種を滅ぼすものたち 18
突如として部屋に立っていたのは黒マントだった。
ばらばらと落ちてくる瓦礫がどこから降ってくるのかを確かめて、俺は黒マントがどこから現れたかを知った。こいつ、天井を抜いて直接部屋に!
「あれ、間違った、かな?」
フードの動きで中の人物が首を傾げたのだと分かった。しかしそれ以上に俺が衝撃を受けたのは、黒マントが喋ったことだ。加えて、女の、それも少女の声で。
「君じゃない。君でもない。ああ、君と君かあ。引っ張られちゃった、ね」
フードで表情は覗えないが、黒マントの少女は笑っているようだった。声が喜色に満ちている。
「んー、こっち、かな」
言いながら黒マントはすたすたと壁に向かって歩いて、腕を振り抜いた。
マントの裾から見えたのは幼い少女の細い腕だったが、凄まじい破砕音とともに壁は細々とした破片に変わり、ぶち抜かれた。腕力だけで行える所業ではない。
「シルヴィ! ネージュ!」
2人は身体強化の魔導具を迷うことなく発動し、武器を抜いた。
黒マントに向かって躍り掛かる。
迷いなく武器は振るわれるが、刃はマントに遮られた。
いや、黒いマントだったものは今や姿を変え、巨大な大鎌へと変質している。
それはまるで死神が持つ大鎌のようで、すべての光を吸い込んでしまうような不気味さがある。
身の丈を超える大きさのそれを黒マントだった少女は軽々と振り回した。
マントが武器に変わったことで少女の姿が露わになる。
それは金髪に碧眼の、俺と同じくらいの年の少女だった。
背中の黒い翼が以前の黒マントと同一種であることの証明だ。
彼女が振るった大鎌はシルヴィとネージュを弾き飛ばす。2人とも武器で防御して無事だったが、その膂力は身体強化したシルヴィたちに及ぶほどだ。
人の多い屋内で戦闘状態に入ったため、派手な魔法が使いにくい。
それに加え、以前の黒マントと同じ性質を持っているとしたら、この少女にも魔法は通用しないだろう。
「邪魔しない、で」
だが何より驚くべきことは彼女が喋ったことだ。
フラウ王国の言語で!
それはつまり会話が成立しうることを示している。
「何者だ! 何をしに来た!?」
すると彼女は困ったような顔で動きを止めた。
「聞かれたら答えなくちゃいけない、かな。私はアルデ。片割れのアルデ。すべては我が主の御心のままに。使命を果たすためにここにきた」
返答があるとは思っていなかったので驚くと同時に、それは俺の望むような回答ではなかった。
「その使命とやらを教えてくれ。いきなり天井を抜いて落ちてきた相手がやることを黙って見ているわけにもいかないんだ」
「ちょうどいい器が生まれた、から、これを与えに、きた」
そう言ってアルデと名乗った少女は手のひらを握って開いた。そこに見覚えのある黒い宝石が乗っている。ずくんと目の奥が疼く。
何度も晒されてきた俺ですらそうなのだ。この場にいる他の人々は皆、驚愕を顔に浮かべていた。
「それを人に与えたらどうなるか分かっているのか!?」
「もちろん、分かっている、よ。苦しみは力に変わり、力によって擬きが人に至れる。これは救済、だよ」
救済、救済だって?
あれだけの人を死に至らしめて、あれだけの人を苦しめて!
「危険な力だ。多くの人が巻き込まれる。たくさん死ぬかもしれない」
「うん? 巻き込まれるとしても、人なら平気。対処できる、でしょ」
「馬鹿を言うな。10年近く前、同じようにその黒い宝石のせいでどれだけの人が死んだと思っている!?」
大氾濫での死者数を俺は知らない。戸籍のしっかりしていないこの国では数える方法も無い。だけど途方もない数の村が滅んだということは知っている。
「ひとりも死んでいない、よ」
「たくさん死んだんだ!」
「死んでない、でしょ。だって、生きているじゃない。貴方も、その子も」
アルデの指が俺を指し、ネージュを指した。
「あの時、世界に人は2人しかいなかった。今は3人。これから4人になるの」
「いるだろう。他にも、たくさん。ここにも!」
話は通じているようで通じていない。だが金属書を翻訳した知見が、アルデの言いたいことを理解させてくる。
「まさかおまえは黒い宝石を与えた者だけを人と認識しているのか?」
「――? それ以外に人がいるの? 貴方はとてもうまくいった。その子はちょっとだけうまくいった。そっちの子はわりとうまくいった。今度もうまくいくと、いいね」
あ――?
足下がぐらりと揺れたかのようだった。考えもしなかった。
「お前、俺にソレを?」
「驚くほど馴染んだ、ね。もう分離できない」
魔法使いの作り出した魔法生物は魔法が使えない。魔法使いが魔法生物と交配した場合、子どもは魔法が使えない。そうしてこの世界から魔法使いは滅び去った。しかし血は確かに残っていて、それがあるから天使さまの力を借りて俺は魔法が使える体質で生まれてきたのだ。
――と思っていた。
違う、そんなはずはない。戯れ言だ。
そう思う俺の精神的な反応が、自分たちは魔法生物だと突きつけられた時の信仰派の者たちと同じだとすぐに気づいた。
「だからお前たちには俺の魔法が効かないのか。最初からそういう風に作ってあるのか」
「なにがそんなに気に入らないの、かな? 貴方は人として生まれて、番いを手に入れた、でしょ。継ぐことのできる番いを。力は受け継がれ、血脈は今度こそ正しく結ばれる。そしてヒト擬きをすべて消してしまえばいい、でしょ? 間違いがもう起こらないように。正しき命が滅ぼされることのないように」
「いま栄えている人という種を滅ぼすつもりか」
「人の形をした人ではない者たちが蠢く世界なんて悍ましい、だけ」
会話が成立するからと言って、お互いが分かり合えるわけではない。だが今は少しでも多くこいつから情報を引き出したい。幸い、こいつは問いかけられたら答えなければならないと思っているようだ。
「お前たちの主は誰だ? どこにいる? 魔法使いなのか?」
「いくつも一度に聞かないで。混乱する、でしょ。私たちの主は……、もういない。昔々、とても昔の魔法使い。本物の生きた人間」
「じゃあ、お前たちはつまり魔法生物なのか?」
「もちろん、そうだよ」
「魔法が効かないのは何故だ?」
「んー、詳しいことは分からない、かな。そういう風に作られたから、だよ」
扉の外が騒がしくなっている。さっきの衝撃で観測所の人々が部屋に籠もっていられなくなったのだろう。この部屋の扉が開けられるのも時間の問題だ。
「お前たちは何人いる?」
「んー? 起きてるのは7人、かな。あ、私を足したら8人、だね」
「前に俺と戦ったのも、お前らの1人なんだな」
「喋らずのエイザル、かな? その子の時、だよね」
アルデの指がシルヴィを指す。
「あいつ無口なだけだったのかよ……」
「傷ついてた、よ。守るべき人に攻撃されたら、そう、だよね。可哀想なエイザル」
「それで反撃っぽい反撃が無かったのか……」
それは確かにちょっと悪いことしちゃったかもしれない。相手が何も言わない怪しいヤツだからと、一方的にたこ殴りにしたわけだしな。
「そうだ。思い出した。その黒い石は人の魂に影響を与えるんじゃないのか? つまり現世を生きる人たちには魂がちゃんとあって、生きている」
「それは、あるよ?」
アルデは首をこてんと傾げる。
「あなたが作る魔法生物にも魂はあるでしょう?」
言われて見たら、確かにそうだ。死霊術なんかは疑似霊魂を死体に取り憑かせて操るわけだし、魔法は魂の領域に踏み込んでいる。
「でも魔法で生み出せる魂には限度がある、から、これで補強する、の」
大空間を満たせるほどの魔力の塊でもある黒い宝石を魂の補強のためだけに使うということか? そんなことに人間の体や魂は耐えられるのか?
「誰でも良いわけではない、よ。深く暗い絶望の淵に落ちた魂だけが耐えられる」
ネージュは分かる。彼女は恐らく生まれ故郷で酷い扱いを受けていたのだ。記憶を無くすほどの深い絶望が彼女にはあった。だけどシルヴィはそんな言うほどかなあ?
俺がチラリとシルヴィに目線を向けると、やる? いつ? いま? みたいな目でこっちを見ていた。まあ、この子なりに絶望があったのかもしれない。
それから俺は、恐らく前世の俺が絶望していたことが原因かもしれない。
ということは、アルデがこの場に現れたその理由は――、
「あは、みぃーつけた」
ふらりとアルデの体が廊下側の壁に向けて傾いだ。大鎌が振われて、壁が粉砕される。その向こう側にクララ・フォンティーヌの姿がある。絶望派と呼ばれるほど絶望に染まった集団の長。だからと言って最も絶望していると決まったわけではないが、アルデの基準には達しているのだろう。
咄嗟に両者の間に障壁魔法を放ったが、アルデが左手を伸ばすと障壁魔法は跡形も無く消え去った。
やはり魔法無効化能力がある!
「シルヴィ!!」
物理的に近いのはシルヴィのほうだ。言うまでもなく彼女は飛びだしている。
「捕まえたぁ」
しかし虚を突いたアルデが圧倒的に早い。クララ・フォンティーヌの胸に黒い宝石を叩き込む。
物理かよ! って思ったが、クララ・フォンティーヌは衝撃を受けることもなかったようだ。物質でもあり、精神的な存在でもある。あの石はそういう性質がある。
「じゃあ、また、ね」
シルヴィが跳びかかるより早く、アルデは廊下のさらに向こう側の壁をぶち抜くと、翼を広げた。
黒マントの飛翔は翼の力ではない。翼があるという概念によって飛行できるという認識が世界に対して影響を及ぼしているのだと思う。
なのでアルデは広げた翼をはためかせることもなく、そのままぶち抜いた向こうの空に飛んでいった。
飛翔魔法で追いかけることはできるが、経験上向こうのほうが最高高度が上だ。
恐らく逃げ切られる。
それより今はクララ・フォンティーヌだ。




