暁の星 39
「技術供与を拒否した!?」
会談の後でリディアーヌから事のあらましを聞いた俺は仰天した。
「帝国が植民地にされるおそれがありましたので」
そりゃ確かに現在の帝国は脆弱で、レギウムから技術者が流入してくればあっという間に国を乗っ取られかねない。
しかしそれは国家元首に力がない場合だ。国民が団結して立ち上がると政府が転覆してしまうような場合の話だ。
帝国の場合、アレクサンドラは何百万という亡者に守られているし、彼女自身もダイソン魔石の力によって強化されている。普通の人間が束になってかかっても、殺害はおろか、返り討ちになるだけだろう。
「でもレギウムに領土を明け渡していくのは既定路線だろ」
「それとこれとは話が別です。植民地化は現在の帝国国民がレギウムに編入されるということになります」
「……君はフラウ国民さえ良ければ、それでいいのだと思っていたが」
俺がそう言うとリディアーヌは肩を竦めた。
「私だって人並みの感情があるんですよ。しばらく一緒に生活した人々を守りたいと思うのは当然ではないですか」
普通の人は自分に人並みの感情があるって当たり前すぎてわざわざ宣言の必要もないんだけどね。
「だがレギウムの技術供与を受ければアルブルの技術は一気に発展する。いまの生活は厳しいだろ? 助けを借りたほうがいいんじゃないのか?」
「厳しい生活ですが、それが不幸なこととは限りませんから」
リディアーヌはしれっと言う。
この人の言うこと、だいたいよくわからないんだよな。
「どういうことだ?」
「そもそも厳しい生活とはなにを指して言うのでしょうか?」
「そりゃ食うに困り、衣服に困り、住居も足りていないような状況じゃないか? 餓死者が出たり、働けなくなった老人を山に捨てなければ家族が生きていけないような状況だ」
「それは私たちが食うに足り、衣服をまとい、屋根のある暮らしをしているから、そう思うのです。自分の認知する世界全体がそういう生活をしていると思っている間は、その生活そのものを厳しいものだとは認識できません。遙かに進んだ文明を知っている旦那様から見たら、フラウ王国はおろか、レギウム連合での暮らしも決して裕福とは言えないのでは?」
「それはまあ」
ありとあらゆるものが、前世の日本とは違うからね。俺は転生して生まれてくるところからこっちの生活に慣れていったから、それほど辛くはなかったけど、転移だったら相当困っただろう。
「レギウムの人々は旦那様の前世と比べて厳しい暮らしをしているはずです。彼らは不幸な生活をしていますか?」
「いや、そうは見えないな」
「はい。ですがそれはより豊かな暮らしを知らないからです」
リディアーヌは遮音の魔法で包まれた部屋の中で静かに告げる。
「まず大前提として多くの人は他者との比較で優位に立ったときに幸せを感じます」
「うーん、嫌な前提だけど言いたいことはわかる」
マウントを取るってそういうことだよな。
「レギウムの人々が我々を批判せず、許すのも、レギウムがより優位な立場にいると信じて疑わないからです。弱者を救済していると思っているから、寛容なのです。そうすることで彼らは幸せを感じているのです」
遮音の魔法があってよかったなあ。レギウムの人に聞かれてたら袋叩きだよ。
「さて、この大原則にはひとつ大きな問題があります」
「問題?」
問題しかない気がするけどな。
「視野が広がれば広がるほど、自分が優位な位置に立つのが難しくなるのです」
ふむ、わかると言えばわかる。
例えばテストの点数でクラスの一位になったとしよう。そしたら優越感で満たされるだろう。
だけど学校全体では十位くらいだった。まだ優越感はあるかもしれないけど、その強度は下がる。
県では? 全国では? どんどん順位は下がっていく。優越感は薄れていく。
クラスで一位の点数が全国では平均点に届いていなかった、ということもありえる。
「人間は比較できる範囲で上位に立っていなければ満足できません。これが村単位で、基準が曖昧なら問題にならない。私はコレットよりは顔がいい。ミリアよりは胸が大きい。アイシャよりは性格がいい。などと適当な基準で自分の立ち位置を決められますから」
そしてリディアーヌはふぅとため息をついた。
「しかし情報が広がり、金銭という絶対的な基準がつくと、そうはいきません。より稼いでいる者が優位で、それは揺るがないからです。母集団が広がれば広がるほどにより上位の層が目に見えてきます。自分が上位にいることが難しくなっていくのです。結果的に全体の最上位にいるほんの一部の者だけが幸せを享受でき、他は幸せを感じられなくなる。少なくとも金銭的な意味合いにおいては」
「流石に極論すぎるんじゃないか? 自分だけの幸せを見つけられる人もいるだろ」
「ええ、確かに。でもそういう人ばかりではないのも事実ですわよね。そしてそういう人でも、ふと周りが目に見えて、自分の生活って劣ってないか? と思ってしまうこともあるでしょう。他者との比較は決して幸せへの近道ではありません」
「そりゃまあ、そうかもしれないけど、他者との比較はより上を目指す原動力にもなるんじゃないか?」
「ですから、その上を目指すということが不毛だと申しています。より良い生活を求め続けた先に行き着く世界は、みんなが幸せな理想郷でしたか?」
「それは……」
俺は言葉に詰まる。
前世の世界が理想郷だと言えるはずもない。
「全世界が一同に競争できる世界とはつまり、勝者が全世界にひとりしかいない世界なのではないでしょうか? ねえ、旦那様、便利であることは幸せとは繋がらないのです」
「だが技術的発展が遅れるということは他国の侵略を招きかねない。軍事力は常に改修が必要だろ。競争しなきゃ置いて行かれ、そして搾取されるんだ。それが君の言う国民の幸せに繋がるとは思えない」
「軍事的均衡による平和とはつまり先進国によるにらみ合いではないですか。均衡が崩れたら途端に雪崩を打つ、そんなものを平和とは言いません」
「いや、まあ、弱小国でも大国相手に交渉できる手段があるといえばあるんだけど……」
「まあ、すばらしい。なんですか、それは?」
俺はさすがにためらったが、リディアーヌの期待に満ちた瞳に折れる。
「核爆弾って、言うんですよね……」




