発掘結果の分析2
アレックスはランプの灯だけを頼りに、馬を走らせ発掘現場に向かっていた。脇には爆薬が入った樽を抱えている。
(誰にも宝は渡さない!)
脳裏に浮かぶ言葉はただそれだけだ。
これまでの努力を無駄にしてたまるか。
一心不乱に馬を走らせていたアレックスだったが、遺跡へ至る坂道の途中にある鉄柵の門を通り過ぎようとした時、異変に気付いた。
門が開いていたのだ。夕方、ケシュの街に戻る際に施錠したはずだ。その門が今は開け放たれている。つまり、誰かが敷地の奥、遺跡にいるのだ。
ぞくりとアレックスの背筋に寒気が走った。
既に賊の魔の手が遺跡に迫っているのか?
アレックスは手綱を引くと、遺跡へ急いだ。
月明かりに照らされた『本遺構』の壁は白銀のように輝き、昼間とはまた違った神秘的な様相を見せていた。しかし、今のアレックスには何の感慨も湧かなかった。
『本遺構』の入口から橙色の明かりが漏れていることに気付いた。やはり既に何者かに先を越されていたのだ。トレジャーハンターだろうか、それとも悪の秘密結社の工作員だろうか。しかしこの際どちらでも構わない。宝を狙う連中は全員敵だ。
普段馬車置き場に使っている場所に一頭の馬がいた。賊が乗ってきたのだろう。
アレックスも馬から降りると、置きっ放しになっていたシャベルを掴み上げた。それから、足音を立てないよう慎重に『本遺構』の入口へ歩を進めた。馬は一頭。ならば、賊も一人に違いない。相手が一人なら負ける気はしない。
(宝を手にいれるのはこの俺だ!)
入口の脇にうず高く積まれた土砂に身を寄せ、そっと中の様子をうかがう。
人がいた。
ここからではまだシルエットしかわからない。しかし、相手の背はそれほど高くなく体つきも細そうだ。これなら余裕で勝てるとアレックスは確信した。
アレックスは爆薬の樽をその場に置いて、シャベルを両手で握りしめると、『本遺構』の通路に足を踏み入れた。人影は顎に手を当てて、考え込むように側壁を見ていて、まだアレックスの存在には気付いていない。一瞬で片は付くだろう。
シャベルをぐっと握りしめる。
そこでアレックスは、自身の両手が震えていることに気付いてしまった。
……勢いでここまで来てみたものの、人を傷付けてまで宝を手に入れたいのか? さっきハインリッヒの前ではどんなことをしてでも宝を手にいれると息巻いていたのに。
もちろん手に入れたい! アレックスは『邪念』を払おうと何度も首を振った。胸を熱くする大冒険と目が眩むほどに輝く金銀財宝、そして億万長者となり田舎に残してきた家族に楽をさせたい。
こいつを一振りすれば、その願いが叶うというのに。
ああ、でも、手の震えは止まらない。
ジャリ……
不覚にも、足音を立ててしまった。
しまった! と心の中で叫んだが、もう遅かった。奥の人影が素早くアレックスの方へ振り向いた。
「だっ、誰!」
緊張した声がアレックスの耳に届いた瞬間、アレックスは思わず「あれ……?」と、間の抜けた声を出してしまった。何故なら聞き覚えのある声だったからだ。
相手も驚いた声を発した。「そ、その声は……ブローム?」
人影がアレックスに近づいてきた。
そしてようやく、先行者の顔をはっきりと確認することができた。
「博士じゃないですか! なんでこんなところにいるんです?」
「それはこっちの台詞」シンシアは目を大きく見開いたまま、アレックスの手に視線を移した。「シャベルなんか持ってどうしたの?」
「こっ、これは!」アレックスは慌ててシャベルを背後に隠した。「……い、いやあ、発掘道具を片付けてないことを思い出したら、いてもたってもいられなくなって、ここへ戻ってきただけですよ。そうしたら遺跡から明かりが漏れてて、どうしたのかなあと……」
「ふーん。片付けは明日の午前中にやるって、伝えておいたと思うけど?」シンシアは胡乱な目を向けてきた。「まあ、大方予想はつくけど。……どうせハインリッヒに唆されて、奥の石壁を壊そうとしたんでしょ。いくら魔法具でもそんなシャベルじゃ無理よ」
「あ、いや……そのう。ハ、ハハハ……」
アレックスの喉から、乾いた笑いが漏れた。
貴女を殴り倒そうとしていました、と正直に告白したら、こっちが張り倒されるだろう、とアレックスは思うと同時に、本当に襲わなくて良かったと、心の底から安堵している自分自身に気付いた。なけなしの良心に感謝すべきだろうか。
しかし、冷静さを取り戻すにつれ、一つの疑問が頭をもたげていった。
(シンシアこそ、こんな時間にこんなところで何をしているのだろう?)
アレックスの表情からその考えを読み取ったのだろうか、シンシアは親指で側面に掘られた古代の文字列を指した。「ちなみにわたしは、これが気になって見に来てたの」
「それこそ、今やることですか? 写真も撮ったんだし」アレックスはカメラやフィルムの入った自身の肩掛け鞄を軽く持ち上げてみせた。「研究所に帰ったあとに現像して、じっくり読めばいいのに」
「ちゃんと肌身離さず持っててくれてるのね。ご苦労さん」
アレックスの鞄へ目を向けたシンシアは、満足そうに頷いた。
「ええ、昨日、博士に言われましたから、って……はぐらかさないでください。どうして今なんですか?」
アレックスのシンシアへの疑念は深まる。そしてある一つの考えに思い至ってしまった。
もしかしてシンシアもこっそりと石壁を壊そうとしていたんじゃないだろうか? 学問的価値がなんだとか、大層なことを言っておきながら、本当は宝を独占しようとしていたのでは?
無意識にシャベルの柄を掴む手に力が入った。
……今ならこいつを躊躇なく振り下ろせるかもしれない。
するとシンシアは「ふう……」と大きく息を吐いてアレックスに背中を向けた。「だって、この碑文の調査が少しでも早く終えられれば、それだけ早く石壁奥の調査に取りかかれるでしょ」
予想外の一言にアレックスは思わずシャベルを取り落としてしまった。ガシャーンと、大きな音が通路に反響した。
「え、ええっと……」
アレックスは必死に思考を巡らせる。
つまり、シンシアだって一秒でも早く遺跡の奥を調査したいと、アレックスたちと同じくらい、あるいはそれ以上に強く願っている、ということだ。
「……だ、だったら」ようやくアレックスは口を開いた。「この石壁をさっさと壊して中に入りましょうよ!」
「何度も言わせないで、物事には順序があるってことを」
振り返ったシンシアはぴしゃりと言い放った。
「どうしてそこまで頑なになるんですか?」アレックスも言い返した。「博士だって先が見たくてしようがないんでしょ。考古学者としての矜持? そんなのどうだっていいじゃないですか。知りたいものを知る、得たいものを得る。それはトレジャーハンターだって、考古学者だって変わらないと俺は思います。我慢する必要はないです。さあ、今から俺と一緒にその石壁を壊しましょう」
石壁一つ壊したところで誰かが傷付くわけでもなく、それにシンシアの真意を知った今、良心に咎められることもない。
しかし、シンシアはゆっくりと首を左右に振った。
「どうして?」
シンシアは落ち着いた声で答えた。「それはね、わたし……考古学者は、自分のためだけに発掘してるわけじゃないからよ」
「それは、どういう……?」
「もちろん、わたし自身の手で、得られた遺物から古代の謎を解き明かしたい気持ちがないわけじゃない、むしろ解く気満々よ。……でもわたしだけで『全て』を解明するなんて絶対に無理だと、それだけは言える。だから同じく考古学に従事する人たちや、あるいは未来の学者にわたしたちの調査結果を託すために、独りよがりにならないようルールに則って、順序立てて詳細に記録を残していく責務があるの。わたしが早く見たいっていう個人的な理由だけで、それらを蔑ろにするわけにはいかない」
「な……何言っているんですか、博士?」
「つまり、充分な記録が残せていないまま、今この石壁を壊したら、この遺構の情報が永遠に失われて未来を含めた全人類への損失に繋がる。それは許されないってことよ」
アレックスは耐え切れずガリガリと頭を掻いた。本当に堅物だな、と思うと同時に、未来だとか全人類だとか、考えたこともないような壮大な話が、寝る間も惜しいほど目の前の仕事に追われているシンシアの口から出てきたものだから、とまどいもした。
と、アレックスはシンシアとの会話にすっかり気を取られていたので、突然背後から「動くな」と低い声が聞こえた時は、声も出せないほど驚いて、すぐには身動きできなかった。
ようやくアレックスが後ろを振り返ると、ランプの灯によって深い陰影が刻まれたサントス=マルドナドの顔が、闇の中から浮かび上がっていた。
□ □ □
マルドナドはゆっくりとした足取りでアレックスたちの所へ近づいてきた。彼に続いて更に二人の男が現れた。どちらも作業員たちの中で見たことのある顔だった。
「マ、マルドナドさん……、どうしてここへ?」
「動くなって言ってるだろ!」
マルドナドは怒鳴り、アレックスの方へ腕を突き出した。
その手には、拳銃が握られていた。
「ま、待ってくれ!」
アレックスは両手を上げた。
「ちょっと、何のまね?」
マルドナドはシンシアの顔を見ると、口角を高く吊り上げた。
「そりゃもちろん、この遺跡の奥にある宝を奪うために決まってるだろ」
「貴方もハインリッヒに唆されたってわけ?」
アレックスは驚いてシンシアの方を見ると、彼女は鋭い視線で睨み返してきた。アレックスは両手を上げたまま、ぶるぶると首を振って全力で否定した。もちろんこんな話、ハインリッヒから全く聞かされていない。
マルドナドは拳銃をこちらに向けたまま肩をすくめた。「貴族の兄ちゃんがどうしたって? それより、目と鼻の先に、億万長者になれる宝があるって聞きゃあ、誰だって欲しがるのは当然だろ。……よしお前たち、始めろ」
マルドナドの号令で、彼の後ろに控えていた二人の男が、通路の奥の石壁に向かって歩き出した。そのうちの一人が小さな木箱を抱えていた。
その中身がアレックスにはすぐにわかった。爆薬だ。彼らも倉庫に忍び込んで爆薬を盗み出したに違いない。
「やめなさい!」
シンシアも彼らがやろうとしていることを理解したのだろう、二人の男を止めようと通路に立ち塞がろうとした。
なんて無謀なことを、相手は日頃の肉体労働で鍛えた屈強な男が三人、しかも一人は拳銃を持っているんだぞ。アレックスはシンシアの肩を掴んで引き留めた。
「離しなさいブローム、あいつらを止めないと」
シンシアはアレックスの手を引き剥がそうと、手首を掴んできた。そうはさせまいと、アレックスは更に手に力を加えた。
「博士、ダメです。撃たれたいんですか?」
「遺跡を守るためなら、死んだっていい!」
そう力強く言い切ったシンシアに驚いて、彼女の肩を掴むアレックスの手が一瞬緩んでしまった。
「……っ、博士!」
アレックスが我に返った時には、シンシアは石壁の前で爆薬の準備をする二人の男に飛びかかっていた。不意を突かれた男たちは慌てふためき、その隙にシンシアは一方の男を跳ね飛ばした。更にもう一人の男にも飛びかかろうとしたが、相手は素早く身構えると、彼女の体当たりを受け止め、逆にシンシアを突き飛ばした。
アレックスは地面に仰向けに倒れたシンシアのもとに駆け寄った。彼女が体を起こそうとするのを、肩を支えて助ける。
「無謀ですよ、博士」
「無茶でも無謀でも、守らなきゃいけないのよ!」
と言ったシンシアは、今にも立ち上がり再び突進する気満々だ。
「だから博士、無理ですって。そこまでしなきゃいけないことなんですか? たかが遺跡一つじゃないですか」
「たかが遺跡一つに人生を賭けるのが考古学者ってものよ」
「なっ……」
アレックスは息を呑んだ。
マルドナドに銃を突き付けられたとき、この遺跡は歴史的に重要で、石壁の向こうには、人類の至宝が眠っているかもしれない。でも、命の危険が差し迫っている状況に陥ってまでも拘るのか? いくら宝を手に入れても死んでしまっては意味がないじゃないか? と思った。
しかし、シンシアの一言でアレックスは気付いてしまった。
自分にはトレジャーハンターになる覚悟も情熱も、本当は持っていなかったのではないか、ということに。
口では血沸き肉踊る冒険の末財宝を手に入れてやる、などと口では言っておきながら、いざ窮地に立たされると、さっさと宝を諦めていた。いかにこの場を助かるか、それだけを考えていた。一方、シンシアは考古学者の矜持とやらのために、今なお足掻いている。
果たして、先ほどシンシアを殴り倒すのを躊躇ったのは、良心という高度な道徳的問題だったのだろうか。ただ単に、どんな障害に遭ってでも宝を手に入れる、という気概がなかったことを、もっともらしい問題にすげ替えていただけではないだろうか?
「クックックッ!」
マルドナドのいかにも悪人風な笑い声が通路にこだまし、アレックスの思考は中断された。
マルドナドはシンシアからアレックスの方へ視線を移した。
「嬢ちゃんと違って、そっちの助手の兄ちゃんはまだ物分かりが良いようだな。……どうだ、今からでも遅くねえ。俺たちの仲間にならねえか? 見てたぜ、あんただって、俺たちと同じこと考えてたんだろ?」
それはとても魅力的な提案だった。当初の予定通りシンシアを裏切り、それからマルドナドの側に付けば、命が助かるどころか、宝の分け前までありつけるのだ。
アレックスは、醜悪な笑みを浮かべているマルドナドと、驚愕した表情でアレックスを見上げるシンシアを交互に見た。
アレックスは大きく深呼吸して立ち上がった。たちまちシンシアが魔神のような形相でアレックスを睨み上げてきた。しかし、アレックスはそれを無視して、マルドナドの方へ歩き出した。
「ブ……ブローム!」
シンシアの絶叫が通路の壁に何度も反響し、アレックスの耳に襲いかかってきた。しかし、アレッックスは歩みを止めなかった。
そしてマルドナドの前で立ち止まる。
「良い選択だ。仲良くしようぜ」
マルドナドが握手をしようと、拳銃を持っていない方の手を伸ばしてきた。アレックスはマルドナドの節くれだった大きな手をしばらく見つめた後、拳を力一杯握りしめた。
そして、
「断る!」
と腹の底から叫び、マルドナドの左頬めがけて殴りかかった。マルドナドは咄嗟に体を反らしアレックスの拳を交わすと、銃口をアレックスの顔面に向けようとした。アレックスも素早くマルドナドの両腕をつかんで、銃口を逸らした。
「てめえ、何しやがる!」マルドナドが黄色に変色した歯をむき出しにして吠えた。「こんな良い話を蹴るなんて、相当な間抜け野郎だな、とんだ見込み違いだ」
「俺はあんたに見込まれようなんて、これっぽっちも思っちゃいないさ」眉間に思いっきり力を込めて、マルドナドの顔を睨み返してやる。「俺が認められたいのはコット博士だけだ。何せ、俺は博士の助手だからな!」
「ブローム……」
シンシアが唖然とした表情で、アレックスとマルドナドの取っ組み合いを見つめていた。
「何が助手だ! てめえだって、さっきまでは裏切る気満々だったじゃねえか」
マルドナドの押す力が一気に強くなった。
「うるさい、気が変わったんだ!」
アレックスも負けじと押し返す。
今のアレックスに、心の奥底からトレジャーハンターになるという情熱も覚悟も欠けていることは、もう認めざるを得ない。
思えば、トレジャーハンターに限らずこれまでもそうだった。どのアルバイトも長続きせず、転々と職を変えてきたのも、漠然と金持ちになりたいと思っていただけで、仕事に対する情熱も覚悟も湧かず、すぐに飽きてしまったからだ。トレジャーハンターだって、たまたま見た書籍で一時的に熱に浮かされていただけじゃないだろうか。だから多少理想と違う現実に直面しただけで、すぐに嫌気がさして、シンシアの助手を何度辞めようと思ったことか。
こんな立場で、シンシアのように強靭な意思で一途に何かを守ったり、将来や未来に想いを巡らせることなどできるわけがない。
しかしだからこそ、ほんの一時的なことで構わない、今やりたいこと、やるべきことを選択したのだ。それはマルドナドから宝のおこぼれにあずかることなのか、それともシンシアの助手としての役目をまっとうすることなのか?
シンシアの保守的で堅苦し過ぎるやり方には依然として納得できないし、彼女の理念だって充分理解できたとは言い難い。しかし、彼女の考古学に対する真摯な気持ちに対して、今はそれを助けたい、と強く思う。結局雰囲気だけで決めてしまうのが自分らしいと自嘲するが、これがアレックス=ブロームという男なのだからしかたない。
それからもう一つ、マルドナドに与しない理由は、ただ単に、これまでの苦労がこんな形で奪われることに、腹が立ってしようがない! ということだ。
「うおおぉー!」
アレックスは叫び声とともに、更に両手に力を込めた。マルドナドの腰が一瞬だけ浮いたが、しかし相手は長年力仕事に従事してきただけあって、並みの腕力ではなかった。すぐに反撃が来た。
「青二才が、なめるな!」
マルドナドの押す力が一際強くなった。必死に抵抗するも、どんどん体がずり押され、マルドナドが握る拳銃の先端が徐々にアレックスの眉間に近づいてくる。
単純な力比べでは勝ち目がない。そう悟ったアレックスは、マルドナドが止めと言わんばかりに、更に力を加えてきたタイミングに合わせて、押して抵抗するのではなく、体を引いた。
「なにっ!」
急に抗力を失ったマルドナドがバランスを崩す。すかさずアレックスは足払いを決めた。
うつ伏せに転んだマルドナドの手から素早く拳銃を奪い、その頭に銃口を向ける。
「形勢逆転だ、マルドナド」
「てめえ……」マルドナドはアレックスを睨み上げたまま、石壁の前で呆然と立ち尽くす二人の仲間に向けて怒鳴った。「おい、お前たち、ぼさっとしてねえで、俺を助けろ!」
しかし、ハッと我に返った二人の男は顔を見合わせると、「ひぃ!」と悲鳴をあげて、全速力で逃げ去ってしまった。作業員たちのまとめ役であるはずのマルドナドには、思ったほど人望がなかったようだ。
「おい待て、お前ら! 恩を忘れたか!」
仲間が走り去っていった遺跡の出口に向かって罵声を浴びせ続けるマルドナドを尻目に、シンシアがゆっくりと近づいてきた。憮然とした表情を浮かべていた。
「あっ、その」アレックスは慌てて弁明した。「ほっ、ほら、て……敵を欺くにはまず味方からって言うじゃないですか。い、今は博士を騙そうとか、裏切ろうとかちっとも考えてませんから。だ、だから、そんな怖い顔しないでください」
シンシアは表情をそのままに二度ほど瞬きを繰り返した。
「別に貴方を怒るとか思ってないし。……ただ、貴方のさっきの動き、凄いね、って思っただけ」
「あっ、そうですか……」アレックスは心の底から安堵した。「昔、警備員のバイトをしたこともありまして、その時に格闘術も一通り教わったんですよ。……それより、彼どうします?」
シンシアが思案顔でマルドナドを見下ろした。
「本当ならケシュの街の保安局に引き渡すところだけど……、後々面倒になるし」
今回の事件が公になれば、当然発掘の内容も調査されるだろう。それは、発掘を秘密裏に進めるという当初の計画から外れてしまうし、何より、噂を聞きつけたトレジャーハンターたちを更に招き寄せることになりかねない。
「でも、無罪放免ってわけにはいかないでしょ」
「もちろん、事務所には報告するわ。さっ、ここにロープがあるから、マルドナドを縛りましょ」
シンシアはベルトと一緒に腰に巻きつけていたロープを取り出し、サントスに近づく。
「待ってください博士。危ないですから俺がやります。人を結ぶにもコツがあるんですよ。代わりに博士はこの拳銃で見張っててください」
人をロープで拘束するバイトの話までシンシアにする必要はないだろう。
アレックスは、銃口をマルドナドに向けたまま、拳銃とロープと交換した。
すると、シンシアは顔をしかめた。
「ちょっとブローム。これ、魔法具よね?」
「ええそうですよ、MGC4型魔動小銃。魔法の力で射程距離がこれまでの三倍以上に伸びた、王都の保安局でも最近導入されたばかりの最新型です。どうして俺が銃に詳しいかというと、これまた昔のバイト先の仲間に銃マニアがいて……」
と、ここまで喋ったところで、急に背中にぞわりと悪寒が走った。
「……こんな最新の魔法具、使い方がさっぱりわからないんだけど」
まだ少々気が動転していたのだろうか、シンシアにしてはあまりに迂闊な一言だった。
そしてアレックスも、その一言に気を取られてしまっていた。
「あっ!」
気付いた時にはもう遅かった。マルドナドが素早く体を起こすと、シンシアに向かって突進した。彼女は目を丸めて、迫るマルドナドと使い方のわからない拳銃を交互に見比べるだけで、体は全く動かなかった。マルドナドはシンシアから拳銃をひったくると、彼女を突き飛ばした。そしてよろけるシンシアに向かって銃口が狙いすまされた。
「博士!」
アレックスはシンシアに飛びついた。
「覚悟しやがれ!」
マルドナドは躊躇なく引き金を引いた。
間一髪間に合った。
シンシアの肩を抱えて地面に向かって倒れるアレックスの頬を銃弾がかすめていった。そして狙いの外れた銃弾は、そのまま遺跡の奥に向かって飛んでいき、マルドナドの仲間が置き去りにしていった爆薬が入った木箱に命中した。
悲鳴をあげる暇もなかった。
耳をつんざくような爆音と共に強烈な風圧を受けて、アレックスはシンシア共々遺跡の外まで吹き飛ばされた。彼女だけは守ろうと、アレックスは覆いかぶさるように彼女を抱えた。
地面を何度も転がり、発掘現場の広場の中央ぐらいでようやく止まった。
無数の石つぶてを受けた背中はヒリヒリと痛んだが、幸いにも骨折はないようだ。体を起こすと、傍に横たわるシンシアの体を揺すった。
「大丈夫ですか、博士?」
「……ええ、なんとか」シンシアは目を開けると、ゆっくりと体を起こした。「それにしても、マルドナドの奴、何てことをしてくれたの!」
シンシアは激しく歯ぎしりした。ただし、自分を狙ったことではなく、爆薬に当ててしまったことに怒っているようだ。
『本遺構』へ目を向けると、入口からは黒煙がもくもくと溢れ出ていた。その前では、全身土で汚れたマルドナドが小躍りしていた。
「クックックッ……ざまあみろ、宝は早い者勝ちだ!」
と、マルドナドはアレックスたちに向かって勝ち誇ったように言うと、入口に向かって駆け出した。
「待ちなさい、マルドナド!」
シンシアが叫んで立ち上がろうとしたが、足がふらついてすぐに膝をついてしまった。
「行くな!」
絞り出すような声で彼女はもう一度叫んだが、当然マルドナドは聞く耳など持たず、黒煙立ち込める『本遺構』の中へ入ってしまった。
次の瞬間、グシャリと何かが割れ砕けるような音がして、発掘現場を囲う三方の崖と地面が大きく震えだした。
「あっ!」
アレックスは『本遺構』を見上げた。外壁や柱に大きな亀裂が入っていた。亀裂は瞬く間に遺構全体に広がると、激しい地鳴りと共に遺跡が崩れ始めた。
「ぎゃあああーー!」
マルドナドの悲鳴が聞こえてきたが、壁面の崩落と、崖からの土砂崩れによる轟音によってすぐにかき消されてしまった。
あっという間の出来事だった。遺構は崩壊し、土砂の中に埋もれてしまった。周囲に粉塵が舞い、視界は霞んでいた。
シンシアは「はあ……」と大きなため息をつきながら、心底残念だといった様子で首を振った。「爆薬の量を間違えたのか、奥の部屋に可燃性の気体が充満していたのか……。どちらにせよ、爆発の威力に遺跡が耐えられなかったのね。慎重に事を進めないからこうなるのよ」
一方、アレックスは瓦礫の山となった遺構を見つめ、そういえば、自分が持ってきて入り口に置いておいた爆薬はどうなったんだろう? と考えていた。




