第二話 溶けた心と流れた涙
壁の隙間から、強子ちゃんの顔を朝日が優しく照らします。
新しい年の始まりです。
目を覚ましたアリュメットのお家には、父親はいませんでした。ついでにお金も。
強子ちゃんの胸の炎は新年早々から燃え上がって、気合いの入った吐息をコホォーと吐き出しました。
強子ちゃんは氷のようなお水で顔を洗うと、カゴの奥に押し込んだ固いパンをかじります。
「腹が減ってはなんとやら……さあ、戦の始まりよ!」
胸に手をあて気合いを入れ、足に布を巻き付けると、昨日までブカブカだった靴を履いて外に飛び出しました。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず、だったわよね。朝はお客もいないし、とにかく情報が欲しいところだけど……」
負けん気の強い強子ちゃんは年の離れた兄の意地悪に対抗するため、孫子の兵法書などを愛読書とするオマセな女の子だったのです。
――話術とわずかなお金を使って、栄養と衣服と情報を手に入れた強子ちゃん。
今度は商売道具を仕入れています。
「そうだ。衛兵さんに温かい飲み物でもプレゼントしようかな。備えあれば憂いなし、よね」
事前にしっかりと根回し出来る強子ちゃんは、笑顔で衛兵さんにプレゼント攻撃をすることに決めました。
お昼に近付き、噴水広場にも活気がでてきています。
強子ちゃんは「弱いものを助ける衛兵さんは僕の憧れです!」と言って、温かい飲み物を衛兵さんに渡しました。
子供に褒められ照れる衛兵さんに手を振りながら、強子ちゃんは噴水前を陣取ります。
カゴと買ってきた板切れを組み合わせて即席のテーブルもどきをつくると、強子ちゃんは布を被せて折り紙を始めました。
新しい商売道具は紙だったのです。
この世界の紙は想像よりは高かったけど、なんとか折り紙を折れるぐらいの紙が売っていました。
「鶴と薔薇と……蝶もいいわね」
立体的な折り紙の方がインパクトがあると考えた強子ちゃんは、この三つと……子供用に騙し舟と紙飛行機も折りました。
時間があればペガサスやドラゴンも折ることが出来る強子ちゃんですが、今回は様子見です。
立体的な折り紙は、最初から売るより『この折り紙を真似できたら賞金をプレゼント』で挑戦料を貰らうつもりでした。
さあ、戦の始まりです!
歌を唄って人を集め
紙飛行機をスィーと飛ばし
マッチ棒パズルと折り紙の挑戦者を募ります。
ガラの悪い人も来たけれど、お客と憧れの衛兵さんが助けてくれました。
ほどほどにお金を稼いだ強子ちゃんは、今日も衛兵さんと一緒に安全に帰りました。
次の日も、また次の日も……
強子ちゃんはお金を持って家に帰りました。
でもお家のお金は貯まりません。父親がお酒やギャンブルに使ってしまうのです。
今日だってお金を受け取ると、家をすぐに飛び出してしまいました。
強子ちゃんの胸の炎は静かに、でも力強く燃えています。
胸の中のアリュメットは、申し訳なさそうな顔で頭を下げていました。
「大丈夫。逆にヤル気がでてくるから」
強子ちゃんは目は肉食獣……いや、お星さまのようです。
そんな毎日を10日ほど過ごした昼下がり、一台の高級な馬車が噴水広場に止まりました。
商売中の強子ちゃんは、さりげなく馬車に付いている紋章を確認します。
紋章は中心の炎を大きく曲がった剣で囲むようなデザインでした。
「……大アタリ。噂通りの変わり者みたいね。……逃がさないから」
強子ちゃんの目が、肉食獣をも狙い打つ狩人の瞳に一瞬変わると、いつも通りの商売を始めます。
そんな強子ちゃんのところに少し小綺麗で格好いいオジさんが、お連れを二人付けてやって来ました。
「やあ、少年。なにやら面白い商売をしているみたいだね? オジさんも参加していいかな?」
屈んで目線を合わせるオジさんに、強子ちゃんは貴族と会話する平民の姿勢で返事をします。
「はい、光栄です。よろしければ、より有益なものをお見せすることも可能です。たとえば……」
強子ちゃんの手には赤い実で真っ赤に染めた折り紙の薔薇がありました。
その折り紙を開いて、オジさんの前で一枚の紙に変身させます。
「ご婦人方への手紙などにどうでしょう?」
オジさんの目が見開き、ゆっくりと口に手をあてました。
「……面白いね。良かったら静かな場所でお話を聞かせてもらえるかな?」
「はい、すぐに片付けますので、時間は大丈夫でしょうか?」
「ははは、こちらで遊ぼうと思っていたぐらいだからね。君、手伝ってあげなさい」
衛兵さんが心配そうにこちらを見ていたので、強子ちゃんは笑って手を振りました。
お連れの一人が手伝って、移動したのは馬車の中。
仲良く二人でお話し会です。
「さて、他には何を見せてもらえるのかな?」
「素敵な未来への夢をお見せしてみせましょう。ファイアード公爵閣下」
「……君、子供だよね?」
強子ちゃんはにっこり微笑みました。
――――楽しいお話し会も終わり、お連れの人とアリュメットのお家に帰った強子ちゃん。
驚く父親にお別れを告げます。
親友に騙され、仕事もお金も無くした父親に……
「――これで借金も無くなったし、お店も取り戻したから安心だね。お父さん」
「……お前まで俺を見捨てるのか、アリュメット」
お金と仕事を無くした父親は、寒さと厳しい環境で優しい母と妻も失ったのです。
病気の薬を買うために駆けずり回って得たお金は、二人の死によってお酒に変わりました。
「お父さんは靴を作っているときが一番格好いいんだって……お母さんが言ってた。お祖母ちゃんも自慢してたよ……」
強子ちゃんはアリュメットの記憶から、アリュメットの想いを……お父さんへの愛を代弁します。
本当なら……
強子ちゃんは下へうつむき、ブカブカの薄汚れた……でも丁寧に作ってある大切な靴を見つめました。
その靴の上に水滴が一滴、二滴と落ちてきます。
……泣いてるの? アリュメット?
泣いてるだけじゃ、気持ちは伝わらないんだよ?
「……アリュメット。俺にはもう作れない。作れないんだよ。作りたい相手もいないしな。お前は……幸せになってくれ。お父さんはお母さん達のところへ行くから、さ……」
その言葉を聞いたアリュメットは、大声で泣き出してしまいました。
でも強子ちゃんの胸の炎は、天を突く勢いで燃え上がっています。
強子ちゃんはお父さんをキッと見つめると、胸を強く叩いて言いました。
「バカッッ!! いくじなしっっ!!
本当にやりたいことから目をそらして……
本当に言いたいことを言えなくて……
本当にそれでいいのっ!?
それでお母さんやお祖母ちゃんに胸を張って会えるの?
私は言えるわ。
あなたがいたから……
私より辛い思いをしている貴女がいたから、私は頑張れた!
足を踏み出す勇気を貰えた!
私一人だったら死んでたと思う……
あなたのマッチは、私の胸の炎を燃やすことができたのよ?
お願いだから、本当の気持ちを言ってよ……
お願い……だから……」
目からこぼれる涙も気にせずに、強子ちゃんはアリュメットに願いを伝えました。
「アリュ……」
お父さんは初めて聞いた娘の叫びに驚き、目を見開きます。
その姿を見ていた強子ちゃんの……アリュメットの口が強子ちゃんの意思とは関係なく動き始めました。
「……ま、待ってるから……お父さんが立派な靴屋さんになって、私を迎えにきてくれるの……ずっと待ってる。だから、だから……死んじゃ……死んじゃだめだからあぁぁぁぁぁぁ!!」
アリュメットの体と心の全てを振り絞った叫びが、みんなの心を揺さぶりました。
「ア、アリュ、俺は……俺は……うおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
お父さんはアリュメットを抱き締めると膝をついて泣き出しました。
「すまなかった、すまなかった、アリュメット……父さん頑張るから、頑張るから……」
「お父さん、お父さん……」
二人の凍りついた心が溶けて目から涙が溢れます。二人は抱き締め合い、その心を確かめ合いました。
――馬車は町を離れ、公爵閣下のお屋敷へと向かいます。
「……お父様と一緒にいなくてもよかったのかい?」
ファイアード公爵が強子ちゃんに優しく尋ねてきました。
「うん、いまは……一緒だと甘えてしまうから……」
強子ちゃんは外の景色を眺めながら返事をします。
「そうか……これから私は少し眠らせてもらうよ。疲れているから少々の音では起きないだろうね」
公爵様は目を閉じると、背もたれに体を預けました。
「ありがとう……ございます」
強子ちゃんの目は外に向いていますが、その瞳に写るのは懐かしい家族の姿です。
「アリュの涙がまだ残っていたのね……」
強子ちゃんは誰にも聞こえないぐらいの小声で、そう呟くのでした。