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発掘計画の策定1

 大陸北西部に位置するギルダー王国の都ジェネバ、王宮から真っ直ぐに伸びる目抜き通りから一つ脇道に入ったところに、その建物はあった。

 左右に立ち並ぶアパートの外壁を覆うレンガはまだ真新しく、開け放たれた窓からは色とりどりの花々が生けられた花瓶や植木鉢が覗き、人々の華やかな生活感が漂うのに対して、目の前にある三階建てのそれは、レンガは黒く煤け、窓という窓はすべて鎧戸が閉められていた。ここだけ時間の流れが異なり、周囲から取り残されているように感じられた。

 この怪しげな建物の玄関前に、一人の青年アレックス=ブロームは立っていた。

 アレックスは片手に持った新聞の切れ端と、玄関横に掲げられた小さな表札とを交互に見比べる。

〈コット研究所〉

 これが、この建物の名前だ。

 アレックスは一度深呼吸してから、力強く玄関の扉をノックした。

 返事を待つ間、緊張で足が微かに震えていた。

 ようやく夢を叶えるチャンスが巡ってきたのだ、失敗するわけにはいかない。頭の中で必死にこれからのたち振る舞い方をイメージする。何事も第一印象が肝心だ。相手が出てきたら、気持ちの良い挨拶、そして笑顔……。

 ところが、アレックスが脳内で挨拶の練習を十回以上繰り返した後でも、一向に人が出てくる気配がなかった。聞こえなかったのかもしれないと、更に強く二度、三度と扉を叩いてみたものの、返事はなかった。

 留守だろうか? 少し不安になりつつ、何気なしに玄関扉のノブを回したところ、ギギギッ……ときしむ音を立てながら扉が開いてしまった。

 無用心だな、最近では王都でも空き巣が多いのに、これでは泥棒に入ってくれと言っているようなものだ、と思いつつ、アレックスは建物の中に足を踏み入れた。

「誰かいませんか?」と呼びかけたが、やはり返事はない。

 この建物も元はアパートだったらしく、廊下の左右には同じ形状の茶色い扉が等間隔に並んでいた。しかし、最も目を引いたものは、廊下に足の踏み場もないほど大量に置かれた木箱だった。

 ここはゴミ屋敷か? と驚いていると、建物の奥からゴトリ、と微かに物音がした。

 アレックスは身構えた。

(まさか、本当に強盗が侵入しているのでは?)

 すると今度は女性の苦しげな呻き声が聞こえくるではないか!

 すかさず、アレックスは廊下に向かって走り出した。

途中で行く手を遮る木箱を蹴り倒してしまい、中から泥にまみれた陶器の破片が転がり出てきたが、今はそんながらくたにかまっている時ではない。女性が強盗に襲われているのだ、助けないと!

 再び女性の呻き声がした。すぐ横の扉の奥からだ。アレックスは体当たりして扉を開けると同時に、威嚇するように声を張り上げた。

「彼女から手を離せ!」

 部屋の中央で人がうつ伏せに倒れている姿が目に飛び込んできた。髪は短く、カーキ色の探検服という少々変わった格好をしていたが、体つきから女性だとわかった。彼女が声の主に違いない。

 アレックスは素早く目を走らせ、周囲を見渡した。室内は本棚も床もソファーの上も本で埋め尽くされていて、しかも相当古いのだろう、カビ臭い匂いが鼻を突いた。

 しかし、強盗の姿は見えなかった。声に驚いて逃げ出したのだろうか?

「だ、大丈夫ですか?」

 アレックスは女性のもとに駆け寄って、手首を掴んだ。……脈はある!

「しっかりしてください。強盗は逃げました。もう大丈夫です」

 女性の肩を揺すると、彼女の口から苦しそうな声が漏れてきた。

「な……何か、食べ物を……」


 女性はアレックスが台所(缶詰ばかり置かれていて、倉庫と言うほうが適切だった)から持ってきた黒豆スープを一心不乱にぱくついた。

「危うく死ぬところでした」新しい缶の蓋を開けながら女性は言った。「三日前から報告書の作成に没頭していたら食事するのをすっかり忘れていて、気づいた時にはもう動く力もなくて……。さすがに三徹は厳しかった」

「は、はあ……」

 二徹なら余裕だと言いたげな女性の口振りに、対面のソファーに座ったアレックスは、力なく相槌するしかなかった。

 この女性こそ、〈コット研究所〉の所長にして、アレックスが面会しようとしていたシンシア=コットだ。研究所というくらいだから、そのボスは豊かな白髭を生やし少々マッドな雰囲気を漂わせた高齢の人物かと思っていたのに、今目の前で、三徹明けに、やたら旨そうに格安缶詰黒豆スープをすする彼女は、たしかに充分マッドだが、アレックスと同じか少し年上、せいぜい二十代中頃にしか見えなかった。

 ふと彼女が視線を上げた。

「わたしの顔に何か付いています?」

「あっ、いや……」

 アレックスは慌てて目を逸らした。つい見惚れてしまっていた。探検服ではなくドレスなど着て、適度に化粧をして(今は残念なことに目の下の隈が目立ってしまっている)、大貴族のご令嬢だと言われたら、全く疑わないだろう。

 二つ目の缶詰を空にすると、シンシアは姿勢を正した。「それにしても、貴方はわたしの命の恩人です。改めて礼を言わせて……」途中まで言いかけたところで突然、彼女は警戒するような眼差しを向けてきた。「って、今更ですが貴方は一体何者ですか?」

 本当に今更だな! と、アレックスは内心突っ込みを入れながらも、ソファーから立ち上がり、お辞儀をしながら名乗った。

「紹介遅れました。俺……じゃなかった、私の名前はアレクサンダー=ブローム。皆はアレックスと呼んでいるので、どうぞ、コット博士も私のことを、アレックスと呼んでください」

「えっと、ブロームさん。今日はどのようなご用件で?」

「……」胸の痛みを堪え、アレックスはズボンのポケットから新聞の切り抜きを取り出した。「この研究所の助手の求人広告を見て、応募しに来ました。是非、俺を助手として雇ってください!」

 シンシアは、アレックスの顔とその手にある新聞の切り抜きを順に見つめると、硬い表情を浮かべたまま言った。

「確かに求人広告は出しましたが……、それは十日も前の話です」

「えっ!」

 慌ててアレックスは新聞の日付欄を見直した。

 彼女の指摘通り、十日前の日付だった。

 急に足の力が抜けて、アレックスは倒れるようにソファーに座り込んでしまった。

「そんな……。昨日の夜、この広告を見た時は、ついに見つけた! と思って、天にも昇る気持ちだったのに」

 新聞を購読していないアレックスが手に持っている広告は、昨日の夜、道端でたまたま拾ったものだ。その内容に興奮して、日付を確認することまで気が回っていなかった。

「十日も前ってことは、当然助手も既に決まってしまっていますよね……」

「確かに六日前、助手を一人採用しました」シンシアは渋い表情を浮かべて腕を組んだ。「でもその助手は三日前に辞めたから、また求人広告を出そうと思っていたところです」

 アレックスははっと顔を上げた。「今、なんて……」

「つまり、助手は募集中です」

「やった!」アレックスは拳を振り上げた。「だったらどうか、この俺を助手として雇ってください!」

 この時、アレックスの頭の中は、助手になりたいという気持ちが一杯で、前の助手はどうしてそんな短期間で辞めてしまったのだろう、という疑問は全く浮かんでこなかった。


  ■ ■ ■


「時間も惜しいですから、さっさと面接を始めましょうか」

 三缶目の黒豆スープを平らげてから、シンシアは応接テーブルに散乱した紙の束からメモ用紙を引っ張り出し、胸ポケットに刺さっていた古びた万年筆を抜き取った。

「改めて貴方の名前、それから簡単に学歴を教えてもらえますか?」

 長らく様々なアルバイトで生計を立ててきたアレックスにとって、面接は慣れっこだ。背筋を伸ばすと、はきはきとした声で答えた。

「アレクサンダー=ブロームです。出身はコルダ村。王都から馬車で三日ほどかかる小さな村です。初等学校で一番得意な教科は体育でした。教師代わりの教会の神父さんに褒められたことも何度かあります」

 万年筆を走らせていたシンシアの手が止まった。「えっと、初等学校の話はいいですから、出身大学と専攻を教えてください。それから卒論のテーマも」

「だっ、大学ですか?」

 予想外の質問にアレックスは言葉を詰まらせた。今まで受けてきたバイトの面接で、初等学校以上の学歴など訊かれたことがないからだ。

 どう回答しようか悩んでいると、シンシアが怪訝な様子で話しかけてきた。

「ブロームさん。もしかして大学を出ていないのですか?」

 アレックスはこくりと頷いた。「はい。初等学校しか出ていません」

「えっ、えっと……」シンシアが人差し指でこめかみをポリポリと掻いた。「じゃあ、前職で似たような仕事……別の研究機関に居たとか? そこで紹介状を貰っていたりは?」

「いえ、紹介状は特には……。あっ、でも一応履歴書は持ってきました」

 アレックスはズボンのポケットからくしゃくしゃになった履歴書を取り出し、シンシアに差し出した。

「煙突掃除業に街の写真屋、レストラン、道路工事に警備員……」シンシアは履歴書から顔を上げて、アレックスの顔をまじまじと見た。「ブロームさん、経験もない、ましてや専門教育も受けていないのにわたしの助手になりたいって言うんですか?」

「はい!」

 アレックスはシンシアの目をしっかりと見返し、力強く返事をした。

 確かにアレックスに学歴はない。しかし仕事においてそれが意味をなさないことは、様々なバイトを経て実感していた。必要なものは、やる気と元気とコミュニケーション能力だ! だから今回の面接も自信があった。顔をひきつらせるシンシアを見ても、この時はスープの食べ過ぎで少し気持ち悪くなっただけだろうとしか思わなかった。

「そうですか……」シンシアは再び履歴書に視線を戻した。「ちなみに、どのバイトも就労期間が三週間から三ヶ月程度になっていますけど、これはどうしてですか?」

 ここで「飽きたから」あるいは「上司とそりが合わなかったから」と正直に答えたら確実に落とされる。だから、アレックスは事前にちゃんと回答を準備していた。

「はい、様々な経験を通じて、私の可能性をより広げたいと思ったからです。それから、俺……私には叶えたい夢があります」

「可能性……ですか」シンシアはアレックスを一瞥すると、履歴書を畳み、メモ用紙に何やら書き込んだ。「では次に、当研究所を志望する動機を教えていただけますか? それは貴方の叶えたい夢と関係があるのですか?」

 ついにこの質問が来た! アレックスは間髪入れず答えた。

「もちろん、トレジャーハンターになって、金銀財宝を手に入れるためです!」

 グシャリ!

 ぎょっとして、アレックスがシンシアの手元を見ると、彼女はメモ用紙をくしゃくしゃに握り潰していた。

「今……なんて言った?」

「えっ、だから、俺はトレジャーハンターになりたいって……」突然、シンシアが刺々しい雰囲気に変わったことに驚きつつも、アレックスは答えた。「きっかけは一年ほど前、とある書店で見つけた一冊の本でした。そこには歴代のトレジャーハンターの活躍が紹介されていて、俺もその本に載っているようなトレジャーハンターになって、宝を発見して億万長者になりたいと思うようになりました。そうしたら昨日、この研究所の求人広告を見て、もう居ても立っても居られなくなったんです、この機会を逃すわけにはいかないって」

「……それで、ここで働きたい、と?」

「そうです!」

 シンシアは口を開いて何か言いかけたが、すぐに首を振ると、一呼吸入れた後、万年筆でテーブルをトントンと叩き始めた。

「ブロームさん。一応訊いておきますが、貴方の考えるトレジャーハンターとは何ですか?」

「そりゃあもちろん、人外魔境の遺跡を目指して、灼熱の太陽が照りつける砂漠や、極寒の雪山を踏破し、猛獣や人食い原住民からの襲撃を潜り抜け、数々の罠が待ち受ける遺跡の謎を解き明かし、そして同じく宝を狙うライバルたちとの壮絶な競争を経て、金銀財宝を手に入れる人達のことでしょ。例えば、八百年前に教会と敵対したシュレアー族の遺跡から黄金の馬像を発見した、ゴールドハンター・クーンや、千二百年前の魔法大戦時に滅んだクメル王国の首都を発見し、クリスタルのマスクを持ち帰った、探検王ハーネスト。最近ならトレジャーハンター集団、アンシェント・ギークスの活躍。それに忘れてならないのがノーブレスハンター……」

「……いい」

「えっ、なんですか?」アレックスは訊き返すと、突然シンシアはバンッとテーブルを強く叩いた。

「もういい! もう充分です! ブロームさん。ここがどういう研究所かご存知ですよね?」

 シンシアの大声にびっくりして、アレックスはゴクリと唾を飲み込んだ。「も、もちろんです。考古学でしょ。遺跡を掘って宝を見つける……」

「ちっがーう!」吹き出すマグマのごとく、とうとうシンシアが怒鳴りだした。「考古学を、あんな野蛮なトレジャーハンティングと一緒にするな!」

「えっ、違うんですか? どちらも遺跡を掘るんじゃ」

「違う、全然違う! 私利私欲のために遺跡を荒らして遺物を盗んでいく、死肉漁りのハイエナ連中と一緒にしないで」

「ハイエナって……トレジャーハンターは、政府も教会も公認の職業ですよね。それに、この前だって王立大学のジョン博士が五百年前の遺跡から見つかった金貨をオークションに出品して高値で落札されたって、話題になってましたよ。考古学者もトレジャーハンターと一緒じゃないんですか?」

「チッ、あの脳筋野郎が、まったく忌々しい……」シンシアは不快感露わに舌打ちした。「どいつもこいつも、考古学とトレジャーハンティングを一緒くたに扱いやがって」

「ということは、やっぱり二つはよく似てるってことですよね」

 シンシアが再びドンッとテーブルを強く叩いた。そして真っ赤な顔でアレックスを睨め付けてきた。アレックスは咄嗟に目を逸らした。

 一方、脳内では必死にこれまでのやり取りを振り返っていた。どこに彼女を怒らせる要因があったのか?

 すぐに一つの結論に達した。

 ……これは圧迫面接なのだ。

 シンシアは怒ったふりをして、アレックスのストレス耐性を見ようとしているのだ。であれば目を逸らして逃げるのは愚策。……しかしなんというプレッシャーだろう、魔法大戦の物語で出てくる古の十二魔神が乗り移ったかの如き鬼気迫る表情に、アレックスの背中から流れる冷や汗は止まらない。

 だがここで屈服するわけにはいかない。アレックスは歯を食いしばって、怒れるシンシアの顔を真っ直ぐに見返した。

「貴方、この研究所でトレジャーハンターになりたいと、本気で言っているの?」

 今にも口から炎を吐きそうな勢いでシンシアが訊いてきた。

 手の震えを必死にこらえて、アレックスはシンシアの目を見たまま答えた。「もちろんです!」

 シンシアの体がわずかに仰け反った。それから考え込むように顎に手を当てた。しばらくして、「はあっ……」と、彼女の大きなため息が聞こえた。

 押し殺したような声でシンシアが言った。「本当にここで働く気はある?」

 アレックスは力強く頷いた。「はい。ここで働きたいです」

 シンシアは覚悟を決めるかのようにゆっくりと目をつむった。「わかりました、ブロームさん。貴方を助手として採用します」

「よっしゃー!」

 アレックスは両手を広げ飛び上がった。

(これで、念願のトレジャーハンターに仲間入りだ! ついに夢の一歩を踏み出したぞ!)

「一応、言っておくけど」疲れた様子で頬杖をついたシンシアが言った。「貴方をトレジャーハンターではなく、考古学者の助手として雇うから」

「わかってます、わかってます」アレックスはこくこくと何度も頷いた。「俺、トレジャーハンターに近づくためなら何だってやりますから!」


  ■ ■ ■


「じゃあ早速、お願いしたいことがあるからこっちへ来て」

 出会った当初からすっかり口調が変わった(おそらくこっちが素なのだろう)シンシアがソファーから立ち上がった。

 アレックスも彼女の後に続くと、突然廊下からシンシアの悲鳴が聞こえてきた。「なっ、何これ!」

「どうしたんですか!」

 アレックスも廊下に飛び出すと、彼女は指先を廊下の床に向けていた。その先には倒れた木箱と、そこから飛び出た泥だらけの陶器の破片があった。

「誰がこんなことを!」

「なんだ、そんなことですか。博士の呻き声を聞いて、駆けつけようとした時に躓いただけです」

 シンシアは苛ついた声で言った。「なんてことをしてくれるの、せっかく苦労して整理しておいたのに」

「整理? 冗談でしょ、ゴミかガラクタを適当に詰め込んでおいただけじゃ……」

「ガ、ガラクタ!」シンシアがキッと眉を吊り上げた。「どれもこれも大切な研究資料なんだから」

「へぇ……」

 アレックスは改めて陶器の破片を見つめた。……普段使っている皿やコップが割れたものと何が違うのだろうか?

「やれやれ」シンシアは既に雇ったのが失敗だったかもと言いたげな様子で頭を振った。「……まあいいわ。ブロームさん、ここにある木箱に入っている出土品の洗浄と整理をしてください」

「洗浄?」

「この木箱の中には、遺跡で見つけた発掘物が入ってて、それらはまだ泥や砂がついてるから、それを綺麗にするってこと」

「遺跡! 発掘物! ってことはこの箱の中に金銀財宝が!」

 目の前にある木箱の山が急に輝いて見え始めた。しかし、シンシアは「はっ」と蔑むように笑った。

「そんなわけないでしょ。中に入っているのは割れた陶器とか木片とか鉄の塊とかよ」

 やっぱりガラクタじゃないか、アレックスは「はあ」と小さくため息をついた。

「二階にある保管室に洗浄道具が一式揃ってるから。皿洗いの要領でやってくれればいいわ。今日中にお願いいたします。わたしは別の仕事があるので、何かあれば呼んで。じゃあ、よろしく」

 シンシアは言いたいことだけ言うと、さっさと部屋に戻ってしまった。

 さっきは圧迫面接だと思っていたが、もしかして彼女は、もともと怒りっぽい人なのかもしれない。そう思ったら、さっきの面接、よく通ったな……。

 ともかく、仕事を言い付かった以上、取りかからなければならない。トレジャーハンターとしての初仕事でもある。

 廊下にある木箱の数は二十個以上ある。先ずは床に散らばった泥と磁器の破片を木箱に戻し、持てるだけの箱を持って、廊下の突き当りにある階段を登った。二階の廊下も一階と同じく等間隔に同じ扉が並び、紐で縛られた沢山の古新聞、古雑誌が所狭しと置かれていた。これじゃあ研究所というよりは物置小屋だ。

〈保管室〉と殴り書きされた紙が貼られた扉を開けて、木箱を落とさないように慎重に室内へ入る。この部屋もツンと鼻に突く匂いが漂っていた。壁に沿って戸棚がずらりと並び、いかにも古そうな壺やら半壊した彫刻、何に使用するのか全く不明な石の破片やらがぎゅうぎゅう詰めに押し込まれていた。

 これも発掘物だろうか? しかし、金銀財宝の類はなさそうだ。

 部屋の隅に置いてある洗浄道具を発見した。最初はただのたわしかと思ったが、よく見ると、最近上中流階級で大売れしている、軽く擦るだけでどんな汚れもたちどころに取れる【魔法具】だった。魔法具とは読んで字の如く、魔力が宿った道具だ。かつては教会に所属する限られた魔法使いにしか使用できなかった魔法が、様々な事件を経て、今では魔法具という形で一般の人々でも使えるようになった。もっとも、非魔法具より値が張るので、万人が使うというわけにはいかないが。

 昔のバイト先にもたわし魔法具があったので、アレックスにも使い方はわかる。洗面所から桶に水を汲んできて、早速発掘物の泥落としを始めた。

 一旦全部木箱から取り出して、たわし魔法具で陶器破片を擦り汚れを落とす。そして箱に戻す。次の破片をたわしで擦り箱に戻す。破片をたわしで擦り箱に戻す。

 子どもでもできるような単調作業だ。

 こんな仕事さっさと終わらせて、もっと骨のある仕事を任せてもらおう。

 破片をたわしで擦り箱に戻す。破片をたわしで擦り箱に戻す。破片をたわしで擦り箱に戻す。破片をたわしで……。

 アレックスははっと顔を上げた。ダメだダメだ、危うく寝てしまうところだった。

 破片をたわしで擦り箱に戻す。破片をたわしで擦り箱に戻す。破片を箱に戻す……。

 アレックスは手を止めた。ダメだダメだ、面倒になって擦らず箱に戻すところだった。

 破片をたわしで擦り箱に戻す。破片をたわしで擦り箱に戻す。破片をわたしで擦り……。

 アレックスはぶるぶると顔を左右に振った。ダメだダメだ、たわしを使わず指で擦っていた。

 単調作業過ぎて、逆に意識を強く持っておかないと、変なミスを犯してしまう。

 でもさすがにもうすぐ全部終わるだろう、残りの破片が置いてある場所へ目をやり、愕然とした。

「……うっ、嘘だろ」

 半分近く残っていた。しかもまだ一箱目。階下の廊下には未だ山のように箱が残っている。一擦りで泥が落ちるとはいえ、既に腕も腰も痺れ始めていた。

 しかも、シンシアはこれを今日中にやれ、と言っていたような……。

「こんなの、やってられるか!」

 アレックスはたわしを床に叩き付けて、立ち上がった。金銀を磨くならまだしも、どうして珍しくもない陶器や石ころの破片なんか洗わなきゃならないんだ。

 気分転換に部屋の四方に置かれた戸棚の中を見て回った。こちらも石の欠片やら土器やらで、価値があるようには思えなかった。先ほどシンシアは重要な研究資料なんて言っていたが、こんなものを集めて何が楽しいのだろう?

 灰褐色の細長い壺が視界に入ってきた。目を凝らして見ると、そこら中にひびが入っていた……いや、それにしては隙間が目立ち過ぎる。どうやら破片から組み立て直したものらしい。

「うへぇ、よくやるな」

 壺を復元した労力には舌を巻いたが、それでもどうしてそんなことするのだろうか、時間の無駄じゃないか、と思わざるを得なかった。

 隣の棚に移動しようとした時、足がその灰褐色の壺に当たってしまった。ぐらりと壺が大きく揺れた。倒れないように咄嗟に手を伸ばしたら、今度は肩に別の壺が当たってしまい……。

「ああーーっ!」

 叫びながら手を伸ばしたが間に合わなかった。

 アレックスの目の前を、壺がゆっくりと落ちていった。


 ※ ※ ※


 シンシアは一心不乱に万年筆を動かしていた。今は半年ほど前に王都ジェネバの郊外で行った発掘調査の報告書を作成中だ。と言っても、中身は調査の経緯と発掘物の情報を羅列しているに過ぎない。本来であれば、発掘物をじっくりと吟味して、他の遺跡との関連性など深い考察も加えたいところだが、いかんせん時間がない。書いても書いても、作成待ちの報告書は増える一方だ。

 しかし考古学者にとってみれば、嬉しい悲鳴とも言える。それだけ研究材料となる遺跡や遺物が発見されている、ということだからだ。

 昨今の考古学界がかくも盛況である理由は二つ。

 一つは、優れた魔法具の大量生産による、経済の活発化と人々の生活水準向上に伴い、王都ジェネバをはじめとして、あちこちで都市開発が急ピッチで進んでいることだ。工事のさなかに、古い街の遺構が大量に発見されるようになった。

 もう一つは十八年前に教会連合に所属する国々で結ばれた通称【トレジャーハンター条約】によって、発見された遺跡の調査と報告が義務化されたことだ。これにより、それまで開発優先でろくな調査もされずに遺跡が無残に破壊されていくという、考古学者たちにとっては生き地獄のような状況が改善された。

 そんなわけで、世の考古学者たちは日々発見される遺跡の発掘調査と報告書の作成で、猫の手も借りたいほどに忙しかった。

 もちろんシンシアもその例に漏れない。そのため、これまでに何度も求人広告を出して、助手を募ってきた。

 しかし、皆何故かすぐに辞めてしまうのだ。

 シンシアのところに来る助手希望者は大きく二つのタイプがいる。

 一つ目のタイプは、大学できっちり考古学を学んできた、如何にも学者風の人物だ。六日前に雇った前の助手はこのタイプだった。しかし彼は採用してから三日後、〈こんな量の仕事、とてもできません〉という書き置きを残し、失踪してしまった。彼には三日間で報告書を五つ作って欲しいと頼んだだけだ。二徹すれば余裕で完成できる分量で、無理難題を押し付けたつもりはないのに……、とシンシアは首を捻った。

 もう一つのタイプは、トレジャーハンターになりたいと言ってくる、今日の朝採用したアレックス=ブロームのような連中だ。

「あっ……」

 余計なことを考えていたせいで文字を書き損じてしまった。用紙をくしゃくしゃと丸め、屑かごに放り投げた。しかしわずかに外れて、床に転がってしまった。

「あー、忌々しい」

 シンシアは独り言ち、新しいレポート用紙に書き直し始めた。

 考古学界に多大な恩恵を与えたトレジャーハンター条約だったが、良いことばかりではない。条約には報告書さえ教会に提出すれば、発掘物を発見者で自由に扱って良い、という取り決めがある。本来は考古学者や土地所有者の経済負担を減らす目的(原則、調査費用は土地所有者が負担しなければならない)だったが、金銀財宝や珍しい遺物を見つけ出し骨董品オークションに出品することを前提に発掘調査を代行する連中、すなわちトレジャーハンターが現れた。条約成立以前にも遺跡からこっそり財宝を掘り出す輩はいたが、それが政府や教会によって公認されたわけだ。

 考古学者にとって、トレジャーハンター達は、かつて世界を滅亡の淵に追いやった古の十二魔神にも匹敵する悪しき存在である。何故なら、金銭目的で発掘する連中の多くは、むやみやたらに穴を掘り遺跡を破壊し、学術的には全く役に立たない、いい加減な報告書しか作らないからだ。

 トレジャーハンターに死を!

 それでも、トレジャーハンターを志望するアレックス=ブロームを雇ったのは、つまりそれだけ人手が欲しかったからだ。背に腹は変えられない。関係者全員が同じ理想と目標を持って仕事をするのが理想だが、理想だけでは現実の業務は片付いていかない、というのはシンシアも理解している。

 それに、トレジャーハンターが全員、私利私欲だけに走るとは限らない。中には節度ある発掘をする、『一流』の人たちもいる。金銀財宝にだけしか興味を示さないのは『二流』だ。どうせトレジャーハンターになるなら、『一流』になって欲しい、という気持ちも少しだけあった。本当に極わずかだが。

 ボーン、ボーン……と、壁掛け時計から昼を知らせる時報が鳴った。シンシアは顔を上げ、両手を天井に向けて背伸びをした。

(さて、新しい助手はちゃんと仕事をしてくれているだろうか?)

 様子を見に行こうと、廊下に出た。階段を登っている途中で、突然二階から「ああーーっ!」と叫び声が聞こえてきものだから、びっくりして危うく転げ落ちそうになった。

 シンシアは保管室へ急いだ。扉を押し開け中に入ると、棚の前でアレックスが、だらしなく口を開けて床を見つめていた。シンシアも彼の視線の先へ目を向けると、壺の破片が散らばっていた。

「な……何やっているの!」

 叫びながらアレックスのもとに駆け寄る。

「あっ、いや。そのう……、割れちゃいました」

 アレックスが顔を上げ、照れ隠しするような笑みを浮かべた瞬間、ぷつんとシンシアの頭の中で何かが切れる音がした。

「割れた……? 割った、の間違いでしょ。もっと丁寧に扱いなさい!」

「すいません」と、アレックスは軽く頭を下げたが、すぐに開き直った口振りで弁解した。「でも、ただの古い壺でしょ。似たような物がこんなにたくさんあるんだし、一つ壊したくらいで、そこまで腹を立てなくてもいいじゃないですか」

「ただの古い壺、ですって。どれも貴重なものよ!」

 アレックスは顔をしかめた。「へえ、そうなんですか。幾らくらいになるんですかね?」

 先ほどの面接の時といい、一言一言、癪にさわる男だ。

確かに、この保管室に置いてあるほとんどの品は価値がまだ定まっていない。しかし、いずれ研究で重要な役割を果たすかもしれない、シンシアにとっては等しく重要なものだった。

「金銭的な価値じゃない。これだから素人や二流のトレジャーハンターはダメなのよ」シンシアは洗浄途中の木箱へ目を向けた。「作業も全然進んでないじゃない。仕事もろくにできないのにサボらないで」

 すると、アレックスが不貞腐れた声で言い返してきた。「ちょっと休憩してただけじゃないですか。それまではずっとやってました。……そもそもこんな洗浄が何の役に立つんですか。洗っても出てくるのなんて、ただの陶器の破片でしょ。俺は発掘してみんなが驚くような財宝を見つけたいんだ!」

「こういう地道な作業こそ、考古学に限らず学問じゃ重要なの。それが嫌なら今すぐここを……」

「辞めてしまえ」と喉から出かかったが、シンシアは寸でのところで押しとどめた。

 いけないけない、また同じ過ちを繰り返すところだった。以前に雇った別の助手も、採用して半日で似たような口論になって追い出してしまったのだ。これでは何時までたっても仕事が進まない。もう少し大人の対応をしないと、またおじさまに呆れられてしまう。

 シンシアはゴホンゴホンと咳払いをして、落ち着いた声で言った。

「なるほど。ブロームさん、貴方は自分の仕事がどれほどの価値を持っているのか、この作業が考古学やトレジャーハンティングとどう繋がるかがわからない。だから仕事のやる気が起こらない。そう仰るわけですね」

 アレックスはしばらく面食らった様子だったが、しばらくして彼はゆっくり頷いた。

「まっ、まあ、そんなところです……」

「もう一つ訊きますけど、ブロームさんにとって価値ある宝というのはなんでしょうか?」

「そりゃあ、金もしくは銀、あとは宝石でしょ」

 まあ当然そう答えるだろう。これまでシンシアのところに来たトレジャーハンター希望者は皆同じ答えだった。だったら、トレジャーハンターの卵君に、『一流』の実態というものを見せてあげようじゃないか。

「わかりました。じゃあちょっとわたしに付いて来てください」

 と、アレックスに言って、シンシアはにやりと笑ってやった。

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