発掘計画の策定2
シンシアに連れられて研究所を出た。
よりにもよってとんでもない人のところへ来てしまったぞ、と、前を行くシンシアのまっすぐ伸びた背中を見ながら、アレックスは彼女の助手になったことを既に後悔し始めていた。
この人は上手いこと言って、自分のことを雑用係としてこき使おうとしているだけじゃないだろうか。雑用ならこれまでのバイトで充分過ぎるほど経験してきた。トレジャーハンターになるための修行なら甘んじて受けるが、そうでなければ、今すぐにでも辞めてしまいたい。
それにしても、何処に連れていくつもりだろう?
シンシアは昼下がりの大勢の人で賑わう目抜き通りを横断し、〈創業五百年〉やら〈王室御用達〉などといった大層な看板が立ち並ぶ、高級商業地区に足を踏み入れていた。道を歩く人々のみならず犬すらも気品高そうに見えて、埃まみれでところどころ穴も開いた服を着ているアレックスとしては、場違いなところに来てしまったと急に恥ずかしくなってきた。
もっとも、場違いという意味ではシンシアも充分当てはまる。何せ未開の密林へ赴くかのような探検服姿だからだ。ところが彼女は、周囲の好奇な視線など全く意に介する様子はなく、道のど真ん中を堂々と歩いていく。アレックスはこそこそと身をかがめながら、コット博士の後を付いていった。
商業地区を奥へ奥へと進み、黒光りする大きな扉が特徴的な建物の前でシンシアは足を止めた。
「何ですか、ここ?」
豪奢な建物に呆気にとられつつも、アレックスが問うと、彼女は前を向いたまま答えた。
「オークション会場よ。トレジャーハンター達は見つけた遺物をここに出品して、コレクターや博物館、それに考古学系の研究所が買っていくの。オークション会場自体はいくつもあるけど、ここは大陸でも指折りの高ランクで、国宝級の遺物が取引されることもたびたびあるわ」
「おおっ!」
つまり、トレジャーハンターが発掘物を金に換える場所、というわけだ。
「ちょうど今は、次回オークションの出品物を確認できる下見会が開かれているから、どういった物が高値で取引されるか、その目で確認するといいわ」
と言って、シンシアが入り口に向かって歩き始めた。
扉前には、白いスーツ姿の男が立っていて、シンシアが近づくと、黙って扉を開けてくれた。彼女は何度もここに来たことがあるのだろう、さも当然のように建物の中に入っていった。
「ちょっ、ちょっと待ってください」
アレックスも慌ててシンシアの後を追って、建物に入った。
玄関ホールの高い天井には、巨大なシャンデリアが燦然と輝き、床は分厚い絨毯が敷き詰められていた。
アレックスは前を行くシンシアに声を掛けた。
「な、なんだか凄いところに来ちゃった感じですね」
「ここの客のほとんどは、上流貴族か大実業家だから」
「やっぱり、そういう所なんですね。俺がこんなところに来て大丈夫なんですか?」
「問題ないわよ。オークションへの参加は厳しい条件があるけど、下見会だけなら誰が見に行っても大丈夫だから。わたしもよく行くし」
シンシアは平然と言ってのけて、ずいずいと奥へ続く廊下へ向かって歩いていく。
「そういう問題じゃ、ないんだけどなあ」
アレックスはなるべく目立たないように身を屈め、速足で廊下を進んだ。
ふかふかの濃赤色の絨毯が敷かれた廊下を進み、突き当りにある部屋にやってきた。シンシアは「ここよ」とアレックスに言うと、開け放たれた大きな扉の奥へ入っていった。
続いてアレックスも部屋に足を踏み入れた。次の瞬間、目に飛び込んできた光景に、アレックスは度肝を抜かれた。部屋の中央に、大人の身長の二倍以上もある黄金の戦士像が威風堂々と立っていたのだ。
「す、凄い……!」
アレックスは黄金像の前に駆け寄った。照明の光を浴びて独特の輝きを放つ姿に胸が震えた。左右を見ると、アレックスと同じように口をぽかんと開けて黄金像を見上げる紳士が何人もいた。
黄金像の足元に目をやると、説明用の札が置かれていた。〈出土場所:マチュ遺跡 推定年代:聖暦700年頃〉と発掘情報が書かれていると共に、予想落札価格も記してあった。
「一、十、百……、って、なんですと!」
並んだゼロを数えて、思わず大声で叫んでしまった。王都の一等地に豪邸が立つほどの値段だったからだ。
「ごほん」
遠くでわざとらしい咳が聞こえてきた。見ると、これから夜会にでも出るような立派なタキシードにシルクハットを冠った老紳士がアレックスのことを睨みつけていた。アレックスは老紳士に向かって愛想笑いを浮かべつつ、黄金像から数歩後ろへ離れた。
改めて黄金像を見上げる。オークション会場にあるのだから、当然これを発掘した人物がいるわけだ。発掘者はこれを手に入れるまでに、どれほどの大冒険を経験したのだろう。何度命の危険にさらされたのだろう、そして、これを見つけた時の興奮はいかばかりだっただろう。そして、自分もいつかこんな大発見をして大金を手にいれたい、と改めて思った。
ところで、シンシアはどこへ行ってしまったのだろう? 展示室に入ってすぐに彼女を見失っていた。
シンシアを見つけようと室内を回り始めた。黄金像のほかに部屋の壁に沿って、出品物がずらりと並んでいたが、それらは欠けた茶碗であったり赤茶けた泥のような塊だったり砂粒ほどの大きさの水晶だったりで、部屋中央に置かれている黄金像に比べればどれも見劣りした。やはり黄金こそキングオブトレジャー、真のトレジャーハンターが見つけるべき究極の宝なのだ、と確信した。
ようやく部屋の隅にいるシンシアを見つけた。
「博士、やっぱりトレジャーハンターが見つけるべきは金、百歩譲って銀だと、あの黄金像を見て俺は確信しました」
しかし、彼女からの返事はなかった。シンシアは真剣な表情で、展示ケースの中にある錆びた鉄の棒に意識を集中させているようだった。
アレックスはもう一度声を掛けた。「あのう……博士、聞いてます? コット博士……シンシア、げへっ!」
腹を殴られた!
「馴れ馴れしく呼ばないで」
と、錆びた鉄の棒に目を向けたまま、冷たい声でシンシアは言った。
「ちゃ……、ちゃんと聞こえてるじゃないですか」ヒリヒリ痛む腹をさすりながらアレックスは言った。「俺はやっぱり黄金が一番だって確信……。なんですか? これを見ろってことですか?」
アレックスは、シンシアが無言で指し示した説明札を覗き込んだ。
「えっと、出土場所はブルボン宮跡、推定年代は聖暦951年。予想落札価格は……えっ!」
アレックスは記された金額が信じられなくて、何度もゼロを数え直した。もちろん何度やっても結果は変わらなかった。
「なんでこんな錆びた鉄の棒切れが、あの黄金像よりも高いんですか! 王都の一等地にプール付きの超大豪邸が何件も買えますよ」
コット博士はふーっと、大きく息を吐いた。「遺物のオークションでの価値を決めるのは、見た目だけじゃないってことよ」
「えっと、それはどういう……」
ようやくシンシアはアレックスの方へ向いた。「もちろん、遺物自体の保存性や美しさも重要な要素だけど、それ以外にも幾つかあるの。大きなところでいうと、一つ目は希少性、二つ目は発見された遺物がわたしたちの歴史認識においてどれほどのインパクトを与えたか。そして三つ目はその遺物自身が持つ歴史……遺物にまつわるエピソードと言ってもいいかもしれない」
「ごめんなさい、さっぱりわかりません」
シンシアのまぶたがピクリと動いた。「しようがない、詳しく説明してあげるわ。まずは希少性。これはさすがにわかるでしょ、珍しいものほど価値があるってこと。二つ目のインパクトって話は、これは例を挙げたほうが良さそうね。例えば……」シンシアは人差し指を立てて、くるくるとゆっくり回し始めた。「大昔の遺跡が二つ発見されました。二つの遺跡はずっと遠くに離れていて、それまで研究者たちはその二つの遺跡に何の関係もないと考えていた。ところがある日、二つの遺跡から非常に類似した土器が発見されたとしたら、ブロームさん、貴方はどう思う? ちなみにその土器はとてもユニークな形をしていて、そうそう真似できるものじゃないとしたら」
「えっと……、やっぱりその二つの遺跡は交流関係か何かがあったんじゃないですか?」
シンシアはこくりと頷いた。「そう考えるのが自然よね。つまり一連の土器の発見によって、二つの遺跡に対する見方が変わった。つまり歴史認識が変わったってこと。こういう事態を引き起こした土器は歴史的価値が高く、市場での取引額も高くなるの」
「へえ……、んっ? でも待ってください、博士。それじゃあ、発掘しただけじゃ、その宝の価値はわからないってことじゃないですか?」
シンシアの説明に、アレックスは納得できなかった。土の中から遺物が出てきも、それが宝かどうかすぐにわからない。これでは、苦難を乗り越え遂に宝を発見したその瞬間、現場は歓喜に包まれる、というアレックスのトレジャーハンティング像から程遠いのだ。
「遺物の意味や価値は、それ単独では決まらず様々な研究を経て初めて見極められていくものなの。すぐに理解しろとは言わないけど、貴方がいい加減にやってた遺物の洗浄や、割った壺。今はただのガラクタに見えるかもしれないけど、これまでの歴史を覆す可能性があるってことは覚えておいて」
突然さっきのことを蒸し返され、アレックスは苦笑した。彼女は結構根に持つ性格のようだ。
こんなところでねちねち説教されてもかなわない。話を逸らそうと、アレックスは説明の続きを促した。「そ、それで、残りの一つ、エピソードってやつは?」
シンシアが再び人差し指をくるくると回した。「それは要するに、誰がその遺物を使っていたかってことに関係するの。例えば現国王の銀食器も、百年後ぐらいにはそれなりの価格で取引されるようになるでしょうね」
こっちはすんなり理解できた。
「それなら知ってます。有名なのはメサイ……」
と、アレックスが話している途中で、唐突に背後から朗らかな声がした。
「やあ、シンシア」
その途端、シンシアの表情が悪臭を放つ腐った料理を目の前に出されたかのように歪んだ。アレックスは声のした方へ顔を向けると、そこには至る所にけばけばしい金刺繍が施されたベストを着た、色白の青年が立っていた。アレックスやシンシアと同年代くらいだろう。
「君も来ていたのか、奇遇だな」
青年がシンシアに近づき、細長い腕を彼女の頬に向かって伸ばすと、シンシアは激しくいやいやをして、青年の手を追い払った。
「何が奇遇よ、この変態ストーカー」
その一言を聞いて、アレックスはすぐさまシンシアと青年の間に割って入った。たとえ身なりは上流貴族のように立派でも、女性をストーカーするとは男の風上にも置けない。助手として男として、シンシアを守らなければならない。
「離れろ、コット博士が嫌がっているだろ」
「この僕に向かって指図しようなんて……。誰だね、君は?」
青年は道端のゴミを見るような視線をアレックスに向けてきた。
「俺は、コット博士の助手のアレックスだ。助手として博士を守る義務がある!」
すると青年は「ん?」と言って、目を見開き、アレックスにぐっと顔を近づけてきた。
「君が今のシンシアの助手だって!」青年はシンシアを一瞥すると、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。「僕はシンシアとは長い付き合いでね、彼女がおねしょをしていた頃から知っている。いわゆる幼馴染ってやつだ」
「ええっ!」
アレックスはシンシアを見た。彼女は苦虫を潰したような表情を浮かべていたが、やがて肩をすくめ、諦めたような口調で言った。
「ええ、彼がわたしよりもおねしょが治るのが遅かったことを知ってるぐらいのね」
今度は青年が顔をしかめる番だった。「その話はやめたまえ、といつも言っているだろう」
アレックスに向かってシンシアは面倒くさそうに言った。
「ブロームさん、紹介するわ。彼はハインリッヒ=シェーンベルク……」
「なっ!」アレックスは再び興奮で大声を上げてしまった。その名前に聞き覚えがあったからだ。「ハインリッヒって、あのノーブレスハンターのハインリッヒ=シェーンベルク!」
ハインリッヒ=シェーンベルクといえば、トレジャーハンターのインタビューや最新情報を集めた、トレジャーハンターを志す者の必読誌と呼ばれる『トレハン通信』に、名前が載らない号はないほどの超有名人だ。有力貴族の子息であると同時に、若くして数々の財宝を発見し、ノーブレスハンターという異名を持っている。トレジャーハンターの卵たちにとっては憧れの存在であり、アレックスも当然彼のことは知っているし、ずっと尊敬していた。
「この僕の名前を知っているとは殊勝なことだ」ハインリッヒは満更でもない様子で言った。「もしよければ、サインの一つでも書いてやろうか?」
「あっ、ありがとうございます!」
その憧れの存在が目の前にいる! 更に口を聞いてもらえた。喜びと興奮で、さっきまでのハインリッヒに対する怒りなど綺麗さっぱり無くなっていた。
ハインリッヒは手帳の用紙を一枚破って、サラサラと素早くサインを書いた。
「今回も、僕が探し当てた財宝がオークションに出されるから、特別に僕自ら解説してあげよう」
「本当ですか、是非!」
アレックスがハインリッヒからサインを受け取っているその横で、シンシアがふんっと鼻で笑った。
「何がノーブレスハンターよ。このストーカーでペテン師が」
「コット博士、何を言ってるんです。シェーンベルクさんほどのお方が、どうして博士のストーカーをしないといけないんです?」
「貴方はどっちの味方よ……」
シンシアは何も言う気になれないといった様子で、眉根を寄せていた。
ハインリッヒがアレックスの肩を叩いてきた。
「さあアレックス君、僕の出品物を見に行こうか」
「はい、シェーンベルクさん!」
「そんな他人行儀はよしたまえ。僕らはもう立派な仲間さ。ハインリッヒと呼んでくれ……」
アレックスは胸が熱くなるのを感じた。憧れのノーブレスハンターから仲間だと呼ばれた。こんな嬉しいことがここ数年あっただろうか!
意気揚々と喋りながら歩き出したハインリッヒにアレックスも付いて行こうとしたが、突然、彼はピタリと動きを止めた。そして難しい顔になると、アレックスに向かって、
「すまないが急用を思い出した。是非今度ゆっくり、トレジャーハンティングについて語り合おうじゃないか。じゃ、そういうことで」
と言い残し、逃げるように部屋から去ってしまった。
どうしたんだ突然? アレックスは走り去っていくハインリッヒの後ろ姿を無数のクエスチョンマークを浮かべながら見つめていると、彼と入れ替わるように数人のお供を連れた老紳士が入ってきた。すると室内が一斉に騒めき始めた。有名な貴族かな? とアレックスが考えていると、老紳士がアレックスとシンシアのところへまっすぐ向かってくるではないか。
シンシアが紳士の前に駆け寄り、丁寧に会釈をした。
「どうも、おじさま」
また知り合いなのか! こんな貴族や大富豪たちが集う場所でやたら知り合いと出くわすなんて、この人は何者なんだ、ただの学者じゃないのか? と、アレックスは驚き慄いた。
老紳士は軽く手を上げて、シンシアの挨拶に応えた。
「シンシア、元気かね?」
「はい。おじさまこそお元気そうで何よりです」
シンシアの物腰は優雅で、先ほどのハインリッヒに対する態度とは大違いだった。老紳士の伸ばした手に、彼女は進んで頬を当てた。
「たまには屋敷に遊びにおいで。リヒャルトもシンシアの顔を見たがっていたよ」
「ええ、わたしもリヒャルト兄さまにお会いしたいわ。兄さまもお変わりなく?」
兄さま! アレックスは叫びそうになるのを必死にこらえた。もしかしてこの老人はシンシアの父親なのか? しかし、さっき老紳士のことをおじさまと言っていたような。
「ああ、私の代わりに大陸中を飛び回っておるよ。そのおかげで、私はこうやって道楽に浸ることができるというわけだ、はっはっはっ」老紳士は快活に笑った。
シンシアも釣られてくすりと笑った。「それで、おじさまは今度のオークションで何を落札されるおつもりですか? ……やっぱり、あれで」
シンシアがさっきまで熱心に見つめていた錆びた鉄の棒を指差した。
「あれが今度の目玉、アラン導師の鉄杖か……」紳士はゆっくりと首を振った。「確かに近年稀に見る名品だ。しかしどうせ教会の関係者が落札するだろうさ。私はもっと小物で充分だ」
「オークション荒らしと言われたおじさまが、珍しく弱気なことを仰います」
再びシンシアと老紳士が一緒に笑った。とても仲が良さそうな二人だった。
しかし、柔和な表情を浮かべていた老紳士の目がキラリと光ったかと思うと、その顔は一瞬にして硬くなっていた。そして、低く小さな声でシンシアに向かって言った。
「実は丁度、お前のところに人を遣るつもりだったんだ」
すると、シンシアからも笑みが消え、先ほど鉄棒を見つめていた時のように真剣な表情になった。老紳士は辺りを注意深く見渡すと、取り巻きの一人の耳元で何かを囁き、それからシンシアに向かって、
「ちょっと場所を変えようか」
と言った。
■ ■ ■
「あのう、コット博士……」老紳士とその取り巻き達の後に続いて廊下を進むシンシアに向かってアレックスは声を掛けた。「あのおっさん、誰なんです?」
「おっさん!」シンシアが愕然とした表情を浮かべ訊き返してきた。「貴方、あの方を知らないの?」
「ええ、まったく」
「あのねえ……」シンシアは小さく首を振った。「トレジャーハンティングのことばかり考えてるんじゃなくて、少しは社会のことも知りなさい。あの方は、レオンハルト=シェーンベルク伯。名門貴族と同時に実業家としても有名よ。シェーンベルク魔法工業製の魔法具、貴方も使ったことぐらいはあるでしょ」
アレックスは頷いた。「えっ、もしかしてそこの社長なんですか!」
「そう。最近は収入が減って没落していく貴族が多い中、今なお絶大な勢力を誇ってるわ」
「へえ」
そんなすごい人が目の前にいるなんて、とアレックスは驚いたが、それよりも気になったことがあった。
「もしかしてあの人、ノーブレスハンターの父親なんですか?」
シンシアの表情がわずかにひきつった。「えっ、……ええ、ハインリッヒはおじさまの息子よ」
なんと、本人は優秀なトレジャーハンター、そして父親は大実業家だなんて、非の打ち所がないじゃないか! アレックスの中でハインリッヒの評価が更に上がった。
「じゃあ博士はどうしてそんな人たちと知り合いなんですか? ずいぶん親しそうに話してましたけど」
シンシアはわずかに眉間に皺を寄せて、前を行くシェーンベルク伯を一瞥した後、答えた。
「おじさまは昔から古美術や骨董品が趣味で、……その関係でわたしの両親とも仲が良かったの。わたしも随分お世話になったわ」
「博士のご両親もトレジャーハンターだったんですか?」
「こ・う・こ・が・く・しゃ!」シンシアはこれでもかというほど強調した。「あの研究所は両親から引き継いだの」
「へえ、そのご両親は今?」
少し間があって、シンシアは呟くように言った。「……死んだわ、十八年前に」
「あっ……」これはまずいことを聞いてしまったと、アレックスは自分の浅はかさを悔いた。「その、……ごめんなさい」
「貴方が気にする必要ないわ。ずっと昔の話だし」シンシアは前を向いたまま淡々とした口調で言った。「身寄りのないわたしの生活を支援してくれたのが、両親と親交の深かったシェーンベルク伯というわけ。だからおじさまだけには今も頭が上がらないのよね」
「じゃあ、さっき言ってたリヒャルトって人は?」
「おじさまのもう一人の息子。私より十歳年上で、今じゃおじさまの会社の実質的な代表よ」
ようやく謎が氷解した。
「その、シェーンベルク伯が、コット博士にどんな用なんでしょう?」
「決まってるでしょ、仕事の話よ」
前を行くシェーンベルク伯たちが扉の前で足を止めた。目的地に着いたようだ。
取り巻き達を部屋の外に残し、シェーンベルク伯、シンシア、そしてアレックスが中に入った。ここは、オークション参加客の中でも格別の上客のみ使用が許されたVIPラウンジだった。豪華な内装の部屋の四方に、舶来ものの陶磁器や帆船模型などが並び、天井一面に教会の聖典に出てくる天使たちが描かれている。目の前の老紳士がここで莫大な金額を動かしてきたことが嫌でもわかってしまった。
「まあ、掛けなさい」
と言いながら、シェーンベルク伯は肉厚なソファーに座ったが、シンシアは「わたしはこのままで」と言って固辞したので、アレックスも立っているよりほかになかった。
「さて、シンシア」シェーンベルク伯は鋭い目つきで博士の顔を見上げた。「君に仕事を依頼したい」
シンシアの予想通りだった。彼女は何も言わず小さく頷いた。
「私が今建設中の大陸横断鉄道の大口出資者である事は知っているだろう」
大陸横断鉄道、大陸中の国々の主要な都市を魔法で動く鉄製の籠で行き来できるようにするという壮大な計画があり、それまで馬車で半年近くかかっていた距離が五日で移動できるようになる代物だ。完成はずっと先だが一部区間はすでに運行が始まっている、ということはさすがのアレックスも知っていた。
「その鉄道の建設予定現場近くでつい最近地震があった。それで地崩れが起こり、崖から遺跡が姿を現した、と連絡があったのだ」
「その遺跡の調査をすれば……」「やったー! 遺跡発掘だ!」
アレックスは堪らず大声を上げていた。
遺跡発掘! これこそトレジャーハンティングの華、地味な洗浄仕事ともおさらばだ!
「おい、ところで一体君は誰だ?」
シェーンベルク伯の低い声に、アレックスははっと我に返った。
慌てて姿勢を正し、今頃アレックスがラウンジにいることを知ったような表情を浮かべるシェーンベルク伯に向かって自己紹介した。
「アレクサンダー=ブロームです。コット博士の助手をしてます」
「何、助手だと? ……おいシンシア、前の助手はまた辞めたのか?」
「えっ、まあ……、はい……」
と答えたシンシアの目は泳いでいた。
「これで今年に入って、もう十人目じゃないのか?」
シェーンベルク伯が渋い顔で言うと、彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「いえ、おじさま。……十四人目です」
アレックスは驚くと同時に、ああやっぱり、と納得もしていた。自分も一日洗浄作業をしていたら、明日の今頃は別のバイト面接を受けていたかもしれない。
「いつも言っているだろ。部下にはちゃんと気を使えと。会社経営の基本だぞ。全員が全員、お前のやり方に付いてこられるとは限らないんだからな」
「心得てます……」
アレックスやハインリッヒに対して強く出ていたシンシアだが、今は何も言い返せずしゅんとなっていた。さすがは大実業家、言葉の重みが違う、とアレックスは一人感心していると、再びシェーンベルク伯がアレックスに言葉を掛けてきた。
「ブロームとやら、シンシアは独り善がりなところもあるし、淑女とは思えないほど口が悪いところもあるが、学者としては優秀だ。しっかり彼女を支えてやってくれ」
「はい!」アレックスは胸を張って返事をした。「お任せください、コット博士のもとでしっかり学んで、ハインリッヒさんのような立派なトレジャーハンターになってみせます!」
次の瞬間、ラウンジに突発性氷河期が訪れたのではないか? と思いたくなるほど急激に冷たい空気に満たされた。シェーンベルク伯は歯をがちがちと言わせながらアレックスを睨み上げ、隣に立つシンシアは怯えた表情で口を押さえていた。
なんだ、なんだ? 何か変なこと言ったか? アレックスはさっきの自分の言葉を思い返してみたがまったく見当がつかなかった。
やがて老紳士は、痛めた脇腹を庇うかのようにゆっくりと深呼吸をすると、「息子の話はしないでくれ」と苦しそうに言った。
ぎゅっとシンシアに足を踏まれた。「なんですか、博士!」と抗議しようとしたら、彼女は口に人差し指を当て、小声で言った。
「おじさまの前で、ハインリッヒの話は禁句」
「どうして? 有名なトレジャーハンターでしょ。自慢の息子じゃないんですか?」
「何が自慢の息子だか。……とにかく貴方はこれ以上何も言わないで」
アレックスの頭はますます混乱した。もう一人の息子のリヒャルトの話はさっきしていたのに、どうしてハインリッヒは駄目なのか?
悩むアレックスの横で、シンシアはシェーンベルク伯に向かって、わざとらしいほど明るい声で言った。「お、おじさま。話を戻しましょう。その、地崩れがきっかけで見つかった遺跡を調査すればいいのですね。調査スケジュールはどうしましょう? わたしもいろいろ仕事が立て込んでいますから、調整に時間がかかるかもしれません」
シェーンベルク伯は顔を上げた。まだわずかに苦しそうな様子だった。
「可能な限り急いでくれ。現場からも、早く工事を再開したいと催促もきているからな」
「わかりました」シンシアは手帳を取り出すと、古い万年筆でメモを取り始めた。「遺跡の規模はわかりますか?」
伯爵は一呼吸おいて答えた。「小振りな神殿のようだった、と現地からの連絡にはあったが全体像はわからん。まずはざっと予備調査をして、本格的な調査が必要であれば計画書と費用見積を提出してくれ。……あと、この件については極秘で進めてもらいたい」
シンシアの筆を走らせる手が止まった。「えっ……? じゃあ、教会への報告はどうするんです。わたしは報告義務違反で捕まりたくはないですよ」
トレジャーハンター条約では、発掘物自体は発掘者が自由にできるが、発掘作業の実施内容を教会へ報告する義務がある。
「安心しなさい、もちろん最終的には報告する。でもそれまでは外に漏らすわけにはいかないのだ」
「発掘物の横取りを心配しているんですか? でも、そんなことしたら、考古学者にしろトレジャーハンターにしろ、業界からの信用を失うから、気に病む必要はないってことぐらい、おじさまもご存知でしょう」
「いや、今回の一件については、その業界内の紳士協定とやらは信用できん」
シェーンベルク伯は、ラウンジには自分たちの他に誰もいないにもかかわらず、誰かに聞かれることを極度に恐れるかのように左右に素早く視線を走らせた。そしてかろうじて聞き取れるくらいの小声で言った。
「実は現地からの報告で、遺跡の推定年代は千二百年前……つまり、魔法大戦時代のモノらしい」
シンシアの手から万年筆が滑り落ちた。静寂に包まれたラウンジに筆の転がる音が大きく響いた。
「それがどうした?」とは訊けるような雰囲気ではなかった。緊張した面持ちで黙り込んでいる二人の姿をアレックスは交互に見比べるしかなかった。
ようやく、シンシアの喉がゴクリと動いた。「まさかおじさま、……それじゃあ」
シェーンベルク伯はゆっくりと頷いた。
「ああ、そこには人類の至宝、メサイア・アンティークが眠っているかもしれない」




