黄泉返りの魔王 19
本物のサンタル・ルージュは壁の内側にこそ広がっているようだった。
美しい町並み、行き交う人々、活気のある商店。
しかしそれらすべてが、壁の外側を踏みつけて成立しているという現実は忘れられるものではない。
「悍ましい、とはこういう感情なのですね」
外側の世界を知らない市民もいるかも知れないが、無垢でいることが善性であるとは限らない。
無垢とはつまり善悪の判断基準が存在しないという意味でもある。
無垢な者こそがもっとも残酷になりうるのだ。
外の世界を知る俺たちからすると、この街が美しければ美しいほど、豪華であれば豪華であるほど、そのために失われた血と肉の臭いを感じる。
なるほど、これが悍ましいと言う感情か。
俺たちは王国を示す紋章などの意匠が入った馬車を進めているのに、サンタル・ルージュの市民たちは特に関心を示さない。
憎しみが無いのではない。
何も無い、のだ。
それはつまりサンタル・ルージュの市民たちが、かの戦争に直接関わっていないことを示している。
関わっていたとしても安全域からだったのだろう。
少なくとも憎しみを募らせるような関わり方はしていなかった。
血を流したのも壁の外側の人々だった、というわけだ。
「帝国によるピサンリ侵攻の話を習ったときに、あまりにも弱兵で、加えて計画が杜撰だと感じましたが、その正体はつまり、攻めてきたのは帝国軍の正規兵たちではなかった、ということなんでしょうか」
「それでも装備の質は良く、ピサンリは苦戦を強いられました。野戦での勝ち目は薄く、逆に大森林に押し込んで戦うほうが楽だったとありましたね」
「その割にはシクラメンが包囲されるとあっさり降伏したのよね。軍人は捕虜交換で帝国に返したわけだけど、こんな国じゃ泣いて帰還を歓迎ということもなさそうね」
あまり考えたくは無い話だが、返還された捕虜は戦犯として見せしめになったのではないだろうか。
誰かに聞けば分かるのかも知れないが、幸福で満ち足りて見えるサンタル・ルージュの光景に、俺たちは尻込みしていた。
もちろん俺は貴族である。
領民から税を受け取って贅沢な暮らしをしている。
……してるか?
俺の統治する3つの村は農村で、本人たちが生きていくのに十分な食料生産能力があるが、馬車がなく、馬がおらず、道が整備されていないために生産品を金に換えることが困難だった。
旅商人すらやってくることはなく、娯楽と言えば歌と踊り。
ある意味牧歌的で幸福な村だと言えるかも知れない。
そんな閉鎖的で完成されていた村々に俺は爆弾を投下した。
もちろん本物の爆弾では無い。
教育と、インフラという爆弾だ。
王都で仕事にあぶれていた大工を何人も、一時居留だからと引っこ抜いて、家屋の改善、設備の拡充、道路整備を行い、学校も建設した。
やはり王都であぶれていた知識人を、教育が回り出すまでだからと連れてきて、子どもだけではなく、大人も学びたい者が学べる環境を作り出した。
農法の改善も行った。
といっても間に大豆を育てる程度の話だ。
大豆の活用法はいろいろあるのだろうが、まだ規模が小さいため、家畜の飼料の域を出ていない。
これらの改善にかかった費用、ほとんど俺の持ち出しです。
自分がいい領主をやれているかは分からないが、10年、20年先を見ればこうしたほうが税収が上がると信じて投資を行っている。
まあ、王国の中でさえ、庶民に金をばらまいていると批判されることも多いが、庶民が豊かになればなるほど税収の増えるんじゃないんですかね?
などと俺は思うのだが、おおよその貴族の考え方は違う。
民衆なんか勝手に増えるんだから、放っておいて、税だけ納めさせればいい。
これがさらに過激化して、民衆に重税を課して、彼ら自身の収入だけでは到底足らず、どこかから奪ってくるように仕向けているのが帝国の政治モデルなのではないかと思う。
略奪の連鎖だ。
そしてその頂点がこのサンタル・ルージュであり、彼らが略奪を受けぬ理由として考えられることはただひとつ。
彼らすべて、この街のすべてが、皇帝の所有物なのだ。
「ある意味、帝国という国家は、この帝都だけなのかもしれませんね。他はすべて略奪対象というわけです」
リディアーヌが言う。
「帝国の歴史から考えてみても、その説はしっくりきますよ。――不可侵条約、結べると思いますか?」
「国同士の相性は最悪、皇帝は傲慢で王国を踏みつければ言うことを聞くと思っていそうですね。この状態から対等な国家として期限付き不可侵条約の締結ですか。やるだけはやってみますよ。やはりカギはアンリ様の魔法、ということになりそうですけれども」
「それは善処します。ところでサンタル・ルージュに入ってからというもの、襲撃も無ければ案内もありません。ネージュ、誰かに見張られていたりは?」
「……しない、と思う」
「完全に放置というわけです。何らかの形で帝城に知らせは走ったはずですが……」
「些事、ということなのでしょう。魔法に対して期待をしていないのだと思います。まあ、実際多いですからね。予言者だの、祈祷師だの、呪術師だのの類いは」
「詐欺師、ということですか?」
「当人たちは自分たちがそうであると信じている場合が多いので厄介です。信者がついている場合もあり、適当に追い返すと信者が暴れ出す場合もあり、対処に気を遣います」
魔女裁判は問題があったけど、それが起きた背景にも事情があったみたいな感じか。
確かに毎日神のお告げを聞いた人が登城してきても相手はしてられないし、内容含めて度が過ぎれば処刑も止むなしだわな。
「まあ、侮ってくれるのであれば侮っていてもらいましょう」
俺の魔法の威力を真に理解しているのであれば……、あ、逆にもう守りとか意味ないからフリーパスってなっちゃうか。
だけど普通の人間の感性であればそうはならない。
どんなに強力な個であろうと、軍には敵わない。
そう考えるだろうし、国家の長であればそう考えるべきだ。
個が軍を上回るなど、国からすればただの悪夢である。
そんなものを招き入れようとしているのだから、やはり皇帝はなにも理解していないか、理解が足りないのだ。
「皇帝はかなり高圧的な態度で会談に臨むでしょう。アンリ様、くれぐれも……」
「貝のように口を閉じていますよ」
「貝?」
リディアーヌはきょとんとする。
そういや王国には海が無いから適切な例えじゃなかったな。




