暁の星 37
セリュールさんが案内してくれた工場は、外観がすでに工場だと感じさせるものだった。大きな建物に煙突がついていて、もうもうと黒煙が上がっている。
うーん、大気汚染とかはまだ考えられていないよな。
だが黒煙が上がっているということは、何かを燃やしているということだ。
耳に届く規則的な低音も俺の期待を掻き立てる。
案内されて中に入ると、巨大な機械が俺たちを出迎えた。
「こちらが製糸工場になります」
駆動する機械は大量の糸を吐き出し続けている。ガシャガシャと動く機械の動力は、人力ではとても生み出せないだろう。
つまりなんらかの動力が存在する。蒸気機関だとは思うんだけどな。
リールに巻き付けられていく糸の量に妻たちとアレクサンドラは目を奪われている。
「蒸気機関、だよな」
「蒸気機関というのはよく分かりませんが、水を炊いてそのエネルギーで動いているとは聞いています」
「水を? それだけで?」
さすがのリディアーヌにも理解が及ばなかったようだ。
人類は基本的に熱量によって物体が膨張する作用を動力としている。これは蒸気機関でも、内燃機関でも同じだ。電力が発見されると状況は変わるが、この世界ではいまのところそれで間違っていないと思う。
俺の知らないところではもう電力を使ってモーターを回してるんかもしれないけど。
水は熱によって蒸気になるが、その際に大きく膨張する。
ボイラー内で膨張し、圧力を得て勢いよく吹き出すそれをタービンに当てて回転させ、動力を得るのが蒸気機関だ。
という俺の雑な知識だが、セリュールさんがいるのでお披露目はできない。
セリュールさんも詳しいことは知らないそうで、特に説明してくれる専門家を呼んでもくれないようだった。そりゃまあ、お国の最新技術だし、自慢はしても説明はしてくれないよな。
工場内でせっせと働くのはほとんどが女性だ。
「ここでは従業員が交代制で機械を止めることなく製造を続けています」
「一日中ずっと、ですか? 夜の間も?」
「はい。どうもこの機械は一度止めると再度動かすのにとても時間と手間がかかるそうですので」
大きな蒸気機関は熱を入れるのに長い時間がかかる。そりゃ常温に戻ったボイラーの水をまた沸騰させなければならないのだから当然だ。
「休むことなく労働させるのですか……」
「その分、夜間勤務は賃金が高く設定されているそうですよ」
「しかしそれでは家族と一緒に夜を過ごすことができないではないですか」
「そうですね。だから深夜の勤務は独身の方がほとんどです」
「それにしたって親がいるでしょうに」
「ベルダウでは成人した人は家を出るのが一般的ですからね。それにここの工員はほとんどが寮住まいです。夜間勤務だと昼に寝ることになるので、一般的な集合住宅では不便なんですよ」
「しかし、いえ、レギウムではそういうものなのですね」
レギウムがというか、大量生産をする工場は大体こうなるんだよな。
ラインを止めると、色々と面倒だ。色々がありすぎて、いちいち説明はしないけど、とにかく機械を止めて、また再稼働というのはコストがかかるのだ。
「かつて衣料品は高級品でした。ですがレギウムでは誰でも新品を手にすることができます」
王国だと平民の衣服は自作か、中古品だった。穴が空いても補修して使い続ける。作りも簡素で、おしゃれなど程遠い。
それと比べるとベルダウの人々はみんな衣服に気を遣っているようだった。
少なくとも穴の空いた服をそのまま着ているというようなことはない。
「確かに豊かではあるのでしょう。しかしそれを支えるのがこのような労働では……」
工場の就業体制はリディアーヌのお気に召さなかったようだ。表情は平坦だが、これはどちらかというと落胆だな、と俺は思った。
リディアーヌとの付き合いも長いから、なんとなくそういうことは読み取れる。
「労働に格差があるのは認めます。このような工場は結局、他に働く場所がない者が集まっているという側面もあります。作業は危険ですが、単純で、少し覚えるだけで誰にでもできますから」
「しかしこのような大規模な機械を使う仕事では、各々が独立、というわけにもいかないのでは?」
「工場従事者が独立なんてことはまずありませんよ。彼らは辞めない限り、ずっとこの仕事を続けます。覚えてしまえば楽なものらしいですよ」
「ずっと? 体が動かなくなるまで? 夜間勤務だと結婚も難しいのでは?」
「いえ、結婚する方も普通にいらっしゃいますよ。ご覧の通り、昼は女性のほうが多く、夜は男性のほうが多いので、入れ替わりのときに顔を見る機会もありますし」
「しかし生活時間は合わないですわよね」
「そうですね。結婚したらどちらかが転職する、ということも多いようです」
「女性が家に入るのではなく?」
「男性の稼ぎだけでは生活が厳しいですからね。共働きの家庭が多いですよ。工場勤務であれば尚更です」
リディアーヌは眉根を寄せた。
「先ほど夜間勤務は賃金が高いとおっしゃっていましたよね。それでも男性の稼ぎだけでは家庭を維持できないのですか?」
「子どもを持つことを考えたら厳しいでしょうね」
リディアーヌは息を止めて、そしてゆっくりと吐いた。
「なるほど。わかりました」
ただの相づち。しかし俺にはそれがとてつもなく重く聞こえたのだった。




