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発掘作業の実施1

 月明かりに照らされ銀色に輝く広大な田園が、急流のごとく背後へ流れ去っていく様子を、アレックスは大陸横断鉄道の車窓から眺めていた。

 大人しく席には座っているものの、心の中では、今すぐこの場で小躍りしながら叫びたいほどに興奮していた。鉄道が初体験、というのが一つの理由だ。何列にも繋がった鉄枠と木壁に囲まれた箱が、大きく揺れながら走り出した直後は、びっくりして車両の柱にしがみついていたが、馬よりも速く風を切るように走る鉄道の速度に慣れてくると、なんだか居てもたっても居られなくなり、列車中を駆け回りたくなるほど気分が高揚してきた。

 そして、それ以上に心躍らせることは、鉄道の行き着く先で発掘仕事が待っているということだった。

 しかも、その発掘対象というのが……。

「さっきからずっとニヤニヤして、……気持ち悪い」

 鉄道の食堂車、アレックスの対面に座って食後のコーヒーをすするシンシアが怪訝な表情を浮かべていた。コーヒーカップを持つ彼女の仕草こそ洗練されていたが、カーキ色の探検服姿とあってはオークション会場の時と同じく、上品なスーツやイブニングドレス姿の乗客がいる中では、かなり浮いていた。くたびれたシャツ姿のアレックスが何かを言える立場ではないが。

「これが興奮せずにいられますか! いよいよ発掘ですよ。これで俺も念願のトレジャーハンターデビュー!」

「発掘だけが仕事じゃないんだけど」

「何言っているんですか、博士。発掘こそトレジャーハンティングの醍醐味ですよ。しかも狙うお宝があのメサイア・アンティークだなんて……」

「しっ!」シンシアが口に人差し指を当て、用心深く食堂車の乗客たちを見回した。「大声出さないで。……誰が聞いているか、わかったもんじゃない」

「すいません」アレックスは抑えた声で言った。「……でも、全トレジャーハンター憧れのメサイア・アンティークですよ。いきなりこんな大仕事、今夜は眠れそうにありません」

 シンシアの眉間に皺が寄った。「何度も言わせないで、わたしはトレジャーハンターじゃなくて、考古学者。……それよりもブローム、貴方、メサ……『対象』のことはどれくらい知っているの?」

「あっ、『さん』が取れましたね、今! でも、もっとフランクにアレックスと呼んでくれていいですよ」

「……『さん』って付けるのが面倒臭くなっただけ」シンシアの眉間の皺が一本増えた。「で、どれくらい知っているの?」

 せっかく一緒に仕事をするのならもう少し親しくなりたいのに……、しかしこれからまだ機会があるだろう。アレックスは気を取り直して、質問に答えた。

「馬鹿にしないでください。普段新聞は読んでいないけど、『トレハン通信』だけは毎号欠かさず熟読してるんですから。メサイア・アン……」シンシアが歯をむき出しにして睨んでいたので、慌てて言い直した。「そ、その『対象』も毎号記事に載ってます。とにかく、すっごいお宝だって」

「具体的には?」

「あっ、いや、だから、すごいお宝だと……」

「何も知らないってことね」シンシアが首を振った。「『対象』はね、初代教皇にまつわる遺物なの。さすがに教皇は知っているでしょ?」

「教会で一番偉い人でしょ」

 シンシアはコーヒーだと思って飲んだら紅茶だったような複雑な表情を浮かべた。「間違っちゃいないけど……。神の代理人として最高位の司祭であると同時に、大陸中の国々が加盟する教会連合における最高意思決定者、宗教と政治、権威と権力を一手に握る役職よ。もっとも、前者はともかく後者について言えば、今日ではほとんどお飾りみたいなものだけど。君臨すれども統治せずってやつね。それで、千二百年前、魔法大戦が終結して教会連合が成立する際に初めて教皇になった人が初代教皇。貴方のような人向けに説明するのなら、救世主ヴィクトルって言ったほうがわかりやすいかも」

「それなら知ってます! 魔法大戦を終結に導いた英雄にして人類最強の魔法使いですよね! へえ、救世主って、教皇になってたんだ」

 シンシアの肩ががくりと落ちた。「えっと……、貴方は教会信者でしょ。だったら常識だと思うけど?」

「田舎にいた頃、毎週の神父様の説教はずっと寝てたんで」

「権威の方も地に落ちたものね」シンシアは苦笑した。「……じゃあ、千二百年前に起こった魔法大戦は知ってる?」

「もちろんですよ、大陸全土の国々を巻き込んだ未曽有の大戦争、グレートウォールの崩壊、モンテルソーの会戦、十二体の魔神……、初等学校の図書館にあった絵本で何度も読んだことがあります!」

「まあ一般人の知識だとそんなところか」シンシアは人差し指を立ててくるくると回し始めた。「学術的には海の民の襲来に始まり、国家間の領土戦争へ発展、戦争の兵器として異世界から召喚された魔神たちとの闘いを経て、救世主ヴィクトルによる魔神封印と教会を調停機関とした国家間の講和条約締結、そして教会連合の成立――私たちが今使っている年号で言うと聖暦元年ね――それまでの一連の事件を、魔法大戦と呼んでるわ。名前の由来はヴィクトルを含めて大勢の魔法使いが戦いに動員されたことだけど、……って聞いてる?」

「き、聞いてますよ。続きをどうぞ」

 重くなる瞼を必死に堪えながらアレックスは答えた。

 シンシアは「はあっ」と小さくため息をついた。「この一連の事件は政治、宗教、経済、文化のあらゆる分野にわたって多大な影響を今なお残してるんだけど、考古学として最大の関心事は、魔法大戦終結以前の遺跡や遺物がほとんど見つからない、ということね。魔法大戦以前も都市国家群が成立するほどに文明は発展していたはずなのに、その痕跡がゼロではないけど非常に少ないの。それ以前の文明がほぼ破壊し尽されるほどに魔法大戦が激しかった証拠なんだろうけど」徐々にシンシアの声に力が込もっていく。「当時の様子を伝える文献資料も教会の聖典ぐらいしかなくて、聖暦元年以前の歴史はほとんど研究が進んでいない。まさに暗黒時代ね。だから今回、千二百年前だと思われる遺跡が見つかったっていうのは、魔法大戦時代の研究が大きく進展する可能性があるってわけ。すごいと思わない?」

「そーですね……はわわ」

 アレックスは欠伸をした。

「せっかく説明してあげたのに、張り合いがない」

 と言って、シンシアが少し赤くなった頬を膨らませた。あっ、今の表情ちょっと可愛いな、とアレックスは思った。

 しかし、熱く語るシンシアには申し訳ないが、歴史云々に興味は湧かなかった。関心事は遺跡で出てくるお宝だけだ。

「博士、俺が気になっているのは、何と言ってもメサ……、そ、その握り拳を降ろしてください。……『対象』です。救世主ヴィクトルが生きていた時代の遺跡だから、お宝があるかもって話ですよね」

「まあ、そういうことだけど……」

「具体的に何が眠ってるんでしょう。ヴィクトルが魔法使いだったんだから、やっぱり、黄金の杖とか、強力な魔法が宿った魔法具だったりするんでしょうか? 俺聞いたことがありますよ、『対象』の中には都市一つを一瞬で消滅させられるほど強力な、禁忌魔法が封じ込められた魔法具があって、それを狙ってトレジャーハンターだけじゃなくて、世界征服を狙う悪の組織が暗躍しているって」

 シンシアは顔をしかめた。「また『トレハン通信』ね……、あれのおかげで出来の悪いトレジャーハンター共が増殖するのか」

「なに言ってるんですか。『トレハン通信』は、俺たちトレジャーハンター志望者の必読書、教会の聖典なんかよりも重要なんですよ!」

 と、アレックスは反論したが、シンシアはフンッと鼻で笑った。

「歴史にも魔法にも疎い三流ライターが面白おかしく書いたフェイクニュースの寄せ集めでしょうに。黄金の杖はともかく、仮にその、悪の秘密結社とやらが狙う、禁忌魔法が込められた魔法具があったとしても、今じゃ何の役にも立たないわよ」

「どうしてですか?」

「だって、魔法具の有効期限なんて高々十年だもの。千二百年も魔力を保っていられる魔法具なんて、今も昔もないから。多少魔法工学をかじったことある人なら、これ常識ね」

「そ、そんなこと、わからないじゃないですか! 人類最強の魔法使いですよ。千二百年魔力が残る魔法具を作っても不思議じゃない」

 先ほどからシンシアが、アレックスの一言一言にケチをつけてくるせいで、つい口調が荒くなってしまった。

 一方、シンシアは相変わらず落ち着いた声で言った。「夢を見るのは勝手だけど、現実もちゃんと知らないと。一応、これまでに『対象』は二つ認定されているけど、そのうちの一つなんか、教皇が着ていた麻のローブだったから」

「えっ、麻のローブ? それのどこが凄いんですか? ……まさか透明人間になれる魔法具とか?」

「いいえ、なんの変哲もないただのローブよ」

「どうして、そんなのがもてはやされるんですか?」

「だから、昼間にも説明したでしょ、価値を決めるのは見てくれよりも学術的なインパクトやその物自身が持つエピソードだって。それが何であれ貴重なものには変わりないわ。あっ、ちなみに言っておくと、もう一つは歯ブラシよ」

「……」

 アレックスは返す言葉が全く思い浮かばなかった。


 ■ ■ ■


 仕事が残っているから、と言い残してシンシアは部屋に帰ってしまった。他の客もラウンジへ行ってしまったのか、食堂車に残るのはアレックス一人だ。席を片付けたいから早く出てってくれ、と言いたげに時折貫通扉の窓から覗く給仕の視線を無視して、アレックスは車窓から、遠くに見える街の明かりを見つめていた。

 シンシアから聞かされる話はアレックスが想像していたものとは大違いで、自分がこれまで夢見ていた世界が音を立てて崩れていくような喪失感に襲われていた。いくら人類の至宝とはいえ、麻のローブに歯ブラシではロマンがなさ過ぎる。これでは発見の瞬間、発掘者は素直に喜べないではないか。本当にこんなに味気がないのなら、やはり今日の昼間の時点でさっさと見切りをつけて辞めていれば良かったかも、とすら思い始めていた。

 すると不意に、横からやたら明るい声がした。

「この席、いいかな?」

 聞き覚えがあった、しかもつい最近。

 声がした方へ目を向けると、そこには朝陽を受けた海面のように美しく輝く金髪の青年、ハインリッヒ=シェーンベルクが立っていた。

 どうしてここに彼が! 驚きで口が半開きのまま動けずにいると、ハインリッヒは先ほどまでシンシアが座っていた席に腰を下ろした。

「また会ったね、アレックス君」

 と言いながら、貫通扉から食堂車を覗いていた給仕に向かって手を挙げた。給仕が慌ててハインリッヒのもとにやってきた。

 アレックスがようやく声を出せたのは、ハインリッヒがワインを注文したあとだった。

「えっと……、ハインリッヒさんは、どうしてこの列車に?」

 ハインリッヒはニヤリと白い歯を見せて笑った。「ちょっと急に旅行がしたくなってね。最近雑誌の取材やらコレクターとの交渉やらと仕事が続いていたから、少し羽を伸ばそうかと。そうしたらどうだい、まさかアレックス君とこうして早くも再会できるなんて、驚きだ」

「俺も、驚いています」

 ハインリッヒが名前を覚えていてくれたことに、アレックスは素直に嬉しかった。

 頬杖をついたハインリッヒが訊ねた。「ところでアレックス君こそ、どうしてこの列車に?」

「えっと、それは……」

 アレックスはメサイア・アンティークのことを言おうか言うまいか悩んだ。シンシアからは誰にも言うな、と言われている。しかし尊敬するハインリッヒには話しておきたい、という思いもあった。決められずにいると、給仕が戻ってきた。アレックスとハインリッヒの前にワイングラスを置き、濃赤色の液体を注いだ。

「飲みたまえ、僕の奢りだ」と言って、ハインリッヒは一気にグラス半分ほど飲み干した。「まあ、言いたくなければ言わなくていい。人には知られたくないこともあるだろうしね。ときにアレックス君、君はシンシアについてどう思っている?」

「はっ、はい?」思わぬ質問に、つい素っ頓狂な声を上げてしまった。「いや、その……、き、綺麗だと思いますけど、べっ別に……そんな、邪な考えなんて、い、抱いていませんから」

「何を言っているんだ君は?」ハインリッヒが胡乱な視線をアレックスへ向けた。「僕は、助手から見てシンシアの態度はどうか? と訊いているんだ」

 な、なんだ、そういうことか。アレックスは額の汗を手の甲で拭った。

 しかしさて、どうしたものか。ここは無難に当たり障りのないことを言っておいたほうが良いだろうか?

「ええっと、り、立派な志を持った方だと……」

「世辞はやめたまえ」ハインリッヒが遮ってきた。「遠慮はいらない。思うことははっきり言ってくれ。シンシアに告げ口はしないから」

「そ、そうですか……」

 ここまで言われてはしようがない。アレックスは正直なところを伝えることにした。

「人使いは荒いですし、やたら理屈っぽいですし。堅苦しい感じはあります」

 すると、ハインリッヒが膝を叩いて大声で笑った。「はははっ! 僕も同感だ。というか、あいつに対してそれ以外の感想を持った奴を僕は知らないな」

「ははっ」アレックスも釣られて笑った。

「シンシアはいつも手続きに従ってぜんまい仕掛けのおもちゃのように黙々と発掘して、整理するだけで満足するんだ。あいつには夢やロマンを解する心がない。つまらん奴さ。君もそう思うだろう」

 まさに、先ほど考えていたことだ。アレックスは同意するように頷いた。

 ハインリッヒは残りのワインを飲み干すと、身を乗り出した。「君はトレジャーハンターになることを志望していたね。どうしてトレジャーハンターになりたいと思ったんだ?」

 アレックスは少し考えてから答えた。「俺、宝を見つけて大金持ちになりたいんです。それで、田舎にいる親兄弟を楽させてやりたいと思ってます」

「それは殊勝なことだ」ハインリッヒは手酌でワインをグラスに継ぎ足した。「だが、それだけの理由でトレジャーハンターになろうって思う奴はいない。金を稼ぐだけなら他にいくらでも方法があるからな。トレジャーハンターが目指すのは究極のところ、夢とロマンであり名声だ。そう思わないか」

「もちろん、俺だってそう思います」

 正直、トレジャーハンティング以外で一攫千金を狙う方法がアレックスには思い浮かばなかったが、ハインリッヒの言う通り、トレジャーハンターたちが手に入れた金銀財宝と同時に、そこに到る大冒険活劇そのものにも心が躍る。

「そうだろう。僕がトレジャーハンターになった理由はまさにそこだ。僕自身は宝の金銭的価値にはたいして興味がない。宝を手に入れたという名誉が欲しいのだ。アレックス君、君とはとても気が合いそうだ、よければ、今後の参考として、これまで僕が体験した冒険譚を聞かせてあげよう」

 ハインリッヒから直接話を聞けるなんて夢のようだ。アレックスはすぐに首肯した。

 それから、ハインリッヒは夜遅くまで、彼がこれまで経験してきた様々な冒険物語を語ってくれた。そのほとんどは、以前『トレハン通信』に連載された、ハインリッヒの自叙伝と重なる内容だったが、彼の絶妙な語り口により、どこまでも広がる草原やはるか天空までそびえ立つ荒々しい山々が、目の前にありありと見えるようだった。大密林を突き進み、断崖絶壁の渓谷を下り、襲い掛かる毒ヘビの群れを振り切り、金色に輝く宮殿で大人の顔ほどもある宝石を見つけたという話は、雑誌に手垢がつくほど読み込んだにもかかわらず、感動と興奮で胸が高鳴った。

 危険を顧みず、何人も立ち入れない秘境を超えた先に鎮座する金銀をはじめとする貴重なお宝を手に入れ、億万長者になるサクセスストーリー、これこそアレックスが理想とするトレジャーハンターだ。それを体現するハインリッヒに対して、ますます尊敬の念が湧いてきた。


■ ■ ■


 アレックスたちを乗せた大陸横断鉄道が現在の終着駅であり、目的の場所でもある、ドラクマ共和国の西部、ケシュの街に到着したのは、翌々日の早朝だった。

 シンシアの顔を見るのも一日半ぶりだった。というのも、彼女は乗車当日の夜以来、ずっと客室に篭って、仕事をしていたらしい。一方、アレックスは、昨日は昼前まで惰眠をむさぼり、その後、列車内をぶらぶら散策していたのだが、昼過ぎには、案外列車内ではすることがないと気付いてしまった。しかしその後、寝起き直後のハインリッヒと再会し、彼は酒を片手に冒険譚の続き語ってくれたので、結果的には退屈しなかった。

 ところで休暇だと言っていたハインリッヒは、昨日も夜遅くまでアレックスに付き合っていたが、結局どの駅で降りたのだろうか? その疑問に至ったのは、ケシュの街に着いて、列車を降りた時だった。

「どうしたの、さっきからキョロキョロと辺りを見て?」

 と、アレックスの後ろからシンシアが訊いてきた。

「あまり人がいないな、と思って。他の乗客はどうしたんでしょう?」

 終着駅のホームに降り立ったのはアレックスとシンシアを入れてもほんの数人だった。

「途中の駅で降りたんでしょ。ここは、鉄道の工事関係者が生活するために作られた街で、観光地じゃないから」

 改札を出て駅前の大通りに出ると、王都ジェネバの壮麗なレンガ造りの建物が整然と並ぶ目抜き通りとは大違いで、木造の粗末な建物が並んでいて、道も土がむき出しだった。早朝の通りを歩く人々もがたいの良い、土木工事関係者風の男たちが多い。どちらかというと、アレックスの田舎を思い出すような風景だった。

 列車内でハインリッヒと出会ったことをシンシアに伝えるべきだろうか? アレックスは一瞬考えたが、結局やめておくことにした。先日のオークション会場でのシンシアの様子を考えると、名前を出しただけで癇癪を起こしそうだし。

「どうします、とりあえず荷物を置きに宿屋に行きます?」

 アレックスが訊くと、シンシアは首を振った。

「このまま鉄道建設会社の事務所に行くわ。一分一秒でも惜しいから」

 シンシアは大きなリュックを背負い、大人一人がすっぽりと入れそうなほど巨大な鞄を引きずって歩き始めた。女性はどこへ行くにも荷物がたくさんあって大変だなあ、と荷物は小さな肩掛け鞄一つのアレックスは思ったが、ここは男をみせるべきだろう。シンシアに近づき、申し出た。

「博士、代わりに持ちましょうか?」

 しばらくシンシアは、何か思案するようにアレックスの顔と鞄を交互に見つめていたが、「じゃあ、よろしく」と言って、鞄をアレックスの方へ寄越してきた。アレックスが把手を持った瞬間、「重っ!」と、思わず叫んでしまった。

「……こ、これ、何が入ってるんですか?」

 女性の鞄の中身を訊ねるなんて無粋だが、それでも訊かずにはいられないほどに重かったのだ。

 するとシンシアは平然と言った。「発掘道具に決まってるでしょ。全部特注で高いから、慎重に扱ってね」

「じゃあ、リュックは? そっちも重そうですよね」

「こっちもほとんどは仕事用。夜に宿屋で仕事するために書類とかいろいろ持ってきたの」

 どこまで仕事するつもりだ、この人は! とアレックスは呆れるしかなかった。


 駅から通り沿って歩くとすぐに、鉄道建設会社の事務所が見えてきた。ここだけ赤レンガ造りの立派な二階建ての建物だった。

 事務所に入ると、早朝にもかかわらず、二人のスーツ姿の男性が出迎えてくれた。

「ほう、あなたがコット博士ですか。まだ若い、しかも女性とは……」

 と、シンシアを値踏みするような目で見る、頭部がだいぶ涼しげな中年男性の名前はジェフ=ターナー。この事務所の所長で、工事責任者だそうだ。

「どうも、ターナーさん。わざわざのお出迎え、ありがとうございます」

 シンシアは笑顔で挨拶を返したが、握手をしていない方の手は、固く握られブルブルと震えているのが、背後にいるアレックスからはよく見えた。

 次に、ターナーの傍にいた、細フレーム眼鏡をかけた男性が一歩前に出て軽くお辞儀をした。見た目はアレックスたちよりも少し年上、三十歳前後で、物腰柔らかそうだ。彼はクリストファー=ホワイトと名乗った。所長付きの秘書らしい。

「コット博士、このような辺鄙なところまでご足労いただき、ありがとうございます。聞くところによりますと、貴女はウィリアム=コット博士のご息女だとか?」

 ウィリアムって誰だ? とアレックスが首を捻ったが、一方、シンシアの目は大きく見開かれた。

「父のことをご存知なのですか?」

「ええ、私も昔、考古学を少し勉強したことがありまして。ウィリアム博士の論文も目を通したことがあります。特に魔法大戦期に関する論説は大変興味深かった。貴女もその若さにして、既に学会から注目される研究をいくつも発表されているとか。会えて光栄です」

「いえいえ、わたしなんてまだまだ父の足元にも及びません」

 シンシアは少し顔を赤らめつつも、褒められて満更でもないらしい、先ほどターナーへ向けた余所向け笑顔ではなく、心から嬉しそうにホワイトさんと握手を交わした。

 アレックスは、シンシアって意外にも結構有名人かも? と思うと同時に、何故かクリストファーの姿を見ていると、イライラした気分になってきた。


 挨拶が終わると、早速クリストファーが遺跡の説明を始めた。

「先日、この地域一帯で地震がありまして、鉄道の建設予定地近くで崖崩れが発生しました。幸い大きな被害はなかったのですが、その崖の一部から石造りの建物が姿を現したのです。まあ、工事現場ではよくある話ですが」クリストファーがケシュの街周辺の地図を広げ、遺跡の場所を指差した。「現場までの道は工事のために整備していますから、行くのはそれほど大変ではありません。馬車を使っても一時間弱で着きます」

「馬車で一時間!」

 アレックスは思わず大声で叫んでいた。

「何突然?」

 シンシアとクリストファーが揃って怪訝な表情をアレックスへ向けてきた。

「いや、てっきり、遺跡だって言うくらいだから、前人未到の荒野を進んでそそり立った崖を這い上がっていく、と思ってたから。整備された道を馬車で行くなんて全く予想してなくて」

 シンシアは頭痛に耐えるかのように額を押さえた。「ブローム、人の話聞いてる? 場所は鉄道の建設予定地だって言ってたでしょ。だったら当然人が普通に行ける場所に決まってる」

「ああ、そうか」

 と、アレックスは手を叩いて納得すると同時に、せっかく先人達のように冒険できると思ったのに、と少し悲しかった。

 シンシアはクリストファーへ視線を戻した。「遺跡の大きさは? それと、おじさま……シェーンベルク伯の話では、現場の担当者の見立てで千二百年前の遺跡だとありましたが、それを判断した方は?」

 クリストファーが答えた。「確認したのは私です。全体像はわかりませんが、この事務所より少し大きいくらいですね。他にご質問は?」

 シンシアは頷いた。「大丈夫です。細かいことは現場に行って確認します」

「いやあ、それにしても参りましたよ」これまで黙ってシンシアとクリストファーのやりとりを見ていた、ターナーが口を開いた。「ただでさえ工事が遅れている状況で遺跡が見つかって、作業が止まってしまいましたからな。いくら法律上の義務とはいえ、責任者としては頭が痛い」

 鈍い光を反射する頭頂をペシリと叩くターナーに対して、シンシアは「それはお気の毒に」と、全く感情のこもっていない声で返した。

 シンシアの冷たい態度を気にしていないのか、それとも気付かないのか、ターナーは薄笑いを浮かべた。

「ところで、その、何て言いましたっけね? メサイア・ア……?」

「メサイア・アンティーク?」

 アレックスが助け舟を出すと、「そう、それっ」と、ターナーはアレックスに向けて指を差してきた。

「遺跡が出現して、そのことをシェーンベルク伯にお伝えした時、あのお方は異様に興奮していたんですが、その何とかアンティークって奴は、本当に出てくるんですかね?」

「さあ、わたしからは何とも」シンシアは事務的口調で言った。「可能性がある、というだけで。それに今回はまだ予備調査ですから、本格的な発掘はこの結果を受けてからになります。ですから、見つかるとしてもずっと先になるでしょう」

「そうですか。でもまあ、本心を言いますと、私としては、宝があろうがなかろうがどっちでいいんですよ」

「えっ?」

 アレックスは驚いて、ターナーを見た。彼は何でもない様子で言った。

「とにかく、遺跡をぶち壊すのか保存するのか早いとこ決めてもらって、工事再開の目処を立てたいんでね」

 どうやら、世の中には遺跡にも宝にも興味がない人間がいるらしい、アレックスにとっては衝撃的だった。

「さて博士」クリストファーがシンシアに向かって言った。「以上でこちらの説明を終えますが、困ったことがありましたら何でも仰ってください。できる限り博士に協力するようにと、シェーンベルク伯からも言われておりますので」

「じゃあ、お言葉に甘えて……。移動の手段、馬車や馬を貸していただけますか?」

「もちろんです。なんでしたら魔動車もあります。馬車よりもずっと速いですよ」

 魔動車は馬に頼らず、魔力で車輪を動かす乗り物で、鉄道ほどの輸送能力はないが、レールがないところでも走る、最近発売されたばかりの超最新式の魔法具だ。王都でも走っているところをまだ見たことがない。

「魔動車……」

 シンシアが眉をひそめた。

「どうしました?」

「いや、最新の魔法具っていうのがどうも苦手で……、魔法のたわしぐらいなら使えるんですけど」

「初めは皆そう仰います」クリストファーが同意するように頷いた。「最近の魔法具は進化が早過ぎる、と。でも、慣れてしまえばこんな便利なものはないですよ。操作もいたって簡単ですし、どうですか、これを機に使ってみては? 私が教えます」

 クリストファーがシンシアに提案したが、彼女はゆっくりと首を振った。

「いえ、私は結構です」

「そうですか」わずかにクリストファーの口角が下がった。「……ではブロームさん、貴方はいかがです?」

 突然話を振られて、アレックスは一瞬戸惑ったが、辞退した。最新魔法具に興味はそそられるが、クリストファーに教えてもらうのは癪だったからだ。

「わかりました、では馬車を用意させていただきます。他には何かありますか?」

「もう一つ、予備調査と言っても、多少人手は欲しいのですが、どこか、力仕事を頼めるところを教えていただけますか?」

「でしたら、鉄道工事の作業員を使ってください。遺跡が見つかって、工事が中断している今、彼らは暇を持て余していますから」

「ありがとうございます。……でも、そのう……」シンシアはターナーへ振り返った。「その人たちは信用に足りますか? 何せ、調査中は秘密を守ってもらう必要がありますので」

「それは、博士次第だろうな」と、ターナーが言った。

「と、言いますと?」

シンシアは首を傾げると、ターナーは悪趣味な笑みを浮かべた。

「彼らへの報酬次第、というわけだ」

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