発掘作業の実施2
事務所から借りた馬車に荷物を積み込んで、アレックスたちは直ちに遺跡に向かって出発した。右手には灰色の地面が剥き出しで潅木がまばらに生えた山々が連なり、左手には岩だらけの荒野が広がっていた。馬車は作りかけの鉄道レールに沿って進んだ。
しばらくすると、レールが緩やかなカーブを描き、山の斜面に差し掛かったところで途切れていた。そこから先は登山道だけが続いていた。
「この道の先みたいね」馬の手綱を持つアレックスの隣に座ったシンシアが、クリストファーからもらった地図と見比べなから言った。「しばらく行くと、門があるはず」
指示された通り、緩やかな坂道を登り始める。やがて、前方に有刺鉄線で覆われた柵が見えてきた。ぐるりと山の一角を取り囲んでいるようだ。
「目的地は、あの柵の向こうね」
シンシアが前方を指差した。そこには金網でできた門扉があった。
「ずいぶん厳重ですね」
「資材置き場としても使っているところらしいから。ちょっと待ってて」
アレックスが馬車を止めると、シンシアが降りて門扉の前へ向かい、事務所から預かった鍵で解錠した。
物々しい有刺鉄線へ目を向けたまま、アレックスは呟いた。「正直拍子抜けだなあ」
「拍子抜けって、何が?」聞こえていたらしい、馬車に戻ってきたシンシアが訊き返してきた。
アレックスは馬を再び走らせた。「いや、そのう……。さっきの事務所でも思ったんですけど、遺跡ってもっと霧深い山奥だとか、砂漠のど真ん中とか、人が滅多に立ち入れないようなところにあるかと思ってたのに。それが、人類の至宝が眠ってるかもしれない遺跡に生々しく有刺鉄線が張られていたり、そこへ至る道も整備されているなんて、予想もしてなくて。そもそも企業の依頼で発掘するっていうのが、何だかなあって」
と、話した後でどうせまた鼻で笑われるんだろうな、と思ったアレックスだったが、シンシアの反応は予想外にも同情的だった。
「そこは、わたしもさすがに最初は驚いた。……でも、遺跡なんて今回みたいにインフラや都市開発の途中で偶然見つかることがほとんどなの。昔、王都のど真ん中で発掘作業をしたこともあるし」
「えっ、そうなんですか?」
アレックスには近代的な都市の一角で、泥だらけになりながら穴を掘り、姿を現した金銀財宝を前にして狂喜乱舞するトレジャーハンターの姿を……、全く想像できなかった。
「それに、土地所有者の責任で調査することがトレジャーハンター条約では定められているから、どうしても企業からの依頼が多くなるの。特に最近はどこの国も都市開発が急ピッチで進んでいるでしょ、そのせいで遺跡もどんどん見つかって。それらの発掘作業に追われて、考古学者にしろトレジャーハンターにしろ、秘境へ遺跡を見つけに行く余裕なんてないし」
「じゃあ、ハインリッヒさんの冒険話はなんですか? 昨日も列車で……」
「ハインリッヒ……?」シンシアの表情が歪んだ。
アレックスは慌てて口を噤んだ。列車で彼と会ったことはやはり言わないほうが良さそうだ。
「あ、いや……、雑誌であの人の体験談を読んだことがあるんです。遺跡調査の途中、未開の地で金色に輝く湖を見つけただとか、幻の白ゴリラに遭遇したとか……」
「全部、法螺話に決まってるでしょ」
「えっ!」
「あいつがそんな冒険するわけないじゃない。……って、ブローム、もしかしてあいつの話を信じてたの?」
ややあって、アレックスは頷いた。「はい」
するとシンシアは「はぁ」とため息をついて、哀れむような視線をアレックスに向けてきた。「あいつの冒険話なんて全部嘘。あいつのことをノーブレスハンターだっけ、そんなふうに賞賛する記者や雑誌なんて、トレジャーハンターの実態を知らない三流以下ね」
「そんな馬鹿な」アレックスには信じがたい話だった。「じゃ……じゃあ、宝はどうなんです? あの人が発見した宝はオークションでも売られてるんでしょ」
「あいつが見つけたと言われている遺物のほとんどは、別のトレジャーハンターや考古学者から奪った物よ、あいつお得意の話術やら金の力を使って」
「でもそれって、トレジャーハンターの紳士協定違反じゃ……」
「あいつはあくまで交渉によるものだって言うでしょうね。でも業界内部では相当な嫌われ者よ。……わたしだって大切な研究資料を何度やられたことか。おじさまだって頭を悩ませているし」シンシアが雲一つない澄み切った青空を仰ぎ見て、目を細めた。「小説家か政治家なら大成するかもしれないのに、どうしてよりにもよってトレジャーハンターなんかになったんだか……」
シンシアは再びアレックスへ視線を戻すと、突然目を吊り上げ、命令するような口調で言った。
「だからブローム、貴方も気をつけなさい。ハインリッヒは人の宝を嗅ぎまわるハイエナ、ストーカーだから」
「は……はい……」
アレックスは言葉を詰まらせた。
雑誌や列車内でトレジャーハンターの素晴らしさを熱く語るハインリッヒ、身分違いにもかかわらず気さくに話しかけてくれもした。そんな彼が嘘をついているなんて、アレックスには受け入れがたい話だった。シンシアのことだから、全くの嘘ではないかもしれない。だけど、悪意に満ちた彼女の偏見も多分に混じっているんじゃないのか、とも感じるのだった。
更にシンシアは何かを言おうと口を開きかけたが、動きが途中で止まって、さっと前方へ目を向けた。
坂道が終わり、とうとう『現場』に到着したのだ。
■ ■ ■
そこは、三方が急峻な崖に囲まれていたが、中央はそこだけ整地されたかのように平坦で、ちょっとした宮殿が建てられるくらいの広さがあった。木は一本も生えておらず、短い雑草が岩陰に僅かに見えるだけで、一面乾燥した白っぽい土に覆われていた。そして一番奥の崖には……、
「あれね!」
シンシアは馬車から飛び出すと、奥の崖に向かって走り出した。
「ちょ、ちょっと、待ってください」
アレックスも慌てて馬を止め、彼女の後を追った。
崖に近づくにつれ、そこから露出した構造物がはっきりとわかるようになってきた。
「これが……遺跡?」
アレックスはシンシアに追いつくと、彼女と同じように建築物を見上げた。石造りの壁や柱など、建物の正面部と思われる箇所が、ところどころ土に覆われていながらも姿を現していた。壁の色は土とあまり違いはなく灰白色で、クリストファーの言う通り、高さは工事事務所より一回り大きいくらいだ。また、装飾と言えるものは柱や壁の隅に申し訳なさ程度に彫られた文様だけで、質素な造りだと感じた。これなら正直、王都にあるデパートの方が、巨大で趣向を凝らした立派な建物に見える。
しかし、こうして遺跡の前に立ってみると、何とも言えない感慨が沸いてくることも確かだった。それは最近の王都の建築物にはない、わびさびかもしれないし、歴史に対する畏れかもしれない。アレックスにはよくわからなかった。
「うーん、なるほど」
斜め前に立つシンシアからブツブツとつぶやき声が聞こえてきた。アレックスがシンシアの顔を覗き込むと、彼女は考え込むように顎に手を当てていた。
「……ファサードの作りとか、オーダーの形状はフォルロマ遺跡の神殿にそっくりだけど、あの文様は見たことないなあ……」
「何独り言言ってるんですか、コット博士?」
声を掛けたが反応はなかった。意識の全てが目の前の建物に向かっているようだ。シンシアの目の前で手を振ったら、彼女はびくりと肩を震わせて、ようやくアレックスの方へ顔を向けた。
「何やってるの、びっくりしたでしょ」
「脅かすつもりはなかったんですけど。形状がどうとか、さっきから何呟いているんです?」
「建物の形状から、建築年代を推定してた」
「えっ、そんなことできるんですか!」
「まあね、あくまで大雑把な推定だけど」シンシアが人差し指をくるくると回す。どうやらこれは人に説明するときの癖なのだろう。「柱や屋根の形だとか、建築様式にだって流行り廃りがあるでしょ。だから、その建築様式が流行した年代がわかっていれば、逆に建物形状から建築された年代が推測できるのよ」
と、シンシアは何でもないように言ったが、そんな簡単にできるものなのか? たくさん種類はあるだろうに。
「……で、コット博士は何年前の遺跡だと考えたんですか?」
「そうねえ」シンシアは遺跡を仰ぎ見た。「ホワイトさんの見立て通り、千二百年前の可能性は充分あるわ。他の遺跡で見つかった初期の教会建築に、瓜二つとまではいかないけれど似たところが多いから」
「ほ、本当ですか! じゃあ、この遺跡の中にメサイア・アンティークが眠っているかもしれないんですね! 早速中に入りましょうよ。ほら、あそこに入口らしきものが」
アレックスは遺跡正面にある入口らしき横穴へ駆け足で向かった。大人が三人くらい並んで入れるほどの、建物のサイズに比べると不釣り合いなほどに大きな入口だったが、なんと、奥へ続く通路は土砂で埋まっていた。
「まずはこの土砂を掘らないと!」
アレックスは馬車に向かって駆け出した。
「ちょっと、待ちなさい」
シンシアが呼び止める声が聞こえたが、アレックスは無視した。一刻も早く遺跡に入り、宝を手に入れたい、その思いで頭が一杯だった。
持ってきた荷物からシャベル(どんな硬い地面でも楽々掘れる魔法具だ)を取り出し、遺跡入口に戻る。
「だから、止めなさい!」
再びシンシアの怒鳴り声がした。
どうして止める必要があるんだ? 発掘するためにここまで来たんだから、むしろ積極的に活動する俺を褒めてほしいぐらいだ。
アレックスはシャベルを握りしめた。
(これがトレジャーハンター、アレクサンダー=ブローム伝説の幕開けとなる記念すべき第一歩だ!)
と、心の中で歓喜の叫び声をあげながら、入口を塞ぐ土砂に向かってシャベルを突き立てようとしたその刹那、
「ブローム、危ない! 上!」
シンシアのこれまでにない悲鳴とも絶叫ともいえる大声に驚いて、アレックスは動きを止め、視線を上に向けた。
自身の顔ほどもある複数の岩が斜面を勢いよく転がり、アレックスの頭上に向かってきていた。
「うぉっ!」
アレックスは素早く身を引いて、間一髪岩の直撃を逃れた。ドサドサと目の前で岩が落ちる光景に、アレックスの首筋をすうっと冷や汗が伝っていった。もう一瞬、回避が遅かったら、怪我では済まなかったかもしれない。
「だから止めろって言ったのに!」シンシアが今にも殴りかかってきそうな勢いでで近づいてきた。「崖近くでは落石、土砂崩れに注意するのは常識でしょ!」
アレックスが助手になったわずかな期間で彼女が怒るところは既に何度も見たが、今回はこの上なく本気で怒っていた。アレックスは本当に命の危険があったんだ、と改めて悟り、素直に頭を下げた。
「す、すいません……」
「まったく」シンシアは苦々しげな表情のまま腕を組んだ。「そもそも、何の準備もなく遺跡に近づくなんて、愚か者のすることよ。落石の他にも、老朽化した遺跡が突然崩れたり、中が有毒ガスで充満してたり、なんてこともあるんだから。怪我をしたくなかったら、ちゃんとわたしの言うことを聞いて」
「わ、わかりました」
今回ばかりは反論できず、平謝りするより他になかった。
「じゃあ、これからどうするんですか?」
と、一旦馬車のところまで戻ったアレックスは、荷物を漁るシンシアの背中に向かって訊ねた。
鞄から双眼鏡を取り出しながら、彼女は答えた。「あの目に見えている建物……便宜上『本遺構』とでも呼びましょうか。そこの調査は後回しよ」
「えっ?」
アレックスは耳を疑った。宝があるかもしれない遺跡を目の前にしてそこを調査しない? 何を言っているんだこの人は? 正気の沙汰じゃないだろ。だったらどうしてここに来たんだ?
「じゃあ、何をするんですか?」アレックスは語気を強めて訊ねた。
「まずは周囲の測量……詳細な地図作りね」胸ポケットから古い万年筆を取り出して、コット博士は白紙に何やら書き出した。「本格的に遺跡調査を始める際に必要となる情報集めが今回の予備調査の最大の目的。だからまずは現状を記録しておかないと。土地の広さとか、『本遺構』の具体的な大きさとか……」
「測量した後は?」
「テスト的に一部の地面は掘る予定。今見えている『本遺構』だけが全てとは限らないでしょ。完全に埋もれてしまっている別の遺構が近くにあるかもしれないし。今回の調査期間を考えるとそれが限界ね」
「じゃあ、あの遺跡の入口の土砂を取り除いて、中に入るってことは……?」
「今回の予定には入ってないわ」
「でも……でも……、全く堀りもしないなんて、来た意味ないじゃないですか」
アレックスは反論したが、シンシアからはにべない答えが返ってきた。
「だから何度も言っているでしょ。はやる気持ちはわかるけど、今回はあくまで予備調査だから、『本遺構』の詳細な調査は、その後の本調査の時よ」
「なら、本調査って何時やるんですか? 一週間後? それとも一ヶ月後?」
「そうねえ……」
シンシアは軽く首を捻ってから答えた。
「早くて半年後ぐらい?」




