。
今後の展開に思いを巡らせていると、無愛想な給仕が黒い液体の入ったワイングラスと焼きベーコンが載った皿を乱暴に置いていった。
「給仕の教育がなってないな」
王都のレストランであんな態度を取ったらすぐさま解雇だろうに、と思いながらハインリッヒはワインを一口飲んだ。
その味にハインリッヒは驚愕した。
「な……なんだ、この不味さは!」
泥水のような味と舌触りで、今まで飲んだワインの中でダントツに不味かった。これが店一番の上物だとは到底思えなかった。
あまりの衝撃に何も言えずただグラスを凝視していると、不意に横から女性の声が聞こえた。
「……ここ空いているかしら?」
顔を上げると、そこには濃赤色のドレスを身につけた女性が立っていた。顔は入念に化粧しているようで年齢の推測は難しいが、ハインリッヒより年下ということはないだろう。カールのかかった長いブロンドの髪、濃いアイシャドウ、真っ赤な口紅、大きく開いた胸元に光るルビーのブローチ、社交パーティーに出かけるようないで立ちだ。もちろん、この街でそんなものが開かれるとは思えない。ハインリッヒは女性の生業を察した。
「もちろんだとも」ハインリッヒは手を広げて、席を勧めた。
「ありがとう」女性はテーブルを挟んでハインリッヒの前に座った。「私、ヴェロニカ」
「僕はハインリッヒだ」
「まあ」女性は目を見開いた。「ハインリッヒって、もしかして、ノーブレスハンターのハインリッヒ=シェーンベルク?」
ハインリッヒは目の前の女性にますます興味が湧いてきた。
「……ああ、よく知っているね。トレジャーハンターに興味が?」
「ええ、まあ少し」ヴェロニカが飲みかけのワイングラスに目を向けた。「あら、ここのワイン飲んじゃったの。不味かったでしょ」
「ああ、酷い味さ」
「こんな田舎のワインじゃ、貴族様の舌は満足させられないでしょうね。でもこの店、蒸留酒はなかなかいけるのよ」
「へえ、そうなのかい。じゃあ、次はそれを頼んでみようか」
「ねえ、ハインリッヒ?」
ヴェロニカがハインリッヒの腕を優しく掴んできた。彼女の温もりが伝わってくる。
「私にも一杯奢ってくださらない?」
この街じゃ料理も酒も期待できないが、あっち方面は楽しめそうだ。
「いいとも」
ハインリッヒは妖艶な笑みを浮かべるヴェロニカに向かってウィンクを返した。




