暁の星 41
「なんにせよ帝国が今後どうするのか方針を定めなければなりません」
リディアーヌが場の空気をリセットする。
「帝国は専制国家ですから、決定権はアレクサンドラ陛下にあります。陛下はどうされたいですか? レギウムに学び、技術を発展させるか。あるいはレギウムとの関係を絶ち、今の生活を優先するか。今すぐにとは言いませんが、近日中に決めなければなりません」
「それを言われると……」
アレクサンドラは口ごもる。なんだかもの凄く言いにくそうだ。
「正直、どうでもいいというか。そんなことを考えている余裕はないです。まずはレギウムへの負債を解消して、王国と共和国の元首の首を取ります。それからのことはそれから考えます」
「つまり先延ばし、ということですわね。まあ、それもひとつの選択ではあります。では私の作った流れの通り、一旦はレギウムとの交易路の敷設はしないということで。賠償金も帝国国内鉱物を旦那様が運ぶ形で解決します。旦那様が抱えた生存者については、ニニアエで時間をかけて解放と決まっていますので、よろしくお願いいたしますわね」
決まってたんだ。それ。だったら教えておいてよ。
「その、申し訳ありません。リディアーヌさまになにもかも頼り切りで」
「いいんですのよ。陛下は統治者になるための教育を受けていたわけでもないですし、できる人間に仕事を振って、決断をしてくださればいいのです」
いうて100人程度の小さな国だけどね。
「早急に解決すべき問題がもう一点」
まだなんかあったっけ?
「旦那様が抱える生存者はレギウムの人々ばかりではありません」
「そうだった」
「旦那様……」
リディアーヌから蔑むような視線を感じる。
うう、ごめんよ。色々ありすぎてちょっと忘れてたんだ。
「主にシクラメンの住人が千人前後くらい、ですよね」
「付け加えるなら、あの現場で危険だった者たち。つまり老人や子どもたちが中心だ」
「ですね」
もちろんリディアーヌは知っている。振り分けを担当したのはリディアーヌだったしな。
それでもつい目をそらしたくなるような厳しい状況だ。
王国を裏切った俺たちが彼らをシクラメンに返すのは難しいし、可能だとしてもほぼ壊滅したシクラメン側が受け入れるのが難しいだろう。
家族が生存していれば受け入れられるだろうが、そうではない人たちはどうなる?
そもそもその確認作業にどれだけの手間がかかる?
王国への返還は現実的ではない。
「シクラメンの住人はもともと帝国の方ですし、帝国に編入させるのも手ではあるんですが……」
「いや、完全にキャパオーバーするだろ」
「ええ、それにデラシネの規模を拡大するのも危険です。クララに発見される可能性が高まりますから」
「クララは平民が相手でも一方的に虐殺するような性格ではないと思うけどな」
「ですがデラシネの住人は帝国にとってすべてであり、弱みでもあります」
「帝国という国家の存続には彼らが必要、か」
ただアレクサンドラが着地点をどう考えているのかわからない。というか、そこまで考えてないと思う。
まず復讐を済ませなければ、なにも始まらないのだ。
「収納魔法で時間をとめてあるから、これも塩漬けか」
「そうですね。シクラメンに返すのであればすぐにやる必要がありますが、それを避けるのであれば先延ばしにしても構わないかと」
「先延ばしにすることばかりだな」
俺たちはため息をつく。
シクラメンの住人については帝国の問題というよりは、俺たちの問題なのでアレクサンドラの意見は聞かなくていいと思う。いざ編入するとなったら、そのときにまた相談だ。
「とにかく今は現状を維持しなければなりません。レギウムにとって帝国の鉱山は魅力的なようなので、彼らが独自に交易路を延ばしてくる可能性もあります」
「いや、あそこに道を作るのは難しいだろ……」
俺たち歩いてきたけどさ、魔法の補助なかったら進むのも難しいよ。
「人はどんなところにも道を作るものです。その先に資源があるのですから、なおさらです。我々に整備させられないとなると、必ず自前で道を作ろうとするでしょう。それにレギウムが得た帝国の捕虜にはもっと簡単に山を越えるルートを知る者がいるはずです」
「ああ、そうか。帝国はレギウムをちょいちょい攻めてたんだっけか」
じゃあ、なにか通れるルートがあるってことだ。
俺たちはほぼ直線に突っ切ってきたので、きっと遠回りに楽なルートがあったに違いない。
「レギウムの方から帝国まで道を延ばしてきたらどうするんだ? 妨害するのか?」
「国境を越えない限り妨害はできませんし、おそらく国境を跨ぐことのない範囲で鉱山開発をするのではないかと」
「レギウム側でやる分にはいいんでない?」
「それはそうなんですが、レギウムはなんとか帝国との交易路を結ぼうとあの手この手を弄してくると思います。そのときに国境線付近まですでに道がある、という状況にはしたくないのですよね」
「とはいってもアレクサンドラはあんまりそっちに興味なさそうだからな……」
「では、アレクサンドラ陛下、私にレギウム連合との関係性における全権限をください」
むちゃくちゃ言うね、さすがリディアーヌさん。
「私は別に構いませんけれども」
「明言してくださいませ」
リディアーヌは念を押す。まあ、後であれは違う意味だったと言われても困るもんな。
「ではアルブル帝国皇帝として、私はリディアーヌさまに――」
『おっと、それ以上は言わせねぇ』
その声は自然に、あまりにも自然にアレクサンドラの言葉を遮った。
鼻腔をくすぐる苦い臭いは唐突に部屋を満たした。
「ネージュ!」
「誰も部屋には入ってきてない!」
でもその男はそこにいた。部屋の隅に、初老を少し通り越したけれど、まだ老いたというには早いくらいに見える男。ボサボサの頭に無精ヒゲを伸ばし、古びた服を着崩している。
口には煙管。
腰には剣。長剣だ。
肌は黒くレギウムの人間だとは思うが、その風体はこれまでレギウムで接してきた誰とも違う。浮浪者と言った感じだ。
シルヴィがリディアーヌの襟首をひっつかんで立ち上がらせ、自分と位置を入れ替えた。彼女を守る立ち位置だ。
ネージュはパニックを起こしている。
彼女の気配察知をすり抜けて部屋の中に侵入するなんて不可能だ。それこそ転移魔法でも使わない限りは。
『それじゃ終わりになっちまうだろ。あんたらは帝国の奥に引っ込んで最後まで静かに暮らしました。じゃ締まんねぇんだよな』
転移してきた魔法使い。いや、話を聞いていたようだから最初から部屋にいて気配を絶っていただけか?
それにしたってネージュが見落とすなんてことがあるか?
『あんたらには義務がある。ここまで事を起こしたのだから最後まで突っ走ってもらわねぇと、死んだ奴らが浮かばれねぇんだ』
「何の、話だ!」
いや、ちょっと待て、なんで俺はこいつの話を理解できる? こいつは多分レギウムの言葉で喋っている。なのに俺はその意味が理解できる。
『なんの話かっていうと、あんたらのお話で、そして俺の物語だ』
「お前は何なんだ!」
『オレ? オレは勇者だよ。だから自然だろ。魔王退治に現れるのはさ』
すらりと男は剣を抜き、アレクサンドラに突きつけた。
『ちょっとここは狭いな。“変える”か』
ぐるりと“背景”が回るように切り替わった。
一瞬のことだ。
俺たちは荒野のど真ん中にいた。
誰も理解が追いつかない。
平然としているその男を除いて。
『外は暗いな。“明るく”しようか』
さっと光が差した。
中天に太陽がある。
昼になった。
「アンリ!」
シルヴィが叫ぶ。
俺は訳がわからず叫び返す。
「わからない! 魔法じゃない!」
「ネージュ! リディアーヌ様を!」
そう言ってシルヴィが飛び出した。
『よしきた。始めようぜ。勇者と魔王の戦いをさ』




