暁の星 42
地術を使ったシルヴィの移動速度は風よりも速く、空気の間をすり抜ける。
そして慣性の法則を無視したかのような動きで、勇者を名乗る初老の男性の横側に回り込んだ。剣を持った右手の逆、左手側だ。
一切の容赦の無い本気の初撃。
身体強化魔法の魔道具すら作用させた一撃は、しかし差し込まれた剣で防がれ、それでも勇者の体を吹き飛ばす。
数百メートルは吹っ飛んでったぞ。
「アンリッ!」
距離が近すぎて使えなかった大魔法を解き放つ。
大収束光魔法、瞬光。
収束光はほとんど外には漏れないが、それでも空気に干渉して周辺の熱量が一気に上がる。近距離の目標に当てると、周辺までサウナみたいに熱くなるはずだ。
光の速度で勇者に到達した魔法は、威力的には人間など蒸発させる。
が、光は勇者の前で捻じ曲がって、空へと消えていった。
けどシルヴィでもそれくらいはしてくる。
防御行動を取らせることこそが、光魔法の狙い。
同時に練り上げていた複数の爆裂魔法が勇者周辺で炸裂する。
一瞬遅れて爆発によって発生した衝撃波が俺たちにも届いた。
障壁魔法で受け止める。
勇者がシルヴィのように魔法を斬れるとしても、これだけ重ねた爆裂魔法ならばっ!
それでも油断はせず次の魔法を用意する。
爆裂魔法によって生じた爆煙と土煙が収まってくると、そこには多少、砂を被ってはいたが、五体満足の勇者がいる。
さすがに怪我のひとつもないのは、ちょっとおかしい。
「ボーエンシィ機関か!?」
『あんな古代遺物と一緒にしてもらっちゃ困るぜ。こっちはバリバリの現役だよ』
声が届くような距離ではないのに会話が成立する。
確かに魔法自体が無効であるならば最初の光魔法だって斬る必要はなかった。
『じゃあ次は俺の番だ。こういうのターン制って言うんだっけ?』
俺は慌てて用意していた魔法を発動させようとするが、勇者のほうが早い。
『二の断ち』
どんな攻撃がくるかわからず、俺は防御のために障壁魔法を7つ重ねて勇者の攻撃を防ごうとする。
彼我の距離は300メートルほど。もちろん剣が届く距離ではないが警戒は怠らない。
『断ウ 右
――――――――――――――――――――――――――
ル 腕
――――――――――――――――――――――――――
エ剣』
次の瞬間、俺の『 』が失われていた。障壁をすべて斬って、何事もなかったように斬撃は俺に到達したのだ。咄嗟に回避行動を取っていなければ、失われたのは首だったかもしれない。
二つに分かたれた俺の右腕が宙を舞った。
先を失った腕の付け根から血が噴き出す。
遅れて痛みがやってきた。
「ああああああああああああああっ!」
叫びを上げた喉を噛み潰すように歯を食いしばって大回復魔法を使う。
大回復魔法は部位欠損だって取り戻せる。
右腕が再生され、痛みが消える。傷ひとつない、真っ白で新しい右腕が俺の右肩から生えていた。
だが思っていたよりずっと消耗が激しい。体力や精神力ともまた違う、生命力のようなものを大量に消費した感覚。
俺は痛みで涙のにじんだ視界で、勇者を探す。
勇者はその場から特に動くこともなく、煙管で煙を吸っていた。
ふざけるな。なんなんだ、こいつは。
突然現れて、なにもかもをめちゃくちゃにしやがった。
こんなに理不尽な存在なのか。勇者というものは。
「アンリ! こいつの攻撃に防御魔法は効かない! 少なくともアンリの魔法では!」
シルヴィが叫ぶ。
「結界なら!」
「無理よ。次はアンタの首が飛ぶわよ!」
『回復、助言、でそれぞれターン消費だ。他の3人は?』
ターン制? そんな1人ずつ順番に行動するみたいな?
「転生者か!?」
勇者の言うターン制はまるでゲームのRPGのようだ。
俺という例があるのだから、他にいないとは限らない。
それに勇者っていかにも転生者が得そうな職分だ。
『いいぜ。戦闘中に会話のやりとりって大事だよな。盛り上がりが違う。ターン消費は無しだ。質問に答えると、違う。俺は生粋のこの世界の住人だ』
「つまり質問に答えていただけるということですね。ターン制ということは私が行動しなければ、ずっとこちらのターンが続くのではないですか?」
『その場合はなにもしないを行動したと判断する』
それを言い出すとキリがなくね? なんでも相手のさじ加減だ。
「アンリ様、もう少し引き延ばします。対策を」
リディアーヌが小さな声で言う。普通であれば、勇者には聞こえない距離のはずだが、現状だとどういう扱いになるのかわからない。
そもそも対策が全然思いつかない。
「そもそも勇者とは一体何をする方なのですか?」
『ああ、そうだよな。勇者という言葉はあまり一般的ではない。レギウムの言葉で勇者とは世界の危機を防ぐ者という意味だ。直訳すると暁の星となる』
「私たちが世界の危機であると?」
『そこな魔王は亡者を生み出し、世界に解き放ったろ? 世界の危機でなくてなんだ? それとももう止めたから、なかったことにしてくださいってか? そうはいかんだろ』
魔法が効かないということではないはずだ。ただ防がれているだけ。
一方で魔法による防御を完全に無視する攻撃を放ってくる。
勝ち目はあるが、あまりにも危険だ。
「シルヴィ! 戻れ!」
俺たちと勇者の中間地点あたりで様子を窺っていたシルヴィが地術の足運びでこちらに戻ってくる。
「どうするのですか?」
リディアーヌが聞いてくる。
「ここは逃げの一手だ。転移する」
俺たちは一カ所に集合して、お互いに手を取り合う。
ここがどこかはわからないが、念のため一旦帝城まで引く。
アレクサンドラの支配領域で、生きている人がいないからだ。
しかし――転移魔法は発動しなかった。
これは帰らずの迷宮と同じだ。いくつかの魔法が封じられている?
トントンと煙管で勇者は自分の肩を叩いた。
『知らなかったのか? 勇者が魔王からは逃げられないように、魔王も勇者からは逃げられない』




